……その澄ました面、泥まみれにしてやるからな
『何様のつもりなんだよお前は』
これ以上問答を続けてたら、実際にその言葉を言ってしまいかねない。
そう思えるくらいには、自制も効かなくなっていた。
つないでいた手を俺の方から放したのは、別れを受け入れたからじゃない。並ぶのではなく、正面から向き合うためだった。
だが、その結果は平行線としか思えない。そしてこのまま言葉を交わしていても、互いが納得できるよりも先に俺がロクでもないことを口走り、クーラを傷つけてしまう方が早いという確信がある。
だったら……
「そらっ!」
右手に生み出した泥団子を思い切り投げつける。それは昔は散々繰り返した悪行でもあり、確実に顔面を直撃するコース。
「おっと」
彩技を込めていなかったとはいえ、不意打ち気味に仕掛けた一撃。それをクーラは、顔色ひとつ変えずに泥団子の原形をとどめたままで受け止める。
さすがはクラウリアってことか。
全力での投擲に耐えられる程度には強度のある泥団子。けれどそれをまったく崩すことなく受け止めるなんてのは、果たしてどれだけの技量が必要なことなのか。
「アズ君?」
その声に怪訝そうな雰囲気はあっても怒りの色は無く。
「その高くなり過ぎた鼻っ柱、へし折ってやろうと思ってな」
逆に俺は、腹立たしさを抑える意思を完全に投げ捨てる。
「誰も自分を止められないだぁ?笑わせるんじゃねぇぞ!その思い上がり、俺が正してやるよ!」
さらにもう一撃。やはり同じように受け止められる。
「俺と勝負しろ!お前を止められる奴がここに居るってことを……俺は、お前にいいようにされるだけの存在じゃないんだってことを!お前には他にも選択肢があるんだってことを――道を示させろ!」
「……そんなのあるわけないよ。勝負にすらなるわけがない。君なら理解できるでしょ?私たちの間にどれだけ力の差があるのか、なんてことはさ」
「わかってたまるかよ」
「お願いだからさ、そんな聞き分けの無い子供みたいなこと言わないでよ……」
「……それはさすがに心外だな。俺なりには、彼我の力量差を理解してるつもりだぞ」
「だったらわかるでしょ?」
「ああ。よくわかってるさ。俺とお前の間にある差は、今の俺が理解できるほどに小さなものじゃない、ってことくらいはな」
例えるならそれは、星の世界が広いということは理解できても、星の世界がどれだけ広いのかは理解できないといったところ。
「そこまでわかってるんだったらどうして……」
「気に入らねぇからだよ」
「そりゃ、君が私に怒ってるのは――」
「そうじゃねぇ!」
たしかに、クーラに対して俺は腹を立てている。それは間違いないことだろう。
「……気立てのいい器量よしで、明るくて気さくで、とんでもなく博識で、料理も菓子作りも茶を淹れるのも上手で、気安く話せて一緒に居ると楽しい。そんなお前ひとりが犠牲になって苦しみ続けなきゃならないってのは、たしかに我慢ならないさ」
そして――
「けど、俺にだってその原因があることは否定させねぇ。それなのに!そんなお前に何ひとつしてやれない。だからそんな苛立ちを鎮めるために!俺はお前に示したいんだ!お前は自分が思ってるほどに――途方もない強さに縛られなきゃならないほどに御大層な存在じゃないんだってことを!」
無茶苦茶を言っている自覚はある。それでも、この怒りを抑えることはできそうもない。だったらせめて、クーラにぶつけることで道を示す。それが有効利用というものだろう。
我ながら呆れかえるほどに自分勝手な話ではあるということも認識してはいるが、そのあたりは俺もクーラもお互い様ということで目を背けることにする。
「答えろよ、クーラ。俺の最後のわがまま」
言われたばかりの言葉をあえて返してやる。
「お前は受けるのか。それとも逃げるのか?」
「………………………………………………はぁ」
長い間を挟んでの返答は深いため息。
「わかった。受けるよ。受けて立つよ。けど、約束して。私が勝ったなら、おとなしく記憶の消去を受け入れるって」
「……消すことは確定なのかよ?」
「確定だよ。これ以上私の記憶を残していたら、君が何やらかすかわからなくなってきたから。だから、君の前からも君の中からも、私の存在を完全に消し去る。どうする?受ける?それとも、逃げる?」
「誰が逃げるかよ」
「……だろうね」
そうしてクーラも立ち上がる。
「虹剣は出さないのか?」
その手には何も無く、
「必要だと思う?」
「……ハンデとしてもらっておく」
どうせその程度、有っても無くても変わらないんだろう。
「後腐れは残したくないからね。君は全力で……死力までもを出し尽くすつもりで来て。自爆からも君のことは守る。私はそのことを最優先に動くから」
「随分とサービスがいいな」
「これでもハンデが足りなさすぎるんだけどね。あと、勝敗の条件もはっきりさせておくよ。私に一撃でも入れることができたなら、その時は君の勝ち。君の要求にはなんだって従う」
「……その澄ました面、泥まみれにしてやるからな。んで、お前の勝利条件は――」
「君が勝利条件を満たす前に君を戦えなくする。これでどうかな?」
「わかった」
これまた俺に有利すぎはするが、力の差を考えたならば、それでもクーラが不利になるなんてことはないんだろう。
「その時は、俺は記憶の消去を受け入れる、だったな?」
「うん。それで問題無い。……じゃあ、準備はいい?」
いつの間にかクーラの手には、1枚の硬貨が乗っていた。
「ああ。いつでも構わないぞ」
指で弾き、落下の瞬間を開始の合図に。決闘の定番だ。やけに仕草が様になっていたのは、きっとこれも過去に何度もやってきたからなんだろう。
さて……
余計な思考は切り離し、意識を臨戦のそれに。
弾かれた硬貨が宙を舞う。軌跡が描く山なり具合から、落下までの大まかな時間にあたりを付ける。
落下から行動開始までの間は、可能な限りゼロに近づける。山ほどのハンデがあるとはいえ、その程度は歯牙にもかけないほどに桁外れの強敵なんだから。
攻め手は……俺の全身全霊。彩技全部乗せの乱れ打ち、だな。
別に思考を放棄したわけではなくて、考えた上でそう結論付ける。
今俺が対峙しているのは間違いなくエルリーゼにおける最強の存在で、どれだけの力量差があるのかすらわかったものじゃない。ならばその差を見極める意味でも、初手で俺に繰り出せる最大をぶつける。それは決して悪手ではないはずだ。通常であれば自滅のリスクを考えてまずやらない選択ではあるわけだが……
間違ってもクーラは俺を死なせるわけにはいかないだろうし、怪我のひとつをさせることさえも望まないだろう。ならば本人も言っていたように、自爆からだって俺のことを守り切るはず。そこにだってつけ込んでやる。
自分を盾にしてディスアドバンテージを押し付ける。どう考えてもゲス野郎の所業なんだろうが、そこは割り切ることにして。
視界の端に捉えておいた硬貨が描く軌道が、上昇から下降に切り替わる。
さあ、気合入れろよ俺!
硬貨を視覚で捉えるのは、目線の高さまで。それ以降は注視の対象をクーラに移し、行動開始のタイミングは聴覚で計る。クーラを視界から外すことなく、最善のタイミングを。アドバンテージになりそうな要因は、ひとつでも多くかき集めろ。
そして――
硬貨からクーラへと移しかけた目線。その中で、クーラの口元が動いていた。
そこからトーンを落としたささやくような声が紡ぎ出されて――




