……プレッシャーをかけられてる気がするんだがな
「さて、そろそろ時間だな」
「……うん」
翌朝。いつもよりも早い時間に朝飯を済ませ、食後の茶を楽しんでいるうちに、俺が出かける時間がやって来る。
必要な物は一昨日のうちにすべて背負い袋に詰めておいた。だからそれを肩に引っ掛ければ準備は完了。
俺が見送られる側になるのはいつもと逆だが、それだって初めてのことじゃない。あとは毎朝恒例の口づけを交わして、
「お守り代わりってわけでもないけどさ、君に持って行ってほしい物があるの」
出がけにそんなことを言われる。
「……いつ用意したんだよ」
『転移』を使えるならまだしも、今のクーラにそんな時間があったとは思えないんだが。
「わざわざ用意する必要は無かったからね。なにせ、これのことなんだし」
そっと解くのは、黒髪を彩っていた白リボン。以前、俺がクーラに贈ったものだった。
「……そういうことか」
言わんとすることは、すぐに理解できた。
クーラがこのリボンをどれだけ大事にしているのかは、俺だって知っていた。
「貸すだけだから、必ず返しに来いと。そんなところか」
「……言われてみればそれもあるね。そこまでは考えてなかったよ」
「そうなのか?」
だが、クーラの思惑と俺の予想は違っていたらしい。
「もっと単純な意味合いだよ。少しだけ、じっとしててね」
そう言うと、まずはリボンを俺の額に巻き付ける。
「これで……よし」
そのまま後頭部のあたりで縛って完成、ということらしい。
「うん。よく似合ってる。君も黒髪だから白が映えるよね」
「それで、どんな意味があるんだ?」
頭に巻かれているとはいえ、そこまでキツいわけでもなく。むしろ気が引き締まりそうな感じがして、これはこれで悪くないとも思うが。
「グラスプ大陸のとある地方に伝わってる風習なんだけどね、気合を入れるためにこうするんだって」
「なるほど」
まさしく俺も、そんな風に感じていた。
「あとは、おでこのところに鉄板を縫い付けたりも」
「防具の一種として、か」
額なんてのは、被撃ひとつで即決着になりかねない部分でもある。であれば、それなりに有効だとも言えるのか。
それに……
「たしか昨日言ってたよな。とんでもなく丈夫にしてあるとかなんとか」
「うん。まさかその時点では、こうなるとは思ってなかったけど……」
「そりゃそうだろうよ」
これまでのことから考えるに、いくらクーラでも未来を予知するなんてことはできないんだろう。……できないよな?
少し自信が無いのはアレだが、クーラだからしかたがない。
「ごもっともで。ともあれ、強度に関しては折り紙付き。たとえおでこを槍で突かれたって無傷で済ませられるはずだからさ。……少しでも私の不安を軽くするためってことで、受け取ってくれないかな?」
「そういうことなら、ありがたく使わせてもらおうか」
俺としても、少しでも――たとえ気休め程度でもクーラの気分が楽になるのであれば否は無い。まして、部位が限られるとはいえ強力な保護具でもあるわけだし。
「……さて、これくらいにしておこうか。適当なところで切り上げないと、いつまでも君を引き留めちゃいそうだし。なにせ、君とのおしゃべりって楽しすぎるから」
「……その点には俺も同感だな。そんな理由での遅刻はさすがにみっともない」
「……くれぐれも気を付けてよ?」
「ああ。なにせ、俺には世界の命運がかかってるんだからな」
「ホント、誰かさんのせいで君も苦労するよね」
「まったくだ。だがまあ、そんな誰かさんに振り回されるのも、最近では楽しく思えてきたんだがな」
「そっか。その誰かさんって、きっとエルリーゼで一番の幸せ者なんだろうね」
「だといいんだが……。たまに思い詰めて暴走するのは玉に瑕だが、むしろひとつくらいは瑕があった方が魅力的だとも……っと、また話し込んじまうところだった」
「……だね。危ない危ない。それじゃあ……行ってらっしゃい」
「ああ。行ってくる」
そうして始まった今回の護衛依頼。
どうしても外洋船の出港に間に合わせなければならない荷物があるという事情から、夜はひたすら野宿という結構な強行軍。だが、事前に準備と下調べをやっておいた甲斐もあり、無事に間に合わせることができていた。
まあそんなわけで、依頼自体は順調そのものに完遂。クゥリアーブの連盟支部で報告&手続きを終え、腐れ縁共は無事に緑へ昇格となったわけなんだが……
「じゃあ、定時連絡頑張って来いよ?俺らはさっさと寝るから、今日はゆっくりでいいぞ」
「だよなぁ。楽しみで楽しみでしかたな……もとい、大事な大事な定時連絡だからなぁ」
その晩、宿にて。とある目的のために客室を出ようとしたところに腐れ縁共がかけてくれやがったのは、揶揄とか冷やかしとか、そんな雰囲気がふんだんに込められた言葉で。
