1078年 4月 サラリーマン、暗殺計画の首謀者になる。
ガルゴレア歴1078年――春の、若干肌寒い南部の大山脈から流れる風を
その身で受けながら、クルドは走る馬の手綱を引っ張った。
乗っていた馬が止まりクルドはそこから降りると、老馬であり、愛馬であり、
もう戦闘には使えないとして、後少しで鍋の具材になる寸前だった馬の鬣を
感謝の意を込めて優しくなでていく。
「訓練お疲れさん。お前との訓練はもう終わりだから後は庫に戻りな」
呼吸を少し乱しながら、自分の愛馬が従者に連れられて屋敷の庫に向かって
行く様子を確認したクルドは、自身の武術と勉学の師であり、人として絶対
に好意を抱けないサーザントの下へ向かって歩いて行く。
本当に面白い子だ……
村の畑の隣にある、背の低い丘の上で腰を下ろしたサーザントは、
馬に乗って遠くに立ち並ぶ的に対して何度も矢をかける少年の姿を
眺めながら心の中で呟いた。
貴族の子にしては珍しく、きつい稽古や詰まらない勉強に従順でありながらも
忌者や奴隷制度にはなにかと言っては反対するのだ。
尚且つ辺境の最底辺の男爵という貴族の子でありながらも、自身の領地の
将来を見通す目と、ある程度の志を持っているのだから尚更驚いてしまう。
そんな事を考えながら気怠そうに桃色の雲が流れる空を眺めていると、
遠くの方から馬の蹄が草原を踏み荒らす音が聞こえてきたため、其方の方
に首を向きなおせば、空っぽの矢筒を背中に背負ったクルドが自分の所に
走ってきて、途中、一緒に訓練を見守っていた従者に馬を預けるのが見える。
それを見て、もう騎射の練習がが終わったのかと、サーザントが更に遠くの
小さな的に視線を向ければ、何本もの矢が突き刺さっていた。
彼が教えた安息式射法のお蔭だろう。もっともそれは東方の騎馬民族の
戦士からサーザントが教えてもらった技術であるが、これによって後退、
横移動しながらでも馬上から何度も弓を引くことが出来る。
彼ら騎馬民族の敵対国と、自分たちが当時契約していた国との戦争後に、
敵対貴族の召使として雇われていた騎馬民族の奴隷を自分他の傭兵団が
保護、本国まで護衛したことの謝礼金の代わりとして教わった技術で
あるが、それ以外の武器に関しても簡単な所だけではあるが教わっており、
弓が小型で矢が此方の鉄製ではなく鋭いブロンズ製なのも彼らのお蔭だ。
古代の大帝国時代では東方の騎馬民族帝国に対抗する為に国境面では
彼ら騎馬民族と同じ形式を持った兵士が多数配備されていたようだが、
両帝国とも崩壊した後はお互いに文化の交流は少なくなり、騎馬民族を
除いて当時の騎射技術は他の建築技術と共に失われてしまったようだ。
だからここら一帯でこの安息式…と言うより弓騎兵を使うのはこの領地
だけである。
大体の貴族が馬上で弓を使うなど騎士の恥だという、一般人には
到底理解できない理由で使っていない。弓などと言う卑怯な武器は
下民が使うべき。と言うのが彼らの常識なのだろう。
そこが元傭兵である彼らとは大きな違いだ。
肌寒い陸風によって、冷やされた鎖帷子が歩くたびに揺れて胸に当たるのを
感じながら、自分をじっと見つめる老人の下に少年が辿り着くと、老人は
大儀そうに重い腰を上げた。
「ふむ…中々の出来ではありますな……」
「こっからでも見えるのかよ」
「今はもう引いた身ではありますが、何度も戦をして平野を駆けていれば
自然と遠方を見据える目は出来上がるものです」
少しだけ、生まれた時からの特別な技術です。といったような特別な
何かを期待していたクルドは、当たり前の返答の内容に落胆を覚えながら
「そんなものか」と呟いた。
「はい。そんなものです。何事も反復練習と慣れでありますから」
「なら私でも遠くを見れるようになれるか?」
「当然であります。東方の旧友から教わったように、小さいころから
貴方様を馬に乗せていますが、はっきり言って部下や其処ら辺の騎士を
上回る体感と馬術を持っております。ですからこれからも続けていけば
眼も自然と良くなるでしょう。努力は基本的に裏切りませんから」
「基本的に……か?」
「天と地、それと運には勝てませんから」
とても短く簡単な言葉であったが、恐らく、傭兵から貴族になり上がる
ほどの功績を積んできた者からの言葉に、クルドはその重みに肩を震わし、
一回だけ深い息を吐いた。
「そうか…良い事を聞いた。助かる」
「そうでありますか…なら私も言った甲斐がありました」
そのままクルドはいつもの場所に――丘のてっぺんに向かって行くが、
いつも自分の脚に続いていく足音が聞こえない事に違和感を感じた彼は
