第5話 イシュアとの話し合い
シュタナートは食事が終わった後に執務室に入り、一人で使うにはかなり大きい机の上で魔術師団の資料に少しの時間、目を通していた。
座っている席の正面には玄関と同じような、美化されたフィーネの肖像画が飾られ、席の後ろには、前身組織の長であり、シュタナートの実父の肖像画が飾られている。
シュタナート的には愛するフィーネだけでいいのだが、それだけだと訪れる者に対して気恥ずかしいので、それなりに尊敬はしているものの親愛の情を抱いていなかった実父の肖像画も飾ることにしたのだ。
突然、声掛けも合図も無しにイシュアが入口の扉を開けて部屋に入ってきた。
扉の上にはめ込まれている透明だった水晶が赤に変色する。
真っ赤に近い色合いだ。
その水晶の変化を見ると、いつもの事ながらシュタナートは良くない気持ちになるが、イシュアに悟られないため、何もなかったように振る舞う。
イシュアはシュタナートの机の前にある、テーブルを間に置き、向かい合う二つの長いすの片方に勝手に座った。
先程の頬の腫れはもう引いているようだ。
イシュアの回復力は非常に高い。
シュタナートがイシュアに体罰を与えると、よく反撃され取っ組み合いになり、シュタナートも傷を負い、イシュアがその何倍も傷を負うが常だが、イシュアの方が傷の治りが早かったりする。
「で、話とはなんだ? 手短に頼む。無駄な時間は少ないに限るからな」
イシュアはいつもの調子で言った。
こういうイシュアの態度をシュタナートは何回も言葉で注意しても聞き入れられず、それ故に暴力を振るってやめさせようとしたが、改善されなかったので、諦めている。
「今日の大導師会でイシュアについての話も出た」
シュタナートはイシュアの美しい顔を見ながら話す。
「ふーん」
イシュアは興味が無さそうだ。
「イシュアのことを美しいだとか、魔術の才が凄いだとか、多くの称賛を受けた。しかし態度が悪すぎるとの批判も受け、お前を私から遠ざけろとの要望がでた」
「お前から遠ざけられるのは少し困るな……」
イシュアは皮肉めいた笑みを投げかけてきた。
イシュアもシュタナートの側から遠ざけられるのは困るようだ。
その理由は
「やはり、最も近くいた方が仇を討つのが容易だからな」
この言葉が単なる憎まれ口で無いことは扉の上の水晶の色の変化でわかる。
扉には《殺意感知》の魔術が付与されており、シュタナートに対して殺意を持った者が通ると、水晶が赤く変色するのだ。
イシュア以外にも、稀にこの部屋で叱責し過ぎた者等が薄っすらと赤みを帯びたりすることもあるのだが、イシュアの様にここまで真っ赤になった例は無い。
しかし最近では最盛期に比べれば若干だが薄くはなってきている。
《殺意感知》は暗殺を防ぐのに有効な魔術で、様々な要人が配下の魔術師に使用させているが、優れた暗殺者は実行直前まで殺意を封じ込める等で、露見するのを防いでいるという。
今のようにイシュアと密室に二人っきりのような状況では決して警戒を緩める事は出来ない。
以前は危険が予見される時にしか携帯しなかった仕込み杖を常に携帯するようになった。
いざという時は詠唱が必要な魔術より刃物の方が速い。
「もう少しおとなしくしてくれんか? そうすれば可能な限りイシュアの望むことをしよう」
「私の望みは貴様の死、それも姉上以上の苦痛で死ぬことだ。そうすれば私もお前に望むものを与えてやってもよいぞ」
イシュアは鼻で笑うように言った。
死んでも復活する手段は存在しないこともない。
特に事前から準備を行えば。
だがいずれの場合でも相当な難易度があり、失敗してそのまま不可逆的な完全な終わりとなってしまう公算は高い。
成功した場合でも、身体や能力の低下、記憶の喪失等の不利益を被る場合がほとんどだ。
魔術師団の家族も入れれば、数万に達する人数を背負っているシュタナートにはとてもでは無いが、イシュアの望みをかなえてやるわけにはいかない。
そしてシュタナートの命を救うために自らを犠牲にしたフィーネのためにも。
その返答を聞いて、シュタナートは席を立ち、杖を手に持ち、イシュアの座っている傍まで来た。
「ジジィ臭がしてくるから近づいてくるなよ」
イシュアは嫌悪感丸出しでそう言った。
「私はイシュアの能力を非常に評価してる。エレイアとも殺さぬと約束したので大概の事は大事にしない。しかし私へ殺害を実行した場合は命をもって償わせるぞ」
シュタナートは杖を分離させ刃を出すと、イシュアの首を狙うように振りかざし、当たる寸前で止めた。
まったく動じる事は無く、イシュアは侮蔑した笑みをこちらに向けた。
「それに例え私のへの殺害が成功したとしても、部下達が許さんぞ。決して逃がさんし、楽には死ねない。早く殺してくれと泣き叫ぶ事になる」
首先に刃が突き立てられている事を無視するかのように様にイシュアが振る舞うので、刃があたり、首から出血する。
出血してもイシュアは涼しい顔だ。
「くっ」
その状況にシュタナートは呟き、仕方なく刃を引っ込める。
それを見てイシュアは小馬鹿にした笑みを浮かべ、首に着いた血を指で拭い、その指を舌で舐めた。
「それはそうだろうな。お前の殺害に成功したら、さっさと自害するとしようか」
シュタナートは憮然とした表情だが、そのある意味心中と一緒の結果に何故か少し惹かれるものがあった。
「何人かにまわさせたり、あるいは四肢を切断したり、目でも抉れば、少しはおとなしくなるかもしれんぞ」
勝ち誇った顔でイシュアがとてもシュタナートに出来そうもない事を言ってきた。
「私の方はお前を憎いとは思っていない。せいぜいしばらく寝床から起き上がれなくなるくらい殴りまわすだけだ」
「ふん、ぬるいやつだ」
シュタナートはイシュアが自分が憎む道理も分かるし、能力も非常に評価しているので、あまり反抗的な態度にも過酷な処罰は行わず、折檻に留まる程度に抑えるようにしている。
「まあこの話はもういい。ただ私の命を欲していることはこの部屋以外ではするなよ。お前の立場が危うくなる」
イシュアがシュタナートの命を本気で狙っていること知っている者は大導師会の連中及びリハルト、ダレス他の少数の者である。
8年前にイシュアが殺害を宣言した時に立ち会った者は、所詮は子供の言うことと思っている。
「安心しろ、私はそこまで愚かではない」
シュタナートはイシュアがこの様に露骨に敵対心を露わにするのではなく、猫を被り、従っているふりをすれば、自分への復讐がよりやりやすくなるだろうにと思った。
イシュアは学術は素晴らしく出来るようだが、そういう狡猾さは歳が若いせいもあるが、それ程では無いと思っている。
「もう話は済んだのだな。では私は部屋に戻るぞ。しかしくだらん時間だった」
イシュアはシュタナートの返事も待たずに席を立った。
「ああ、ご苦労だったな」
イシュアは必要以上に強く扉を閉めたため、大きな音を出して退出していった。
「ふう」
シュタナートは大きなため息をついた。
徐々に扉の上の水晶は赤から透明に変わっていった。




