俺らの年齢差は1569で固定されるというわけか
「はは……」
行き付いた結論に乾いた笑いが口をつく。なんというかこれは本当に……
「大間抜けにもほどがあるだろ俺……」
自身に対しては呆れ慣れしているつもり。だがそれを差し引いても、ここまで自分に呆れ果てるのは生まれて初めてのことだった。
気付き、受け入れてしまえば、こんなにも簡単なことだったとはなぁ……
なるほど、こういうことだったのか。これが――
「いや、自分ひとりで納得されてもねぇ……」
そんなところへ聞こえてくるのは、涼やかに透き通った呆れ声。
「悪い、起こしちまったか」
「そこは気にしなくていいよ。それはそうと……おはよ、大間抜けのアズ君」
「……俺が自分を卑下するのは気に入らないんじゃなかったのかよ?」
「……基本的には。けど、さすがに今はねぇ……。どうせ大間抜けのアズ君にはわからないだろうけどさ」
「……そうかよ」
本当に目を覚ますなりこいつは……
急激に視線の温度を落としての罵倒。確かにクーラの言う通り、その理由はどうにもよくわからないんだが。
「まあいいや。おはようさん、クーラ」
それでもとりあえずということで、挨拶を返しておく。
それはそれとしてだ……
今しがたに気付いたばかりのこと。それはクーラにとって望ましいことだろうし、伝えるのは早い方がいいとも思う。だが、どう切り出したものかな……
今この場で急に。というのも、どうだろうかと思えてしまうわけで。
……キオスさんにでも相談してみるか?
いつぞの恩を着せようなんてことは思わない。けれどキオスさんなら、快く相談に乗ってくれるだろう。なにせ似たような問題の経験者なんだし。
「ねえ、アズ君」
「どうした?」
「実はさ、私って今日が誕生日なの」
不意にそんなことを言ってくる。
「……つまり、今日でお前は1585歳になるわけか」
どうやら、俺とクーラの誕生日は同じだったらしい。
珍しいことではあるんだろうけど、それ自体はあり得ない話でもない。3人集めれば必ずふたり以上の性別は一致するのと同じで、366人を集めれば最低でもその中でふたりは同じ日の生まれになるわけだし。
それはそれとして……。俺が16になった日に、クーラは1585に。つまるところ、俺らの年齢差は1569で固定されるというわけか。
「……いやまあそうなんだけどさ。実際にその数字を口に出されるのも微妙な気分になるというかなんというか」
「そういえば、女性に歳の話はご法度だったか。悪い、配慮が足りなかったな」
「……なんでだろ?追い打ちかけられてる気分になるのは。というかさ、反応薄くない?」
「俺自身、誕生日というやつには頓着しない方だからな」
「そうなの?」
「ああ。虹追い人になれるのは15歳から。だから俺の中では、15の誕生日というのは大きな意味を持っていたぞ?けどそこを過ぎたなら、16も65も、それこそ1585だって大差無いだろ?」
「うわぁ……」
何故か引かれた。1600歳近いクーラにしてみたら、自分が生まれた日なんてのは俺以上に関心が無くなりそうな気もするんだが。
「それはともかくとしてさ……。君からプレゼントをもらいたいなぁ、なんて風にも思うわけよ」
「……そういうことかよ。確かに世間的には、そんな習慣があるらしいな。……俺も悪ガキに堕ちる前は身内の誕生日に贈り物をしたことがあったか」
今にして思えば懐かしくすらある。
「……不格好な紙細工がいいところだったが、それでも喜んでくれてたっけか」
「あはは、君もそういうことしてたんだ。私もさ、拾ってきた奇麗な石と草紐で作った首飾りを母さんにプレゼントしてたっけ。……ホント、懐かしいや」
そうして遥か遠くを見るような目はとても優しくて。
「……もしも、の話だけどさ。平穏からは程遠いあれやこれやが無かったなら、お前はご両親が営んでいたパン屋の看板娘として穏やかな生涯を送れていたんだろうかな?」
「どうだろうね?もちろん私だってそんな『もしも』の想像は散々やってきたけど。……今に至るまでのロクでもないことすべては、君と出会うための代償だった。そう考えたら格安もいいところだ。なんて断言できたらカッコよかったんだろうけどね」
「いや、さすがにそこまで持ち上げられるのは俺が困るんだが……」
「それもそうだね。話を戻すけどさ……君からもらいたいプレゼントがあるの」
「そうさな……。多少の無理で叶えられることならば」
「……珍しいね。いつもだったら、『無理のない範囲でやれることだったらな』とか言いそうなのに」
「……そういう日もあるんだよ」
もちろん嘘だが。珍しいことを言ったのは日和のせいではなく、ついさっきの気付きが理由だった。
「そっか。……なんかさ、今日のアズ君、いつもより優しい気がするんだけど」
さすがはクラウリアというべきなのか。そのあたりはしっかりと感付かれていたらしい。
「……気のせいだろ。まあ、年に何度も誕生日をでっち上げて、そのたびに何かしら要求してくるようならさすがにキレる自信があるけどな」
「あはは、そこまで厚かましいことは言わないってば」
それでも、どうにか誤魔化されてはくれたようだが。
「ならいいんだが。……とはいえ、お前はこの後仕事なんだよな。なら、次の休みにするか?あるいは、仕事が終わってからでもよさそうか?そのあたりはお前の御所望次第だろうけど」
このままボロが出る前に話を進めてしまおう。
「ううん、今この場でいいかな。それに、君に手間は取らせないからさ」
「……どういうことだ?」
今この場で渡せるものなんて、手持ちの小銭くらいしか思い付かないんだが。
「こういうことだよ。……そのまま動かないで」
おい!?
