投票結果:エルフになって廃墟生活
あー、大学行きたくねぇ。
なんでかって、単純にめんどくさい。
授業の量が少なくなるように選んだつもりが、別にやりたくもないものまで入れてしまったのが失敗だった。
おかげで変に課題の量も増えて、日中そればっかに追われる毎日だ。
おまけに、一人暮らしをしているものだから家賃を稼がなきゃいけない。
少しは仕送りがあるからなんとかなってはいるが、少し油断すれば危ないことに変わりはない。
あぁ、もっとゆとりある生活がしたい。
もしくはこんな世界飛び出して、異世界で自由に暮らしたい……。
今日もそんなことを思いながら目を覚ます。
初めに感じたのは多分明かりだった。
いつもならカーテンの隙間から漏れる朝日と、携帯のアラームで目を覚ますはずが、今日は静かな光だけが意識を浮上させた。
やや鼻がムズムズする埃っぽい──というかカビ臭いような?──臭いに、なんだかいつもの自分の部屋と違うなとか思いながら上体を起こし、その寝ぼけた眼で部屋を見渡してみた。
「……ど……っ!?こだ……ここ……っ!?」
発した自分の声がいやに高いことにも驚いたが、それよりも自分が寝ていた場所が、人が寝るべき完成されたベッドの上などではなく、虫食いだらけでほぼゴミ同然な、廃棄されたベッドの上で──それだけじゃない。
壁を構成していた木の板は腐り落ち穴が開き、壁紙はほとんど黒ずんで跡形もなく、そのかけらだけがわずかに張り付いている。
窓ガラスは割れて地面に落ちているし、机や椅子などと思しき家具たちも、腐ってほとんど崩壊していた。
間違いなく、俺が目を覚ました場所は、見ず知らずの家の中──しかも、廃墟であった。
「……」
茫然と、天井から差し込んでいた日光を眺める。
どうやら梁も屋根も腐って落ちているらしく、よくよく観察すれば広葉樹の木の葉が揺れているのが目に映った。
壁もよく見ればマメ科のツタが張り付いたり巻きついていたりしているし、どうやら最近廃屋になったばかりというわけでもなさそうである。
「どうなってるんだ……?」
まだ慣れない。
風邪をひいているのかそうでないのか、自分の口から出る高く甘い声と、普段より重い頭に手を当てがった。
不意に、その親指の付け根あたりが柔らかいものに触れた。
「ふぇあ!?」
思わず情けない声が出て、すぐさま口元を抑えた。
どうやらそれが自分の耳らしいことに気がつくのにしばらく時間が必要だった。
しかもそれはいつもの自分の耳とは違って、長く尖っていることを理解して受け止めることにもしばらく時間が必要だった。
「……うぇ、え?
な、なんだ、これ……っ!?
えっ、えぇ……っ!?」
くにくにとその長い耳をしばらく弄ってみるが、どうやら本物らしい。
だって触っている感覚が、夢ではなく現実だということを訴える様に教えてくれているし、何より触れていて腹の奥が熱くなる様な、変な気分にさせたからだ。
なんだ、この耳は。
そうやって手で触れながら形や大きさを識別しようと試みる。
しかしどう頑張っても現実にあり得ないサイズ──自分の拳一つ分の横幅はありそうな、形容するならそれこそエルフのような長い耳が、その顔の両端についていることは疑いようもなく確かなようだった。
「……マジかよ」
カフカの『変身』を読んだことはあるだろうか。
あれのように最悪、虫のような姿になっていないだけマシと思いはするが、その結末を想起して、よもや人に見つかれば悪魔呼ばわりされて最後には殺されてしまうのではないかという不安が込み上げる。
あるいはその長い耳を隠せるだけの長い髪があればと期待して、やや引っ張られるような感触を覚える後頭部へと指を這わせた。
すると、そこにはやや長めの髪が、頭の真後ろで短いポニーテールを作っていたことに気がついた。
髪を止めているらしいリボンを解けば、肩口程のミディアムボブくらいにはなるだろうか。
これでは耳を隠すには不十分に違いない。
長さ的には普通の耳を隠すのに十分かもしれないが、この長い耳を隠すとあっては些か心許ない気がする。
ただ、嬉しいことに自分の服装は昨日寝る前に着替えた薄手のフード付きのパーカーと白いTシャツ、夏用の通気性の良いポリエステル製の半ズボンだった。
きっと、フードをかぶれば目立たなくすることはできるはずだ。
服のサイズが普段よりもかなり大きく感じることから、おそらく自分の体はそれくらい小さくなったのだろうと推測する。
いつもは腰ほどまでの丈である薄手の長袖パーカーは、今や膝上丈ほどのサイズだし、幸いなことに紐で締めるタイプのズボンは六分丈くらいになっている。
今の身長は多分、155センチくらいだろう。
オーバーサイズの彼シャツを着た小柄な彼女の様で、実に可愛らしい。
「……」
ズレてくるパンツを上に引き揚げながら、ズボンの腰紐を締め直しつつ、先ほどから感じて見ないフリをしていた股間の違和感に目を向ける。
そうだ。
気づいていた。
気付かないフリを貫きたかった。
自分の声がいつもより高い、髪は長い、しかし辛うじて胸は膨らんでいないから、男の娘系のショタにでも変身したと、そう自分を言い聞かせたかった。
しかし、やんぬるかな。
こう、直に自分のパンツに手を触れて、位置を調整した時にしっかりと自覚してしまった。
ナニをって……言わせんなよわかるだろ?
普段とは違う、なんだかこそばゆい股間の感覚に頬を紅潮させる。
直にそこに触れるのが、なんだかくすぐったい様ななんというか、変な感覚になる。
女というのはいつもこんな感覚を体感しているのかと思うと、自分は男でよかったと感謝せざるを得ない──と、思ったところで考えを改める。
いやいや、これも何年も続けば流石に慣れるだろ、と。
要するに初めてスキニーのジーンズを履いた時と同じだ。
それまでだぼったいズボンしか履いてこなかった人にとっては、肌に密着するあの感覚がどうにも窮屈に感じて、不快感を覚えるのと同じく、こういう感覚もいずれ慣れてくるもの。
俺はそう諦めることにして、はてさて、これからどうするべきか考えることにした。
まぁ、と言っても目下やることといったら、周辺の状況を確認することくらいだろう。
近く人里にさえ降りることができれば、まぁそこからはなる様になれ。
この世界で暮らすなりなんなり考えればいい。
まずは生きることを優先しなければ──って、探検家の親父も言ってたしな。
「そうと決まれば、日が暮れる前にやらなきゃな。
方角を確認して地形を確認して……午後までに人里が見つからないならここを拠点に野宿の準備……」
遭難した時の対処法は勿論教わっている。
と言ってもほとんど基礎だけど、あとはまあ応用すりゃなんとかやっていけるはずだ。
こういう非常事態でこそポジティブであれ。
親父の豪快な笑い声とともにその言葉を思い出しながら、俺は強く拳を握るのだった。