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俺がこの先もクーラと共に在り続けることを、許していただきたい

 まずはクーラが石碑に水をかけ(氷の心色を応用したとのこと)、これまたクーラが手渡してくれたブラシで磨き上げる。石碑の大きさ自体は高さも横幅もだいたい俺の身の丈くらいと、決して小さなものではなく、オマケに厄介なことに、鳥のフンは刻まれた文字の中にまで入り込んでいた。


「こんなところか」

「だね。思ったよりも大変だったよ」


 それでも根気強くブラシをかけて、汚れを落とし終えて。最後にクーラが温風(風と炎の合わせ技らしい)を吹き付けて水気を飛ばす。夜風の中だってのに、石碑の汚れが奇麗に落ちる頃には薄く背中が汗ばんでいた。


「ところで少し気になったんだが……ここに来る人って、あまり居ないのか?」

「……よくわかったね」

「やっぱりか。鳥のフンが3つもへばりついてたわけだが、風化具合に差があるように思えたんでな」


 鳥が排泄した直後のフンは水気を帯びているが、やがてそれは乾き、干乾び、風化し、塵へと変わっていく。その様に差があるということは、誰も掃除をしないままに結構な時間が経過していたということになるわけだ。


「……あそこに見えるもの。何だと思う?」


 クーラが指差す先。遠目な上に夜目ではあるが、煌々と輝く月明りのおかげで視認することはできた。印象としては、草に埋もれかけた瓦礫といったところだが……


「お前の生まれ故郷、か?」


 廃墟。そんな風にも見える。


「正解。一度は復興しようって流れになったんだけど、その最中に魔獣の襲撃があったらしくてさ」

「……らしい、というのは?」

「ちょうどタイミングが悪いことに、私が異世界に呼び付けられてた最中でね。……もしその時に居合わせることができていたなら……なんてことは何度も考えたかな」

「その結果として放棄された、と?」

「……うん。さすがに1500年以上前に滅ぼされた街の慰霊碑なんて、わざわざ来る人は居ないってことだろうね。私以外は誰も居なかったとしても、驚かない自信はあるかな。……だからこそ、この花を気兼ねなく備えることができるんだけどさ」

「……確かにな。緋晶花なんてものが見つかったなら、それだけで大騒ぎになっちまうか」

「そういうこと」


 吹き行く心地のいい風に髪をなびかせて、穏やかに微笑むクーラが花を供える。花の美しさも相まってか、その様は幻想的ですらあって、見惚れそうに……もとい、俺は軽く見惚れていたんだと思う。


 経過は順調、ってことなんだろうかな。


 クーラの気持ちを知り、クーラのことを好きになりたいと思ったあの日以来、そういった意味合いで意識してしまう機会は明らかに増えていた。


「……久しぶりだね。半年ぶりなのに、前にここに来たのがずいぶん昔のことみたいに思えるよ。多分それは、ここ最近が濃密すぎて、すごく充実していたからなんだろうね」


 静かに語りかける。今のクーラがどんな目をしているのか、気にかからないわけじゃない。けれど、ここで割り入るのはさすがに無粋。だから、一歩引いて見守ることにする。


「……考えてみたらさ、ここでは泣き言ばかり言ってた気がするよ」


 抱える事情が事情ゆえに、誰にも頼れずにいた節のあるクーラ。唯一弱音を吐けるのがこの場所だったということか。


 いつかは俺が、そんな場所になることができるんだろうかな……


「だからなのかな?こんなにも晴れ晴れした気持ちでここに居るのは、ちょっと不思議な感じがする。きっと今までは、みんなに心配かけちゃってたと思う。でもこれからはさ、嬉しかったこと、楽しかったこと、幸せだったこと、たくさん報告できると思うから」


 チラリと俺を振り返る。


 その理由は君なんだけどね。視線がそんな風に言っていた。


「きっかけになったのは、私を――この、いつまで続くかもわからない暗闇みたいな旅路を終わらせてくれるかもしれないっていう可能性が見えたこと。その時は、その可能性は幻だとわかってガッカリもしちゃったんだけどさ……」


 ノックスでの一件。俺が届き得ないと知った時のことだろう。ずいぶん昔のように思えるのは俺も同じだ。


「でも結果的には、あの時に見えた可能性は本物だったんじゃないか。なんて風にも思えてる。私の旅路そのものは今も続いてる。けど、辛くて苦しいだけだった旅路はもう終わった。ううん、終わらせてくれた人がいたの」


 そこまで言われるのは面映ゆいんだがな……


 まあ、そんな内心も口には出さなかったが。クーラの口調は静かなままで。けれどそこには、万感の思いが込められているような気がしたから。


「その人はさ、私の事情なんて一切知らなかったはずなのに、私に共感してくれて。多分、その時からすでに私の心は彼に恋していたんだと思う」


 ……あの時は確か、何気なく感じたままを口に出しただけだった。その選択の結果が今。本当に、世の中ってのは何が理由でどう転ぶのかわからないものだ。


「結局、彼のことが忘れられなくてさ、別人として接触することにして。それからもいろいろあってねぇ……。その最初の出会い……というか再会の時にアズ君ってばさぁ――」




 ……長い。


 クーラが石碑に語りかけ始めてから、すでに結構な時間が経過していた。少なくとも、俺の体感ではとっくに1時間を超えている。


「――それでね、ふたりで図書院に行った時にはさ」


 そして、それでもクーラの語りには終わりが見えない。


 まあ、傍で聞いている感じでは、内容はおおむね時系列に沿っている様子。であれば、いずれは終わるはずなんだろうけど……


 はぁ……


 腹の内でため息。今のクーラは本当に楽しそうで嬉しそうで幸せそうで。そんな風に墓前に報告するなんてのは、きっとずっとできなかったことで、ずっとやりたかったことなんだろう。そんな様を見せられて、止めようなんて気分にはなれるわけもなく。


