……俺の人生、すでに詰んでるだろ
やれやれ……。本当に、クーラに泣かれるのは辛いぞ。『爆裂付与』をかました腰の痛みの方がまだマシに思えてくるんだが。
泣きじゃくるクーラを抱き留めつつで思うのはそんなこと。
少しでも気持ちが安らげばと、手触りのいいサラサラの髪を撫でてやる。こうしていると、クーラの存在は見た目相応――荒事とは無縁な、俺と同年代の女性にしか見えなくて。
けど、この小さな肩にどれだけの重さを背負って来たのやら。
きっとそれは、俺では想像すらもできないほどのモノなんだろう。
助けて、か……
そしてその言葉が、やけに強く焼き付けられていた。
「そこのコショウとってもらえるかな?」「それも美味しそうだね。ひと口分けてくれない?」なんて頼みごとを受けたことは、これまでにもたびたびあった。
暇だから助けてほしい。そんな冗談めいた形で助けを求められたのは、初めて連れ立って王都を歩いた日のことだった。
けれど思えばこれまでに、クーラがあそこまで切実に助けを求める姿なんてのは、今までに一度すらも見たことは無かった。そしてクーラ程の力があるのなら、誰かの助力が必要な局面なんてのは極めて少なかったことだろう。
そんなクーラが泣きじゃくりながら漏らした言葉。
この先のいつまで続くのかもわからない。そんなクーラの旅路が少しでも気楽になるんだったら。少しでもマシになるんだったら。人形にされた上で俺の存在を持っていかれてもいいんじゃないだろうか。そんな風にすら思えてしまう。
まさかとは思うがこいつ、泣き声でも『ささやき』を使えるんじゃないだろうな?
っと、アホなこと考えてる場合じゃないか。
そもそもの話、俺を人形にしてしまうのが嫌だからクーラはあそこまで意固地になってたんだ。今更俺がそう言ったところで、はいそうですかとは行かないだろう。
本当に、どうしたらいいんだかなぁ……
状況が落ち着いたことで少しは冷えた頭で考える。
今ここで拳骨のひとつもくれてやって――勝負に勝ったんだから、約束だから俺に従えと押し通すことはできるのかもしれない。そういった意味では、千載一遇の好機を手にすることができているとも言えるんだろうけど……
やりたくないんだよな、それは。
ため息をひとつ。本当に、そんな自分の甘さに呆れ果てる。
卑怯だから嫌だ、ではなくて。クーラの心情を考えると気が進まない。なんだから。
それにクーラの言葉通りなら、そうやって引き止めたところで、いつかクーラは俺を人形にしてしまうんだろう。まあ、それはそれで構わない気分になってきてもいるわけだが。
というか、本当にそうなるのか?
ふと気にかかったのはそんなこと。
クーラの必死さに流されていた部分はあるだろう。それでも、本当に俺がクーラの人形にされる未来は不可避なんだろうか?それはクーラの杞憂。実際には案外そんなこともなく、平穏に別れの日を迎えられるんじゃないのか?
思考はそんな方向へと飛んでいき、
そのあたりを納得させることができたなら、クーラも応じてくれるんじゃないだろうか?
たどり着いたのはそんな発想。とはいえ……
どうやって納得させればいいのやら。
それはそれで道筋が見えているわけでもなく。
もしも仮に、俺がここでクーラに記憶を消されたなら、その時にはどうなるんだ?
だから考え方を変えてみる。その先になにか使えそうなネタでも転がっていたなら儲けものだ。
たしかにクーラの言った通り、俺の周りには気のいい人たちが多い。だから5か月分の記憶を消されたとしても、そう遠くないうちに立ち直ることはできるような気がする。
その後もクーラに見守られつつ、なんだかんだでよろしくはやっていけるんだろう。そして、少しは一人前に近づけた俺が第七支部にやってきた新人に先輩風を吹かせてみたりとか、遠出した先で元第七支部所属の先輩と出くわしたりとかなんてことも……
いや、待てよ!?
