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片想いとスターチス  作者: 白鷺 ほの
1/3

深海魚は抉らない

目にとめていただきありがとうございます。

是非、お時間を少しいただければと思います。

私はまだ高校生で、文章は本当に拙いものだと自覚しておりますが、書き上げることを目標にして頑張りたいです。

主人公の過去、心情、願いに注目していただければ幸いです。


 

 


    

 ああ、素敵だな、と思った。

 ぽつん、と不意に心に浮かんだ。

 ただ、いつもだったらこんな安い昼ドラなんかを見てそんな感想は抱かない。仮にも詩を書いて生活しているのだから。

 愛する人に突然振られる主人公。コーヒー片手に、泣きながら呟く。「どうしてこんなにしょっぱいの」涙の味がするというやつだろう。

 いつもなら最早なんとも思わないし見る価値もないありがちなシーン。こんなことに素敵だと感じるなんてどうかしてる。でもなぜか今日は思ってしまったのだ。そんなふうに自分の感情が、味覚としてわかりやすく理解できるっていいなぁ、と思ったのかもしれない。コーヒーがしょっぱいってそんなことありえないのに。でもそういうふうに感じることができれば、それは失恋をすることができたということなのだろうか。

 

 時計を見ると十二時だった。そろそろ支度を済ませなければならない時間だ。立ち上がって昼の食器をシンクに入れ、水に浸す。軽めに化粧を済ませ、家を出た。目的地は家から片道一時間半の距離にあるが、行き慣れたせいで距離を感じない。行きの電車で読んだ恋愛小説でも、主人公は振られていた。今日は失恋日和らしい。

 私もこれから振られるかもな、とぼんやり馬鹿げたことを考えていた。

 

 クーラーがよくきいている院内に入ると、自然と安堵の息が出た。嗅ぎなれた病院特有の匂いが私に染み付いた焼けたアスファルトの匂いを消す。いつもの受付嬢から面会証を受け取り、いつもの病室に向かった。三○五号室。ちらりとネームタグに目をやる。

『月城かなと』

 ノックをしながらスライドドアを開ける。パタン、と本を閉じる音がした。視線を上げた彼と目が合う。

「おはよう、みゆき。」

 口元が綻ぶのを感じた。

 

 夏の木漏れ日ほど気持ちの良いものはないと思う。太陽の匂いにライトグリーン。

 私たちは病院の敷地内にあるけやき並木に来ていた。もう習慣になってはいるけれど、お医者さんにも「できるようなら日光を浴びさせてください」と言われているので、私が来れる日は必ずこの通りを一往復している。彼を押しながら、ゆっくり歩いていた。

「仕事はどうなの?」

 車椅子の方から声がした。

「この間、詩集をつくりませんか、って出版社の人に声をかけてもらえた。」

 一昨日のできごとを思い出す。

「まえに、大学で一緒にサークルやってた人が私のこと話してくれたみたいで。そしたらその人が、いままでの自費出版などの作品拝見させていただきました、是非我社で詩集の出版をしてみませんか、って。」

「へえ、すごいじゃん。着々と夢に向かってるね。」

 彼がこちらを振り仰ぐ。小さく心臓が跳ねた。

「だから、明日打ち合わせになるから、こっちに来れないと思う。」

「うん、わかった。大丈夫だよ。頑張ってね。」

 会話が一段落しても、彼は私を見つめたままだった。動揺を隠したまま見つめ返すと、彼はふっと笑って口を開いた。

「車椅子生活って幸せだよね。」

 意味がわからず片眉をあげると、今度はもっと笑って、

「だってみゆきは僕より歩くペースがゆっくりだから、同じ道でも長く一緒にいられるじゃん。」

 そんなことを目を見て言わないで欲しい。見透かされないように唇の端をこわばらせた。

「病院にいる間にナンパ師にでもなったわけ?」

 すると今度はちゃんと前に向き直り冗談めかした口調で言った。

「でも内心喜んでるでしょ?」

「なっ、そんなこと」

「図星じゃ〜ん」


 そのあと私がいれてあげたコーヒーは、甘党の彼には随分苦かったようだけど、間違えちゃった、ということにしておいた。

 



 次の日の朝は季節のわりに涼しかった。この後出掛けるとあってもさして気が滅入めいらない。都心の方で午前中早くからの打ち合わせだから、朝はコンビニで買い食いをするしかないだろう。出がけに携帯を見ると、着信が入っていた。彼からだった。最寄まで歩きながら折り返すと、3コール目で繋がった。

