素直に感謝できるのは幸せなこと、だったよな?
アピスが知りたかったのは、ネメシアを助けたのが誰だったのかという――ある意味ではあまりにも当たり前すぎること。
「うん。個人的な事情からだったんだけど、そういうことになるかな」
当然ながら、そうなればクーラに隠す理由があるわけもなく。
「そう……だったのね……」
再び大きく息を吐き出すアピスは、どこかホッとしたような表情をしていた。
「あの日、ネメシアが目を覚ますことがなかったなら、私は今も苦しみ続けていたと思う。多分、私だけじゃなくて第七支部のみんなが。だけど、そんな悲しい未来を吹き飛ばしてくれた人が居た。ずっと、その人に感謝を伝えたかったの」
そのあたりは、俺も痛いほどによくわかる。
「だから……」
カップから手を離したアピスが立ち上がり、
「ありがとうございました、クラウリア様」
「いや、そこまでかしこまらなくても……」
90度近くまで深々と頭を下げる。そうすれば、逆にクーラが困ったようにそんなことを言うわけだが、
「素直に感謝できるのは幸せなこと、だったよな?」
以前に俺がクーラに言われたことを返してやれば、
「……そうだったね」
おとなしく観念する。
「けど、私はクラウリアであると同時にクーラでもあるの。そして今はエルナさんのお店で働く看板娘として、アピスちゃんの友達としてここに居るつもり。だから、アピスちゃんにもそう接してほしい」
「わかったわ。それなら……ありがとう、クーラ。私の大切な親友と、私の未来を助けてくれて」
「どういたしまして」
「それが、お前の目的だったわけか」
「ええ。ようやく念願が叶ったわ」
その言葉通りに、アピスが見せるのは晴れ晴れとした表情。
「アズールもありがとう」
「いや、俺は本気で何もやってないんだが……」
「そうでもないわよ。状況からしてあなたはすでに知っていたのでしょうけど、クーラが事実を明かすことに反対しないでくれたのでしょう?」
「……それはそうだが」
フォローこそするつもりではいたが、クーラがそう決めた時点で、反対する意思は消えていた。
「そのおかげで、私はこうして恩人にお礼を言うことができた。ねえ、クーラ。もしもアズールが反対したなら、あなたは正体を明かすつもりになっていたかしら?」
「全身全霊で全力の本気で隠し通しに行ってたね」
「そこまでかよ!?」
「そういうことなのよ。ところで……クーラが素性を隠してきた理由は私なりに察しているつもり。その上で厚かましいとは思うのだけれど、お願いしたいことがあるの」
この流れでの頼み事。予想はできてしまうんだが、
「……ネメシアちゃんにも事実を伝えたい、かな?」
それはクーラも同じだったらしい。
「ええ。あの日助けてくれた恩人にお礼を伝えたいというのは、ネメシアも同じだから。もちろん、あなたが望まないのであればすぐにでも諦めるつもり」
「……どうする?」
「……どうしよう?」
顔を見合わせる。
アピスに気付かれたのは、俺とクーラが揃ってヘマをやらかしたから。けれどこの様子を見る限りでは、口外しまう公算は極めて低いと見ていいだろう。
クーラの性格を考えたなら、少しでもネメシアの気が晴れるならそれくらいは、なんて風に思い始めていそうなところ。そしてアピスと同様に、ネメシアだって事情を知れば隠し通してくれることだろう。
けれどその一方で、事実を知る人を増やしたくないというのも、理由あってのことになるわけで。
突き詰めてしまうなら――友人の心情に配慮するか、露見のリスクを抑えるのか、なんていう二択になってしまう。
なんとも悩ましいところだなこれは……
「そうやって真剣に悩んでくれるあたり、本当にクーラもアズールも人がいいのよね」
「いや、人がいいっていうよりはなぁ?」
「うん。私だって、ネメシアちゃんのことは友達だと思ってるんだから」
「そういうところがお人よしだというのだけれどね。……ごめんなさい。今の話は無かったことにしてもらえるかしら?」
「……いいのか?」
「ええ。私としても、あなたたちを苦しめるのは不本意だから。ネメシアには申し訳ないけれど、このことは私の胸だけにしまっておくわ。不安なら、ノックスでアズールにやったように、このこと自体を思い出せなくしてくれても構わないわ」
「本気か?」
「ええ。もちろん私としては、クーラがネメシアを助けてくれたことを忘れたくはない。けれど、それでクーラに迷惑をかけてしまうのはもっと嫌だから」
「……ノックスでアズ君に?そうだ!その手があったよ!」
これはどうしたものかと考えていると、不意にクーラが声を上げる。
