深い深い悲しみの色
「ホント、知能の高い魔獣ってのはロクなことしないよね」
唐突に聞こえたその声は、俺のすぐ真横から。それは涼やかに透き通った声質で、こんな状況にはまるで似合わないほどに、気楽で落ち着き払ったものだった。
「いつの間に!?」
釣られて目をやれば、そこには確かに居た。
年の頃は俺と大して変わらないくらいで、背丈は俺よりも少し低いくらいか。俺と同じように、丈夫そうで素気の無い軽装を身に着けて、右手には純白の剣。そして、剣と同じくらいに真っ白な――俺の黒とは対照的な――髪をまっすぐに下ろした、翡翠色の目をしたひとりの女性が。しかもそれだけではなくて――
「ガドさん!?」
双頭巨人に捕まって、自刃しようとしていたはずのガドさんがそこで膝を着いていた。
なんで……っ!?
さっきまでガドさんが居た場所。双頭巨人の方へと目をやれば、ガドさんを捕まえていたはずの左腕は肩口からが無くなっていて……
なにがどうなってるんだ!?
唐突に状況が大きく変わりすぎて理解が追い付かな……いや!そうじゃない!
混乱しそうになる思考の手綱を握りしめる。
はき違えるな!最優先するのはあの化け物をどうにかすること。他は全部後回しで……?
そうして双頭巨人に意識をやって、さらなる異常に気が付く。
左腕を無くした双頭巨人が、ピクリとも動いていなかったから。
「ガドさん。アレって……ガドさん!?」
この女性についてはよくわからない。だから、確実に信頼できるガドさんに問おうとして、そこにも異常があった。
「ガドさん!……まさか!?」
最悪が脳裏をよぎる。あの化け物と同じように、ガドさんも微動だにしていなくて、俺の呼び掛けにも無反応で。
「この人なら大丈夫。お腹の傷は深刻だけど、命に別状は無いよ」
「だから何がどうなってるんだよ!」
わけがわからず、それでも事が事だけに声を荒げてしまう。
状況を考えたら、この女がガドさんを助けてくれたと考えるのが自然ではあるんだが。いっそ神秘的ですらある整った容貌に加えて、この状況で落ち着き払った雰囲気。得体の知れなさには恐怖すら覚えかけてしまう。
「種明かしをしてしまうけどさ……今、君と私だけを時の流れから切り離してあるの。私たち以外の、すべての時間を止めたってイメージしてもらえばわかりやすいかな?」
「……はい?」
思わず漏らしたのは、大いに間の抜けた声。
今こいつは何を言った?
時の流れから切り離す?
時間を止めた?
詳細も真偽すらもよくはわからないけれど、時間をどうこうできるような心色なんて、それこそ物語の中でしか見たことがない。そんな芸当、あのクラウリアだってやれたとは聞いたことがない。
「まあ、そう思うよね。これに関しては、信じてほしいとしか言えないんだけど」
気楽そうに落ち着いた空気はそのままで肩をすくめる。
「ただ、君と話をしたかったからさ、こんな対応を取らせてもらったの。少なくとも、現時点では、私は君に敵対するつもりは無いし、どちらかといえば協力的なつもり。もっとも、これに関しても、信じてほしいとしか言えないけどね。応じてもらえないかな、アズール君」
俺の名前まで知っていた。
「すぅ……はぁ……」
次から次へととんでもない情報ばかりがやってきて頭がおかしくなりそうだ。だから、深呼吸をひとつ挟んで思考を鎮める。
「わかった。話をしようか」
訳が分からん、というのが現状。だがそれでも、この女は間違いなく、見た目とは不相応の手練れだ。時間をどうのこうのというのはさて置くとしても……双頭巨人の腕を消し飛ばし、ガドさんをここに連れてくるということを、目一杯長く見積もっても3秒以内にやってのけたんだから。
あの双頭巨人だけでも悪い冗談だってのに、その上でこの女まで敵に回すのは避けたい。だったら、敵対の意思は無く、協力的だという自称を丸呑みする。どの道、この女が俺をハメるつもりだったなら、俺はすでに詰んでいる。
名前を知っていたというのも、この際どうでもいい。俺とガドさんのやり取りを聞いていたとか、そんなところだろう。
「ありがとね。理由はともかく、そう言ってもらえて嬉しいよ」
「……っ!」
礼と共に唐突に見せられたのは、屈託のない笑顔。俺自身が異性という存在には不慣れということもあってか、セルフィナさんやシアンさん相手の時と同じように、顔が熱くなりかけた。あるいは、神秘的な雰囲気から一転。愛嬌のある表情に切り替わった落差もあったのかもしれない。
のぼせるな!頭は冷ましておけ!