「うるせぇよ」
そんな苦し紛れの返ししかできない自分が情けなくもあった。
「さてと……」
イラッとくる送り出しを受けて外に出た俺が向かったのは、宿の屋根の上。やれることの幅が広がってきた泥団子を使えば、そこらへんは簡単だった。
仰向けに寝転がれば、かすかに聞こえてくる波音が心地いい。懐から鏡を取り出し、握り締めて強く念じてやれば、
『アズ君!』
あらかじめ待機してたんじゃないかと思えるほどにすぐさまに、波音よりもはるかに耳に心地のいいクーラの声が聞こえてくる。
「相変わらず早いな、お前」
『だって……少しでも早く君の声聞きたかったから……。それにさ、今日はゆっくり話せるんだよね?』
「ああ。無事にクゥリアーブに到着したよ。今夜は野宿じゃないし、人目を気にする必要が無い場所も確保できたからな。思う存分話せる。……正直、待ちわびたぞ」
『だよねぇ……。さすがにこれは想定外だったよ……』
「まったくだ……」
今回の依頼。繰り返しになるが、それ自体にはまったく問題無かった。ではどこに問題があったのかと言えば、それは主に俺とクーラの方に。
俺は今まで……いや、俺だけじゃないか。多分クーラもなんだろうけど、どれだけクーラの力に甘えてたんだよって話なんだろうなぁ……
当然のようにクーラが乱用していた『転移』。呆れ半分で容認していたつもりでいたはずの俺が、実はその恩恵にどっぷりと浸かっていたということだった。
気付いたのは、王都を発ったその日の夜。野宿ということもあり、あまり長話をできるはずもなくて、
「今日のところは特にトラブルも無かったぞ」
『そっか。なら、明日第七支部の誰かがお店に来た時にでも伝えておくよ』
「ああ、頼む。それじゃあ、お休み」
『うん。お休みなさい』
と、会話はこの程度。
それきりで、触れ合うことや口づけをかわすこと、寄り添って眠ることなんかは当然ながらできるわけもなく、翌朝に口づけを交わすことも同じく。
最初から無いよりも失う方が辛いというやつだったんだろう。
少し前までの『当たり前』が失われた影響は存外大きく、翌日の俺は腐れ縁共から見ても明らかに様子がおかしかった……というか、わかりやすく不調だったらしく、クーラから借りてきた白リボンを撫でるところも――言われて気付けたあたり、無意識でやっていたんだろう――結構な回数を見られていたんだとか。まあそれでも、ヘマをしでかさずに済んだのは不幸中の幸いなんだが。
腐れ縁共のことを偉そうに言えないどころの話ではなかった。似たような状況でも、表向きは平静を保っている腐れ縁共。あいつらよりも俺の方が、よっぽどぬるま湯の中に居たんだと思い知らされていた。
そして同じことは俺だけではなく、クーラにも当てはまっていたようで。
俺が予想外の脅威に出くわすことや寿命のことばかりを気にしていたが、問題はそれだけではなかったというわけだ。
『ホント、後悔してるよ……。こんなことになるくらいならさ、『分け身』に力の1%でも移す方法を構築しとけばよかった……。そしたら、こうしてる今だって君の隣に居られたし、君が危ない時だってすぐに駆け付けることができるのに……』
「1%でも十分なのかよお前は……」
悔やみ方がなんともクーラだった。普通であれば、『転移』にものを言わせてやりたい放題だったことの方を悔やみそうなものなんだが……
まあ、その点では俺も同罪だろう。やりたい放題をとがめるわけでもなく、クーラが楽しそうだからと流されるままでいたんだから。
『声だけじゃなくて、君の顔が見たいよ。君と触れ合って、お休みなさいと行って来ますのキスがしたいよ……』
クラウリアの帰還が100年以上先になるという最悪を想定して動くなら、俺はこの先何度もグラバスク島の近くまで行く必要があり、そうなれば10日程度で済むはずもない。
だから、先のことを考えるのであれば、こうして離れ離れになることにも慣れていかなければならないわけなんだが……
『ひとりで眠るのがこんなに寂しいなんて感じたことなかった。隣に君の存在を感じながら眠りたいよ……』
俺も大概ではあるんだが、多分クーラはそれ以上に重症。そして、今のクーラに追い打ちをかけるような気分には、到底なれそうもなかった。
どうやら俺は、自分で思う以上の甘ちゃんだったらしい。
「なあ、クーラ。そのあたりは俺も似たようなところではあるんだけどさ……」
今この場にクーラが居てくれたらどんなによかったか。そんなことを思うのは俺も同じ。
それでも言えることはある。
「せっかく久しぶりに、こうして気兼ねなく話せる時間を確保できたんだ。だったらさ、ベソベソしてテンション下げるよりも、少しでも気分が躍る話をした方が……多少はマシだと思わないか?」
『……多少はマシ、か。そうだよね……』
