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こんなところに海呑み鯨が居るはずはない

「それでは、わたくしたちはこれでお(いとま)させていただきます」

「お忙しいところ、わざわざ見送りまでしてもらって申し訳ないです」


 クーラとの連絡を終え、パウスさんが用意してくれた朝飯をいただいてひと休みの後。数時間後にはこの島も慌ただしくなるだろうということで早々にクゥリアーブに戻る俺たちの見送りには、クーパーさんとパウスさんも来てくれていた。


「いえいえ。こちらとしても、歴史的な瞬間に立ち会うことができましたからな」

「その瞬間、俺も見たかったのに……。けど、アズールさんのサイン、ずっと大事にします。むしろ家宝にします!あと、アズールさんに飯を作ったって末代まで自慢します!」

「いや、さすがにそれは勘弁願いたいんですけど……」


 トキアさんのあれこれが印象的過ぎて忘れかけていたが、どうしてもと頭を下げられて断り切れず、そんなことになっていたのはついさっきのこと。


 ……当然ながら俺としては早々に、一瞬でも早く消してしまいたい記憶。クラウリアが帰ってきたら封鎖してもらおうか。なんてことを半分くらい本気で考えるくらいには。


 叶うなら、押し切られる形で書いてしまったサインも処分してしまいたい。今のところはパウスさんの所有物である以上、そんなことはできないわけだが。


 いつかパウスさんが「なんでこんなゴミを大事にしてたんだろうか?こんなのケツを拭く紙にすらならないってのに……。胸糞悪いな、さっさと燃やしちまうか」なんて風に、真実に気付いてくれると願わずにはいられないところ。


 ともあれ――


「「お世話になりました!」」


 こうして、俺にとっての『虹孵しの儀(にじかえしのぎ)』は終わりを告げていたわけだ。




「……気持ちがいいですね、これ」

「ふふ、気に入っていただけたようですね」


 その後のクゥリアーブへの道すがら(海すがらとでも言うべきなんだろうか?)は実に爽快なものだった。


「ですが、昨日はそうでもなかったのでは?」

「……そういえばそうでした」


 まあ、理由は明白なんだが。今に至るまでのあれこれでトキアさんとは随分と親密になれたから、といったところなんだろう。こうして抱き着いていても、不思議なほどに動揺は起きなかった。


 そのおかげで風を切って進んでいく感覚や陽光を受けてキラキラと光る海面。時折に魚が跳ねる様なんかを存分に楽しめていたというわけだ。


「せっかくですし、周辺の海域を軽く流していきますか?」


 俺としてはなかなかにそそられる提案ではあるんだが……


「けど、トキアさんの負担になりますよね、それって」


 程度の差はあるだろうけど、心色を使うというのは大なり小なり消耗する行為。


「その点はご心配なく。半日くらいで音を上げるほどにヤワではないですよ」

「そういえば、これであちこちの大陸を渡り歩いてたんですっけ」

「ええ。そんなわけな……」

「……トキアさん?」


 不意に言葉を途切らせる。


「なにかあったんですか?」


 飛槌も止め、あたりを見回すその顔には警戒色があらわで、


「高度を上げます。絶対に手を離さないで」


 その声色も硬さを帯びていた。


 ゆっくりと飛槌が海面から離れていく。トキアさんの様子からは、何かしらが起きているんだとは理解できる。けれど……


 俺もあたりを見回してみるが、これといって妙なものは見て取れない。


「さすがにここまで来れば大丈夫でしょうか?」


 そうこうするうちに上昇は止まり、


「今の高度は80メートル。この高さから海面に叩きつけられれば、万にひとつも助かりません。くれぐれも気を付けてくださいね」

「わかりました。それで、何があったんです?」

「詳しくはわかりません。ですけど……お恥ずかしい限りなのですが、わたくしはあまり育ちが良くないものでして……」


 何言ってるんだこの人?