第七支部を離れた先輩。そこで気付いた。
それは、現在の第七支部所属の中で俺だけに――厳密には支部長も該当するかもしれないが――起こり得ること。そんな酔狂がこの世にふたりも居るとは思えないが、絶対に100%あり得ないとまでは言い切れないこと。
その場合はどうなる?クーラの性格を考えたら、これといったことにはならないようにも思える……んだが……
その一方でこうも思う。クーラの拗らせっぷりを考えたなら、と。
だいたいが考えてみれば、比較的マシだからって、人の記憶を消すなんてことを思い付き、実行する決意を固めてしまうような奴でもあるんだから。もちろん、能力的に可能だということを前提とした話でもあるわけだが。
ともあれ、その先に待つ展開を想定してみて……
……俺の人生、すでに詰んでるだろ。
浮かび上がるのはそんな――人形にされるのは不可避だという結論。
だがまあ、それはそれで悪くないのか。
仮に人形にされたとしてもその時点で思考がクーラ至上主義に書き換えられるのなら、その後の俺はクーラに尽くしているだけで幸せなんだろう。そしてクーラもまた、そんな俺を大事にしてくれるはず。
どうせ詰んでいるのなら、もう何も怖くない。そこから事態が好転することはあっても、悪化することはないんだから。
さらに思考を巡らせて――
これなら、ひょっとしたらひょっとするんじゃないのか?
わずかながらとはいえ、詰みを回避できる可能性が見えた。さらに好都合なことに、それはクーラにとっても、多少はマシなんじゃないかと思える展開でもあった。
「……その……なんかゴメンね。かなり派手に取り乱しちゃったみたいでさ……」
いつの間にやら泣き止んでいたクーラが顔を上げ、罰が悪そうに言ってきたのはそんなタイミングで。
「気にするな。おかげで次の手を用意することができたからな。時間稼ぎへの協力、感謝するぞ」
「まだやるつもりなんだね、君は……」
身を離したクーラに向けて馬鹿正直にそう言ってやれば、返されるのはため息。
「あ、でもさ……。それだったら私が泣いてるところに一発食らわせたらよかったんじゃないの?多分だけど、反応できなかったよ?」
そこにまで思い至るあたり、どうやら頭も冷えているらしい。
まあそれはそれとして、やっぱり無防備を晒してたわけか。
「そのことなんだがな、お前との勝負。あれはもうどうでもいいわ」
「……ふぇ?」
ポカンとした間抜け面を晒す。まあ、それも無理はないだろうけど。
「どうでもいいってどういうこと?君はあんなに必死だったのに……」
たしかその通りではある。
「よくよく考えてみて、無駄なことだったと気付けたんでな」
だが、俺が到達したのはそんな結論だったわけで。
「無駄……?」
「ああ。無駄な努力ってやつだな。だから意地を張るのもやめにする。そんなわけでだ、手間かけて悪いんだが、傷を治してもらえないか?我慢はしてるけど、痛いことは痛いんだ」
「あ、うん。……はい、これでどう?」
そうして俺の腰にクーラの手が当てられれば、すぐさま痛みは消えていく。
「ありがとうな」
「どういたしまして。けどさ、腰は大事にしなきゃダメだよ?」
「理屈ではわかってるんだがな。聞いた話では俺の祖母も昔……っと、今は関係無いか。さて、それでだな。お前に提案したいことがあるんだ」
「……それが、君が用意したって言う次の手なの?」
「ああ」
「はぁ……。それで、今度は何を企んでるの?」
向けられるのはジト目。
「そんなに俺は信用ないのかよ?」
「うん」
即答された。
「君が油断ならないってことも、君は何やらかすかわからないってことも、どっちも君が身をもって教えてくれたことだよ。……おかげで錆ついてた勘も少しは戻ってきた気がしてる」
「……さようでございますか」
