心に刻まれたモノ
「さあ、あとはコレに触れるだけだ。そうすりゃ、あんたたちは晴れて心色使いの仲間入りさね」
目の前に置かれた拳大の石。しわがれた声の主が小瓶の液体をかけると、石は淡い光を放ち始める。
ゴクリ、と生唾を飲む音が聞こえた気がした。それが起因するのは俺だったのか、あるいは隣に並んでいる2人の連れだったのか。ともあれ、このまま固まっているわけにもいかない。今しがたに言われた通り、コレに触れれば、俺――俺たちは念願の心色使いになれるんだ。俺たちはそのために、何年もの間、歯を食いしばり、励まし合いながら必死でやって来たんだから。
だから期待と共に、手を伸ばそうとするのだが――
それを押し留めてしまうのは、期待と同じくらいに大きな不安。
心色とは、心の一部を具現化する能力であり、その形は様々。弓、槍、剣といった武具もあれば、風や炎や雷といった存在や、治癒、飛翼なんてのもある。中には、氷剣や炎槍といった複数の要素を兼ね備えたもの――複合型もあるのだが、そのあたり中々に希少とも言われている。
最も有名な複合型は『虹剣』だろうか。炎、氷、風、雷、地、光、闇の7種を宿した純白の剣。半ば伝説的な存在の得物として、この世界では、物心付いた者であれば誰しもが知っているような心色。自分が『虹剣』を手にし、英雄的な活躍をする。そんな夢想をしたことがある者は、総人口の50%を超えるだろうと俺は勝手に思っている。
ともあれ、はっきりとしているのは、得られる心色がどんなものなのか。それは実際に手にするまで全く分からないということ。そして、心色はひとりにつきひとつきりだということ。一度手に入れた心色とは、生涯の付き合いになるわけだ。
『心色に優も劣もねぇだろ。どんな心色だって使い手次第なんだよ』と、俺たちの師匠は言っていた。理屈ではそのことも理解している。だがそれでもあまりにもアレな心色だったらと思うと、どうしても二の足を踏んでしまう。
パンパン!
そんなことを思っていると、煽るように手が打ち鳴らされる。
「まあ、心色を手にする連中はみんなそうなんだろうけどねぇ。あたしだって同じだったよ」
呆れるようでもあり、優しげでもある声。
「けど、あまりのんびりしている暇は無いよ?数分もすればその光は消えちまう。そうなれば、触れたところで心色は得られない。その場合でも、代金は返せない規則だからね」
たしかに、その説明も受けていた。このまましり込みして光が消えたとあっては、笑い話にもならないだろう。
「よしっ!」
だから自分に。そして連れに言い聞かせるように声を上げる。
「いち、にの、さん、で触れるぞ。いいな?」
「おう!」「やるぞ!」
なんだかんだで付き合いは10年以上に及ぶ連中。それだけで腹をくくれてしまう。
「「「いち、にの、さん!」」」
手触り自体は、何の変哲もないただの石ころ。
「うおっ!?」
けれど触れた瞬間、奇妙な感覚がやって来る。
近いところを挙げるなら、夏場の畑仕事で火照った身体に冷たい水を飲んだ時、だろうか。なにかが身体に染み込んでくるような感覚。
異なる点があるとすればそれは、口からではなく手のひらからであるということ。そして、冷たさではなく熱さだということ。
焼けそうな熱が入り込んでくるというのに不快ではなく、むしろ心地いい。手のひらから、肘、肩を伝い、胸のあたりに集まった熱は、溶けるようにして消えていく。
そして――
石から離した手を胸に当てる。何かが心に刻み込まれたと、そう知覚できた。
「「「ふぅぅ……」」」
思わず吐き出した安堵の息は、これまた見事に重なってしまう。
「その様子だと、全員無事に得ることができたようだね。経験者の全員が口を揃えて言うことだが、あんたたちの心にも刻み込まれたモノがあるだろう?」
たしかに、俺もまた多分に漏れずと言うべきか、そんな感覚を味わっていた。
「そこに意識を向ければ、詳しく読み取ることもできるはずだ。やってみな」
言われるままに意識を向ける。心に刻まれたモノ。俺の心色。
それは――
「……はい?」
読み取ることはできた。できたんだが……。なんというかその名前は首を傾げたくなるようなもので。
「おいおいおいおい、マジかよ!?」「嘘だろコレ!?夢じゃないんだよな!?」
