後輩:トロフィーへの道筋
拝借したパンフレットには、トイレや非常口なんかの初歩的な案内以外にも色々と記載されているようだった。絵柄を使って詳しく説明されているようだが、実際にコロシアムの中を見た方が分かりやすいだろう。
まずは二人して階段を上っていく。
「先輩、お先にどうぞ。もし転んでも俺が支えます」
「気持ち悪い敬語が出ているから却下だ。どうせ下のアングルから私のスカートの中を覗く気だろう」
心まで読まれ始めていた。
うなだれながら階段を上り終えたオスカーがサティアと共に会場全体を見渡す。
客席自体は野球やサッカーのような会場とそう変わらない。プラスチックでできた硬そうな椅子と転んだら絶対に痛いコンクリートの階段と通路、というあまりにも普通な施設であった。
パンフレットを広げた少年は、真っ先にコロシアムと客席を分ける『区切り』に注目する。
パッと見はクリアガラスだが、時折薄い青や赤といったカラフルな輝きが瞬いている。
「何だあれ、絶対に普通の材質じゃないな」
「パンフレットに書いてあるよ、オスカー君。四大元素のマナが封入された防御壁だそうだ。ランダムに流れるマナがコロシアムからの魔法を弾くため、客席の皆様に危険はありません、だってさ」
「これが魔導ガジェットなのか、この客席をぐるりと守るクリアガラス全部⁉」
「流石は魔導闘技、予算もたっぷりあるようだね」
「基盤は、プログラムは一体どうなっているんだ、動力源は何時間もつんだろう、はふはふ‼」
「……君はたまにプラモデルを前にした子どものような顔になるよね。全体的に面倒臭いから深堀りはしないけれど」
オスカーの方はエンジニアの血が騒ぎ始めたらしいので、後輩から距離を取りたくなったサティアはコロシアム内を本格的に観察する。
互いの魔導師が本気の魔法をぶつけて競い合う魔導闘技だ。野球場の半分くらいの面積が広いのか狭いのか、一般教養ばかり学んできた彼女にはちょっと想像がつかない。だからこそなのか、その目が捉えたのはピッタリと外側の壁に沿うようにして立っている機材だ。野球場で言えば広告なんかが映し出される場所に、ロッカーくらいの黒い機材が等間隔で並んでいる。
「……あれは撮影機材かな。客席を守るクリアガラスの上の方は映像を投影できるようになっているみたいだし、そこにドドンと映し出される訳だ」
「まあ魔法がバンバン飛び交う中で人間のカメラマンを入れる訳にもいかないんだろ」
さらに、オスカーがパンフレットを眺めてみると、
「あと等間隔で並んでいるあの機材、全部が全部カメラって訳じゃないらしい。三つに一つくらいの割合で、その……マジかよこれ」
「何だいオスカー君。私は焦らされたくない派だよ?」
「……麻酔銃とかテーザー銃が設置されているみたいだぞ。試合終了のゴングが鳴っても暴走する魔導師とか反則を犯しても攻撃を続ける選手に撃ち込んで無力化するために」
「そういう事をどうして言うかなあ。オスカー君、世の中には知らない方が幸せな事だって存在するんだよ」
「べ、別にそこまで警戒する事でもないだろ。先輩がルール違反して相手の背中を襲わなければ良いだけの話で」
「自信がない」
「もうさっさと負けちまえよ……」
「ルールの方は?」
「一対一、セコンドは一人つけても良し、もちろん通信機器での助言のみだけどな。そして魔導を用いて戦う事以外は許されていない。……なあ、これくらいは知ってて出場を決めたんだよな? ここで首を横に振られたら俺はふて寝するぞ」
そんな風に言い合いながら、二人は何となくコロシアムを歩いてぐるりと一周する事にした。
客席の防壁となる魔導ガジェットには、先ほどから薄いグリーンやブラウンの色彩が脈打つように流れていた。今のは風と土のマナが溢れたのか。
特殊な魔導ガジェットを横目にしながら、オスカーは呆れたように問いかけた。
「そう言えば、先輩のスリーサイズ以外に聞きたい事があるだけど」
「前半は必要だったかい……?」
「そろそろ教えてくれないか。どうして魔導闘技に出ようなんて思い立ったんだ?」
「……」
「アンタがこういうイベントに積極的なのは知ってるよ。生徒会の中でも誰よりも行事を成功させようって動くような人間だし。でも今回の行動力はちょっと異常だ。少なくとも俺の知ってる先輩の動きじゃない。……ま、たった一、二ヶ月でアンタの事を全部知ったとは思っていないけどさ」
まだ季節は春だ。
緑の制服、そのブレザーを脱ぐと肌寒い五月の初旬。つまり一年生のオスカーが三年生のサティアと出会ってから一ヶ月と少ししか経っていない。
だけど、共に過ごした時間を思い返してみても、オスカーの心に残るのは違和感だった。
「何だ、魔導闘技を辞退させる説得開始かい?」
「俺が出る訳じゃないんだ。一応、アンタのためを思って言っているんだぞ」
「君は心配症だなあ」
「学園最後の思い出作りって訳でもないはずだ。先輩なら真剣に魔導師に憧れる人間に失礼な真似はしないはず」
「うんうん、君はよく人の事を見ているなあ。それとも私だからかな」
「茶化すなよ」
オスカーの目線はパンフレットに落ちたままだが、この一ヶ月強の会話の中では出した事のない声色が出ていた。
こう切り込まずにはいられなかった。
「一体何がある。……アンタを捻じ曲げる何かがあったんだ。自分の信条を黙殺してでも動かないといけない理由ができた。俺はそんな風に考えているんだけど」
「そうだねえ。手を借りる以上、オスカー君にはある程度言っておかないとね」
座り心地が決して良くない硬い客席に座りながら、サティア=テリナロンドは天を仰ぐ。
コロシアムは開けたドームのような形を取っているので、春の青空の雲の流れを見送る事ができる。一体何に想いを馳せているのか分からない顔で、緑の制服をきっちり着こなした、青みがかる黒髪ストレートの少女はこう言い放った。
「どうしても、手を差し伸べたい人がいるんだよ」
「……?」
「煙に巻くようで済まない。でも私は賞金なんてどうでも良い、欲しいのはバランサーのカスタム権限だ。それだけは伝えておこう」
「……、一つ聞かせろ」
絶対に破れない防御壁の向こう側にサティアが行ってしまえば、オスカーは何もできなくなる。それこそ、手が届いたところで何もできないだろうが。
だから届く内に、これだけは聞いておきたかった。
「それは、誰かを貶めるようなものじゃないんだな? 俺の知ってる先輩として本気で優勝を狙いに行く、それだけの理由があるのか?」
「ある」
即答だった。
そうでなければ困る、真っ直ぐな回答であった。
「……あるんだ、オスカー君。だから頼む、君のその手をこんな私に貸してくれ」
「はあ……。またアンタの知りたくもない事を知ったよ、そこまで頑固だったとは」
パンフレットを畳み終えると、魔導エンジニア志望の少年は腹をくくった。
客席に座ったサティアを立たせるために手を伸ばしながら、彼はこう請け負ったのだ。
「ならやるか。とっとと優勝のトロフィーを掻っ攫いにいこう」
そして握手を交わした。
きっと、この先輩と一緒なら、できない事なんか何もない。