クラウリア
「さて……やるか!」
咆哮と同時に双頭巨人の左腕が復元されていく。当然ながら、それを待ってやる義理なんてあるわけもない。
これから仕掛けるのは、今の俺にできる全身全霊。
意志に応えて、両手に虹色をした泥団子が現れる。これまでで初となるだけの彩技を込めているソレを生み出す際に感じた脱力感はそれほどでもなく、ある程度であれば連発できるだろうと思えるほど。多分だが、ニヤケ野郎の残渣を取り込んだことで、俺の中にある、心色の総量も強化されたんだろう。
両手に現れた泥団子は、どちらも『封石』『衝撃強化』『爆裂付与』に加えて、他にふたつの彩技も込めてある。
それらを左右に放り投げれば、すぐに発動するのは『分裂』。ふたつだったその数は一気に1000へと跳ね上がる。
これもまた、ニヤケ野郎の残渣を取り込み、強化された結果。100だったはずの上限は500になっていた。
標的は正面にいる双頭巨人だが、別に狙いを誤ったわけじゃない。左右に拡散していく1000の泥団子が唐突にその軌道を変え、正面の双頭巨人へと殺到する。
『爆裂付与』と同時に備わった新しい彩技。それがこの『追尾』だった。
その効果は名の通り。俺が標的と定めた対象を勝手に追いかけるというもの。
1発でも多少の手傷を追う羽目になった泥団子が、今度は視界を埋め尽くさんばかりにやってくるように、双頭巨人には見えていたんだろう。
さっきはこっちが不覚を取らされた時のように、上に跳んで逃げようとする。
だが――
させるかよ!
それは想定済み。
その時にはすでに俺は、次の泥団子を投げていた。その軌跡は正面上方向――双頭巨人の頭上に放り投げるように。もちろんこれにも、持てるすべての彩技を込めてある。
さらには、最初に投げた泥団子もまた、その軌道を変え、空中の双頭巨人へと下方から迫る。言うなれば、上下から挟み撃ちにされる形。
こいつも持ってけ!
そこにダメ押し。宙にいる双頭巨人に向けて、投げつけるようにして追加の泥団子。当然ながら、これにも同様の彩技を込めてだ。
数にして2000の『爆裂付与』付き泥団子。しかも空中に居るがゆえに逃げ場は無し。
だからこれで決まりと思った矢先、双頭巨人に変化があった。
「グォアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「……なんだ!?」
さっきまでは再生を行うたびに上げていた咆哮。同時に双頭巨人を包むように現れたのは、灰色をした煙のようなもの。
「『障壁』の類だね」
落ち着いた声でクーラがそう教えてくれる。
『障壁』というのは心色のひとつで、壁を作り出すというもの。
高位の魔獣には心色に近い芸当を使う手合いも居る。知識だけではあるが俺も知っていた。
命中。クーラが余波に対処した結果だったんだろう。不自然なほどに小さな音とともに、虹色の飛沫が飛び散る。
「無傷!?」
『障壁』のせいなのか、そこにあった双頭巨人の姿は、さっきクーラがやったであろう左腕以外には一切の傷も無くて。
「焦る必要はないよ。『障壁』も再生と同じ。使うことで奴は消耗していく。むしろ――」
「これまで使わなかったってことは、再生よりも消耗が激しいと考えるのが妥当、ってことだな」
取り乱しかけた気持ちには、早々にクーラがくさびを打ち込んでくれる。おかげで頭は冷えたままでいられた。
灰煙の『障壁』でも、反動までは殺しきれなかったのかもしれない。着地に失敗した双頭巨人はその場で転倒。
「さあて、どっちが先にへばるのか……我慢比べと行こうか!」
起き上がる余裕だってくれてやるつもりはない。すぐさま両手に生み出した彩技全部乗せの泥団子を左右に放り投げる。
『障壁』に阻まれる。
奴の頭上へと泥団子を放り投げる。
『障壁』に阻まれる。
真正面から泥団子を投げつける。
『障壁』に阻まれる。
投擲を繰り返すたび、俺の中から何かが搾り取られていくような感覚。だんだんと、立っているのも辛くなってくる。
本当に効いてるのか?このままやっても……
「大丈夫」
静かに落ち着き払った、諭すような声。
「確実にあの魔獣は消耗してる」
浮かびかけた弱音は、すぐにクーラが否定してくれる。
だからその言葉を信じて投げる。投げる。投げる。投げる。
息が上がる。流れた汗が目に入って視界が霞む。ガクガクと膝が笑い始める。心色の源、とでも呼べそうな何かは、すぐにでも底が見えてきそうだ。それでも投げ続ける。
そして――
「『障壁』が消えた!このまま押し切って!」
「おうともさ!」
ついに望んだ瞬間が訪れる。乾いた音と共に、あの忌々しい灰煙の『障壁』が、弾けるように消え失せた。
ラストスパート、行くぞ!