足を止めて、サーザントが居た方に体の向きを直すと、そこには始めて
見るような、自身の将来を諦めて失意に崩れ落ちた老人の姿が彼の
瞳に映っていた。
「……どうした………急に…お前らしくない」
「…最近ですね……腰が痛いのです」
萎れた花のような老人に声をかけると、老人は南の霞んだ大山脈を
眺めて、腰を擦りながら小さく、かすれた喉から最後の一息を絞り出す
ようにつぶやくが、クルドにはどうも彼のその言葉が信じられなかった。
「私も今年で66になります…他の者たちより長生きしてきましたから」
確かに最近、クルドから見ても以前とは違ってかなり落ち着いた雰囲気
ではあったし、何となく自分よりも剣の振りが遅くなったように感じて
いたが、それでも年相応などではなく、今の様な様子は一件も感じ取れる
ことが出来なかった。
だからどうしても彼はサーザントの言葉が信じられなかった――。
いや、信じたくなかったのだろう。
老人の隣にもう一度座り直しても、少年は地平線を見続けるだけで
老人の方を向き直る事は出来ないでいた。
「……」
「どうしましたか?…そんなに黙って」
「本当に」
「はい」
「それだけなのか?」
「…それだけと言われましても…歳という理由以外になにがあるの
でしょうか?」
自身の言葉に怪しむクルドに、サーザントはそれ以外の理由など
存在しないといった感じではぐらかした。
「何があるもなにも……確かにもう歳だろうから腰痛を持っていても
しかたないだろうけど、お前みたいな頭のネジが外れた爺さんが…
腰が痛いって理由だけであんな顔するかよ。爺さんと一緒にいて
もう五年以上だぞ、そんぐらい俺にだって分かる…」
「……クルド様、貴方が…昔…私を貴族の三男坊だと言った事を覚えて
いらっしゃいますか?」
老人はクルドのを方を今だ萎れながらも力尽きることのない瞳で
彼を見つめ、懐かしそうに、そして少しうれしそうに、また微小な
希望を心の奥に仕舞いながら問いかけた。
「あっああ、覚えてるよ。たしか…八年前だったか?」
「ふふっ……」
「どうしたいきなり笑って、頭でも打ったのか?」
「ふはっ!はははははっ…そうではありませんとも。ただあの時の…
貴族の出などと言われたときのことを思い出しただけです。
まさか貴方にあんなことをいわれるとは」
「なんだよ思い出みたいにいって……ていうか貴族じゃないのかよ」
「当然違いますとも。貴方が言った通り令息や令嬢が、貴族の生活に疲れて
外を飛び出すことはそう珍しいものではありませんが、少なくとも私は
そんな大層な家の出ではありませんから」
「何だ……そうなのか。すまんな…決めつけて」
その言葉を最後に一旦会話が途切れると、直ぐに春の気持ち暖かな風が
上に駆け上がる様に吹き上がり、二人の仲を一気に包み込んでいく。
ぼうぼうと吹き上がる風の中で、サーザントは少年に自身の声が
聞こえるように息を搾り取った。
「もし、クルド様」
「……どうした…」
少年が覚悟を決めた返事を返すのに数秒。暖かな風は吹き直り、
少年は老人の方に顔を向けた。
「正直剣の稽古は心が乗りません、もし良かったら代わりに私めの
昔話でも聞いてはくれませんか?」
私が生まれた所は、もう名前は覚えていませんが南部のそれなりに
発展した人口数千の鉱山都市でした。
そこのスラム街で私は子供ながらも毎日のように日雇いの選鉱作業に
順次していたのです。
またその都市は当時としてはかなり珍しく、鉱夫たちを中心とした
議会制を取っており、政治も比較的安心していたと思います。
まぁ、そこら辺の事もあまり記憶にありませんが、大きな飢饉が起きて
いなかった以上、それなりの統治者がいたのでしょう。
しかしまだ当時としてはその先進的過ぎた自由思想の余波は、
瞬くまに王都にまで広がっていき、それに危機感を覚えた先代の国王は、
都市の民衆から行政権を中心にありとあらゆる特権を無理やりはく奪し、
王都から新たな領主である城伯を寄越してきたのです。
そこには当然に危機感と言うものだけではなく、鉱山から採れる
鉱産資源獲得とのも大きな私欲もあったでしょう。
しかし王がこの町に寄越した新たな領主は、王都で城内勤務を行っていた
文官の、ろくに鉱業、経済知識のない一介の伯爵でした。
更にプライドだけは人前以上にデカイのですから厄介です。
当然町は混乱しました。しかしそれだけでは収まらなず、都市の業務を
任せられていた都市議員との内部抗争にまで発展し、ついに伯爵率いる
王党派と市民派とで内戦が行われ、私も鉱山勤務をしていた鉱夫たちと
一緒に鉱山で蜂起してそこを占領しました。
