心の色は泥団子 虹を捕まえ連れ立って

間章

俺は、色恋的な意味で、お前のことを好きになっていたんだ

　なんでだ？

　クーラが見せたわかりやすい絶望顔に俺が感じたのは困惑。俺が言わんとしたのは、クーラにとっては喜ばしいこと。それは思い上がりではなかったと思うんだが……

　……いや、そういうことか。

　けれどその困惑はすぐに納得へと変わる。

　またいつぞのように妙な勘違いを起こしてるんだろうな、これは。

　似たようなことは前にもこの場所であったから。

　やれやれ……。俺のことを色恋以外には鋭い――つまり色恋に関しては鈍いと評していたわけだが、お前も人のことをどうのこうのは言えないだろ。

　もちろんそんな誤解を放置する手は無い。おかしな方向に暴走されても困るし、それになによりも――辛そうなクーラを見ているのは、俺が辛い。その辛さが以前よりも跳ね上がったように感じるのもまた、気付きによるものなんだろう。

　だから――

　そんな誤解は早々に潰す。その手段として俺が選んだのは、

「……ふぇっ！？」

　抱きしめるというもの。

　さすがにこれは予想外だったらしい。

　まあ、それも当然なのか。

　この行動だって、例の気付きが無ければまず起こさなかったことだろうから。

　そして、どこか間の抜けた風でもある困惑声を可愛らしいと感じてしまうのも同じく、気付きに起因しているに違いない。

　それにしても……

　やっぱり小さいよな。

　腕の中に納まるその肩は本当に小さくて、よくもまあここにあれだけの重さを背負ってこれたものだと感心するところ。

　そしてこうしていることに気恥ずかしさはあるものの、何とも言えない幸福感を感じてしまう。まあ、その理由もまた、例によって……っと、感傷は後回しだな。今はクーラを落ち着かせるのが先だ。