 失礼ではあるが、本気でそんなことを思ってしまう。


 口調といい立ち振る舞いといい、俺がこれまでに出会ってきた中でも飛び抜けて育ちが良さそうなのがトキアさんなんだが……


「けれど、怪我の功名とでも言うんでしょうか?そのおかげで、向けられる敵意とか悪意といったものには敏感なんです。これまでに外れたことはありませんし、幾度とそのおかげで命拾いをしてきましたから」


 気配探りなんかとは別物らしいが、そういったものを鋭敏に感じ取れる人というのも存在する。そのあたりは師匠からも聞いたことがあった。


「つまり、そういった良くない何かを感じた、と?」


 あらためて周囲に目をやるも、海鳥の1羽すら見つからない。


「そして目に付く範囲には何もありませんでした。だから……」


 目線を向ける先は真下――海面へと。


「海の中から何かに狙われているのでは?と、思った次第です」


 人を襲う海の生物がいるということも知識としては知っている。有名なのはサメとかいう魚らしいが。


 とはいえ、魔獣でもないただの魚が80メートルまで飛んでくるなんてことはさすがに無いだろうし……


「ちなみに、妙な感覚は今もあるんですか?」

「ええ。だからこそ不気味でもあるんです」

「……一応、俺も備えておきます」


 懐の短鉄棒を抜き、虹剣モドキを形成。もちろん『封石』の応用で強化済み。泥団子を発現させるラグが不要である以上、とっさの対応力ではこれが一番だろう。


「新人戦の決勝で使っていたものですね?」

「無いよりはマシと思いまして。それで、これからどうします?」

「……一度ゼルフィク島に戻りましょう」

「わかりました」

「高度を上げた分だけスピードは落ちてしまいますが、そこはご了承を」


 そうして反転。引き返す速度は言葉通りに、随分と遅くなっていた。


 その間に俺は海面へと注意を向けるも、結構な距離も相まってか、特におかしなところは見て取れない。だが、俺よりもはるかに経験豊富なトキアさんがここまで警戒している以上、何かが居るという前提で構えるべきだろう。仮に杞憂で済んだなら、それはそれで結構なことだ。


 まさかとは思うが……


 ふと思い浮かぶのは、海を生息域とする唯一の魔獣。


 いや、さすがにそれは無いか。こんなところに海呑み鯨(オーシャンスローター)が居るはずはない。


 将来的にはやり合う必要ができてしまったのは数日前のこと。とはいえ、過去にグラバスク島近海から出てきたなんてことは無いはずだ。もしもそんなことがあったなら、間違いなく記録に残っている。


「……なんだ?」

「どうしました?」


 そんなことを考えるうち、海面に変化が起きたように見えた。


 まるで海面に小さなシミが広がっていくような……っ!?


 そんな思考を遮るようにして、この高さにまで届くほどの水音が響く。同時に下から迫って来る何か。


 ヤバい!?


 その勢いは相当なもので。


 とっさの対応をした時にはすでに、視界すべてが黒の一色に塗りつぶされていた。


 その原因は海中から勢いよく跳び上がって来た海呑み鯨の大口でパックリと行かれたから。


 そう認識できたのは、直前にその魔獣のことを考えていたからなのか。


 普通であれば100%助からないような状況。


 けれど――


 まだ万策尽きたわけじゃない!


 虹剣モドキを用意していたことが。とっさに取っていた行動が。俺にギリギリの可能性を示す。


「こじ開けます!」


 のんびりと考えている余裕が無ければ、トキアさんの返事を待つ余裕だって無い。だから一方的にそれだけを伝え、


 爆ぜろっ!


 真下に投げ付けていた虹剣モドキを『遠隔操作』で加速。何かに突き刺さるような感覚と同時に『爆裂付与』を発動させる。海呑み鯨といえど、腹の中からだったら!


 頼む効いてくれ!


 ドゥン!


 爆音。そして――


「離脱します!」


 視界に空の青が戻った次の瞬間には、トキアさんも行動を起こしていた。腹の中でドカンとやられ、たまらずに開かれた大口の外へと飛槌が向かう。


「くぅっ!?」

「うおっ!?」


 その矢先に真下から叩きつけられたのは、生暖かく生臭い突風。


 それでもトキアさんは体勢を立て直して、


「あ……」


 けれど、トキアさんほど飛槌に乗ることに慣れているわけでもなく。まして、虹剣モドキを投げ付けるのに右腕を離し、左腕だけでしがみ付いていた俺はそうも行かずに――


「しまっ……!?」


 浮遊感。


「アズールさん!?」


 互いに伸ばした手は、指先がかすめるだけで。


 トキアさんの姿が遠ざかっていく。


 この高さから海面に叩きつけられれば、万にひとつも助かりません。


 脳裏をよぎる言葉。


 吹き飛ばされ、飛槌から振り落とされた俺へと、急速に海面が迫っていた。

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