俺がエルリーゼの命運とか、さすがに大げさ……でもないってことか……
「それじゃあ現状を共有できたところで、次は発生している問題について」
俺が感じていた違和感の正体が判明し、クーラの自称ニセモノ発言を撤回させて、続いてクーラが切り出してくるのはそんな話。
「問題ってのは……ああ、そういうことか」
俺も少し考え、思い至る。
「異世界に呼び付けられた方のお前……クラウリアは大丈夫なのか?そりゃ、あいつがとんでもなく強いことは知ってるつもりだけど……」
それでも、世界の危機を救うとなれば、相当に手強い相手と対峙することになる公算は高そう――
「……真っ先にそこを心配するあたりはアズ君だよねぇ。まあ、それは一切問題無し。実際、私はわた……クラウリアがやられちゃうなんてことは、これっぽっちも心配してない」
――なんだが、クーラ的にはそうでもないらしい。
「これでもここ1000年くらいは手傷のひとつも負わされたことなかったからね。……というかさ、そんな簡単に終われるようなら私も苦労しなかったって話だよ」
「……ならいいんだが」
まあ、クラウリアが危なげなく帰ってこれるというのは、俺としても結構なことではあるのか。
「となると、問題っていうのはお前のことになるわけか」
現時点では、この場にクーラが、異世界にはクラウリアが存在している。それはつまり、クラウリアが戻って来たなら、エルリーゼにはクーラとクラウリアが同時に存在することになってしまうわけで。
「……クラウリアが戻ってきたら、今ここに居るお前はどうなるんだ?まさかとは思うが……その、なんだ……用済みだからと消される、なんてことには……」
歯切れが悪くなってしまうのは我ながら情けないところ。それでも、目の前に居るクーラはクラウリアが作り出した『分け身』なんだとしても、始末されるなんてことになった場合に平然としていられる自信が無い。
「……はぁ。今度はそっちを気にするんだ」
「いや、俺は真面目に心配してるんだが……」
だというのに、今度はため息をいただいてしまう。
「そっちも大丈夫。少なくとも、君が危惧してるようなことにはならないから」
「そうなのか?」
「うん。さっきも言ったけどさ、私の核になってるのは、クラウリアの心の一部。だからクラウリアが戻ってきたら、私はクラウリアの中に還るだけ。そうなれば、私たちの記憶なんかは統合される。……多少の戸惑いはあるかもしれないけどさ、私をニセモノじゃないって断言してくれた君だったら、それくらいはどうってこともないでしょ?」
「……たしかにな」
そういう話であれば、仮に戸惑うようなことになったとしても、時間が解決してくれることだろう。
「……私のことばかり心配してるけどさ、むしろ深刻なのは君の方なんだからね?」
「……というと?」
「……今の君は、この世界――エルリーゼの命運を背負わされちゃってるってこと」
「いや、俺がエルリーゼの命運とか、さすがに大げさ……」
反射的に思うのはそんなこと。
けれど、
「でもないってことか……」
声に出している途中で、思い至れてしまった。
「その様子だと、ご理解いただけたみたいだね?」
「ああ」
それは、いつかクーラが冗談めかして口にしたこと。
「俺に何かあったなら、腹いせにこの世界を滅ぼしかねない、だったか?」
あれから随分と時間が流れた気はするが、寄生体とやり合う羽目になった前日にそんなことを言っていた。
「正解。もちろんあの時は冗談で言ったつもりだけどさ……それは、『そんなことには私が絶対にさせないんだけどね』っていう意味合いだった。だけど今は違う。君に最悪が起きても、助けてあげることはできないの」
「そうだな」
今のクーラは、諸々の力を失っているんだから。
「……あの頃とは比べ物にならないくらい、私……私たちは君に溺れてる。だから、君を失うようなことになったなら……間違いなく正気ではいられない。君を失わせたこの世界を許せなくなってしまう公算は、かなり高いと思うの」
「……だろうな」
煩わしいなんて感じたことはない。けれど、クーラが向けてくれる想いの重さは、俺にだって理解できていた。
