そんなこんなで今日も今日とて――
眠い……
ふと目が覚めて、真っ先に思ったのはそんなこと。
半開きの目に映る光景は薄暗い。夜は明けたのかもしれないが、まだ起きるには早い時間なんだろう。
寝直すか……
そこまで認識したことで、ただでさえボヤケていた意識は即座に霧散していく。
そんな中で隣に顔を向けたのはなんとなく。
……クーラか。
ニコニコ笑顔のクーラと目が合う。何がそんなに楽しいのかを考えるのはすでに無理そうだ。
だからそこに笑い返したのは特に思惑があったわけではなく、これまたなんとなくといったところで、直後に限界。そのまま俺は、2度目の眠りへと落ちて行った。
「……朝か」
まぶたを通して視覚が認識する明るさになのか、嗅覚を通して空きっ腹を煽る匂いになのか、聴覚を通して感じるトントンと小気味のいい音になのか。あるいは身体に染み込んでいた習慣にだったのか。
ともあれ、2度目となる今朝の目覚めは気分のいいものだった。大きく伸びをして寝起きの身体をほぐし、ベッドから身を起こして台所に向かえば、そこではひと足先に起きたクーラが朝飯の支度をしていた。
「相変わらずいつも通りの時間だね。……たまには寝坊してくれてもいいんだよ?面白そうな起こし方もいろいろ考えてあるからさ」
「……起こし方に面白さは不要だと思うんだがな。……というか面白い起こし方ってのは、される方は辛いんじゃないかとも思うわけだが」
「あはは、それもそうだね。まあともあれ……。おはよ、アズ君」
「ああ。おはよう、クーラ」
軽口に続いて交わすのはすでに習慣のようになっていた朝の挨拶、なんだが……
はてさて……?
根拠を問われてもなんとなくとしか返せそうにはない。けれど、どことなくクーラが上機嫌に見えるような気がしなくもないんだが……
「例によってこっちはもう少しかかるからさ」
「なら、その間に風呂の掃除を済ませておくか」
「だね。あ、そうだ!今日は目玉焼きにするけどさ、焼き加減はどんなのがお望み?」
「……硬めで頼む」
「お任せあれ」
まあいいか。
クーラの機嫌がいいのは結構なこと。気が向けば勝手に理由を話してくるだろう。
だからそこで思考を切り上げ、風呂場に向かうことにする。
あの日――俺とクーラが晴れて恋仲同士になった時から、いくらかの月日が流れていた。
初めての口づけのあと、腹の虫に急かされて苦笑しつつクーラの部屋に戻れば、すでにアピスとネメシアも目を覚ましていた。あのふたりもクーラの事情を知っていたということもあり、『転移』に驚くようなことにはならなかったんだけど……
予想外だったのは、まだこちらが何も言わないうちから、俺たちの関係が変わったという事実を見抜いてきたことで。
クーラにせがまれるままに手をつないではいたし、その形が指を絡めるようなものではあったんだが、表向きの違いなんてそれくらいしか無かったにもかかわらずだ。
さらに驚かされたのはこのふたり、クーラの気持ちにもかなり早い段階で――具体的には、レビダから戻って来た腐れ縁共も交えて6人で飯を食いに行った時。つまりはクーラとの初対面で――気付いていたということ。
その後、隠す理由も無いということで、親しくさせてもらっている人たちにも伝えることにしたのはいいんだが……
ここでも主に俺が追い打ちをかけられることになっていた。
実は俺とクーラの交友関係はかなり被っていたんだが、そのほぼすべての人たち――第七支部の皆さんやエルナさんだけでなく、よりによってペルーサまでも――が、時期の違いこそあれ、クーラの気持ちに気付いていたんだから。
