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絶対に、クーラに屈してなんぞやるものかよ!

「……さあ、腕の力を抜いていこうね」


 ベチャ。


 聞こえたのは、その言葉通りに両腕が力を失い、手にしていた泥団子が足元に落ちた音。


「……足の力も抜けていくよ。……ほら、もう立っていられない」


 さらにクーラが言葉を続ける。そうすればまたしてもその通りに、俺の身体は地面へと倒れ込み――


「おっと」


 ――そうになったところを、瞬くほどの間に距離を詰めてきたクーラに、優しく抱き留められていた。


 視界の端には、地面に転がる硬貨が。あれほど意識を向けていたはずの開始を告げる音を、俺は見事に聞き逃していたらしい。


 まあそれはそれとして――


「どういうつもりだ?」


 抱き留められたままというのはアレだが、口はまだ動く。だからそう問いかけてみれば、


「ごめんね」


 そんな謝罪を返される。


「我ながら姑息なやり方だとは思うけどさ……」


 フライング気味に『ささやき』を使ったことを言っているんだろう。たしかに、硬貨が地面に落ちるよりも先にクーラは行動していたわけだが。


「それは別にいいさ」


 世間的には卑怯とも分類されそうなやり口ではあるが、別にそのことを非難しようとは思わない。俺だって状況次第では似たようなことはやるだろうし、ニヤケ長男とやり合った際にだって散々騙し討ちを食らわせてきたくらいだ。それに今回は、格下相手にそこまでやるという事態を想定し、備えていなかった俺が間抜けだったというだけのこと。


「けど、ここまでやる必要なんてお前にはあったのかよ?」


 獅子はウサギを仕留めるにも云々というのはたまに聞く話。それでも彼我の力量差は、すさまじいなんて言葉で足りるほどじゃなかったはずだ。


「……君に怪我をさせてしまう公算はさ、万にひとつくらいはあるかもしれなかった。それだけは、どうしても嫌だったから」

「……なるほど」


 こんな格下相手にフライングを仕掛けた理由は、俺を気遣ってのことだったらしい。


 だがまあ……


 想定からは変わったが、これはこれで悪くない。


「やれやれ。さすがはクラウリアってことか。端から()()()()が敵う相手ではなかったわけだ。むしろ、対峙しようなんて思うこと自体、身の程知らずの極みだったということか。まあ、俺には似合いの末路とも言えるんだろうかな?」


 そんな物言いをしてやれば、


「……だからさ、そうやって自分を卑下するのはやめて」


 不快そうに返してくる。


 まあ、そう言うだろうな。なにせ、クーラが嫌がるだろうとわかった上での言葉だったんだから。


「本当のことを言って何が悪い?怪我のひとつもさせないようにと、泥をかぶってまで細心の注意を払う。そこまでして守ってやらなければどうなっちまうのかもわからない。目の前の奴はそれほどまでにどうしようもなく無力な……それこそ赤ん坊並みのクソ雑魚なんだとお前は思っているわけだ。そうだろう?そうなんだろう?」


 さらに嫌がらせじみた――というか嫌がらせでしかないような言い回しを重ねてやれば、


「ち、違う!そんなことない!」


 これはこれで心が痛むが……


 必死に否定するその声は悲痛な色を帯びていて、俺としても聞いていて辛いものがある。


「何が違う?どう違う?お前は俺に対して自分を卑下するなと言うが、他でもないお前自身が俺を見下してるってことだろうが。俺は散々お前に助けられてきたわけだが、そんな様を見て腹の中では嘲笑のひとつも浴びせてたんだろうなぁ。俺はそうとも知らずに、悪友とか言って対等のつもりでいたわけだ。本当に情けなくて涙が出そうだよ。前々からロクでなしだとは思っていたが、さらに見損ない直した気分だぞ?」


 それでも嫌がらせをやめるつもりはない。やけに心臓のあたりが痛む気はするが、それでもクーラの心をえぐるように言葉を選んでやる。


「違う……。違うから……。私はそんなつもりじゃ……」


 頃合い、だろうかな。


 声に涙の色が混じり始めてきたクーラの様子からそう判断する。まあ、俺自身もいい加減キツくなってきたってのもあるんだが。


 こちらの勝利条件はただ一撃を入れることであり、結果的には、労せずに懐に入ることができた。手足が動かずとも、この状況で繰り出せる攻め手はある。


 まだ自由を奪われていない胴体をよじり、その反動を利用して、


 これも抜き手と同じく、師匠から教わっていたこと。不意打ちとしては有効。だが対人戦では、殺す覚悟を決めた相手以外には絶対に使うなとも言われていた手口。軽くはない――下手をすれば命に届きかねない怪我をさせてしまう恐れすらもある行為。だが、それくらいはクーラだったら簡単に治せるだろう。だからそのあたりからは目を背けることにして。


 狙うのはクーラの白い首筋を。


 けれど――


 カツンッ!