つまり、やり合う際の厄介具合はさらに加速したってことか。まあ、今となってはどうでもいいことなんだが。
「それで、君の提案っていうのは?」
それでもこのお人好しは聞いてくれるらしい。
「もちろん、いかにしてお前を引き留めようかという話」
そして――
「お前にとっては、俺の記憶を消すよりもマシ……かもしれないんじゃないかと思える選択肢を示そうと思ってな」
「だからそんなのあるわけが――」
「とりあえず、聞くだけは聞いてもいいだろ。何かの間違いで上手くいったら儲けものってくらいの気持ちで。それに、ロハでとも言わない。最後まで聞いてくれた上でなら、記憶を消すってのも素直に受け入れるぞ」
「……本気なの?」
「ああ」
「……なんか、急に物分かりがよくなりすぎて逆に胡散臭く思えてくるんだけど」
「……酷い言われようだな」
「……自分の胸に手を当ててよーく考えてみて?それでももう一度、同じことが言える?」
「……無理だな」
「でしょ?」
たしかに、なりふり構わずで必死こいて食らいつきにいっていたのは事実なわけで。
「それでも君が聞いてほしいって言うなら、私は何だって聞くよ。私ってさ、基本的には君のお願いは断れない性分だから。……世間的にはこういうの、惚れた弱みとも言うらしいけど」
「基本的には、か」
「うん。基本的には、ね」
この5か月を思い返してみれば、たしかにそんな印象がある。そして、記憶を消すのも姿を消すのもやめてくれというのは、基本的の範疇からは外れていたというわけだ。
「まあいいや。それでだ、あらためて確認するぞ。お前が俺の前から姿を消すと決めた理由。それは、俺をお前の人形にさせないため、だったな?」
「そうだけど……」
何を今更。そんな戸惑いめいた風で、それでも肯定してくる。まあ、それはクーラにしてみたら当然のことなんだろう。
だけど――
「その前提がすでに間違っているとしたら?」
俺が思い至れたのはそのことで。
「……それはつまり、このまま君と過ごす日々を続けていても、私が君を人形にしてしまうことなんてあり得ない。君はそう言いたいの?……多分それは買いかぶり。こうしている今だってさ、君の意思を捻じ曲げてでも君を私のモノにしたいっていう真っ黒な気持ちがあること、はっきりと自覚できてるんだよ」
「いや、そういう意味じゃない」
正直なところとしては、そんな都合のいい可能性もあるんじゃないかとは思っている。けれどその方向でクーラを納得させる道筋は見えていない。
「お前の言い分っていうのはさ、逆説的に考えたなら……俺の記憶を消した上でお前が居なくなれば、俺がお前の人形にされることはなくなる。そういう話なんだよな?」
だから俺が攻めるのはそっちの方向から。
「それは……」
やっぱりか……。まあ、時系列的には、そこを考える時間は無かったとしてもおかしくないわけだが。
クーラが見せるのは、虚を突かれたような反応。その様は組み上げたばかりの仮説を補強してくれる。
「なら、そんな『もしも』の先を妄想してみようか」
「……というと?」
「だから、この5か月のことを根こそぎ忘れちまった俺のその後を、だよ。……人となりを見るに、第七支部の皆さんはそんな俺を気にかけてくれるだろうし、そう遠くないうちに立ち直ることもできるんじゃないかとは、俺も思ってる。お前も陰ながら助けてくれるんだろうし。……このあたりはお前も言ってたよな?」
「たしかに言ったけど……」
俺の意図が読めないんだろう。クーラの方は困惑気味で。
「んで、その後もなんだかんだで虹追い人として経験を重ねていって、そんな中でいつかは――」
あえてここで間を挟み、ひと呼吸。
「縁ができた女性と恋仲になったりもするんだろうなぁ」
「それは……」
クーラの顔色は、わかりやすく血の気が引いたものへと変わっていた。




