恐怖の少女:怒髪天からの始まり
1
人生で一番逃げ出したい瞬間かもしれなかった。
中学校の頃、ふざけて書いた『魔導ガジェットの理想形』という作文でどこのどいつが決めているのかも分かりゃしないコンクールの賞で金賞を取った時に体育館で表彰された事があるオスカーだったが、あの時ですらバッくれてやろうかと本気で思ったのだ。つまり表舞台が向いていない性格なのだ。
決して少なくない観客から拍手を浴びて、しかも妹の期待大の視線とセリーヌ=カールトンの意地悪なニヤニヤ笑いに刺されるというこの地獄。今夜の夢は決まったようなものだった。
諦め半分、絶望半分といった調子でオスカーは呟いた。
「……もう覚悟を決めよう」
とはいえ、今夜の晩ご飯が懸かっている。
よりにもよって明日は魔導闘技のサポート役だというのに、嫌いな物を食べて最悪の気分で眠るのだけは避けたい。そう、妹という生き物はご機嫌ナナメが一番危険な状態なのだ。
慣れないステージの上を歩いて、オスカーは魔導ガジェットの前に立ってみる。見た目はスマートフォンだが、質感は少々違う。触る事に問題はないようだったので、とりあえず電源のボタンがある辺りに触れてみる。
金属というよりもプラスチックに質感は近い。どうやら材質によって耐久性をかなり上げているタイプのようだった。
(……さて)
流石にドライバーでグサリでどうにかなるような代物ではない。スマホがモデルになっているため開けられるようなネジは見当たらないし、そもそも解体したところで破壊ではないと突っぱねられて失格にされるのは目に見えている。
なのでオスカーはベルトとパンツの間に挟んでいた細い棒を引っこ抜いた。
初心者が使うバランサー。二段階ほど伸縮が可能なレイピアに近い形をしたノーカスタムの一品。ここまで剣に近いバランサーを愛用する人間も珍しいはずである。
魔導師とは自分の魔法に応じて、自らの得物を適応させていく事でその力を上げていく。
つまり、
(わお、観客がここまで引くとは……)
オスカーへの期待値がグンと落ちているのが、その雰囲気だけで手に取るように分かった。
その空気を鋭敏に感じ取り、『やらされているんですあの悪ノリ女どもに‼』と大声で叫びたくなる高校一年生。しかも魔導師ではなく魔導ガジェットが命の魔導エンジニアである。それを壊そうとしているのだから行動がいよいよ意味不明だ。
しばらくバランサーを触ると、彼は初心者用の得物を適当に目の前で振った。
特に気合いの大声も決め台詞もなかった。
「よっと。自壊、これで良し」
ドッパァン‼ とスマートフォンが爆発した。
破片が上へと舞い上がり、カラカラというプラスチックの転がるような音がする。回路基板が剥き出しになり、マナを封入するための小瓶が転がっていく。
「……へ」
観客同様に、彼に期待していなかったセリーヌが口を三角にしていた。
雑踏の中の一人が叫んだ。それが次々と伝播していき、やがて歓声に変わっていくまで、それほど時間は掛からなかった。
「ど、どうもー」
「おめでとうございます! 景品はどうなさいますか?」
「じゃあこのぬいぐるみで」
一刻も早くステージ上から退散すると、マリアとセリーヌが駆け寄ってきた。
なんか恥ずかしかったのでマリアの方にぬいぐるみを押し付けると同時、オスカーはこう言っておいた。
「今日の晩メシはハンバーグで」
「うんっ、腕によりをかけて振る舞うねおにーさま‼」
「あと呼び方は元に戻せ気持ち悪い。まだ何かあるんじゃないかって身構えちゃうだろ」
「えへへー、ありがとうお兄ちゃんっ!」
適当にマリアの頭を撫でていると、満面の笑みを見せてくれたのでまあ良しとする。……と良い雰囲気のクロスハート兄妹だったが、年下の女の子の笑顔では満足できなかったセリーヌお嬢様に横から腕を回されて肩をホールドされる。
路地裏に連れて行かれる弱者はこんな気分なのかもしれない。
「オスカー、ちょっと話があるんだけどお」
「なに」
「い・ま・の・な・に?」
「……俺はマナ方式の魔法は一つも使えないから、あれは魔導じゃないぞ」
「その説明で私が納得すると思っているのかしらあ?」
「はあ……」
得心するまで離れてくれなさそうだったので、オスカーは仕方がないといった調子で説明する事にした。
彼はレイピアのような銀色の得物を教師のよく使う指示棒のように振って、
「これ、バランサーじゃないんだ」
「うん?」
「バランサーに見せかけた魔導ガジェットのハッキングツール、『チェリーボム』だよ。簡単なプログラムを走らせるアンテナみたいなもんさ。魔導ガジェットはエレメントを司るマナで動いているから、そこを暴走させるプログラムを流せば勝手に壊れてくれるって訳」
「……、そりゃあ何とも魔導エンジニアらしいわねえ。作る、整備する側が壊すツールを持っているのはちょっと笑えるけど」