ポンと手を叩くその様は、妙案を思い付いたと言わんばかりで。
「んで、何を考え付いたんだ?」
だから、前置きは無しで問うてみれば、
「もちろん、ネメシアちゃんにも本当のことを伝えつつ、他の人にバレるリスクを抑える方法を。当然アピスちゃんは事実を記憶したままで」
「……私が言うのもアレだけれど、そんな都合のいい方法があるの?」
「あるよ」
自信たっぷりにうなずく。
「ただ、それをやるに当たっては、条件をふたつ付けさせてもらう」
「その条件というのは?」
「まずひとつ。事実を明かすのはネメシアちゃんでお終いにするということ」
それは妥当なところか。謎の女性に対して礼を言いたいのはラッツあたりも同じなんだろうけど、そうやって認めていけばどんどん数が増えてしまいそうなところ。
「もうひとつは、絶対にこのことを口外できなくするための処置を受けてもらうこと。もちろん、アピスちゃんとネメシアちゃんの両方に」
「……それは構わないのだけど、そんなことができるの?」
「うん。私の『ささやき』だったらね」
「……そういうことか」
「そういうこと」
俺もやられたことがあるからよくわかるが、『ささやき』は心に刻み込むような使い道もある。そのあたりを応用すれば、クーラの正体を口外できないようにすることもできるのかもしれない……んだけど。
「けど、お前の『ささやき』ってのは、俺でも破れるようなシロモノなんだろ?本当に大丈夫なのか?」
「はぁ……」
指摘に対して返されるのは、ジト目でのため息。
「俺ごときでも、なんて言わなかったあたりは評価するけどさ……。そもそもあれは、君の方が異常すぎただけのことだからね?」
「……酷い言われようだな」
「それにさ、抵抗しようって意思が無ければ、君だってすんなりと堕ちてたわけでしょ?」
「……それもそうか」
月でのあれこれが終わった後。気を失ったということにするために俺は『ささやき』で眠らされていたわけだが、その時は即堕ちだったか。
「だから問題は無いと思うよ」
「あの……そっちだけで話を進められても困るのだけど……」
「っと、ごめんね。簡単に言うと私にはさ、ある特定の内容を心に刻み込むような技術があるの。例えば、私の正体を絶対に口外できなくなる、とかね」
「それが『ささやき』なのかしら?」
「うん。もちろん、それ以外には影響を及ぼさないようにするつもり。ただ、悪用しようと思えばいくらでもできてしまう。例えばだけど、アピスちゃんを私の言いなり人形にするなんてことも。そこは、信じてほしいとしか言えないんだけど……」
「わかったわ。そのふたつの条件。受け入れるわ」
「って、即答しちゃうの!?」
「ええ。これでも、クーラのことは信じているつもりよ。それに、よからぬことを考えているのなら、わざわざそんなことは言わないでしょう?あとは……」
俺の方へと目を向けてくる。
「アズールが平然としているのもひとつの根拠かしらね」
「さようでございますか」
万にひとつどころか億にひとつもあり得ないだろうけど――クーラがアピスを言いなりにしようなんてことを企むようなら、俺は止めに入っていた可能性が高い。
「なら、今から始めちゃってもOK?」
「ええ。お願いするわ」
そうして立ち上がったクーラはアピスの後ろに回り、抱きすくめるように腕を回す。新人戦決勝を前にした控室で俺がやられたのと同じ構図だ。
「……これは、少し恥ずかしいわね」
「耳元で聴いてもらう方がより確実だから、そこは我慢してもらえるかな?それとさ、悪いんだけど、アズ君は外に出ててもらえる?」
「俺にも影響が出るからだな?」
「いや、そこは大した問題じゃないの。耳を塞いでれば防げるんだし」
「……そうなのかよ!?」
「うん。前にも言わなかったっけ?基本的には子守歌みたいなものだ、って」
「……聞いたような気がするな」
「でしょ?」
かつて俺が必死こいて抗おうとしていた『ささやき』にそんな弱点があったとはなぁ……
妙にやるせない気分にもなって来るんだが。
「あと、君も知ってると思うけどさ、私の『ささやき』ってすごく気持ちがいいんだよね?」
「ああ」
それもまた、文字通りの意味で身をもって理解している。
「君もそうだったけど、受けた人はみんなトロトロに蕩けきった顔を晒しちゃうの。アピスちゃん的にもさ、そんなところをベッドの中でのバート君以外に見られるのは抵抗あるでしょ?」
「そうね。……って、バートともそういうのはまだ一度しかやってないから!?」
「いや、そこらへんはどうでもいいんだが……」
というか、さりげなくかなりアレなことを口走ってないかこいつ?