そんなわけで、クーラに対しては祝福と労いが。直接向けられていた好意に気付くことすらできなかった大間抜けの俺には、惜しみの無い呆れが贈られることになったというわけだ。
ちなみにだが、俺以外で唯一気付けずにいたルカスとの間には、それなりの友情が結ばれたような気もしたんだが、それが怪我の功名と呼べるのかは微妙なラインだろう。
ともあれ、ひとたび気付いてしまえば、そこから先はいわゆるところの雪だるま式。
クーラが相当に魅力のある女性だというのは、俺でも理解できていたこと。そこへアピスとネメシアに、エルナさん、ソアムさんやシアンさんセルフィナさんに支部長やペルーサの援護も加わって、俺は現在進行形で日ごと夜ごとに、クーラへの好感を埋め込まれているというわけだ。
まあ、それを心地いいと感じているあたり、俺にとっても結構なことなんだろう。
そうして新たにふたり用の部屋を借り、クーラと暮らすようになったのがひと月ほど前のこと。
ユアルツ荘を出るのは多少寂しくもあったんだが、そこは仕方が無かったんだろう。本来はひとり用の部屋だったというのもあるし、ちょくちょく遊びに来るくらいならともかくとして、クーラを住まわせてしまうというのはさすがに問題があったから。
ちなみにだが、その際には支部の皆さんが送別会を開いてくれたりもした。
全員がクーラのアルバイト先――エルナさんの店の常連で親しくしていたということもあり、クーラも招待されたその会は大いに盛り上がった。
ただまぁ……
酔った女性方からは、クーラの気持ちに気付けなかったことに関して延々とお説教(当然のように正座させられた)を頂戴したりもしたんだが。
なにはともあれ、第七支部からもエルナさんの店からも近い場所にお手頃家賃の部屋があったのは幸いだった。アピスやネメシアなんかは夜になると――昼間はクーラがアルバイトなので――時折やって来ては盛り上がっているくらいだし、相変わらずクーラとも仲良くやれている様子。
同性同士ならではの話もあるだろうということで(このあたりはシアンさんやセルフィナさんに言われたこと)、俺はそんな時には腐れ縁共の部屋に押しかけたりもしているんだが。
もちろん俺は第七支部に、クーラはエルナさんの店に毎日のように通っているんだし、その点では以前とあまり変わらない日々を送れているとも言えるのか。
「こっちは用意できたけど、君の方はどんな具合?」
「ああ。こっちも終わったところだ」
そうこうするうちに、それぞれの作業が終わったので食卓へ。
テーブルに並んでいたのは、刻み野菜の煮込みスープにパンに目玉焼きといった朝飯の定番どころで、いい匂いが漂ってくる。
「……今日は茶は無いのか?」
少し気になったのはその点。いつもであれば食後にすぐ淹れられるようにと、ティーポットなんかも並んでいるところなんだけど。
「ちょっと思うところがあってね」
献立に合わせた茶を用意し、温度やら濃さまでもを当然のように調整してくるクーラ。けれど今日ばかりはそんな風にボカしてくる。まあ、取り乱した様子が無いあたり、忘れていたのではなくて何かしらの意図があってのことなんだろう。やはりそこはかとなく機嫌よさげにも見えるんだが、今はさて置くことにして。
「「いただきます」」
そうして早速いただくことにした朝飯は、いつも通りに美味かった。
「さて、今日はデザートを用意してあるの」
「なるほど」
だから茶を用意していなかっ……た?