 そう響いたのは、俺の歯が何も捉えることなくぶつかり合った音。


「……ホント、君って油断ならないよね。というか、君がそこまでするとは思わなかったよ」

「フライングを仕掛けてきたお前が言えた義理ではないと思うがな」

「あはは、それもそうだね。けど、正直ホッとしてたりもする。今言ったこと、君の本心じゃないんだよね?」


 その声からうろたえの色が消えているあたり、完全に見抜かれたらしい。両手で俺の肩を支えたままに身だけを離すことで、俺の狙い――動揺を誘ったところでその喉笛に喰らいつくという目論見は、見事に破綻させられていた。


「当たり前だろうが」


 癪ではあるが、その部分だけは素直に認めてやる。俺としては事情がどうであれ、クーラを傷つけるようなことはしたくなかったんだから。むしろ、どうせ失敗するなら言わなきゃよかったとすら思う。


「んで、どこで気付いた?」

「君が大きく開けた口で迫ってくるのを見た時に」


 ……それは不意打ちがほぼ成立した時点でってことになるんだがな。つまり、そこからでも余裕を持って対処できる、と。本当にどこまで底が知れないのやら。


「とりあえず、これ以上妙な言動はされたくないからね。少しおとなしくしてもらうよ?……お腹の力が抜ける」

「この……っ!?」


 そして『ささやき』。


「……背中の力が抜ける。……胸の力が抜ける。……肩、首にも力が入らなくなる」


 耳から直接流し込まれ、全身に染みわたっていくような心地のいい言葉。意思に反して俺の身体は従ってしまい、


「……顔からも、完全に力が抜けてしまった。……まるで、穴の空いた桶に水を注いでいるみたい。……君の中からすべての力が零れ落ちていく。……もう、言葉を紡ぐこともできない」


 クーラが告げた通りに、うめき声すらも出せなくされていた。


 言葉だけでこうもあっさり無力化されちまうとか、本当にコイツはどこまで規格外なんだよ!


「お疲れ様」


 そんな俺の内心を知ってか知らずか。まるで労わるように背中をさすりながらそんな言葉をかけてきやがる。


「実を言うとさ、心のどこかでは期待してた。君なら、本当に私の想定を超えてくれるんじゃないか、って」


 ふざけんな!まだ俺は負けてねぇぞ!


 そう心で叫ぶも、身体はまるで付いてきてくれない。クーラがささやいた通りに、込めた力はその端から零れ落ちてしまう。


「けど、それは私の勝手な望みなんだよね」


 ふざけんな!まだ俺は諦めてないからな!


 勝手に諦めたようなその様に、腹の底が熱くなる。


「まあ、ぬか喜びには慣れてるから。それに、君のその気持ちは嬉しかった」


 ふざけんな!まだ決着は付いてねぇ!


 俺はまだ何も示せてないってのに。まだ、お前にそんな風に言われるだけのことはやれていないってのに。


「だからさ、その気持ちは餞別代わりにもらっていくね」


 ふざけんな!勝手に勝ち誇るんじゃねぇ!俺はそんなの認めねぇぞ!餞別を渡してやるのはまだ先のことだろうが!お前を失うなんてこと、絶対に受け入れてたまるかよ!


 そもそもが、入れた端から力が抜け落ちるっていうのなら、それ以上の勢いでぶち込んでやればいいだけのことだろうが!


 湧いてきたのは乱暴屈どころの理屈じゃない。暴論だとも、頭の片隅では自覚している。それでも、諦めることだけはしたくない。どうせ俺は往生際が悪いんだから、別に問題は無いだろう。


 全身に分散させるのではなく、まずは右手だけに。あらん限りの勢いで力を叩き込んでやる。


 精神論だけでどうにかできる話なんてのはさして多くはないさ。それでも最後には気合の差が結果を決するってのも、たまにはある話だ。


 これもまた、師匠の教えのひとつ。どうせ他には何もできそうにないんだ。だったら、気合だけでも負けてなるものかよ!


 う、ご、き……やがれぇぇぇぇぇぇっ!


「……嘘!?なんで!?」


 驚愕色のつぶやきはクーラの口から。


 へっ、ざまぁ見やがれだ!


 そんな様が妙に心地いい。


 わずかに指先が動く感覚はあったが、それは俺の気のせいではなかったらしい。


 このまま突き飛ばしてやる!そこから仕切り直しだ!


 泥沼の中でもがくよりもなお遅い。それでも、手のひらが。手首が。肘が。ゆっくりと持ち上がっていき、クーラの腹に触れ――


「……だめだよ。……逆らわないで」


 ――ようとしたところで、クーラがささやいてくる。


 どれだけ強力なんだよ!?


 たったそれだけのことで、右腕がだらりと垂れ下がる。


「私の『ささやき』に抗えるなんて……。そこまでの耐性が付いてたってことなの?」


 よほど意外だったんだろうか。唖然とした声で、ご丁寧にそんな説明をしてくれる。なるほど、たしかにそれはありそうな話だ。


「でも、効いているのも間違いないんだよね?……名残は尽きないけど。いつまでもこうしていたい気持ちだってあるけど。そろそろお終いにするね。大丈夫。意識を手放してしまえば、次に目が覚める時にはすべてが終わってるから」


 マズいっ!?