「それで、何を話そうと?」
それでも、流されるわけにはいかないだろう。だから、さっさと先を促す。
「正確には、話というよりもお願いだね。君に、頼みたいことがあるの」
「……何をだ?」
「私に……君の可能性を見せてほしい」
「可能性?」
そう望んできたのは、やけにふんわりとあやふやな内容。
「そう。君の可能性」
繰り返しつつ目を向けるのは、こうしている今も微動だにしない双頭巨人へと。
「君に備わったすべてを結実させればさ、あの魔獣を倒せるんじゃない?それを……君の全身全霊を見せてほしい」
「それは……」
思い上がるつもりは無い。それでも、無理だと断言できない程度には望みがあるかもしれない。くらいには考えている。
けれど、それをやらなかったのは――
「大丈夫」
まるで先回りするように言ってくる。
「爆音、爆風、その他諸々。余波のすべては余さず私が対処する。君が攻め切ることだけに専心できるようにするからさ」
たしかに、俺が全開をためらったのは、余波に巻き込まれてこっちまで……って待て!
今更ながらに、恐ろしいことに気付く。
こいつ……俺が口に出していないことまで……
少し思い返せば、俺の内心に対して返されたような言葉は他にもあった。
まあ、この女が普通じゃないのも今更なのか。読心のひとつふたつできたとしても、異常さが気持ち程度に増しただけとも……
「さすがにそれは傷つくんだけどねぇ……」
ジト目を向けてくる。
確定だな。俺の心を読んでやがる。
「まあ、そこは気付くよね」
悪びれた様子もなく認める。
「だから……というわけでもないんだけどさ。君の心色も、まだ使ったことのない彩技も知ってる。動きの速い相手にも有効そうだよね?」
「そうだな」
ったく、そこまでお見通しかよ……
「んで、そこまで読み取れるお前なら、俺の可能性とやらも見通せるんじゃないのか?」
「見えることは見えるんだけど……さすがにそれはぼんやりとしか、ね」
投げやり気味に適当に問うてみれば、そんな答えを寄越してくる。
「私が見極めたいもの。それは……」
「……っ!?」
俺が息を飲んだのは、別にこの女が言葉を切ったからじゃない。遠くを見るような表情を見せたからでもなくて――
「君が、届き得るかどうかなの」
なんで……そんな目をするんだよ……
もしかしたら、錯覚だったのかもしれない。
たかが15年しか生きていないお前ごときが何を言ってるんだとも思う。
それでも――
その翡翠色の目に浮かんだ感情。俺がこれまで生きてきた中でも他に見たことはなく、死ぬまでの間にも見ることはないだろうなと思えるほどに、深い深い悲しみの色。
「わかったよ」
気付けば俺は、そう答えていた。
この女が望むなら。この女が抱えているであろう悲しみを少しでも軽くできるのなら。この女が機嫌よく笑えるなら。俺にできることはなんだってしてやりたいと、ごく自然にそう思わされていた。
「ゴメン。同情を誘うつもりは無かったんだけど……」
そんな俺の内心も読み取っていたんだろう。バツが悪そうに謝ってくる。
「……」「……」
互いに続ける言葉が思いつかずに流れる沈黙が気まずい。
本当になんなんだろうな、この女は。
ああ、そういえば……
ふと思ったこと。流れを変える意味でもちょうどいいか。
「お前の名は?」
「……ふぇ?」
唐突な問いかけだったことは事実だが、不思議そうに首をかしげるその様は小動物めいていて、素直に可愛いと思えてしまった。
「お前の名前だよ。お前は俺の名を知ってたようだが、俺はお前の名を知らない。不公平だと思ってな。お前の頼みを聞いてやる対価代わりだ。名を聞かせろ」
「ああ、そういうことね。私はクラ……」
「……クラ?」
そこまで言いかけて、言葉を途切れさせ、
「いや!違うの!そうじゃなくて私は……えーと……その……だから……」
わかりやすく取り乱す。
これはアレだな。うっかり名乗りかけたところで、実は名を知られたらマズいと思い至ったんだろう。
真っ赤になってあたふたする様に笑いそうになる。
「わかったよ」
「うえぇっ!?もしかして私の名前わかっちゃったの!?」