軽く納得しかけたところで、疑問が再燃。
果物だったり手製の菓子だったりと様々ではあるが、クーラが食後に用意していることはこれまでにも多々あった。
けれどクーラは、そこまで見越して茶を選択していたはずなんだが……
「はい、どうぞ」
そんな流れで何もない場所から――正確には心の中からなんだろうけど――出してきたのは、
「なあ、これって……」
分類するならば、それは間違いなくブドウ。
けれど……
宝石なんかにも劣らないほどに奇麗な、赤く透き通った実を付けたブドウ。目にしたことがあるのは一度きりだが、それでも簡単に忘れられるはずがないようなシロモノ。
「緋晶ブドウ……だよな?」
「うん」
恐る恐るの問いかけに返されたのは、ごく自然なうなずきで。
「私なりにあれこれと組み合わせを考えてみたんだけどさ、どうしてもお茶の方が負けちゃいそうだったから」
茶が無いのはそんな理由からだったらしい。
「まあ、君が要らないって言うなら全部私が食べちゃうからさ。そこは心配しなくていいからね?」
「もらうに決まってるだろうが」
どうぞと言ってきたのはクーラなんだし、このブドウの美味さはよく知っている。であれば、拒む理由なんてあるわけがない。
「……相変わらず美味いよな、これ」
そうして口に入れてみて、やはりこれはいつぞやに食べたものと同じと確信する。
「だよねぇ……。もっと気軽に食べられたらいいのに」
「まったくだ。……たしかこれって、滅多に実を付けないんだろ?」
「うん。君も気に入ってたみたいだから、毎日チェックしに行ってるんだけどさ」
「……まあ、クーラだしな」
いつ実を付けるかわからないなら、毎日確認すればいい。
理屈としてはひとつも間違ってはいない。けれど世界最高峰の山頂にそれを実践できる奴なんてのは、エルリーゼ広しと言えどもクーラひとりに違いない。
「というか……」
ふと思い至ったこと。
「お前が上機嫌だったのは、ひょっとしてこれが理由なのか?」
いつ手に入るかもわからないものを入手できた。人が上機嫌になるのに十分な理由ではなかろうかと思うわけだが。
「……私がご機嫌だってこと、気付いてたんだ?」
「なんとなく、ではあるがな。ひと月も一緒に暮らしてれば、それくらいはわかるようにもなるさ」
「そっかぁ……。いやぁ、困ったなぁ……」
などと、まったく困った様子も無しで、むしろ嬉しそうに頭をかく。
「そんなことにまで気付いちゃうとか……。まあ仕方ないよね。君ってば、私のことが好きすぎるんだし」
「……どこかの誰かさんの手でまんまと堕とされつつある身の上なんでな。……んで、上機嫌の理由はこれが手に入ったからってことでいいのか?」
「ハズレ。それは10日くらい前のことだったから。すぐ食べちゃおうかとも思ったんだけどさ、せっかくだから特別な日に取っておこうと思って。どうせ私の中に入れておけば腐らないんだし」
「……特別な日?」
そう言われてもわからない。
「……わからない、って顔してるね?」
「ああ。さっぱりわからん。お前と暮らすようになって、今日でひと月くらいではあるんだろうけど……」
「いや、それは明後日だから。まあ、その日はその日で晩御飯に奮発するつもりだからさ、楽しみにしてていいよ」
「……お前が食い物に関して期待を裏切ったことは無かったからな。なら、そこは素直に楽しみにするとして……今日はどんな意味で特別なんだ?」
「……その様子だと、当ててみてって言っても無意味そう?」
「ああ」
こんなことで意地を張ろうとは思わない。
「悪かったな、大盛りお馬鹿さんで」
だがそれでも、些細な表情の変化から付く予想はあった。
「そんなこと言ってないのに。……まあ、思ってはいるけどさ」
「そうかよ」
そんな予想はキッチリと当たっていたらしいけれど。
「ついさっき、いいことがあったからさ」
確かに考えてみれば……今朝のクーラは上機嫌だったものの、昨夜の時点では普段通りに機嫌よく笑っていた気がする。であれば、そこから今に至るまでに何かがあったと考えるべきなのか。
「んで、具体的には?」
とはいえ、俺はその間はずっとグースカと寝ていたわけで。ならばその理由というのは俺ではないんだろう。