「もしもし?ごめん気づかなくて。何かあった?」

「いや、なんでもないよ。ちょっと気分でかけてみただけ。ごめんね。」

 気分?あまり納得がいかない。

「どうしたの?」

「ううん。今日は例の詩集の話だよね?納得がいかなかったら折れちゃダメだよ?みゆきのやりたいようにね。」

「…わかった。じゃあ、そろそろ電車乗るから。」

 まぁそんな日もあるだろうと電話を切り、特快に乗った。

 

 乗り換えのために御茶ノ水で降りると、再び着信がきた。今度は知らない番号からだった。一瞬ためらい、緑のほうをタッチした。

「はい、もしもし」

「あ、私剛談社(ごうだんしゃ)のサクラバです。そちら七瀬みゆきさんのお電話でしょうか。」

 これから会う予定の人だった。会ったことないから声で判断できないけれど、名前と会社は一致している。 

「ええそうです。」

「大変申し訳ございませんが、危急の予定が入ってしまって、今日中にお会いすることが出来なくなってしまいまして。連絡が遅くなり申し訳ありません。また日を改めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 そういうことなら仕方がない。幸いまだ改札は出ていないから、交通費はかかってない。

「分かりました。では、都合がいい日にメールを入れてください。こちらはいつでも大丈夫ですので。」

 電話を切ってから、とりあえず人の波から外れ壁際による。さて、どうしようか。

 その時、ホームにちょうど彼の病院ある方面に行く電車が止まった。

 

 そっと病室のドアを開けた。驚かすつもりだったけど、寝てるみたいだった。サイドテーブルに何かの資料が散乱しているのが見える。ベッドに近づくと、彼が目を覚ました。突然現れた私の姿を捉えると、大きく目を見開いた。

「えっ?なんでいるの?打ち合わせは?」

「なんかね、急用が入ったんだって。だからこっち来ちゃおうと思って。なにか他にやることないのかよーって話なんだけどね。」

 私は苦笑しながらサイドテーブルに近づいた。

「びっくりしたー。願望が作り出した幻覚かと思った。僕このあと検査だから、それまでしかいられないけど、いい?」

 迷惑じゃないならよかった、と思いながら紙をまとめようと手を伸ばした。

 

 数値が目に入った。


 少し前にやった、検査の結果だった。

 

 

「みゆき?」


 下顎の横のあたりが強ばって、答えることができない。頭が真っ白になった。

 背中が彼の視線を感じて強ばる。答えなければ。何か言わなくては。なんて言えばいい?取り繕い方を忘れてしまった。名前を呼ばれた?何、と問うのが正解?

 どうして、そもそもこれから視線を剥がさないと、自然に。でもどう――

「みゆき」


 はっとして振り返ると、ベッドに腰掛けている彼と視線がぶつかる。乾いた唇を湿らせてから言った。声が、枯れていた。

「どうして。なんで―」

 その瞬間、彼は私の腕を掴んで引き寄せ、唇を塞いだ。続けるはずだった言葉は彼の唇に消える。彼はそっと口づけをといて言った。

「こういうシチュエーション一回やって見たかったんだよね。」

 その時、ドアが開いて若い看護師が入ってきた。

「月城さん、検査の時間ですよ。」

 病室の異様な空気に眉をひそめたのが見える。

「じゃ、また明日ね。」

 病室を出ていく間際、彼の口が「ごめんね」という形に動いた気がした。

 

 私は何も言えなかった。

 


 マンションに帰ってから、着替えないでベッドに突っ伏した。メイクを落としてないから、直ぐに起きないとシーツが汚れてしまうのは分かってるけど、身体が動かない。と言うか、そんなことはどうでもよかった。

 また、あの時と同じ。

 

 大雨がアスファルトを穿つ音を聞きながら、冷たい病室で。ひたすらに顔を埋めて泣きじゃくった、あの時と。雨は好きだった。私の涙なんてきっと神様の涙に容易く流されてしまうだろうし、なかったことにできる。

 雨さえ。今日も雨さえ降ってくれればきっと。そんな思いが募った。

 

 雨は降らなかった。



 


 それから一週間後、彼は死んだ。

 病院から電話がかかってきたのは、丁度定期が切れたので買いに行こうと、家を出る直前だった。ご愁傷さまでございます、という主治医の先生の声を聞きながら、全ての風景が平坦になり、白ずんだ。はい、分かりました、という自分のか細い声を、どこか遠いところから聞いているようたった。

 

 彼は古くに両親をなくしているので、私は暫くの間息をつく暇もなくやることがあったし、息をつく暇をも埋めるように忙しなく時を消費していたけれど、それももう一段落ついた。