思考を遮るように脇から響いたふたつの声。そこには特大の驚きが宿っていて……隠しきれない喜色がにじんでいた。
「はいはい。はしゃぎたいのもわかるけど、まだ手続きがあるからね。先にそっちを済ませちまうよ」
そう言って再び手を叩くのは、虹追い人連盟、王都第七支部の支部長。俺たちの心色取得に立ち会ってくれたこの人は――と言っても、支部長が立ち会うのが規則らしいが――見たところ60過ぎの女性で、市場で取れたての野菜なんかを売っているのが似合いそうな風貌ではあるんだけど……。昨夜泊まった宿の女将さんが言うには、かつてはその剛腕で恐れられた御仁なのだとか。
「それと、そこの石は忘れずに持ってくるんだよ」
そう指差す先にあるのは、先ほどまで俺たちが触れることを躊躇していた石――の成れの果て。握り拳大で淡く光っていたそれは、いつの間にやら指先サイズに縮み、光も消えていた。
無事に得られたのはいいとして、俺の心色ってのは……
「ほら、アズもさっさと行こうぜ」
「……そうだな」
俺が思考に意識を向ける内、支部長と連れの2人は移動を始めていたらしい。腐れ縁のひとり――ラッツに呼ばれた俺も、真っ白い石を手に後を追う。
「いよいよ始まるんだな」
「……ああ」
そんな上機嫌なラッツが、少しだけ妬ましかった。
「さて、じゃあ今度はあんたたちの心色を登録するよ。コレをやっとかないと、即座にお尋ね者になっちまうからね」
連れられて向かった先は同じ建物内にあった虹追い人連盟エデルト大陸の王都第七支部、支部長の執務室。ぎっしりと本を詰め込まれた棚が立ち並び、簡素な雰囲気があるその部屋で、あらためて支部長と向かい合う。
「事前に説明は受けてるだろうから細々したことは省いちまうよ。さっきの石をこの鏡に当てれば、それだけで心色の登録は完了だ。それじゃあ……」
そう言って支部長が目を向けるのは俺。並ぶ3人の中で端に立っていたからというのが唯一の理由だろう。
「よっし、俺から行くぜ」
なのだが、真っ先に名乗りを上げたのは俺ではなくて、腐れ縁3人の中では最も長身であり、がっしりとした体躯の持ち主、バート。見た目通りに腕っぷしが強く、腕相撲ではただの一度も勝てたことが無い。
「そうかい」
支部長も気にした様子は無く。どの道、先か後かくらいしか違いは無いのだから。
それはそれと、バートもまたラッツと同様にご機嫌で、きっと満足のゆく心色。恐らくは複合型を得られたんだろうなと予想できてしまった……んだけど、
「……こりゃ驚いたね。氷雷槍……3種の複合とは……」
「なっ……3種の……」
大きく目を見開いて声を上げる支部長に釣られるようにして、俺も驚きをあらわにしていた。
支部長が口にした氷雷槍というのがバートの心色なのだろうが、それは言ってしまえば氷と雷と槍、3つを備えているということ。心色として、氷、雷、槍を単独で持っているというのは、珍しいものじゃない。というか、ほとんどの心色持ちはそういった単独型だろう。その中で稀に、ふたつを備えた複合型を得るものが現れる。てっきりバートも2種の複合だと思っていたのだが、まさか3種だったとは……
ちなみにだが、2種の複合型を得られる割合は、およそ50人にひとりと言われており、3種型は500人にひとり、4種型が5000人にひとりで、8種複合である『虹剣』の使い手は有史以来唯一なのだとか。
そして、数が少ないだけあってか、複合型というのは基本的にそれだけで強い。バートの場合であれば、地面を凍らせることで相手の足さばきを妨害し、そこに雷撃を打ち込んでさらに追い込んだところに、槍を叩きこむ、といった使い道に加え、雷をまとった槍で薙ぎ払うといった芸当なんかもできるというわけだ。
無論、取れる選択肢の多さが全てではないだろうが、手札の種類が多いということは、それだけで大きな強みになる。槍というのも、長身のバートとは大いに噛み合うことだろう。
「はは……なんて話だよ……」
それはそれと、思わず漏れた笑いは、さぞや乾いていたことだろう。
「大丈夫か?アズ?」
ラッツが心配そうに声をかけて来る。そりゃそうだ。今の俺はどんな顔をしているのやらだ。
「多分な。さすがに魂消たが……」
「だよなぁ」
いや待て!