どうやら動揺のあまりに読心すらできなくなっているらしく、そんな取り乱しを見せてくる様が、これまた滑稽。それでも、あの悲しげな目を見せられるよりもずっと俺としては気楽だし、気まずい沈黙よりもはるかにマシだ。
「クラナントカ。それがお前の名前なんだろ?」
「バレたならしょうがないか……。そう、私はクラナントカ……って!誰がクラナントカなのよ!?」
「お前がだが。違うのか?というかノリがいいな?」
「違うに決まってるでしょ!」
「それは知ってたけどな。んで、名乗れない理由があるんだろ?」
「名乗れないというか……うん、ちょっとね」
おおむね思った通りか。まあ、無理に聞き出そうとは思わないが。
「ありがと」
読心できる程度には落ち着いたらしい。
「まあ、私のことは好きに呼んでよ。『おい』でも『こら』でも『お前』でもいいからさ。ただし『クラナントカ』は禁止ね」
「そう言われてもな……」
さっきまではそんな風にも呼んでたわけだが、いざ『お前』でもいいと言われた上でお前呼びというのは芸がない気もする。
比較的マシそうな候補は『クラ』なんだが……
「それも嫌」
「へいへい」
いちいち思考を読んでくるのも、なんだかどうでもよくなってきた。
まあたしかに、女性の呼び名としては『クラ』が嫌だというのはわかる気がする、んだが……
我ながら安易だとは思うが、少し捻ってやれば、愛称としてはよさそうなものに思い至る。
「じゃあ、『クーラ』ってのはどうだ?」
言葉というのは面白い。『クラ』というのは女性の名としてはアレだが、長音符を挟んで『クーラ』にすると、一気にそれらしくなってしまうんだから。
「うん。それいいね。可愛いし」
この女も気に入ったらしい。
「そういうわけで、私のことは『クーラ』って呼んで」
「なにが『そういうわけで』なんだか……」
俺自身、だんだんとこいつへの――
「クーラだってば」
もとい、クーラへの対応がぞんざいになっている気がする。
得体の知れなかった女や、あの悲しげな目をした女はどこへ行ったんだかな……
「ここにいるけど?」
「だから思考にツッコミを入れるな」
「あはは、ゴメンゴメン。それよりさ、今度は声に出して言ってよ」
「何をだ?」
「私の名前」
「いや、今俺が適当につけたあだ名みたいなもんだろソレ」
「いいからいいから」
「クーラ。これでいいのか?」
「うん。……あはは、なんかいいよね?こういうのってさ」
「どうだかな」
よくはわからんが、腐れ縁共相手とはまた違った気安さは、確かに悪くない。
「さて……」
楽しくおしゃべりするのはこれくらいでいいだろう。妙な脇道に逸れた話を戻そう。
「すっかり和んじまったが、あの双頭巨人に俺の全力をぶちかます。それがご所望だったな?」
「うん」
「じゃあ……やるとしようか」
緩んだ意識を臨戦のそれに。完全に停止しているとはいえ、あの姿を見れば嫌でも気は引き締まる。
「オーケイ。じゃあ……私がみっつ数えたら、時間の流れが元に戻るよ」
「そうしたら、俺は出し惜しみなしで行く、だな?」
「お願い。余波は君には雫も飛ばさない。もしも倒し切れなかったなら、その時は私が処理するよ。それと……」
クーラが目をやるのはガドさんへ。
「悪いけど、私の存在はあまり知られたくないの。だから同時に、この人は『転移』させるね」
「……どんだけ多芸なんだよお前は」
物語の中では珍しくもないが、これもまた、実在した記録なんて一切存在していない芸当だ。飽きはしたが、それでも驚きはある。
「まあ、いろいろとね。行き先は……王都の連盟第七支部って呼ばれているところでいいかな?」
「ああ」
ガドさんは第七がどうのと口にしていた。なら、妥当なところだろう。
「サービスで傷も治しておくよ」
「……あいよ」
あれだけの深手を治療することも軽く言ってのける。『治癒』の心色でも、あの傷を治すのは相当骨が折れると思うんだがな。
「それじゃあ、行くよ?」
「おうよ」
クーラへの呆れ直しで緩みかけた気を引き締める。
「いち、にの、さん!」
クーラの宣言通りに、同時にガドさんの姿が消え、双頭巨人が吠える。
「さて……やるか!」
それが、戦闘再開の合図になった。