スマートフォンに電源が入ったのは僥倖だった。
あれで画面が死んでいれば、オスカーにはどうしようもない競技である。後で調べればどうして壊れたか分かるかもしれないが、壊すのが目的の『風林火山』だ。詳しく調査される事はないだろうし、ほとんどの部分はマナの暴走で破壊されてしまっているためカラクリが露見する心配はしなくて良いはずである。
結局、結論だけで言えば後輩に負けた一つ上の先輩のセリーヌは舌打ちまでしてこう言った。
「ちっ、まあ私は来年にリベンジするわあ」
「お兄ちゃん、私はこのぬいぐるみが万に一つも汚されたらそいつを殺しちゃうかもしれないから一度家に帰って買い物に行ってくる! もちろん今日の晩ご飯の買い物にね! もう絶対今までで一番おいしいハンバーグにするから期待しててね、あでぃおす!」
元気いっぱいに帰る妹に続いて、セリーヌも適当に街を見て散歩するようだったので、ここでお別れする運びとなった。
手を振り合って、二人が雑踏に消えていくのを見送る。
このゴタゴタの間にサティア=テリナロンドは生徒会の仕事を終えていると良いのだが、と思いながら、オスカーは魔導学園エクセルシアの方へ歩を進めていく。
学校までは一、二キロといったところか。
五分強ほど歩けば辿り着く。
炭酸飲料のペットボトルが尻のポケットに刺さったままだったので、中身を飲み干してから近くのゴミ箱に放り投げておくオスカー。
他にも魔導を用いた競技がいくつか開催されているようで、あちこちから歓声や悲鳴が聞こえてくる。お祭りらしい空気を味わいながら雑踏を抜けると、主催校である魔導学園エクセルシアの校門が見えてきた。
その前に一人の少女が立っていた。
遠目でも分かるほどに可愛らしくて綺麗な女の子だった。白い肌が太陽の輝きを照り返しているその様子は、宝石のようなという比喩でも似合いそうなほどであった。
ただし、ナンパなんていう高等なコミュニケーションを全くと言って良いほど得意としない少年はそのまま学園の敷地内に向かって歩いて行く。
そう、心地の良い、爽やかな午後の晴れた昼下がり。
魔導学園エクセルシアの特徴的な緑のジャケットを纏う制服姿のオスカー=クロスハートは、いつものように水でできた校門を通り過ぎた。
それだけだった。
本当にそれだけだったのだ。
だというのに、背後から女の子の本気の魔法が飛んできた。
「がぶおぶちゃ⁉」
とても綺麗とは言えない叫びを上げながら、オスカーの体が錐揉み状に回転しながら土の上を転がり、『風の噴水』と呼ばれる花びらを巻き上げて季節の美しさを表現する魔導ガジェットにぶち当たってようやく止まる。
「な、にが……?」
それは見知らぬ女の子だった。
白いショートカットの髪を春の風にたなびかせ、それでも頭のティアラの位置だけはズラしていないその少女。歳だけで言えばオスカーより少し年下にも見えるが、その格好は魔導学園エクセルシアの緑の制服でもなければ、魔導軍が身に纏う執事のような服装でもない。
オーロラのように奇妙に光を反射させるドレス。元の生地は白色のようだが、それにしたってあんな魔導ガジェットはこの世界に存在しないはずだ。いいや、オスカーが注目するべきは少女の服装でもその髪型でも、ましてやドレスを内側から大きく盛り上げる胸部でもなかったのかもしれない。
彼女の表情。
烈火のごとき怒髪天であった。
喜怒哀楽の喜哀楽を抜いた、一色の感情がその美しい顔を埋め尽くしていたのだ。
いきなりの魔法で少年を殺しかけた少女はこう語る。
怒りしかこもっていない、超絶怖い笑みでもって。
「うふ、これは死刑しかないかもしれませんわね☆」
「俺は校門潜っただけだぞ、どんな判決だッッッ⁉」
「……ふ、ふふ。素通り。素通りですのね」
なぜだかその白いショートカットの女の子は小刻みに震えていた。
「まさかのスルー、チラリと見る素振りすらなし。ええそうですかそうですのね! つまりあなたはそういう事でして⁉」
「さっきから曖昧過ぎて話が見えてこない‼ 一体何なんだお前⁉」
「ああもうっ、その一言がどれだけわたくしの……ッッッ‼」
ぐっと。
喉に言葉が詰まってしまったような、そんな止まり方だった。そのままティアラをつけたオーロラみたいに光を反射する白いドレスのお姫様は押し黙り、下を向いてしまった。
「おい……?」
「もう良いですわよ」
バッサリと、何かを千切るような断言があった。
それは愛想を尽かした怪物のようにも、不貞腐れた子どものようにも聞こえた。
「結構です。何も分からないまま死ねば良いじゃありませんか。あなたみたいな人は地獄に落ちるのが世のためですわ」
「お前さっきから何を言っ
灰色の瞳が赤と緑の輝きを発した。
火山の噴火のような炎が竜巻のような風に煽られて、それが水の校門を丸ごと蒸発させた。