結局王都からの援軍や周辺貴族の介入によって反乱は失敗に終わり、
首謀者であった元都市議長は処刑されてしましましたが、なんとか都市
から逃げきれた私は偶然通りかかった傭兵団に入れて貰えるように懇願
しました。
運良くその傭兵団は辺境部族との紛争で慢性的な人手不足に陥っており、
無事に私は傭兵団の下っ端として仕事先を見つけることが出来たのです。
あの日の傭兵団との出会いから私の人生はまさに成功の連続でした。
ある辺境の反乱部族との戦争のとき、敵の左翼が味方の歩兵部隊に
引きつけられ、反対の右翼が非常に薄くなっている事を知った私は、
そこに狙いを定めて騎馬突撃をするように団長に進言し、見事それが
成功したのです。
当たり前と言ったら当たり前の戦術でしたが、それでも元は日雇い
労働者の私が建てた作戦として、私はこれ以降団の仲間に一目
置かれる存在になりました。
他のにも今回の戦いで名が広く知られるようになったこの傭兵団は
多くの戦争に参加していき、その参加に続いて私の団の中での地位も
確固たるものになっていきました。
しかしその成功の連続は果敢なくも、まるで短時でしか子を生すことの
出来ないカゲロウの様に一瞬で突然と消え去って行きます。
傭兵団を治める棟梁が死んだのです。
一代で三百人規模の傭兵団を作り上げた偉人の死は傭兵団に亀裂を生み、
後継者は棟梁の息子にするか、優秀な私にするか、それともこの傭兵団
自体を解散させるかと三つの派閥に分裂してしまったのです。
私は…‥‥私を慕ってくれた棟梁の死で随分と長い間悲しみましたが、
心の底では新たな団長に選ばれるかもしれないという希望とワクワク感
で胸がいっぱいになっていました。
それでも隠しきれない喜びと悲しむを何とか胸の奥にしまい込み、いつもの
私を装っていましたが、息子の方はまだ若く、そういった事に慣れていない
様子でした。
俺を次の傭兵団団長にしろと騒ぎ立てる息子でしかが、なぜ彼が私を
他所にそんな大きく出たとかというと、また若いが故の何の生産性の
なく、根拠もない自信もあったでしょうが、何よりも前団長であった
自分の父が、死にゆく間際に次の後継者を息子にしてほしいと私に
頼んでいたためです。
数々の口論や闘争の上、結局前団長の遺言を尊重し、私が団長になると
いう希望は打ち砕かれ、息子が団長に選ばれました。
その後は過去の栄光を奪っていくかのように不遇の連続です。
息子である彼は自身と周りとの知識や技術の差にコンプレックスを
持っていたようで、古参の兵士の多くを傭兵団から追放し、新たな
若い農夫たちを中心に改革を進め新たな傭兵団を作り上げました。
ですが後継者に技術を教えるはずの古参組が私を除いて消えてしまった
以上、その傭兵団はただの烏合の衆でしかありません。
更にそこを治める団長はまだ幼く、根拠のない自信に満ち溢れている
のですから最悪です。
私が考えた作戦が成功するや否や自分と功績だと高らかに叫び出し、
自分の考えを強行して失敗した時には私の責任にされました。
古参の中でも私だけが生かされた理由はそこにあったのです。
しかし、そんな様子を見てか、最初は若くも勇敢な棟梁として彼を
長らく慕っていた新米組もその心が徐々に私の方へと向き始めました。
その時はもう一度春が私を迎えに来たと思ってしまいましたが……
私を慕い始めた部下を団長は殴り飛ばし、暴力で私の下から彼らを
引きはしたのです。
そこからでしょうか、私が命の危険を感じ始めたのは。
しかし一度心を掴んだ私は自身の地位を固めるために、諦めずに
夜な夜な部下たちを呼び出しては文字の読み書きや武術を細々と教え、
彼らの支持を集めていったのです。
そしてそのまま十年後、今から十六年前に、此処の辺境伯と西部の
リューネ公国との戦争の際に辺境伯側に付いた傭兵団は、団長が運よく
辺境伯の命を敵の凶刃から救ったことにより、この男爵領としては
比較的大きな領地を貰う事が出来たのです。
「しかし…此処の領主となってからはヤツは自身の欲望をむき出しにし、
村民を傷つけた……」
老人は地平線からクルドの方へ視線をもう一度向き直すと、まるで癇癪を
起こした赤ん坊の様に瞼いっぱいに涙を抱えながら、息を荒げながら言葉を
続けていく。
「クルド様…‥‥私は…何度もこのマクシミリアン家を潰そうと考えました…。
団長の血を引く貴方が生まれてからはより一層…それは今も変わりません。
ですが……当主の寝室に足を運ぼうとするたびに、貴方のっ……八歳にして
気難しい本を一生懸命…読んでいる姿が脳裏にチラつくのです……!