そこではたと気付く。ラッツの表情からは、驚きの色はほとんど見て取れない。それに、心色を得た時にはしゃいでいたのは、ラッツもバートと同じじゃなかったか?それが意味するのは……
「バート、盛り上がってるところ悪いけど、俺も登録するからさ」
「悪い。ついはしゃいじまったわ」
そうしてラッツが石を当て、
「はああああああああっ!?」
支部長が見せたリアクションはそんな、驚愕のあまりに叫ぶといったもの。
はて?
俺としては、ラッツも3種複合なんだろうとは思っていたが、それにしては大仰すぎるような……
無論、それはそれでとてつもなく希少なケースではあるんだろうけど……ってまさか!?
そして思い至った可能性。
それは――
「なあ、ラッツ。まさかとは思うんだが、お前の心色って……」
支部長が呆けているので直接に、恐る恐るで聞いてみれば返ってきたのは――
「へへっ!光闇風弓、だってよ」
予想を見事に肯定してくれる返答。3種ではなく4種の複合型だった。
いやいやいやいやいやいやいやいや!待て待て待て待て待て待て待て待て!
「4種の複合かよ!?」
さすがにバートも驚きを隠せていなかったらしい。当たり前だ!これで平然としていられてたまるか!
いやまあ、大いに驚いているバートにせよ、3種複合と4種複合が同時にという時点で早々にアレな……もとい、レアな話なんだろうけど……
「いやはや……本当に驚いたねぇ。4種の複合を得るところに立ち会ったのはあたしが支部長になって初めてだけど、それに加えて3種と同時とは……。まったく、長生きはしてみるもんだね……」
やはり、支部長としてもレアな場面だったらしい。それはさて置くとして、ラッツは俺たち3人の中では一番の小柄。だがその分すばしっこい。開けた場所ではまだいいんだが、行動を妨げるようなモノが多い場所で真価を発揮するタイプとでもいうのか、森の中での模擬戦ではいつもいつもしてやられていた記憶がある。そんなラッツであれば、弓というのは相性のいい得物なんだろう。
「はぁ……」
そして、だからこそというべきか、俺に宿った心色を思うとため息がこぼれる。いや、むしろ泣きたくなって来る。俺自身、悪ガキとして散々悪さをしてきた身の上だとは理解してる。その報いなのだと言われても、反論はできなかったことだろう。
だが、ラッツもバートも、俺と同類の悪ガキ上がりなのに。どうしてこんな差が付いたのか。なんで俺だけが……。いっそこいつらの心色も単独型だったならよかったものを……。いや、それは逆恨みなんだろうけどさ……
「さて、あとはあんただけだよ」
順番が最後にはなったが、たしかに支部長の言う通り。心色を得た者は登録が義務付けられている。なぜかと言えば、基本的に心色使いは丸腰と無縁だから。例えば、弓の心色使いは、いつでもどこでも好きなだけ――といっても、使いすぎれば精神的に消耗するんだけど――矢を射ることができるから。大いに悪用できる能力である以上、登録は必須。そうすることで犯罪を抑止、というか、「悪いことしたらバレるからな?」という意味の釘刺しをするのが目的。そんなわけなので、未登録のままで支部の建物を出たが最後、問答無用で首に賞金がかかってしまう(しかもデッドオアアライブ)というわけだ。
「なあアズ。もしかして……」
10年以上の付き合いは伊達じゃないと言うべきなのか、連れにもバレてしまったらしい。心配そうにしているのはバートで、ラッツも支部長も、気まずそうな表情を浮かべている。
それはそうだろうがな……
3人組の中でふたりが複合型を得たというのに残るひとりは……。そんな状況は、誰だって気まずいことだろう。
とはいえ……
ここで逃げ出してお尋ね者になるというのは、さすがに勘弁願いたい。であれば、さっさと登録するしかないのか……
そんな憂鬱な覚悟を決め、石を鏡に当てる。
そうすれば案の定というべきか、支部長が怪訝そうに眉根を寄せる。
「虹色……泥団子?」
その口から発せられた唖然とした声。それこそが、俺の得た心色だった。
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