 病院から、遺品の忘れ物がありますと連絡が来たのは、そんな頃だった。


 病院への行き方とか、時間に応じた電車の乗り換えの仕方とか、身体は覚えているもので、何も考えていなくとも最短距離で病院に着いた。もうずいぶん時がたったように感じるけれど、あぁ、そういえばまだ1週間しか経っていないのだな、と思った。心が抜けるのには、1週間しか要らないのだな、とも。

 このフロアには、ナースステーションが2つあった。とても大きい病院だからか、この入院棟全体の情報を掌握している本部ステーションというものが存在し、それは、重病患者を多く受け入れられるこのフロアにあった。それに加え、普通のナースステーションも1つ。

 本部ではない方の、廊下の突き当たりにあるナースステーションには、男の看護師さん一人しかいなかった。

 すみません、と声をかけると、すぐにほほ笑みを浮かべて、「はい。どうかされましたか?」と対応された。

「遺品を忘れていたみたいで。三○五号室の、月城です。」

 看護師さんの目に、なんとも形容し難い色が浮かんだ。

「少々お待ちください」

 少しして、お待たせ致しました、と言いながら真新しい箱を持ってきた。

「この度は私共の力が至らず、申し訳ございませんでした。」

 そんなことは、こちらこそありがとうございました、と唇を動かしながら箱を開けた。つるっとした蓋を開けると、文庫本が顔を覗かせた。彼が、よく読んでいたものだった。

 

 あぁ、彼を最初に好きになったのは、本のページをめくっている姿だったな。

 そう思ってしまったら、もうあとは止まらなかった。胸の奥をきりで突かれたようで、反射的に口に手をやって嗚咽を堪えた。

 

 そうか、と思った。

 そうか、彼はもう死んだのか。

 私はまた、独りになったんだ。

 

 そう思った途端、脳天が急に痺れた。あぁ、やはり今まではどこかで感情に蓋をしていたのだな、と思った。名の付け方の分からぬ感情がいきなり押し寄せて、何も思えなかった。

 それなのに、涙はもう出てこなかった。一生懸命頭の中から彼を追い出そうとしても、次から次へとフラッシュバックする。でも今更どう思おうが、彼はもう本を読むことがない、そしてもう私はそれを見ることがない、もう二度と、触れることができないのだと悟った。あの時と同じ。

 まただ。また、わたしは。

 唐突に訪れたどうしようもない息苦しさに、身体が酸欠みたいになって、こんなにも想っているのに涙が出ないのが嫌で、哀しくて、苦しくて、憤りで頭がどうになってしまいそうだった。

「あの……大丈夫ですか?」

 はっとして顔を上げた。熱病みたいに頭がぼやけて何も考えられない。言葉が喉につかえて出てこなかった。



 人がこんなに絶望の淵にいるのを、見たことがなかった。二日連続の夜勤明け、遺品の受け取りに来た女性と対面していた。三○五号室の月城さんに彼女さんがいたのは知っていたし、このひとが病室を訪れていたのも、何となく記憶に残っていた。初めて目にした時から、危ういところのある雰囲気をどことなく纏ってはいたから、もしもの事があったらと微かに心配はしていた。

 でもこんな風に身を震わせて、全身から苦しさを噴き出してひたすらに遺品を見つめている姿は、こちらまで泣きそうになった。なにか声を掛けねばと思ったが、先輩看護師のように経験もないので、どう慰めたらいいのか分からなかった。

 そもそも、慰めることが正解なのかも分からなかった。

 

 その時、彼女が纏っていた空虚が、唐突に重くなり、背中の震えが勢いを増してきた。過呼吸の初期症状だ。

「あの……大丈夫ですか?」

 慌てて声を掛けると、焦点を失った彼女と目が合った。

 あまりにも虚ろで、今にも倒れてしまいそうなほど危うく、それゆえか魅力的な瞳だった。

 背中に手を添えて震えを抑えようとしたとき、びくんっ、と彼女の肩が大きく跳ねると、整った顔がぐにゃりと歪んだ。胸を突かれるような表情だった。その時、泣き笑いのような顔をしながら、唇を震わせてなにか早口に呟いた。聞き取れなかったので聞き返すと、両手で顔を覆った。そしてすぐに汗で額にはりついた髪をかきあげ、唐突に人が変わったかのように口元に薄い笑みをはりつかせて囁いた。

 

「私のこと、許容してくれますか?」

 

 は、と腹から声が出た。

 

「好き、です。付き合ってください。」

 

 

 ふっと髪からシャンプーの香りがした。今夜も眠れそうにないな、と思った。

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