クーラにもそのことは伝わったんだろう。いや、それ以前に理屈ではわかっていたはずだ。
『あ!そういえばさ、今日から新作のパンを売り出してるんだけどね、さっそくそれ目当てでソアムさんとタスクさんが来てくれたの。それでね――』
だからなんだろう。振ってくるのはそんな話題。唐突かつ無理矢理な気はしたんだが、あえてそこは指摘しない。多分その方が、多少はマシだと思えたから。
「ってわけでな、晩飯に食ったシンプルな魚の塩焼きがやけに美味くてなぁ。腐れ縁共は貝の煮込みを気に入ったみたいでお代わりしてたか」
『まあ、そこらへんが港町の強みだと思うよ。私が料理する時はいろいろ小細工も弄してるけどさ、それでも獲れたての新鮮さには敵わないから』
「……たしかに、王都まで運ぶとなればそれだけ時間もかかる。そうなればその分、味も落ちるってわけか」
『そういうこと。せっかくだしさ、美味しい魚介をたらふく食べてきなよ。気に入ったメニューがあったら、今度は私が作ってあげるからさ』
カラ元気も元気のうち、とでも言えばいいのか。そんなこんなであれやこれやと話すうちに、普段に近い雰囲気が戻って来たのは結構なことなんだろう。
「ああ。そうさせてもら……」
そんな中で不意にやってきたのは、鼻がムズムズする感覚。
『どうかしたの?』
「……いや、大したことじゃない。くしゃみが出そうで出なかっただけだ」
『……港町だからねぇ。夜の海風って、結構冷えるでしょ?』
「だな」
話に夢中になるうちに結構な時間が過ぎていたらしく、気が付けば少し身体も冷えている感じ。
『君に風邪ひかせちゃうのもアレだしさ、今日のところはこれくらいにしておかない?私としても、アズ君欠乏症は解消された感じだし』
「……どんな症状だよそれは」
とはいえ、クーラの方もだいぶ調子はよくなっている様子。であれば、たしかにこのあたりが頃合いか。
『深刻なアズ君不足が原因で発症するんだけどね、悪化した時の致死率は100%っていう恐ろしい病気なの。しかも灼炎紅翼の魔具でも治せない』
「……ラタバ病並みにタチの悪い病気があったとはなぁ」
『だよねぇ。まあそれはさて置くとして……まだまだ話していたいとは思うけど、お土産は君の無事でいいからさ』
「なんだそりゃ?」
謎の奇病に続いて今度は妙な物言いをしてくる。
いやまあ、言わんとすることはわかるんだが……
それはそれと、土産というフレーズで思うところがあった。
「そういえばさ、明日は自由行動って予定なんだよ」
もちろん滞在中はこの街の支部で依頼をこなすつもり。けれど――のんびりと街を見て回ることでわかるものもある。そんな先輩たちのアドバイスで決めたこと。
「それでだ、お前に土産のひとつもと思うんだが……何かリクエストってあるか?」
『お土産?そうだねぇ……』
数秒の間が開き、
『君にお任せするよ』
返って来たのは、一見するともっともらしくもあり、俺としては一番困る答え。
「いや、大雑把にでもいいからさ。食い物がいいとか、飾り物系だとか、実用品だとか」
せめてジャンルだけでも指定が入れば、それだけ――
『まあ、私から指定した方が君も楽だってのはわかるよ?』
見抜かれていたらしい。
『けどさ……私は、君がプレゼントしてくれるんだったら、何もらっても喜べる自信があるの』
そして間髪入れずに殺し文句をぶち込んでくれやがる。
『それにね』
その声に、愉快そうな色が混じり、
『君は私のことが大好きだからさ。大好きな私の期待は絶対に裏切ったりしないの』
「……プレッシャーをかけられてる気がするんだがな」
『うん。そのつもりだし』
「おい……」
本当にこいつは……。それでも、へしょげられるよりはマシなんだろうけど……
『まあそんなわけだからさ。アズ君は私のための何を選んでくれるのかな?って、私はそんなワクワク感を楽しみながら待つことにするよ』
「……いいご趣味をお持ちで」
『でしょ?』
「楽しみにしてろ。ギャフンと言わせてやるよ」
『あはは、奇麗に首を洗って待ってるから』
「それじゃあ……お休み、クーラ」
『うん。アズ君もお休みなさい』
「本当に、俺はどれだけクーラに溺れさせられているのやら……」
ひとりになってボヤくのはそんなこと。クーラの言葉をパクるなら、深刻なクーラ不足は解消されてたってことなんだろう。心はすっかり軽くなっていた。
「……寒いな」
夜の潮風が冷たい。
クーラの言葉じゃないけど、これで風邪をひくのもつまらない。思うところはいろいろとあるが、今日のところはさっさと身体を休めることにしよう。
立ちあがり、軽く身体をほぐしながらで見上げれば、そこにあるのはいい月夜。
クーラも同じ景色を見ているんだろうかな?
サラリとそんな発想が出てくるあたり、クーラによる俺の教育は順調に進んでいるらしかった。