まあ、ここは聞かなかったことにしてやるのが情けだろう。
「事情は理解した。終わったら呼んでくれ」
「了解」
そんなわけで、外で待つことしばらく。呼ばれて部屋に戻ればそこには、落ち着いた様子のクーラと、
「……大丈夫か?」
「ええ……」
何故か頬を上気させ、息を荒げたアピスが。
「それで、首尾は?」
「上々」
「ならいいんだが。んで、なんでアピスはそんな顔をしてるんだ?」
「早速ということで試してみたの」
「いや、試すのはいいとして相手は……って、クーラ本人に対してでもよかったのか」
「ええ。そうしたら心の奥から声が響いてきて、口外しようという意思が霧散していったわ」
「なるほど」
先日俺がやられたのと同じことをされたわけだ。
「ただ……その時の感覚というか、響いてくるクーラのささやき声があまりに心地よすぎて……。正直、本気ですべてを委ねたくなったというか、本当に身も心も蕩けてしまったんじゃないかと思うくらいだったわね……」
「……理解したよ」
そのあたりも、俺はこの身で知っていた。
「でも、確かにこれならば、間違っても口外してしまうことは無いでしょうね。抗える気がしないもの」
「まあ、私の正体を口外しようとしない限りは、まったく影響も無いからさ」
「ならいいのだけれど。……さっきの話だと、アズールはあれを破れたのよね?」
「……いろいろあってな」
「確かに、今聞いたことがすべてでもないみたいだけれど」
「そのあたりは、詮索しないでもらえると助かるかな?」
「承知したわ」
その後は茶のお代わりをもらいつつ、ネメシアに関してを話し合う。そっちはまずアピスの方から話をして、同意が得られ次第ということですんなりとまとまっていた。
そして、腹も減って来たからということで解散。アピスと連れ立ってユアルツ荘へ。
さて、晩飯は何を作ろうか?
「やっほうアズ君」
食材とにらめっこをしつつ、そんなことを考えていたところにかけられたお気楽な声。
「……支部長に気配を掴まれたらどうするつもりなんだよお前は」
「ご心配なく。気配と、ついでに音も遮断してあるからさ」
その主は言わずもがな。先ほど別れたばかりのクーラで。
「ちょっと話しそびれてたことがあってさ。手短に済ませるから」
「用向きは?」
とはいえ、唐突にクーラが現れるのはすでに慣れていた……というか慣らされていたこと。
「明日のこと。明日ってさ、アルバイトがお休みなんだよね」
「初耳だな」
「いろいろあって言う機会が無くてね」
「……たしかにな」
「それでさ、君と一緒に行きたいところがあるんだけど、いいかな?」
「別に構わないぞ。とんでもないところに連れていかれるのも慣れたからな」
「そこは大丈夫。他の大陸ではあるけど、明日行きたいのは驚くような場所じゃないからさ」
「他の大陸というだけでも、十分に驚くような話なんじゃないかとは思うんだが……」
少なくとも、日帰りで行ってくるような場所ではないはず。
「まあ、それはそれってことで。……あのさ、父さんたちのお墓参りに付き合ってもらえないかな、って」
少しだけ遠慮がちな様子でクーラが頼んできたのはそんなこと。
俺としても、機会があればクーラのご両親には挨拶したいと思っていたところ。
となれば受ける理由こそあれ、断る理由なんてものはどこにも見当たらなかった。




