1079年 4月 暗殺計画実行
春の暮れ方の事である。クルドはまだ冬の名残が微かに残る空を眺めながら
その時が来るのを待っていた。
父であるドルディはまだ一階のホールで村の人妻たちと遊び散らかしている。
少しの不安と緊張が自身の当主に成り上がるという興奮と好奇心を抑え
込もうとするが、心の奥から湧き上がるその感情を完全に無くすことは
出来ないでいた。
少しずつ夜に染まって行く空を、クルドは突き上げ窓の縁に手をかけて
眺めていると、つまらなそうにしている主人を不憫に思ったのか、それ
ともこの静寂かつ重圧的な空気に耐えきれなくなったか、ここ最近クルド
の直属の従者となったリリーは少し冷めてしまったポットから湯呑みに
お湯を注いでいく。
「マクシミリアン様、湯が入りました」
「んっ?…ああ、すまないね」
「いえ、これが私めの務めで御座いますゆえ」
「そうか、そうだな。これからも頼むリリー」
今の言葉は今日起こす計画も含めた意味なのだろう。跡取りではなく、
これからこの地を治めていく当主として、改めて忠誠を誓ってほしいという。
少なくともリリーにはそう聞こえた。
「あの日……助けて下さった頃から私は貴方様の後ろを畏れ多くも歩んで
きました。それは、例え、どんな事が起きても変わらないと勝手ながら
心に決めておる所存です」
「そうか…ありがとう」
何か自分が話すとすぐ今の言葉が飛んでくる。自分のような存在に貴族が
感謝を伝えるなど聞いたことがない。それでもこの領地の主となる男は
耳にタコが出来る程リリーに「ありがとう」言っているのだ。
単にそれだけリリーとこの男が話しているだけなのかもしれないが。
「マクシミリアン様、それは――」
きっとこの言葉を言えば、またいつも通りの、聞きなれた返事を返して
くれると思いながらリリーは口を開けるが、酸素が途中まで吐き出た所で
部屋のドアが軽くノックされた。
周りには聞こえない様に警戒された小さな音が数回、その後に少し
乾いた声がドアを通り越して部屋に浸透していく。
。
「クルド様……準備が整いました」
声の主はサーザントだ。声の質感から、どうやら彼もクルド同様に若干の
緊張を抱いているらしい
「少し早くないか?」
「どうも、何時もより食事を早く終わらせたようです。今はいつも通り
地下の蒸し風呂に女中たちと入っています」
その言葉を聞いたクルドは、サーザントが話し終えるよりも先に
ドアの方へ向かい、ドアを開ける。
「分かった、なら計画を実行しよう。騎士たちも準備は出来ているな?」
「はい、予定通り一班は屋敷を完全封鎖し、二班は一階のホールに集結
させました。今は計画を聞かせていなかった使用人や他の女中たちに
事の説明をしている最中です」
「ならもう終わった頃だろう、奴が風呂から上がってくる前に襲撃するぞ」
階段へと続く薄暗い廊下を抜けた二人は階段を下り、一階のホールに
ぞろぞろと立ち並ぶ部下を見据えて思わず息を漏らす。
「この様子なら既に屋敷の中にいた者達は対処できたらしいな」
「はっ!我がマクシミリアン卿」
騎士団の団長を務めるデニスがそうクルドに対して言うと、後ろにいた
部下の騎士たちも一斉に胸に片手を当ててを頭を下げた。
「時間がもったいない、奴が屋敷の異常に気づく前に片づけるぞ」
「「はっ」」
クルドが暗殺計画の開始を伝えてからは簡単だった。
何せ目標となる敵はドルディただ一人なのだから。
周りにいる取り巻きの女中たちは無視でいいだろう。
寧ろ他の同僚たちがそうであったように、自分の尊厳と体を傷つけた
男を殺すとなれば喜んで身を引いてくれるはずだ。
相手の装備は陰部を隠す雑多な布一枚。例え無能のボンクラである男でも
鎧と剣を装備していたら騎士団にも損害が出ていた可能性が十分にあったが、
現状のドルディならば十人の騎士とクルドだけでも十分すぎる程の戦力差
になる。
実際に、騎士団団長と数名の騎士が外部に水蒸気を漏らさぬよう固く
閉ざされた鋼鉄の扉を蹴り破ってからは、ドルディは何も抵抗出来ずに
捕獲された。
自分の部下であるはずの騎士たちに囲まれ、手を後ろに拘束された
ドルディは床に顎をつけながら騎士たちを睨みつける。
「キサマらぁ!これはっこれは何の真似だ⁉早く縄を解かないと
打ち首の刑に罰するぞッッ!!」
「ドルディ様、もうこの領地は貴方様のものではない」
「なっ⁉…デニス…何を言っておる……まさか」
この事件を実行した首謀者に気付いたのか、これまで自分が抱いていた
不安要素が的を得ていた事に対する恐怖と、その首謀者に対する怒りで
ドルディはわなわなと体を震わせる。
その首謀者の名は――。
「サーザント?」
「ん?…いえ私では」
「私ですよ…父上」
騎士たちの後ろに隠れていたクルドはドルディの前に入り込むと、若干の
呆れを顔に浮かべながらそう答えた。
「ぇ…‥‥はぁッッ⁉⁉…なっ…なんで…‥‥お前がっ…」
「え?…なんで?」
そこで疑問がドルディから出ると思わなかったクルドは、一瞬動揺しな
がらも、ここでその動揺を顔に出しては首謀者としてサーザントや
協力してくれた騎士たちに示しがつかないと、何とかポーカーフェイスを
貫き通す。
「どうやら…父上はご自身に何が起こったのか理解できてないご様子」
「当たり前だ!こんなふざけた事をしでかしおって!」」
なぜこんな愚息に捕まったのか、まったく見当のつかない――イヤ
本当は分かっていてもそんな事は有り得ないと、信じたくないと思う
ドルディに、クルドは冷酷な真実を突きつける。
「なら教えて差し上げますよ、父上。これはクーデターです!」
「ぐッ⁉…なっ……くっ…クルドォォオオ!!おっおっおまっお前えぇ⁉」
「どうせ理由を教えても父上は納得しないでしょう。もうこれ以上
話す必要はありません。我が騎士たちよ!この暴君を地下の牢屋
にぶち込むのだ!」
湿った蒸し風呂の床で、まるで芋虫のようにドタバタと跳ねて怒り狂う
ドルディの脚を数人騎士が軽く持ち上げると、騎士たちは先頭を歩く主人と
サーザントの後に続いて一階へと上がる階段を昇って行く。
「いっ痛⁉お前たちっブェ!……がっ…やめ……」
ワザと階段の角に顔が当たる様に俯けのまま騎士たちに引きずられていく
ドルディの口は切れ、青くはれ上がっている。
ドルディの首が処刑台に伏せられたのはそれから三日後のことであった。
本当は今回でドルディを殺したかったのですが、自分なりに上手くまとめられたのでここで終わりました。次回こそはドルディを殺します!!