クーラほど見た目によらない人間を俺は知らない
『まったくあんたって子は……。何も言わずに行方をくらませて、8年もの間手紙のひとつも寄越さないでおいて、お元気そうで何よりだぁ!?ひょっとしてあたしに喧嘩を売りたいのかい?だったら言い値で買い上げてやるよ?』
雷が落ちたとはいえ、それでも支部長のお怒りは収まったわけではなさそうで、なおも追撃が続く。
「いえ、そういうわけでは……。ただ、あの時は事情がありまして……」
『それでも、ひと言伝えていくのが筋じゃないのかい!』
「それはそうですけど……」
まあ、あの時の事情というのは聞いているし、多少の理解はできるつもりではあるんだけど……
「それに、一応は書き置きをですね……」
『『自分探しの旅に出ます。探さないでください』とか、ふざけたことが書いてあった紙切れのことかい?』
うわぁ……
怒声でふらつく頭でもわかる。いくらなんでもそれは無いわ。そりゃ支部長だってキレる。
『それに……そこまでは百歩譲って許すとしても、それ以来手紙のひとつすら寄越さなかったってのはどういう了見なんだい?あぁ!?』
「それは……そのですね……。いえ、たしかに申し訳ないとは思っていますよ。思っているんですけど……」
不義理を働いていたとはトキアさんも認めていたくらいだし、さすがに分が悪すぎる感じか。
どうにか助け船くらいは出したいところなんだけど、下手すりゃ火に油だろうしなぁ……
『やれやれ……』
どうしたものかと思っていると、支部長が疲れたようにため息。同時に原因不明の(といっても、多分支部長の怒気が理由だったんだろうけど)震えが引いていく。
『良くも悪くもトキアが相変わらずだったってことに安心できちまうあたり、あたしも甘いんだろうねぇ……。まあいいさ。一応は上っ面だけでも母親だからね。こうして生きていてくれたこと――最大の親不孝をやらかさなかったことに免じて、今回だけは大目に見てやるとしようかね』
「ありがとうございます、お母様」
『その呼び方は止めな。背中が痒くなっちまうよ』
支部長が怒りを収めてくれたらしいことにはひと安心、だったんだけど……
なにやら聞き捨てならない単語が出てきたような気がするんだが。
「あの……ひょっとして支部長とトキアさんって、親子だったりするんじゃ……」
聞いた限りではそうとしか思えないわけで。
「ええ。支部長が言ったように一応は上っ面だけは、ですが」
「……どういうことです?」
このふたりが親子だというのはまだいいとしても、一応だの上っ面だの言っている割には、仲が良さそうにも見える。
「大したことではありませんよ。……恥ずかしながらわたくし、トキア・ジアドゥと名乗らされていた時期がありまして」
「ジアドゥ……ってまさか!?」
さらに妙なワードが出てきた。
ジマワ・ズビーロとかいうクソ野郎――通称クソ長男の婚約者にも、ジアドゥという姓が付いてたはずだが……
「ええ。風の噂で聞きました。以前アズールさんにご迷惑をおかけしたというミューキ・ジアドゥ。一応あれはわたくしにとっては血縁的な意味では妹だったらしいですね。胸糞の悪いことに」
「……えらい辛辣ですね」
「それだけ嫌な思い出ばかりなんですよ、あの家には。……気分のいい話ではないので詳しいところは割愛しますが、わたくしはあの家では異端な存在でして。心色が単独型だったことがトドメとなった形で、完全に切り捨てられたというわけです。その後はガドと出会った縁で第七支部に移ることになり、わたくしとしてもジアドゥの名を完全な意味で捨てたかったので支部長にお願いして養子にしていただいた。そんなところですね」
「じゃあ、支部長と親子だというのは……」
「その時からですね。なので、『トキア』というのが、わたくしの本当の名前。『トキア・ジアドゥ』などという人間はすでにこの世に存在していないというわけです」
「なるほど」
妙に納得できる話だった。前に聞いた話では、ジアドゥ家というのはズビーロ家に追従していて、はびこる考え方も似たり寄ったりだったんだとか。であれば、トキアさんのような人が馴染めなかったというのは無理もないと思う。
そして多分だが、トキアさんの立ち振る舞いは幼い頃に染み込んでいたもので、自身の育ちが良くないと言っていたのもそのあたりが理由だったわけだ。
「当然ながら、かつて身内ということになっていたらしい連中のことでアズールさんを恨んでなどいませんので、そこはご安心を。むしろ連中のせいでご迷惑をおかけしたこと、申し訳なく思います」
「いや、そこまでしなくても……」
そんな理由で深々と頭を下げられてもこっちが困る。どこをどう考えたってトキアさんに非は無いだろうに。
『ふふ。本当に変わらないのね、トキアは』
支部長のお叱りは終わったということなんだろう。呆れたようでもあり、安堵したようでもある、穏やかな声が鏡から聞こえてくる。
それは俺が知っている声で、トキアさんにもすぐに主がわかったんだろう。
「そうですね。この歳にもなると、簡単には自分を変えることができないようです」
口ではそんなことを言っているが、トキアさんが過去のあれこれを乗り越えて前に進んだのは今朝のこと。
「お久しぶりですね、セラ」
『ええ。久しぶりね、トキア。もうあれから8年も過ぎていたのね』
だからなんだろう。かつてはわだかまりを抱いていたというセルフィナさんに対しても、落ち着いた言葉を返していた。
「懐かしい限りです。あの頃は何度もあなたの治癒に助けられましたね」
『そうね。あなたはいつもいつも、心色そっちのけで殴り合いばかりするから生傷が耐えなくて』
「今思えば、セラが治してくれるからと甘えていたのかもしれません。王都を離れてからはそうも行かなくなりましたし、今では飛槌で殴り付けるスタイルが主体になっていますから」
『……できるなら、もっと早くに変えてほしかったわね。ガドはそんなあなたに感化されて当然のように心色を放り投げて殴り合いを始めるようになってしまったし、少し前に入った新人の子はそんなガドに感化されてしまって……治癒に物を言わせた捨て身の殴り合いが主体になってしまっているのよ?それもアズールさんと同世代の女の子が』
「それは……まことに申し訳ありませんでした……」
……つまりガドさんの喧嘩殺法はトキアさん由来で、それがネメシアにも伝わってしまったというわけか。
というかトキアさんにそんな時期があったのかよ……。トキアさんの喧嘩殺法とか、全然想像できないんだが……
まあそれでも、クーラよりはマシなんだろうけど。
人は見た目によらぬもの、なんて言葉があるけど、クーラほど見た目によらない人間を俺は知らない。
『さて、積もる話はまだまだあるだろうけど、今はそれくらいで切り上げてもらえるかい?』
そんなところに再び声をかけてきたのは支部長で、
『アズールもトキアも気付いてるんじゃないかと思うけど、今はかなりの緊急事態なんでね。そろそろ真面目な話に移らせてもらってもいいかい?』
「海呑み鯨のこと、ですね」
『ああ。下手をすれば今の状況は、世界全体の危機と言えるかもしれない程度にはヤバいのさ』
そんな中でも、俺とクーラやトキアさんのために時間を割いてくれるあたり、自称しているように支部長は甘いところがあるのかもしれない。
それでも、怒気に気圧されたさっきとは別の意味で、再び空気が張り詰めていた。