果てが見えたことで、気持ちも奮い立つ。
さらに投げて投げて投げて……
「これで……決まれえぇぇぇぇぇっ!」
そんな声を上げたのは、もう限界だと感じ取れたから。心色の源は最後の最後まで搾り尽くした。
「グォアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ……」
色とりどりの飛沫を伴った爆発。双頭巨人が上げたのはこれまでにないくらいに長い叫び。そして、だんだんと弱まり、最後には声だけでなく、その姿もかすれるように消えていく。
飛び散った虹色の飛沫を消す。そこには、双頭巨人の姿は無かった。
やったか?……いや!まだだ!
浮かんだ甘い考えは即座に振り払う。
とどめを刺せていたなら、その場には残渣が残っているはず。それが見当たらない以上、まだ奴は生きているはず。
「アレだね」
どうせ俺の内心も読んでいたんだろう。クーラが指さすのは、双頭巨人の居た場所から少し離れたところ。
「なんだ?」
そこには青色――双頭巨人の身体と同じ色――をした、握り拳サイズの何かがウネウネと蠢いていた。
「あの魔獣の成れの果てだよ」
「……どこまでしぶといんだかな」
「確かにね」
肩をすくめて見せる。
「あのまま放置しておけば、いずれは元通りになっちゃうね、あの魔獣」
「……本気でどれだけ化け物なんだよアレ」
本当に呆れ返るしかない。
「とはいえ、さすがに死に体。すべての力を使い果たし、息も絶え絶えというほどの傷を負った挙句の姿。あそこまでやられて生きているってのは、見上げたしぶとさだけどね。それでも、今なら適当に踏みつけた程度でもお終いだよ。さ、とどめを」
「ああ」
そんな会話の十数秒間でも、気持ち程度には回復した……ような気がする。それでも、あの場所まで歩くのは辛そうでもあった。
「出て……こい……っ!」
だから心色を使う。右手にありったけの力を込めて、泥団子を呼び出す。『分裂』や『爆裂付与』どころか、『封石』すら込める余力は無かった。
「今度こそ……くたばり……やがれっ!」
恐らくは、出くわしてからは1時間も過ぎていない。それなのに随分と濃密な経験をさせてくれやがった化け物への最後の一撃。
ベチャリと。そんな音が聞こえた次の瞬間。青色の何かは空気に溶けるように消え去り、代わって現れたのは、俺の頭ほどはありそうな鉱石らしきもの。双頭巨人の残渣だった。
「はは……」
口をつくのは乾いた笑い。単純に疲労のせいなのか、あるいは張り詰めていた反動で気が緩んだのか、身体から力が抜け、背中から地面に倒れこむ――
「おっと」
ところを支えてくれたのは、これまたクーラ。そのままふたり揃ってへたり込み、クーラに背中を抱きとめられながら座るような体勢に。
「お疲れ様」
「ああ。ありがとうな」
やはり女性の身体は俺とは違うんだろう。背中に伝わるほのかな暖かさは、柔らかくもあった。
「どういたしまして。それよりも……見事だったよ」
「どうだかな……。折れかけたところでもお前に支えられてただろ、俺は。それに、お前のお膳立てあってのことでもあるだろうが。そもそも、お前が居なけりゃガドさんも俺も死んでた公算は高いと来たもんだ。どうせ、お前がその気になればあの魔獣だって難なく始末できてたんだろうが」
「まあ、ね」
俺が倒し切れなかった時には処理すると、サラリと言っていた。つまり、クーラにとってあの双頭巨人はその程度の存在でしかなかったというわけだ。
「けどさ……それでも君は私のわがままに付き合ってくれた。ありがとう」
「どういたしましてだよ」
背中越しに交わす会話がやけに心地いいのは、曲がりなりにも強敵をどうにかできた達成感によるものなのか、あるいはこいつとの間にある気安い空気によるものなのか。
「それで……俺は、お前の期待に応えることはできたのか?」
そんな――軽い流れで問いかけるのは、俺がクーラにおんぶ抱っこで双頭巨人の撃破を試みようと決めた動機となった部分に。
「それは……」
「……そうか」
言い淀み。それは言葉よりも雄弁に、答えを語っていた。
結局、俺は届かなかったわけだ。
意外な間抜けさに妙な親近感を感じたこともあり、あっという間に気安いやり取りを交わせるようになっていたのは事実。
それでも、クーラが見せた悲哀に心を揺さぶられて、少しでも和らげてやりたいなんて抱いた身の程知らずな気持ちは、本気の本気だった。
だから心に残るのは罪悪感。
「ゴメンな。お前の望み、叶えてやれなくてさ」
すぐの返答は無かった。その代わりになのか、クーラの両手が俺の胸に回され、背中に何かが押し付けられるような感覚がやってくる。
「……急にどうした?」
早い話が、後ろから抱きすくめられているような状況。少し……いや、かなり相当恥ずかしい。
「知らないよ。君が悪いんだから」
「お前の期待に応えてやれなかったのは事実だし、俺が悪いのは否定のしようもないんだが……」
なぜそれでこんな行動に出るのか?わけがわからない。
「うわぁ……。本気で思ってるよアズール君ってば……」