「夢見がよかった、あたりか?」
であれば、考え付くのはそれくらい。
「そうじゃないよ。……今朝はさ、少し早めに目が冴えちゃったんだよね。だから、君の寝顔を眺めてたの」
「……暇人め」
そんなものを見て何が楽しいのやら。まあ、昔の俺だったなら、嬉々として落書きのひとつもやっていそうなシチュエーションではあるんだろうけど。
「それでしばらくして、君も目を覚ましたの」
「言われてみればそんな気がしなくもないような……」
半分以上寝ぼけていたからというのが理由だろうけど、どうにもそのあたりの記憶は曖昧だ。
「そんな君が私を見て、静かに笑って、そのまま何も言わないで寝ちゃったんだよね。そのことが嬉しかったの」
「……済まん。そこまで言われても意味が分からないんだが」
「……アズ君の大盛りお馬鹿さん」
今度は声に出してそう言われた。
「まあ、そこらへんの教育は今後の課題にしようか」
「……お手柔らかに頼む」
『ささやき』を使われているわけではないはずなんだが、どうしても最近の俺はクーラ相手だと押しに弱くなる。だからどうせまた流されるままに、クーラが好むように思考を作り替えられていくんだろう。
人形にされるのと方向性が似ているような気はしないでもないんだが、クーラ的にはOKらしい。
本気でクーラがそう望むのであれば、人形にされても構わない。そこまで割り切っている俺としては、別にどうという話でもない――というか、最近ではむしろそのことを嬉しく感じるようになっているくらいだ。まあそのあたりも、順調に教育が進んでいることの証左なんだろう。あるいは、世間様で言うところの惚れた弱みというやつなのかもしれないが。
本当に変われば変わるものだ。そんな自分に腹の中でため息を吐きながら頬張ったブドウは、やはり甘酸っぱかった。
「そろそろ時間じゃないか?」
そうしてふたりでブドウを食い尽くし、食休みも兼ねてとりとめのないことを話すことしばらく。クーラが仕事に出かける時間がやって来る。
「じゃあ、お願いね」
立ち上がったクーラが目を閉じる。一緒に暮らすようになってから、夜の就寝前と朝の出勤前にせがまれるようになったこの行為も、今ではすっかり慣れた――というか慣らされたものだ。
「あいよ」
望まれるままに、いつものように口づけを交わす。以前は気恥ずかしさが先に立っていたこの行為。けれど、慣れてしまえば残るのは心地のよさだけになっていた。
「さて……」
クーラが出かけた後は、いつものように家事を片付けることにする。
現状の分担としては、飯関連と洗濯をクーラが。それ以外を俺が担当するという形になっている。
まず飯作りの方だが、こちらはどうしてもとクーラが譲らなかった。クーラの方が遥かに美味い飯を作れるということは俺も認めていたわけだし、俺の炊事スキルを錆び付かせない程度には手伝いをさせてもらうということで決着していた。
洗濯に関しては、俺に下着を洗われるのは抵抗があるからというのがその理由。ちなみにだが、クーラ的には、俺の下着を洗うのはOKなんだとか。俺としては、どうにも基準がよくわからないんだが。
あとは消去法的な流れで、残りが俺の分担に。
そんなわけで使用済みの食器を洗い、部屋を軽く掃除。ひと通りが終わる頃には、俺も出かける時間がやって来る。
最初に向かう先は以前と同じくエルナさんの店へと。
この時間であれば、到着するのは開店の10分前程度。そこでやることは、クーラとの談笑。
一緒に暮らしているわけだし、(クーラが)その気になれば(『時隔て』を使って)話す時間なんてのはいくらでも作れるんだが、それでも俺とクーラはこの時間を気に入っていたから。
そして幸いにも、エルナさんも許可をくれていた。
そんなこんなで今日も今日とて――
多少はマシな末路――あの日、死に物狂いでクーラの手から守り抜いた俺たちの日常。
クーラと連れ立って歩く旅路が始まろうとしていた。
これにて間章終了となります。ここまでのお付き合いに心からの感謝を。
ようやくひとつの区切りまで来れましたが、話はまだ続きます。
そちらもお付き合いいただけたら幸いです。