唐突に聞かされたのは、ささやくような声。その言葉は瞬く間に全身へと染み渡り、告げられた通りに俺の中からは動こうという意思が霧散させられて、
「……よしっ!」
正面にやって来たクーラは何かを決意するように手を握り締める。その頬は薄っすらと朱に染まっていて、
って、まさか!?
脳裏をよぎるのは、さっき見たばかりの夢。その予想は正しかったんだろう。ゆっくりとクーラの顔が迫ってきて、
不意に、そんな中で想起された言葉。
……そうだよな。
その言葉が心身に力を取り戻させる。
動き……やがれぇぇぇっ!
ゴツン!
直後に引き寄せることができたのは、唇が触れ合う柔らかな感触ではなくて、額同士がぶつかり合う痛み。
「ふぎゃっ!?」
クーラの口から発せられた悲鳴がどこか間抜けだったのは、完全に想定外だったからなんだろう。
「……酷いよアズ君」
額をさすりながら恨みがましい目を向けてきやがるクーラだが、
「こっちのセリフだ阿呆が」
それは世間的に言うところの逆恨みというやつだろう。
「動きを封じてその隙に。なんてのは、道徳的な意味でもあまり褒められたことではないと思うんだがな。ご丁寧に『ささやき』まで使いやがってからに」
「それはそうだけど……」
俺としては正論一般論を言っているつもり。けれどクーラは不満そうで。
「まあ、弁明があるのなら聞いてやるけど」
「……いいところでお預け食らっちゃったからさ」
「……だからどういうことなんだ?」
そう言われても意味が分からん。
「……さっき君の方からキスしようとしてたでしょ?」
「起きてたのかよ!?」
そこは完全に予想外だった。
狸寝入りというやつは、よく見れば案外簡単に見抜けるものさ。なまじ意識があるせいで、どうしても挙動が不自然になってしまうんでな。
こんな師匠の教えもあり、過去には実際に見抜いてきた経験もあった。だからさっきのクーラは寝ているとばかり思っていたんだが。
「意識の一部を意図的に切り離して周囲を警戒しつつ、眠りにつくことで心身を休めてただけ。これでも虹追い人歴は長いからね」
「……そういうことか」
たしかにそれは、熟練の虹追い人であれば備えている人を時折見かけるような技能だった。師匠なんかもそのひとりで、寝ている隙に連盟員証の色を見てやろうという試みを蹴散らしてくれたことは何度もあった。
当然ながら、クーラが身に着けていても全く不自然ではない技能だろう。
「それでさ、ついにアズ君もキスしたくなるくらいに私を好きになってくれたのかと思って狂喜してたのに……」
「……その寸前で俺は正気に戻った、というわけか」
「そういうこと。それで、どうしても我慢できなくてつい……」
「あんな凶行に及んだというわけだな?」
「……はい。面目次第もございません。その……ホントにごめんなさい。やっぱり私自身、浮かれていい気になってた部分があったんだと思う。君ならこれくらいは許してくれるだろうって、甘えてた。もう二度とやらないよ」
話すうちに頭も冷えてきたんだろう。素直に罪を認め、頭を下げてくる。これまでだったら、ここで水に流すところなんだが……
あんなロマンチックじゃないのが私のファーストキスだったなんて絶対に認めないから。
俺を『ささやき』から解き放ってくれた言葉を思い出す。昨日聞いたばかりのこの言葉がなかったなら、俺は無抵抗のままにやられていたことだろうけど……
キオスさんへの相談は却下だな。
今の話を聞いてなお、先送りにしようとは思えなかった。
「……………………なあ、クーラ。頼みたいことがあるんだが」
そして考えて、多少はマシなんじゃないかと思える伝え方も定まった。
「朝ご飯のリクエストかな?もちろん構わないよ。目玉焼きの焼き加減だって、君が望む通りに仕上げてみせるから」
「まあ、それはそれでそそられるものがあるんだが、頼みたいのは別のことだ。……今からなんだけどさ、月に連れて行ってもらえるか?」
「……珍しいね。君の方からそんなことを言ってくるのって」
「そうか?」
「うん。私の正体を知ってから、君の方から私の力を頼って来たことってほとんど無かったでしょ?」
「……たしかにな」
俺としても思い付くのは、月で自爆まがいをかました時の傷を治してもらった時くらいだ。
もちろんそれは理由あってのことなんだが――
「君のことだからさ、頼り切りになるのはどうだろうか、なんて風に考えてるだろうな。って思ってたんだけど」
「……さすが悪友。よくおわかりで」
その予想は本当に適格だから困る。
