トキアさんほどの人が俺みたいなガキを相手にするわけないだろ
船の出航時刻を口実に強制的に話を打ち切り、一度部屋に戻ったクーラが再度連絡を入れてきて、
「……本当に、わたくしは幸運だったんでしょうね。もしも昨日、アズールさんと出会うことがなかったなら、今頃は惨めな気持ちでエデルトを逃げ出していたことでしょう。けれど現実にはこうして、とても晴れやかな気分でいられるんですから」
その言葉通りにトキアさんは、どこまでも清々しい表情を浮かべていた。
……まあ、頬には何かが流れたような跡もあったんだが、それを言ってしまうのは無粋だろう。
『……わかる気がしますね、それ。私も経験ありますけど、たったひとつの出会いが、その先すべてを大きく変えてしまうことってありますから』
「……たしかにな」
事実、俺とクーラにとってはノックスでの出会いが大きな転機だったわけで。
「……そういえば、支部長も言っていましたか。人生というのは、いつ、どこで、誰と出会うのかで大きく変わると」
「……それ、支部長が言ってたんですか?」
「はい。なにか気になることでも?」
「いえ、大したことじゃないです。俺も前に師匠……他の人から同じ言葉を聞いた記憶があったんで」
『内容自体は奇抜なものでもないわけだし、そういうこともあるのかもね』
「そうですね。そしてわたくしは、良き出会いに恵まれました」
立ち上がったトキアさんが居住まいを正す。
「アズールさん、クーラさん。おふたりに心からの感謝を。ありがとうございます。わたくしと出会ってくれて。そして、わたくしを救ってくれて」
『どういたしまして。……そうだよね、アズ君』
「ああ。感謝を伝えることができるのは幸せなこと、だったからな。その気持ち、素直に受け取りますよ。それに俺としても、上手くいって本当によかったです」
「……本当に、あなた方はどこまで素敵なんでしょうかね」
「いや、そう言われましても……」
クーラがこれまでに歩いてきたのは数奇にもほどがあるような旅路だったわけだし、俺も最近では随分と感化されている自覚はある。それでも、そうやって持ち上げられるのは未だに慣れることができていないというのが現状。
「ともあれ、ようやく初恋を終わらせることができたわけですが。おふたりを見ているとなんだか羨ましくなってきますね。……もしもアズールさんが独り身だったらわたくしにも好機があった――」
『――わけないじゃないですかそんなの。……それでも私のアズ君に手出しするなら、その時は潰しますけど?』
底冷えする声でそんな物騒極まりないインタラプトをかましてくるクーラだが……
「アホかお前は!」
俺としてはそう言わざるを得ない。なにせ、
「トキアさんほどの人が俺みたいなガキを相手にするわけないだろ。冗談だってことくらいわかるだろうが、常識的に考えれば」
「いえ、アズールさんはとても素敵な男性だと思いますよ」
『ほらやっぱり!』
「ですがご安心を。わたくしとしても、馬に蹴られて地獄に落ちるのは避けたいところですし、恩を仇で返すような恥知らずにはなりたくありません。それになによりも……アズールさんにとってのクーラさんを超えられる自信はありませんから。これでも虹追い人歴は10年以上。勝ち目の無い戦いに臨むほど無謀ではありませんよ」
『ならいいですけど……』
「まあ俺としても、その方が助かりますけど……」
仮に、百歩譲って、万にひとつ、億にひとつ、そんな酔狂な女性が現れたとして、そのせいでクーラとの仲がこじれるのは勘弁願いたいところ。
「ところで……アズールさんは数日間クゥリアーブに滞在した後、王都に帰られるんですよね?」
「ええ」
腐れ縁共が毒キノコに当たったり、トキアさんとの出会いや『虹孵しの儀』の開始で当初の予定からは少しばかりズレたが、その部分は変わっていない。
「でしたらその際には、わたくしも同行させていただけませんか?」
「俺としては構いませんけど……今頃は外洋船の上に居る予定だったんじゃないですか?」
「それはそうなんですが……。こうして胸のつかえが取れてしまうと、ガドやセラに会いたいという方向へ心の天秤が傾いていまして。それに、クーラさんとも」
『トキアさんと会ってみたいのは私もですよ。もちろんアズ君に手出しするなら潰しますけど』
「ええ、そのようなことはいたしません」
『だったら私は大歓迎ですよ』
「ありがとうございます」
そんなこんなで話がまとまる頃には、クーラが仕事に出かける時間が迫っていた。
『じゃあ、私はこれで』
「ああ。また今夜な」
「お仕事、頑張ってくださいね」
そして――
「ふふ、王都に帰る日が今から楽しみですね。せっかくですし、それまでの間に皆さんをアッと驚かせるような演出でも考えておきましょうか。わたくしがアズールさんと共に戻って来るとは夢にも思っていないでしょうし、ガドはどんなリアクションを見せてくれるんでしょうかね?」
積年のしがらみから解き放たれた反動なのか、あるいはこれが素だったのか。
トキアさんは案外いい性格をしているらしかった。