八年前の…私に反抗して忌者を庇った姿が…!真っ直ぐに弓を取って
訓練に励む姿が…!…‥‥貴方様の存在が私の勇気を邪魔する!!」
「……サーザント」
「なにを…如何すれば!如何すれば良い⁉……私は…私はこのまま老いに埋もれて
死ぬことしか出来ないのですかッ⁉⁉」
「っ……」
「身体のあちこちが痛い………もう生きるのが辛いのです…」
何を……どうすればいい?……そんなのこっちが聞きたい気分だ。
なんだよいきなり重たい話ぶっこんで……
なんで…そんな…悲しい事言うんだよ…
頑張っても認められないなんて……俺と同じじゃないか…!
どうしていきなり、そんな事言うんだよ…そんな悲しい顔してっ
死にたそうな顔してっ
俺に何を求めてるんだっ…‥‥⁉
分からない。
知らない。
どうでも良い。
そんな事が頭の中で渦巻いていくなかで、ふと昔の、
死んだときの事を思い出した。
あの不思議な、天使のような女性の、救いの言葉。
そうだ…俺は……あの時…誰かに救って欲しかったんだ…。
――もし、貴方が生き返れるとしたら何をしたいですか?――
「……サーザント…」
「はい…」
少年はもしこの言葉を言ったらもう戻ることは出来ないだろうと、
それでも自身の本音を包み隠さずさらけ出した老人を救いたいと、
そう思いながら老人にある言葉を問いた。
「ならお前は何をしたい…」
「なにを…?ですか……」
「そうだ、お前が最近精がないのは薄々分かっていた……そしてそれを
今、お前は私にその理由を答えてくれたな。それと同じように
何をしたいのか私に教えてくれ」
「そんなもの…言っても叶えられるものでは有りません…」
「いいから、言えっ…」
「ですが……」
「早くっ……俺の気持ちが変わる前に…」
そう言われて少年の顔を見たサーザントは、彼が後戻りはできないと
覚悟を持って自分に問いかけていることを察し、恐る恐るといった
表情で自身の思いを率直に答えた。
「…もっと……多くの人に認められたかった…私を罵るアイツが憎くて
仕方がなかったっ…‥‥アイツを殺してやりたいっ……!!」
もう言ってしまったと、聞いてしまったと、少年は若干の後悔を
覚えながら何回か深く深呼吸をした。
「ふぅ……いいよ」
「えっ…」
「お前はさっきマクシミリアン家を潰すっていったな……でも俺がいる
せいで出来ないと」
「……はい…」
「いいよ……父上だけを殺すんなら良い。俺も協力してやるっ…」
「えっ…なっ…えぇ⁉」
「なんだよ驚いて、お前が殺したいって言ったんだろが」
「でっですが…本当に……そんな…クルド様貴方の父上で有りますぞ…」
「はっ…アイツが私を息子だと思ってないことぐらい知ってるだろ?
俺だってお前と同じだ。お互いアイツに嫌われてる。もしかしたら
これ以上気が狂って殺されるかもしれないな」
それがクルドの最大限の彼に対する配慮だったのだろう。
それ以上は流石にクルドでも何か言う事が出来なかった。
「クルド様……私は…」
「いいって……いいよ。あんなに頑張ったんだろ?それなのにアンタは
父から冷遇を受けてる。あの親父はやり過ぎた、部下からも領民からも
恨まれて、誰かが終止符を打たなくてはならない……それがたまたま
息子の俺だったんだよ」
――情勢は不安定ですがかなり立地は恵まれています――
――早急に対策を練れればもしかしたらとんでもない化け物に
生まれ変わるかもしれません――
「あっ……でも当然父を殺したら俺が当主になるぞ?俺が当主になって
お前と一緒に村を復興出来たら盛大に取り立ててやる」
「ははっ…全く貴方って人は……本当に信じて宜しいのですね?」
「いつかは何か解決策を講じなくてはならないと思ってた…。
だから俺を信じてくれ」
「そうですか……」
老人は少年の言葉に何かを決心したのか、思い腰を上げてから、
彼の前に深く跪いた。
「クルド様……今から私は貴方の家臣として忠誠を誓います」