「もちろん、君の実力を軽く見るつもりは無いし、君が強くなってることだって疑ってない。実際、寄生体の一件以降、君が窮地に立たされることは無かったわけだし」
「あれ以来、用心深く立ち回って来たというのもあるとは思うが」
クーラにみっともない様を晒したくない。主にそんな理由からではあるんだが、それまで以上に入念な下調べや下準備を行うように心がけてきたのも事実。
「そうだね。けどさ、君って妙にイレギュラーに好かれるところがあるから……」
「……否定できないのがなんともやるせない話だよ」
本来の生息域とは違う魔獣が発生するというのはたまにあることだが、ここ最近だけでも……狼鬼を狩りに行った先で虎鬼と出くわしてしまったり、豚鬼目的だったはずが大鬼と遭遇したり、なんてことが多々あった。まあ、驚きはしたものの、危なげなく始末できていたのは幸いな話なんだろうけど。
その結果として、第七支部の新人5人の中で俺が緑に一番乗りしてしまったというのは余談か。
「正直なところを言うとさ、クラウリアが帰ってくるまでは、君には虹追い人を休業してほしい。……君をこの部屋に監禁してしまいたいとすら思ってる」
「……おっかないことを言ってくれるなお前は」
まあ、俺の身の安全を確保するという意味では最善なのかもしれないけど。
「けど、実際にそんなことはやらないから、そこは安心していい。だってさ……君は、今の生活が好きでしょ?」
「ああ」
そこはためらいなく即答、断言ができる。
「私が私に縛り付けたいのは、君の心だけ。君の自由を……君の大切な日常を奪おうなんてことは、もう二度とやりたくない。……もうひとつの問題を考えると、なおさらにね」
「もうひとつの……?ああ、そういうことか」
疑問を抱いたのは一瞬で、こちらもすぐに浮かび上がる解があった。
「俺の寿命、だな?」
「……うん」
少しだけ、クーラの声が沈む。月での一件以降、俺の背が伸びることをクーラは自分のことのように喜んでいた。
そして、俺の身体的な成長を見ていたいからとの理由で、まだ俺は『時剥がし』を施されてはいない。となれば、どれだけ頑張ったところで、あと100年先まで生きることは不可能だろう。
そしてついさっきの話。シザと暮らしている時に発生した異世界の呼び付けは、帰還までに長い年月がかかったとのこと、なんだが……
「けどお前、ここ1000年は手傷も負ったことが無いって言ってたよな?それは、異世界を危機に晒してた連中もお前の相手にならなかったってことだろ?だったら、すぐにでもクラウリアは帰ってきそうな気がするんだが」
そんな疑問も生じてしまう。そしてそうなれば、問題のほとんどは奇麗に解決となりそうなものだが。
「そこがめんどくさい話でねぇ……」
けれどクーラはため息をひとつ。
「まず、異世界からの呼び付けに関してなんだけどさ、ある時急にやってきて、私には拒否することができないの」
「ああ。それは俺も理解してる」
ついさっきなんかも、まさしくそんな感じだった。
「次に帰還に関して。こっちは、その世界を救えば帰って来れるっていうのは経験からしても間違いない。けど、それ以外の形では、どうすればいいのかすらわからないの。少なくとも、これまた私には不可能」
「だろうな」
そもそもが、自力で行き来ができるのであれば、焦るような話にはなっていない。
「そして、呼び付け先の世界を救うことに失敗したなら――その世界が滅びるようなことになった場合、帰って来れるのかどうかはわからないの。なにせ、試してみたこともないわけだし」
「まあ、お前の性格を考えたらな。それに、二度とエルリーゼに戻れなくなるかもしれない、なんてリスクは背負えない、か……」
「うん。そのあたりを踏まえた上で聞きたいんだけどさ。滅びの危機に瀕している世界を救うためには、具体的にどうすればいいと思う?」
そんな問いを投げかけられた。
「……その世界を脅かしてる奴を倒す、か?」
物語の世界では定番中の定番。それに、クーラが経験してきたという異世界の1回目と2回目もそんな感じだったはずだ。