当然ながら、そんな呆れの理由もわかるはずはなく。
「それで、なんでお前は急に……」
「あはは。アズール君のお馬鹿さん」
「ガドさんにも言われたし、俺が馬鹿であることも否定はできないんだが……」
まるで話がかみ合わない。得体の知れないところはあるし、あれこれ隠してる様子のある奴だが、話の通じない相手ではなかったはずなのに。
「嬉しかったの」
「唐突にそう言われてもな……」
しおらしい口調に変わる。それでも、理解は追い付かないんだが……
「期待に応えられなくて済まない、なんてさ……初めて言われたから」
「初めて?」
大して珍しいことでもないと思うんだけど。
「ま、これでもいろいろあってね……」
「そうなのか?」
「そうなのよ。それはそうとして……そういう風に言うのってさ、結果がどうであれ、君が私のために一生懸命になってくれたってことの証なんだよね?」
「……あらためて言われると恥ずかしいけど、一応はそういうことになるんだろうな。だが結果は――」
「関係ない」
言いかけた言葉はさえぎられる。
「言ったはずだよ?結果がどうであれ、って。そんなことよりも君の……その気持ちが嬉しかったの。ありがとね。私のために必死になってくれて」
「あ、ああ」
多少の納得はできたが、それでもよくわからない部分の方が大きい。
「さて、このあたりで切り上げよっか。これ以上人たらしの君と接していたら、取り返しが付かなくなりそうな気がしてきたよ」
「誰が人たらしか……」
「君以外にいる?まあ、君はそのままでいいのかもしれないけどさ」
苦笑気味に言いつつ一度両手を離したクーラは、今度は左の手のひらを俺の胸に当ててくる。
「まずは、君のケアからだね」
クーラの手のひらから何かが流れ込んで……いや、入り込んでくるような感覚。心色を使う時の力の流れと似ているような似ていないような……
「うわ……。自分で頼んどいてアレだけど、かなり酷いことになってるね……。すぐに治してあげるから」
「だから俺にもわかるように言っ……てぇっ!?」
少なくとも、傷はひとつも負っていないんだけど……
そんな言いかけからおかしな声を上げてしまったのは、奇妙な感覚に変化が起きたから。入り込んできた何かに身体の中を。それだけじゃなくて心の中までをかき混ぜられるような。
「大丈夫。痛くはしないから。できるだけ優しくするつもり。安心……はできないかもしれないけどさ。……さあ、気持ちを楽にして。……身も心もすべて、私に委ねて?」
クーラの声がトーンを下げる。そんな耳元でのささやきは直接頭に染み込んでくるようで、
「あ……うあ……っく……」
声が漏れる。間違いなくクーラの仕業であろうソレは、少しも不快ではなくて……むしろ心地がいい。気を抜けば飲み込まれそうになるほどに、とんでもなく。
「う……あぁ……」
「……我慢なんてしなくていい。……そのまま意識を手放してしまえば、目が覚める時には全部終わってる。……私の言うがままに、ぼんやりとなにも考えられなくなっていこうね。……ほら、もう逆らえない。……もう逆らいたくない。……どんどん従いたくなってくる。……君は、私に従いたくてたまらない。……私の言うがままになりたくてたまらない。……もう、その気持ちが抑えられない」
なんだ……これ……は……?
静かで穏やかなささやき声なのに、まるで抗えない。むしろ操られるように、どんどん意識が霞んでいく。そんな中で、片隅に見えた光がやけに気にかかった。
アレ……は……?
傍らにあったのは不思議な光。
赤いようでもあり、青くも見えて、紫とも思える。他にも、緑やら黄色やら……まるで虹の七色が混じり合ったような光。さらに意識を向ければ、クーラが手にしていた白剣から、その光は放たれていた。
虹光をまとう……白剣!?
その気付きが、ほつれそうな意識をほんの一瞬だけ、束ね合わせる。
半ば伝説的な存在であり、現実で目にするのは初めてだったけれど、それを俺は知っていた。
今まで思い至れなかったのは、その使い手が今の時代に存在するはずがないと思い込んでいたからだろうか?
だけど――弱いとはいえ――その思い込みを崩す根拠はあった。時間の流れをどうのこうのすれば、今にまで生きながらえることは可能なのかもしれない。
そして、クーラが口走りかけた『クラ』。
これだって、裏付けにはなる。
『クラ』で始まる名を持ち、虹色に輝く白剣を携えた白髪の女性。
そんな存在を俺は知っていて――俺の知る限りではただのひとりしかいない。
「短い時間だけど、楽しかった。君と話せてよかったよ。この思い出があれば、私もまだ頑張れると思う。ありがとね、アズール君」
一瞬の抵抗もすぐに飲み込まれて、心地よくかき混ぜられる感覚が身体と意識の隅々にまで及んできた。落ちる寸前だと、感覚が告げてくる。
「……おやすみなさい。いい夢を」
その言葉にとどめを刺されるように、渦に巻き込まれるようにして、俺の意識は沈んでいった。
クラウリア。
その名を声に出すことができたのかどうか。それすらわからないままに。
今日はここまでです。