 そこにクーラが宣告してくるのは『ささやき』による追撃。


 こうしている今だって、文字通りの意味で手も足も出ていない。それでも、万にひとつか億にひとつか。奇跡的に都合のいい何かしらが起きた時にそこから何かを掴み取り、状況をひっくり返せるかもしれない、なんて期待くらいは抱くこともできる。


 だがそれも、意識を保っていればこその話。


 クーラの『ささやき』は身体の自由を奪うだけではなく、あっという間に意識を失わせることだって可能。ついさっき、身をもって思い知らされたばかりのことだ。


「……さあ、心を落ち着かせて」


 そして耳をくすぐるようにささやいてくる。


 ただそれだけの言葉だってのに、氷水をぶちまけられたように心から熱が引いていく。


「……君の心は穏やかな、安らいだ気持ちで満たされていく。……心地よさで埋め尽くされていく。……そのまま流されてしまおうね」


 その感覚が言葉通りに。本当に心地いいのだから始末に負えなくて、


 絶対に抵抗……を絶やす……な……


 気を張ることすらも困難になってくる。


「……さあ、気持ちよく眠りに――」


 そんなところにトドメの『ささやき』がやってくる。


 このまま続きを聞かされたなら、きっと俺は意識を失ってしまう。そして目が覚めた時には、俺の前からも俺の中からも、クーラの存在が消えているんだろう。


 そんなの……絶対に認めねぇぞ!


「――落ちて」


 たまるかあぁぁぁぁぁぁっ!


 そんな声に出ない叫びを上げたのは、これといった意図があったわけじゃない。いわゆるところの悪あがきだとかヤケクソだとか、そんなところ。


「――しまおうね」


 そしてクーラの『ささやき』が重なって。


 ……まだ、寝こけてはいない……んだよな?


 俺は、そう思考することができていた。


「……なんで!?」

「……何度も……言わせるな。嫌だからに……決まってるだろうが……」

「嘘!?声まで出せるの!?」


 驚愕まみれのつぶやきに対して反射的に思ったことを返してやれば、さらに驚きの色を濃くしてくる。


 ……なんで声を出せてるんだ?


 もっとも、そこを疑問に思うのは俺も同じだけれど。


 全身は気怠く重く、心を満たす熱量だって、今にも消えそうなくらい。それでも、わずかながらに指先も動く。


 思い当たるところなんてのは、ひとつしかない。『ささやき』に重ねるような形で叩きつけた抵抗の意思。


 つまり……そうすれば『ささやき』にもある程度は抗えるってことなのか?


 確証なんて気の利いたものはないが、こっちの手札になりそうというのであればそれで十分。どうにかここから巻き返して――


「ねぇ、アズ君。さっき君が言ったこと、事実だったのかもしれないね」


 そんなことを考えていたところへかけられた言葉。こっちは『ささやき』ではないようだが……


「……どれを指して……いるんだ?」


 急にそう言われてもピンとこないんだが。


「私が君を見下してた、って部分だよ。……いくら君でも私の『ささやき』に抗えるはずがない。そんな風に考えてたのは事実だからさ」

「……そうかよ」


 まあ、それはそれで結構なこと。対峙相手が勝手にやってくれる分には、見下しなんてものはありがたいだけでしかない。油断――付け入る隙のタネになってくれるんだから。……腹立たしくもないわけではないんだが、そこも今は我慢する……って待て!?


 そこではたと、恐ろしいことに気付いてしまう。


 そんな油断のタネを抱えていたということに思い至る。そうなった奴が次に考えそうなことはと言えばそれは――


「だけどさ、それはもうやめにするね。……この先は本気で行く。君の様子からしても、まったく『ささやき』が効いていないわけじゃないみたいだし。だから君が完全に堕ちるまで、何度でも……いつまでだって、ささやき続けてあげるよ。無制限に攻める私と受けに回る君。どっちが有利かなんてのは、簡単な話だよね?」


 やっぱりそうなるのかよ!


 思わぬ抵抗が原因で本気を出させてしまうというのも、たまに聞く話ではあるんだが……


 それは俺が困る。一応は、新しい手札らしきものを手にすることはできた。だがそれにしたって、どうにかこうにか踏み止まることはできないこともないのかもしれない、なんて程度のシロモノでもあるわけで。


 まして、これだけ有利な条件をもらった上でこの様だってのに、クーラの方からアドバンテージを取りに来るなんてのは、悪い冗談でしかない。


「い、いや……。そこまで……やるのは……大人げないと思わ……ないか?」


 だから、まだ思うようには動かない口でそう抗議してみるものの……


「……君が悪いんだよ?」


 返される言葉はにべもない。


「それじゃあ、第二ラウンドといこうか?もう、抗わないでなんて言わない。君が納得するまで好きなだけ抵抗してくれて構わない。その上で屈服させてあげるから。……さあ――」


 そうして再び、クーラは声のトーンを下げてくれやがり始めていた。


 これ以上考える暇を与えてはもらえないか。それでも、『ささやき』への対策は無いこともないんだ。どうにかこらえつつで、好機を探すぞ。


 いいか俺!根性見せろ!なんとしてでも耐え抜いて見せろ!絶対に、クーラに屈してなんぞやるものかよ!

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