「……ッッッ⁉」
目を剥くオスカーは、逆にそれが魔導だと気付くのに数秒遅れた。
魔法にしては圧倒的過ぎる。一昔前の科学兵器で火炎放射を実現しました、と言われた方がまだ頷けるほどの出力だったのだ。
しかも、
(……あの子、バランサーは⁉)
いくらカスタムするとはいえ、手か足に携帯・装着するのが特徴とも言えるバランサーがない。だというのに、その赤黒い炎の塊がオスカーよりも背の低い少女の両腕に絡みついていく。オーロラのようなドレスが不気味に輝く。
思わずオスカーは叫んでしまっていた。
「おいっ、お前は大丈夫なのか⁉」
「へっ⁉ だっ……‼」
「ほら、顔が真っ赤になってきてるぞ⁉ そこまで大出力の魔法を使ったら魔導師に負担が掛かるレベルなんじゃ……っ‼」
「うるっ、うるさいですわッッッ‼」
赤の色彩で顔を染め上げた少女は右腕を思い切り振り上げて。
そのまま振り下ろした。
直後だった。
酸素を燃焼させるとんでもない音と共に炎が舞い上がり、真っ赤な天井が落ちてくる。炎の竜巻は直線、オスカーの全身を丸ごと焼くコースだった。
「マジで殺す気かよ⁉」
慌てて横に跳ね飛んで回避するが、強烈な熱風が皮膚を炙る。チリチリとした痛みが本当に死の予感を感じさせてくる。
さらに言えば、炎の塊は一つではない。
彼女の左腕。白い手が左から右へ振るわれる。竜巻の直径は少なく見積もっても三メートル以上はある。とても伏せたりジャンプしたりする事で避けられる攻撃ではない。
「くっそ⁉ 今日はほんとにツイてない‼」
「なぁ⁉ さっ最低です‼」
意味不明な叫び声が返ってきた上に、左腕の振るわれる速さが増した気がした。
オスカーは腰元からレイピアの形状によく似たバランサーを取り出す。いいや、傍目からはそう見えるかもしれないが、それはエンジニアの卵である彼が独自にカスタムを施した魔導ガジェットへの介入ツールだ。慌てて丸い鍔の部分に触れる。そこは液晶のタッチパネルになっており、対象の魔導ガジェットに流すプログラムを選択できるのだ。
振るう。
銀色の『チェリーボム』のその先端は、先ほどオスカーが激突した『風の噴水』という花びらを舞い上げる魔導ガジェットに向けられていた。
空気を押し退ける重たい音が魔導学園エクセルシアに響く。花びらによって季節感を表現する『風の噴水』に封入されていたマナが暴走して、オスカーの振った『チェリーボム』の方向へと暴風を炸裂させる。
花びらを含む暴風が白いお姫様の向けてきた炎の竜巻に激突する。空気の押し合いでできたギリギリの安全地帯へと飛び込み、オスカーはすんでの所で死の炎を回避していく。
バランサーを模した『チェリーボム』を摑み直しながら、少年は焦りを全面に表出させていた。校門の所で立っている少女に向かって腹の底から叫ぶ。
「っ、本当に何なんだよ‼ いきなり殺される覚えはないぞ‼」
「……ふ。ふふ、ふふふ、ふひ、ふひひ、ふひっひひひ」
俯いてから、一度だけその少女は壊れたように笑った。
次に顔を上げた時には、烈火のような怒りの表情から今にも泣きそうな顔になっていた。どうして涙腺が崩壊していないのか、逆に疑問を抱いてしまうほどの危うい瞳。
「覚えはない……? あはは、うふふふ。そうですそうですそうですわ。ええあなたがそういう人だという事はようく分かりましたわ。ええわたくしの人を見る目がなかったというだけの話です」
「あん? 何だって⁉」
「……ん、まの」
「?」
「旦那様のバーッカッッッ‼ もう知りませんわあッッッ‼」
茶色の輝きが彼女の瞳と足元から爆発した。
セリーヌ=カールトンの得意とする土のマナの魔法。ただし彼女は重力を利用して拳を振るうなどといった多項式の魔法には頼らなかった。さらにその上をいく、もっと複雑な多項式の術式。
ゴッバッ‼ という音と一緒に彼女の近くの地面が丸ごとめくり上がった。
蠢くアスファルトは人の形を取り、二〇メートル以上もの大きさへと変貌する。学園の校舎の高さなど軽々と超えていた。何かの催しと勘違いしたのか、魔導学園エクセルシアの校門の近くにいた人々が軽い拍手や歓声を送ってくるが、とんだ見当違いの行動である。
ここで取るべき行動は一つ。
「だァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉」
「逃がすとお思いでして? この最低野郎」
全力で逃亡を開始するオスカー=クロスハート。
校舎の方へとダッシュを始めた瞬間に、背後の岩の巨人が思い切り拳を振り下ろしてきた。
2
「うん? どうしたんだいオスカー君。そんなに息を切らして」
「……先輩、ちょっと怖い事があったからとりあえず癒してくれる?」
「わあっ⁉ 汗まみれの顔で飛びかかってくるんじゃないっ‼」