俺こそがエルリーゼ最強ってことにならないか?
眠れねぇ……
ベッドに入ってからどれだけの時間が過ぎたのか。
就寝前の予想通りに、俺はまったく寝付くことができずにいた。
理由は考えるまでもない。さっきまでに起きたあれこれに関して、まだ整理が付いていなかったからだ。まあ、それだけならばまだいいんだろうけど……
「はぁ……」
すぐ隣から断続的に繰り返されるため息。
「……20回目だぞ?」
「……ゴメン。うるさかったよね?」
「どうせこっちも寝付けずにいたからな。そこらへんは別にいいんだが」
「そっか。……あのさ、アズ君」
「なんだ?」
「今からさ、ちょっと……じゃないや。すごく嫌なこと、言ってもいいかな?」
嫌なこと、か……
クーラがそう認めるくらいなんだ。多分それは、俺にとっても楽しい話にはならないんだろう。けど……
その身に大きな変化が起きたのは、ほんの数時間前。ならば、可能な限りは気遣ってやりたいところ。
「聞くだけでよければな。役に立てるかどうかは怪しいところだが」
「……ありがとね」
涼やかに透き通った声色は沈んでいた。気休め程度にでも、上向かせることができればいいんだが。
「それで、嫌なことっていうのは?」
「……うん。この先、クラウリアが戻ってくる前に、君に最悪が起きそうになってしまった時のことなんだけどさ……」
そのことか……
俺としては、そんな事態は起こさないように立ち回るつもりでいる。だが、つもりと結末が必ずしも一致するのであれば誰も苦労はしないという話。
「その時は、君自身が生き延びることを最優先にしてほしいの」
「いや、それは言われるまでもないことなんだが……」
ニヤケ長男こと寄生体とやり合った時なんかもそうだったが、そうなれば全力を尽くして生き足掻いてやるつもり――
「……たとえ、他の誰を犠牲にしてでも」
――だったんだが……。クーラが続けてきたのは、俺が想定する全力の中には含まれていないものだった。
「それは……」
考えようともしなかった。
クーラを残してくたばるなんてのは、絶対に嫌だ。だからそんな事態を回避するというのは、俺の最優先事項であることに間違いはない。
だがそのために他の誰かを犠牲にするというのは……
もちろん、相手によるという部分はあるだろう。
ズビーロのクソ兄弟みたいなクソ共であれば、弾除けに使い捨てても心が痛まない自信はある。だが、いざそんな事態になったとして、真っ当な人を犠牲にできるのかと自問しても、返答はできなかった。
「場合によってはさ……」
沈んでいたクーラの声色に、さらに痛みの色が混じった気がした。
「……第七支部の人たちやエルナさんだって。もちろん私のことなんて、真っ先に使い潰して構わない!」
そんな様で続く叫びは、血を吐くような、なんて形容が似合いそうなもの。少なくとも、冗談で言っているんじゃないということは理解できた。
「さすがにそれはお断りだな」
それでも、はいそうですかと言えるものではなかったが。
「……君ならそう言うとは思ってた。けどさ、よく考えてみて?もしもクラウリアが戻って来た時に君が居なかったらどうなるのかを」
「……この世界を滅ぼしかねない、か」
「もしもそうなったなら、結局はこの世界の誰ひとりとして助からない。だったらさ……」
「そのためにどれだけの犠牲を出そうとも、俺だけはなんとしてでも生き残る。その方が、結果的には被害は小さくて済む。……お前はそう言いたいわけだな?」
「……うん。だから約束してほしいの。どんなことをしてでも、君は……君だけは、絶対に居なくならないって」
たしかにクーラが言っていることは、それ自体はひとつも間違ってはいないだろう。
エルリーゼに生きるすべての人が死ぬくらいなら、俺ひとりだけを生き残らせるために他の全員を切り捨てるべき。理屈としても数字の上でも、一片すらも非の打ちどころが見当たらない正論だ。
もっとも……
『正論だけで世の中が回るんだったら、誰も苦労せずに済むんだろうな』
そんな師匠の言葉を思い出す。
そしてその言葉は、今この瞬間にもあてはまっていたらしい。
……逆効果って言葉、お前は知ってるのかね。
むしろそのおかげで、俺の方は頭が冷えてくる。
「……なあ、クーラ。今が真っ暗でよかったぞ」
「ふぇ?」
いつもの、可愛らしくも間の抜けた声。俺の物言いが唐突だったのは認めるが、沈んだ声色や痛々しい叫びよりは、こっちの方がずっと好きだ。
「なにせそのおかげで、お前の表情がわからないんだから。……今のお前、辛そうな顔してるだろ?」
「それは……」
言い淀む。この状況でならばそれは、身に覚えがあると自白したも同じこと。
「もしもクラウリアが戻って来た時に、俺が助かるためにエルナさんが犠牲になってたなんてことになってたら、その時にも間違いなく似たような顔を……いや、泣くだろうな」
