グルメが主体ではない
「今年の夏は平年並み」と統計結果から予測したという記事を読み去年の夏を思い出す。
同じ駅。同じ道順。同じ日時。
どうしてあの店だけみつからないのだろう。
「まだ仕事の時間じゃないのに出るの?」
妻の声が洗面所の方から聞こえてくる。いつもはろくに家事もしないでネットばかりみている妻だが今日は予定があるらしく早朝から騒がしい。最近、この時間には靴を履き始めているのを妻は気づいていなかったみたいだ。
「運動不足気味だからね、ウォーキングもかねて遠回りして仕事行くよ」
「あっそう、私今日は遅いからよろしくね」
「そうか。いってくるよ」
妻が何時に帰ってくるかなんてどうでも良いし、何をよろしくされたのかも不明だがとにかく僕にはやることがあったため足早に外に出た。今日は雨だ。
朝人橋駅を降りて昨日と同じ道順に歩く。必ずそこに見えていた店は無くなっていた。その店は僕にとっての青春であって、幻想だった。活気のある店員、常連の笑い話、ホールの女の子の無垢な笑顔。僕はそれをいつも一人で見ていた。覗いていたというのが正解なのかもしれない。カウンターの端っこで一人で。
今の妻と出会ったのもその店を出て、少し歩いたところにあるキャバレーだった。あの時つい飲み過ぎてしまって駅にいた客引きについていってしまったのが、僕の幻想が現実になった瞬間だったのかもしれない。僕はあの時あの無垢な笑顔をずっと見ていたかったし、その店のこだわり抜いた焼き鳥をずっと食べていたかった。トロトロのレバー、口で弾けて卵管に絡まるキンカンの舌触り、その日限りで出てくる鴨肉のだきみや、数量限定のマッシュルウムやトウモロコシを店主の腕で何倍も美味しく焼いてくれた。その香ばしい煙を全身に纏おうと新たなお客さんが入ってくる。恋人と、会社の先輩と、店主の後輩が顔を見に。生の時間になるとほぼ満席になり、僕は肩身が狭く感じお会計をお願いする。
「またお待ちしてますね。」
その無垢な笑顔はどこに行ってしまったのだろう。