「そうだね。実際にそれが一番多かったパターン。ある意味では、一番簡単でもあるんだけど」
「なら、簡単じゃなかった……面倒だった場合もあるわけだよな?」
「そうなるよね。さっきの……シザちゃんと暮らしてる時に呼び付けられた世界なんかがまさしくそうだった。その世界を救うためには……1000年に一度だけ行うことのできる儀式を成功させなきゃならなかったの」
「1000年て……」
尺度が途方も無さすぎだろそれは……
「と言ってもさすがに1000年待ちにはならなかったんだけど、それでも70年以上は待たされちゃった」
「……そういうことか」
理解できた。
「今回の呼び付けに関しても、そうなる公算があるってことだな?」
「……うん。クラウリアだって、二度と君の隣に戻ってこれなくなるリスクを冒そうとは思わないだろうし、結局は向こうの都合に合わせるしかない。もちろん急げるだけ急ぐとは思うけど……。それでも、帰還は今日中かもしれないし、100年以上先になるのかもしれない。そこらへんはまったくわからないの」
実に困った話だった。
だが、そうなると……
「俺があっさりくたばらないようにするってのは、慎重に立ち回るくらいしか思い付かないとはいえ、一応それが対策と言えないこともないだろう。けど、この先100年後まで生き延びる方法なんてあるものなのか?規則正しい生活を心がけることが長生きの秘訣、なんてのは一般的に言われてるらしいが、それでも限度はあるだろ。それ以外だとそれこそ、『時剥がし』くらいしか思い付かないんだが……」
「一応だけど、方法はあるの」
「……あるのかよ」
それ自体が驚きだ。付け加えるなら、そんなことまでクーラが知っているという事実も。
「……正直なところとしては、ちょっとどころじゃなく気が進まないんだけどね。けど、すぐにクラウリアが帰って来るだろうっていう希望的観測で何もしないでいて、それが叶わなかったら取り返しが付かないことになっちゃう。だったら、最悪……クラウリアの帰還が100年以上先になることを想定するべきだと思う。正直なところを言えば、君に負担を――」
「かけるのは嫌だから、なんて無粋は言ってくれるなよ?」
クーラに余計な心配をさせたくない身の上としては、命を懸けなきゃならんような真似は勘弁願いたい。
だがそれでも、
「お前の不安をぶっ飛ばすためであれば、多少の無茶くらいは押し通してやるさ。これでも、少しでもお前に追い付きたいって願望くらいは持ち合わせてるんだ。なら、これくらいはやって見せなけりゃ、立つ瀬が無くなっちまう。……それくらいの恰好は付けさせろよ」
「……またそうやって私を惚れ直させようとするし」
「いや、そんなつもりはないんだが……」
それにむしろ、このあたりの物言いはクーラの教育によるものな気がしないでもないんだが。
「まあ、そういうことを無自覚にやっちゃうあたりがアズ君なんだよねぇ……。けど……」
立ち上がったクーラが居住まいを正して、
「お願いします、虹追い人さん。どうか、大切な人に置いて行かれてしまうかもしれないという不安から、私を助けてください」
深く頭を下げてくる。
「……頼まれるまでもない」
なにせ、利害は完全に一致しているんだから。
「その依頼、しかと引き受けた。死ぬ危険を冒さない範囲で俺のすべてを賭してでも、お前の不安を叩き潰してやるさ」
「……うん!ありがとう!」
本心を伝えてやれば本気で嬉しそうな笑顔を返してくる。
依頼の報酬としてはこれだけでも十分だろうかな。
そんな風に思えるあたりは、多分世間様で言うところの惚れた弱みとかいうやつなんだろう。
「それで、俺は何をすればいい?」
ともあれなんにせよ、報酬は前金で全額受け取ったわけだ。となれば、あとはどうにかして果たすのみ。
「……用意してほしいものがあるの」
あれだけあらたまって頼んでくるあたり、きっとご所望の品は容易く確保できるようなものではないんだろう。
「具体的なところとしては……」
サラリととんでもないことを言い出すのはクーラの常。けれど、
「海呑み鯨の残渣を200、くらいかな」
サラリととんでもないことを求められたのは、初めてのような気がした。