「それは……そうだろうけど……」
「もちろん、それでも俺がくたばってるよりはマシだってことは理解してるつもりだ。けどさ……俺は、お前の泣き顔は苦手なんだよ。まあ、そんなわけでだ、その約束を交わすことはできない。代わりと言うのもアレだけど、ここは奇麗事を言わせてもらう」
「奇麗事?」
「ああ。ぺらっぺらに薄っぺらい奇麗事をな」
それはきっと、物語の主人公でもなければ実現できる可能性なんて極めて低いであろうこと。
「もしも俺が死ぬかもしれないなんて状況になったなら……その時は、誰ひとりとして犠牲にならずに済ませられるように、死力を尽くす」
「……ホントに奇麗事だよね、それって」
「だろうな」
それくらいは俺だって自覚してる。そもそもが、死力ひとつであっさりと打破させてくれるほど、窮地というやつは優しくないことだろう。
「けどさ、俺はお前を負かしたことがある唯一の存在なんだぞ?それはつまり、俺こそがエルリーゼ最強ってことにならないか?」
「ならないよ。まあ、今のところはって但し書きは付けるけど」
屁理屈で施した上塗りは、当然のように即座の否定を食らい、
「自分が最強だなんてこと、これっぽっちも思ってないくせに。都合のいい時ばっかり振りかざすんだから……」
追撃までかまされる始末。
「返す言葉もございません。けどさ……お前が泣くのは、俺が嫌なんだよ」
「……それを言われると弱いんだけど」
「ああ。なにせ、わかった上で言ってるからな」
「……アズ君のずるっ子」
「そりゃ、元は悪ガキだからな」
「アズ君のわからずや」
「なんだ、知らなかったのか?」
「アズ君の超絶特盛りお馬鹿さん」
「だから勝手に盛りを良くするんじゃねぇよと……」
「はぁ……」
疲れたようなため息。そこには呆れと、諦めが見え隠れしているように思えた。
「話を戻すけどさ、そんな俺だからな。いざって時になっても、誰かを犠牲にしてでも自分だけは生き残ろうと割り切れる自信も無いんだよ」
「……君の性格考えると否定できないね」
「そんな迷いで隙を晒すくらいなら、最初からブレずに行った方が、まだ少しは勝算も増やせるんじゃないかとも思うんだ」
「……それも否定できないや」
「だろう?だからさ、もしもの時には……俺が納得できる範囲で、生き延びるためには手段を選ばない。ここらへんで妥協してもらえないか?」
それが、俺に出せるギリギリの譲歩。
「はぁ……」
再度のため息。
「わかった。わかったよ。私の負け」
勝ち負けの話かどうかは怪しいところだが、それでも一定の納得は得られたらしい。
「たださ、そこで妥協するにあたって、ひとつだけ条件を付けさせてほしいの」
「……それは内容次第だが。とりあえず、聞かせてくれ」
「あのさ……私が眠るまででいいから、手をつないでてくれないかな?」
「それくらいならお安い御用だが……。けど、なんでだ?」
「……正直、さっきの私は本気でどうかしてた。ホント、嫌なこと言ってゴメンね」
「別に構わないさ。……というか、前にもあったよな?思い詰めたお前がトチ狂ったこと」
忘れられるはずもない、月でやり合った時のこと。
「そうなんだよねぇ。……自分の成長しなさ加減には少し呆れてる」
そのあたり、クーラとしても自覚はあるんだろう。
「まあ、俺の生存を確実にできなくなったのは、お前にとってそれだけ大きかったってことなんだろうな。俺としてはあれくらいで立てるような腹は持ち合わせちゃいないけど」
「……うん。それでね……また、おかしなこと考えちゃうのが怖い。けど、君の存在を感じていれば、平気かなって……」
だからこんな条件を提示してきたんだろう。もちろんそういうことであれば、喜んで飲ませてもらうに決まっている。
返事代わりに手探り。クーラの手のひらはすぐに見つかった。
「ありがとね。これでもう大丈夫だと思うから」
「……さて、今度こそ寝るか。俺も明日は早いけど、お前はそれ以上に早くなるんだから」
これまでにも、仕事で早く出る日はあった。けれどそんな時でも、必ずクーラは俺の時間に合わせて朝飯を用意してくれていた。
「そうだね」
「まあ、事情が事情だ。なんだったら、明日は無理に――」
「殴るよ?」
「殴るのかよ!?」
「うん。君のために料理するのは私の楽しみなの。それを奪うなら、たとえ君でも容赦しない」
「……なら、明日の朝飯も頼めるか?」
「素直でよろしい。この私にお任せあれ」
「あいよ。楽しみにさせてもらう」
「うん。それじゃあ、今度こそお休みなさい」
「ああ。お休み」
そうして手を握ったままで目を閉じて。
穏やかな寝息が聞こえてきたのは程なくで。
釣られるようにして、俺の意識も霧散していった。