「なあ、クーラ。とりあえずは、落ち着いて最後まで聞いてもらえるか？少なくとも、お前にとって悪い話にはならないからさ」

　なるべく穏やかにと意識して語りかけるんだけど、

「……無理」

　そんな言葉が返ってくる。

「君にこんな風にされて落ち着いてられるわけないよ……」

「……それもそうか」

　確かに、行動が唐突すぎたか。

「じゃあ、とりあえず離れるけど――」

「それもやだ」

　有言実行と言えばいいのか、背中に腕を回してくる。

「……おい」

　ならどうしろと言うのやら。

「悪い話じゃないんだよね？……私のことを嫌いになったとかじゃないんだよね？」

「ああ。そこは保証する。……というかなんでそうなるんだか」

　むしろ逆なんだが。

「付け加えるなら……これまでにお前と重ねてきた時間を、見くびるんじゃねぇよって話だな」

「……ゴメン。確かにそうだよね。だったらさ、しばらくこのままで居てもらってもいい？どうにかして落ち着くから」

「……あいよ」

　ともあれとりあえずは、妙な方向に突っ走ることだけは止めることができたらしかった。

「……もう大丈夫。落ち着いたから」

　そうして互いに無言で抱き合うことしばらく。そう告げてくる声の色からは、動揺の色は消えていた。

「それでさ、私なりに考えてみたんだけど……君が言いたかったことっていうのは、ひょっとして君も私のことを……」

　そして、どうやら今度こそ正しく読み取ってくれたらしい。見上げてくる顔がほのかに朱に染まった、幸せそうなものになっていたのが証拠だろう。

「まあ、そういうことになるんだろうけどさ……」

　だがそれでも――

「こういうのはさ、言葉に出しておくのが筋だと思うんだ。だから聞いてほしい」

「……うん。君の気持ち、私に教えて」

「ああ。さっきも言ったんだが、現時点で俺がお前のことを好きになりかけてるかもしれないってのは、大間抜けもいいところな勘違いだったんだよ」

「うん」

　今度はうろたえることもなく、静かにうなずく。

「まあ、今に来るまでにはそんな時期もあったんだろうけどさ。……そして、その境目がいつだったのかまではさすがにわからない。けど……」

　深呼吸をひとつ。いざ言葉に出そうとすれば、少なからず心拍が上がって来る。

「今日に至るまで気付けずにいたってのは、本気で大間抜けな話ではあるんだが……」

　それでもクーラが向けてくる視線をまっすぐに受け止める。ここで逃げを打つなんてのは、あまりにもみっともない。

　そして――

「クーラ。俺は、色恋的な意味で、お前のことを好きになっていたんだ」

　俺の気付きを、そう伝えることができた。

「そっかぁ……」

　やはりというべきか、今度こそ正確に予想できていたんだろう。クーラが示すリアクションには驚きの色は無く、どことなくホッとしたようでもあって、

「けどさ、大間抜けだったのは私も同じかな。そんな大事なことにも気付かないで、その気持ちもろともに君の記憶を消そうとしてたんだからさ」

「違いない」

「……そういう意味でも、私たちって実はお似合いだったりするのかもね」

「似た者同士ではあるのかもしれないな。……まったくもって笑えない話ではあるが」

　本当に、あらためてつくづく思う。数日前の俺たちはいろいろな意味で、かなり際どいところに居たんだということに。

「ねえ、アズ君。私は、君のことが好き」

「ああ、俺もだよ。クーラ、俺はお前のことが好きだ」

　ふと思い出したように、抱き合い、見つめ合いながらで、あらためて繰り返すようなやり取り。

　じんわりと胸の奥が暖かくなってくる。図書院通いをする中でしばしば目にした表現だが、実際に経験してみるとまさしくその通りだった。

　あるいは、俺が読んできた物語の中での色恋というのは、書き手の実体験を基にした部分もあったのかもしれない。

「けどさ……」

　幸せそうに俺を見上げていたクーラの表情が変わる。その先は、ニヤリなんて表現が似合いそうなもので。

「こんなにもあっさりと君が堕ちちゃうのは、少し拍子抜けかも。堕とす過程をもっと楽しみたかったのになぁ……」

　……ついさっき、アホな勘違いをして青ざめていた奴がいたような気がするんだがな。

　そんなことも思いはしたが、あえて口には出さずにおいてやり、

「気を抜くのはまだ早すぎだろ」

　代わりにそう指摘する。

「残念な話ではあるんだがな。現時点ではまだ俺は、お前と共に在り続けるためならばすべてをぶん投げても構わないとまで断言できるほどにお前に惚れこんでるわけではないんだから」

　クーラの望み。俺を人形にしてしまう未来を完全に消し去るところまでは、まだ到達したわけではないというのが現状。

「それもそうだね。けどさ、この先も君は協力してくれるわけでしょ？」

「当たり前だろうが」

　それはすでに心に決め、クーラと約したことでもある。

「だったら大丈夫。君と私が手を組むんだからさ。怖いものなんてあるわけないよ」

「だといいんだがな。まあそれはそれとして……」

　思い付いたばかりのことがあった。

「お前は今日が誕生日だったんだよな？」

「……そうだけど？」

「奇遇な話なんだがな、実は俺も今日が誕生日だったりするんだよ」

「……そうだったの！？」

「そうだったんだよ。……言っておくが、お前に合わせてでっち上げたわけじゃないぞ？信用できないなら、腐れ縁共にでも聞いてみるといい」

「いや、そこまでしなくても信じるよ」

「ならいいんだがな。ともあれ、俺と腐れ縁共の歳は同じだったりひとつ違いだったりと、時期によって変動するわけだが、お前との差は1569で固定されるという話だな」

「だからそうやって数字を出されるのは複雑なんだけど……」

「はは、悪い悪い」

「うん。本当にそれは悪いことだからね？けどさ、できればもっと早くに知りたかったよ。そしたらプレゼントのひとつも用意できたのに……」

「……言ったな？」

　話の流れが好都合な方向に転がった。せっかくの失言……もとい、好機。活用させてもらおうか。

「言ったけど？あ、ひょっとして、何か欲しいものがあったとか？」

「ああ」

「……君って物欲は薄い方だと思ってたから、少し以外かも」

「そうか？」

「うん」

　即座にうなずいてくれやがる。欲しい魔具のために貯金をしているくらいだし、物欲も十分にある方だと思ってたんだが……。まあ、今はどうでもいいか。

「それで、何が欲しいの？君が望むなら、エルリーゼだってプレゼントしてみせるけど」

「……お前が言うとシャレにならないんだがな」

　なにせ、実際に簡単にやれてしまうだけの力がクーラにはあるわけで。

「そこまで大層なモノを望むわけじゃないし、今この場で済む話だよ」

「そうなの？」

「ついでに言うなら、お前に大した手間や負担がかかるようなモノでもないぞ。俺がお前から……も(・)ら(・)い(・)た(・)い(・)モノはな」

「もらいたい……モノ？それってまさか……！？」

　わざわざクーラが使った言い回しを使った甲斐はあった。それだけで理解してくれたらしく、目線が口元へと向いてくる。

「そういうことだな。俺とお前は晴れてこうして、恋仲同士になれたわけだ。だったら、そこまで法外な要求でもないだろ？念のため言っておくが、同意を無しでやるつもりはないぞ。俺は、どこかの誰かさんとは違うからな」