例えばの話だが、グラバスク島の魔獣を端から全部狩り尽くすなんてのも、クーラであれば容易いことだろう。そしてそこで手に入れた残渣すべてを取り込んだなら、俺の心色は飛躍的に強くなるはず。
あるいは、こっそりと誰にも見つからないように手助けしてもらったなら、どれだけ高位の魔獣だってサクサクと始末できるだろうし、そんなことを続けて行けば紫にまで昇り詰めることだって難しいことじゃないだろう。
そして日頃の言動を考えたなら、俺が頼めばふたつ返事で引き受けてくれる可能性が高い。
だからこそ、俺はクーラの力を頼りにはしないと決めていた。俺にだって申し訳程度には意地や矜持の持ち合わせがあるんだから。それになによりも――そんな、誰かにおんぶ抱っこで生きるような情けない男がクーラの隣に相応しいとは思えなかった。そこまで落ちてしまったなら、クーラが好いてくれた俺ではなくなってしまうような気がした。
「……もっと頼ってほしい、なんて気持ちはあるけどさ。私としてはさ、君のその考えを尊重するつもり。そういうのも嫌いじゃないから。けどまあ、プライバシーを侵害しない範囲で君の状況を常に把握することは今後も続けるつもりだし、本気で君が危ないと思ったなら、その時は君の意思を無視して勝手に助けに入るつもりでもいるけど」
「……さすがにそこまでは止めないさ」
俺がぱったりとくたばろうものなら、クーラがどれだけ苦しむことになるのかなんて想像もできない。そんな思いをさせるくらいなら、意地や矜持なんてのはためらいゼロでぶん投げてやるつもりでもいる。
もちろん、そんな状況を引き起こさないように全力を尽くすというのは当たり前のことだが。
いざという時にはクーラが助けてくれる。それだけでもすさまじいアドバンテージになるんだ。ならばそのことが甘えにならないように、常に自戒していく必要もあるだろう。
「ともあれ、そんな中で言うのは虫が良すぎる話ではあるんだが、あらためて頼む。今から月に連れて行ってほしいんだ」
「もちろん構わないよ。それじゃあ……」
『転移』は一瞬。次の瞬間には、周囲の景色は真っ白な荒野に切り替わっていた。
「……相変わらず奇麗だよなぁ」
そして見上げる空には青く輝くエルリーゼは、やはり見惚れるくらいに奇麗だった。
「同感。……あのさ、アズ君」
不意に手を握って来る。
「君はさ、この先もずっと私のそばに居てくれるんだよね?」
「……急にどうした?」
「……ちょっとこの前のことを思い出しちゃってさ」
この場所でやり合った時のことか。
あの時を乗り越えたからこそ、こうしている今があるわけだが。
それでもつくづく思う。我がことながら、よくもまあ成し遂げられたものだなと。
「お馬鹿さんな勘違いをしてた私を止めてくれて、ホントにありがとね」
「……どういたしまして、でいいのか?」
「いいと思うよ。けどそれにしたってさ、君が気合ひとつで私の『ささやき』を打ち破った時は本気で驚いたよ。……というか、さっきもあっさりと『ささやき』を破ってたよね」
「……コツを掴めたのかもしれないな」
「そっかぁ……。じゃあこの先は、君には『ささやき』は通用しないって考えた方がよさそうなんだね。……乱用し過ぎたのは失敗だったかな?」
「……かもしれんな。とはいえ、望むことがあるんだったら普通に言ってくれればいい。時と場合に寄りにけりではあるが、善処はさせてもらうからさ」
「……うん」
それにしても……
あらためて空に浮かぶエルリーゼを見やる。この場所を選んだのは景色がいいからというだけの理由だったとはいえ、これから話そうということを踏まえるに、別の意味でも相応しかったのかもしれない。
「それで用向きなんだが……」
俺が立ち上がれば、クーラも応じるように立ち上がってくれる。
「なあ、クーラ。俺は前にこの場所で言ったよな?『俺は、お前のことを好きになりかけてるかもしれないと思うんだ』って」
「うん。もちろん覚えてるよ」
「けど悪いんだが、その言葉は撤回させてもらうわ」
それこそが、俺の得た気付き。
「なんというかさ、本当に大間抜けな話なんだよな。なんだって俺は、あそこまで阿呆な勘違いをしていたのやら……」
「それって……まさか……!?」
クーラの方も察してくれたらしい。本当にこういうところは助かる限りだ。
けれど――
なんでだ?
エルリーゼからクーラに目線を移した俺が抱いたのは困惑。
俺の予想に反して浮かんでいたのは、この世の終わりを目にしたんじゃないかと思えるほどに、真っ青に血の気を失くした表情だったから。