 俺も、クーラのご両親やお爺さんには伝えたかったことがあったんだがなぁ……


 クーラの話が終わってからでいいだろう。そう思っていたことは、まだ当分はさせてはもらえそうもない。


 いや、だったら……


 ならばということで考え付いたのは、クーラの報告と同時進行で声に出さずに伝えようか、というもの。


 俺の勝手な考えではあるが、それでも不誠実な行為にはならないだろう……と思いたい。


 それに――


「――並んで歩く時にはいつだって道に近い方を歩いてくれるし、買い物した時には、ごく自然に荷物を持ってくれたりさ。あと、果物を半分こする時には、いつも私に奇麗な方をくれてたかな。口ではなんだかんだ理由を付けるけど、そういうさりげない優しさの積み重ねにやられちゃった部分もあると思うんだよねぇ……」


 クーラが語る中に居る俺は、いくらか美化されているような気がしてならない。確かに今クーラが言っていることも身に覚えはあるが、そんなのは男として当然のことではなかろうか?少なくとも、ガドさんがセルフィナさんにそういったことをやるところは容易に想像できる。キオスさんだって、腐れ縁共ですらも、相方に対してそれくらいは普通にやることだろう。


 そんなクーラの後にというのも、なんだか気恥ずかしいことになりそうに思えてくる。


 まあそんなわけなんで、今はこんな形にしてしまうこと、お許し願いたい。


 心の中でそう前置いて、


 クーラ……いえ、クラウリアさんのご両親。あなた方の娘さんには、いつもお世話になっています。あんなにも素晴らしい女性が親しくしてくれていること、俺には過ぎた幸運だと思っています。そしてクラウリアさんのお爺さん。あなたがクラウリアさんに教えたという知識のおかげで、俺はこうして生きることができています。そのことに心からの感謝を。……ただその際に……その……なんと言いますか……クラウリアさんに……その……えーと……く、く、口づけ、をさせてしまいました。彼女は治療の一環だからと言ってくれましたが、それでも軽いことではなかったのは事実です。だから、ウチの大事な娘になんてことをしやがるんだと、皆さんが俺を殴りたいのであれば、どれだけであろうとも甘んじて受ける覚悟はできています。本当に申し訳ありませんでした!


 これが、まず最初に伝えたかったこと。事情がどうであれ、通すべき筋というのはあるはずだから。昨夜に延々と考え続けたことのひとつ。


 クラウリアさんは相当に俺のことを美化しているようですが、それでも彼女が俺を好いてくれていることは間違いないと思っています。そんなクラウリアさんの気持ちに応えることができるのか、それはまだ自信はありません。それでも俺は、クラウリアさんのことを好きになりたい。彼女が俺に向けてくれるのと同じものを、彼女に返せるようになりたい。


 本当に、我ながらふざけた考えだと思う。お前何様のつもりなんだよと、自分を殴りたくなるような物言いだ。


 だがそれでも――


 どんな形であろうとも、彼女が望む限りは、俺は彼女と道を共にしたい。その旅路を少しでもマシなものにするためなら、俺のすべてを捧げたって構わないというくらいには、考えているつもりです。


 だから――


 俺がこの先もクーラと共に在り続けることを、許していただきたい。


 ふぅ……


 そこまでを心の中で言い終えて、これまた心の中で大きく息を吐く。反応があるはずもないことなのに、それでも俺は随分と緊張していたらしい。


 まあそれでも、充足感……というかいくらかの自己満足もあったわけだが。


 そして、その間にもクーラの語りかけは続く。


「それでアズ君は言ったの。魂の底から、俺をお前に惚れさせてほしいって。……よく考えたら、すごい口説き文句だよね。いや、むしろ口説かせ文句?ホントにさ、どれだけいい男のつもりなんだか」


 確かにそんなことも言った記憶はある。そしてクーラが下す評価もまた、同意できてしまうようなものだったわけで。


 少なからず、精神的なダメージもあった。


「けどさ、実際にそれくらい素敵な人だから困るんだよね」


 ……勘弁してください。


 明らかに俺を過大評価してるだろそれは!聞いてて背中がかゆくなってくるぞ。


 というかお前、俺がすぐ後ろに居ることを忘れてるんじゃないのかよ!?


「まあそんなわけだからさ。私はこうして、アズ君陥落戦っていうこれまでに経験したことが無いほどに困難な戦いに赴くことになったの。そんな私の武運、祈っててほしいかな」


 それはそれと、ようやくクーラの報告は終わってくれたらしい。思うところは多々あったんだが、晴れ晴れとした顔を見ているとどうでもよくなってくるあたり、確実に俺はクーラに魅かれているんだろうなと、あらためて思い知らされていた。

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