　ついさっきのことを指摘するも、

「……どこの誰なんだろうねぇ？そんな無粋なことするのは」

「さてな？」

「まあ、どこの誰とも知れない人はさて置くとして……」

　あくまでもクーラしらばっくれるつもりらしい。まあ、これ以上の追及はせずにおいてやるけど。

「私が拒否なんてするわけないでしょ。……それこそ、ふたりで重ねてきた時間を見くびるんじゃねぇよって話」

「それもそうだな。まあ、代わりと言ってはなんだが、お前がご所望だったモノと交換にさせてもらう」

「うん。最高のプレゼントだよ」

「それは結構なことだ。……初(・)め(・)て(・)の(・)口づけは、なるべくなら、ロマンチックな形にしてやりたいとは思ってたんだが」

　アピスにでも相談しようか、なんてことも考えてはいたんだが、その機会を得ることは叶わなかったわけで。

「生憎と、ロマンチックなんてのは俺の苦手分野なんだよな。だから……」

　見上げる空に浮かぶのは、青く輝くエルリーゼ。

「少しでも景色が奇麗な場所で。これが、俺に考え出せる精いっぱいだった。そのあたりは済まないとも思うが」

「……アズ君の大盛りお馬鹿さん」

「なんでそうなる！？」

　だというのに、いつものお言葉を戴いてしまう。いやまあ、この場所に来るのだってクーラ頼りだったのは事実なんだけど……

「それはもちろん、君が大盛りお馬鹿さんだからでしょ。確かに雰囲気も大事だとは思うけどさ、君がそんな風に思ってくれてたことの方がずっと嬉しいの。それと比べたらロマンチックさなんて鼻くそ同然だね」

「……いや、鼻くそ呼ばわりはどうかとも思うんだが」

「そうかな？あと、参考までに聞きたいんだけどさ、さっき君が私の『ささやき』を破れたのって、そこらへんもあったりするの？」

「……多分な」

　少なくとも、そのあたりを想起したのがきっかけであったのは間違いないだろう。

「……アズ君の特盛りお馬鹿さん」

　そんなことを思っていると、なにやら酷い言いようをしてくれやがる。

「なんで増量されるんだよ！？」

　どう感じるかは個人差もあるだろうけど、印象としては、

　大盛り＜特盛り

　という図式が成立しそうなところ。

「だってさ、君を溺れさせなきゃならないのは私の方なのに……。なんだって君の方がそうやってあっさりと私を惚れ直させちゃうのよ……」

「いや、そう言われてもな……」

　さすがにそれは理不尽ではなかろうか？

「よくわからんけど、お前が不服だって言うなら取りやめに――」

「殴るよ？」

　俺なりに気を利かせようとしたつもりなのに、今度はいい笑顔で恫喝された。

「……はぁ。もうおかしなこと言わないからさ、プレゼントの交換、しよう？」

「……そうだな」

　何故だろうか？こうしている間にも、なけなしのロマンチックさが急激に萎んでいるような気がするんだが。

「それでさ、できれば君の方からしてほしいんだけど、ダメかな？」

「承知したよ」

　それくらいならばということでOKを出してやれば、

「うん。それじゃあ、お願いね？」

　顔を上げたクーラは静かに目を閉じる。

　だからあとはそこに唇を触れ合わせるだけ、

　なんだけど……

　その段になって、俺は動けなくなっていた。

　恍惚と幸せそうなその表情に一瞬で見惚れさせられてしまう。

　それに――

「アズ君？」

　不意に、クーラが目を開いて、

「ひょっとして、緊張してるとか？」

　そう見透かしてくる。

「……情けない話なんだがな」

「やっぱりかぁ……。君の身体、すごく熱くなってるから」

　言われて初めて気付いた。確かに、背中が汗でびっしょりになっている感覚がある。

「それにさ、鼓動も激しくなってるし」

　これも言われて気が付いた。ドクンドクンと心臓がやかましい。

「けどさ、君だけが情けないわけじゃないから。多分私だって同じだよ？熱さも鼓動も混ざり合って。私のなのか君のなのか、よくわからなくなってる」

　実際にその通りなんだろう。腕の中に居るクーラの身体も熱くなっていて、触れ合っている胸からも鼓動が伝わってくる。

「まあそんなわけだからさ、君の心の準備ができるまで、私はいつまでだって待つから。……けど、ここでヘタレたらさすがに怒るからね？」

　そして逃がすものかと言わんばかりに、背中に回した腕に力を込めてくる。

「……あまり舐めてくれるなよ？」

　自分が勇敢な方だなんて風には思っちゃいない。けれど、そこまで言われればさすがに火が付くというもの。

「すぐにやってやるさ。だから目を閉じておとなしく待ってろ。お前の方こそ、土壇場で逃げるなよ？」

「もちろん」

　だから買い言葉を返してやれば、クーラは満足そうに目を閉じる。

　さて……さっさと決めてしまおうか！

　最初は夢の中で。その次は俺がトチ狂って。『ささやき』を使ったクーラが無理矢理に、なんてこともあった。

　この短時間でそんな3度の未遂を経た先でようやくに、俺たちにとって初(・)め(・)て(・)となる口づけが交わされる。

　そして――

「大好き」

　顔を離したクーラが告げてくるその言葉には、幸福色をした微笑みとの相乗効果もあったんだろう。

　『ささやき』を遥かに上回る威力で同じ気持ちを心に刻み込まれていくような、そんな気がした。