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晩年課長の憂鬱



東京某所、空高くそびえ立つビル群の中。



そのビル群の一部を形作っている、多様な化学薬品を取り扱うある商社の

六階のオフィス室で、ここを監督する彼こと村田亮平は部下たちの視線を

気にしながら窓に付けられたブラインドカーテンを指で上に退けて、

ビルの下を歩く民衆を舐めるように眺めていた。


この牢屋の様な閉ざされた空間の中で、村田が唯一自身の心の傷を

癒せるのが、今行っている人間観察である。


ビルの上からまるでロボットの様に動く人々を見れるお蔭で、自分が

この世界を支配する何かしらの…神だか仏だか分からないが、そういった

超越者的な者に成れている気がして優越感に浸れるのだ。




それが彼の、五十後半にして今だ課長で有り続けるの男の、プライドに

切り刻まれた傷を癒す日課だ。




これだけは誰にも邪魔されたくないな…。



「…チッ…仕事しろや…この無能爺が」



そんな事を思いながらも一歩前から聞こえた言葉に耐えきれず、村田は

ブラインドから指を離して、パソコンと面と向かって今日の分の仕事を

始めて行く。


しかし、村田が仕事を始めて前にいる男の視線は一向に村田から離れず、

寧ろ一層男の村田に対する憎悪の視線は激しくなるばかりだ。



部下である菊知が自分をなぜ恨むなんてことぐらい、とっくの昔に

分かっているが、それでもそれは自分のせいではなく会社の意向で

ある事を知っているいる以上、なぜ自分を恨むんだという疑問が

いつも村田の胸の中に渦巻いていた。



はぁ……何で…何でそんなに俺を恨むんだよ…菊知君。



朝から遣る瀬無い気持ちでも村田は唇を一直線にしながら、時計の針が

十二時に迫った頃にパソコンを閉じた彼は、部下に聞こえない様に

一息つく。



やっと午後の休憩だ。



村田は早々とオフィス室から抜け出し、一階向かう為にエレベータに乗る。

長年課長止まりの彼は悪い意味で社内全体で有名だ。

だから先に乗っていた女性二人の蔭口の内容も、社内の恋愛話から当然

後から来た村田に移って行く。



聞こえない聞こえない……俺は何も悪くないし…。

っていうか蔭口のつもりなんだろうけど思いっきり聞こえてるから。



女性二人が四階で降りると、村田は先程の様にホット一息つき、彼も一階

に降りるとコンビニで昼食を買うためにビルの外に出た。









「あっ…レジ袋は良いです」



そう言って軽く右手を前に出すと、レジ係の若い女性の店員はニッコリ

笑顔を受けべながらコンビニ弁当にシールを貼り、村田の方へ差し出した。



「すみません」


「お買い上げ有り難うございましたー」



意味もなく誤った村谷店員はまた薄く笑顔を浮かべながら丁寧に

お辞儀をした。


今時の若者には珍しい丁寧な接客に村田は少々の感動を覚えつつコンビニを

後にし、会社に戻るといつものオフィスではなく、ビルの屋上に向かった。


多少の気分転換というのもあったし、ただ単純に屋上から東京の景色を

見たかっただけかもしれない、兎に角別段ちゃんとした理由があった訳では

ないが、何となく彼は屋上に繋がる非常階段をのしのしと上がって行く。


近くに会ったエレベーターを使わなかったのは、先程の様にエレベーター

の中で誰かと会うのが怖かったからだ。


初夏であってもビルの群れが立ち並ぶ東京であるため、田舎の様に暖かい

とは言えない。背中に籠る熱気と一人で戦いながらやっとのことで屋上に

辿り着くことが出来た。



これなら…エレベーターの方が良かったかもしれないな…。



村田はまるで、マラソンの完走者の様に足を震えながら東京の眺めをみるが、

決して本物のマラソン選手の様な、苦難を成し遂げた後にふっと現れる開放感

などなく、彼の顔面は醜い豚顔に変わっている。



「ふぅ…ふぅ……あっ弁当食わなきゃ」



上下に揺れる肩を落ち着かせるために屋上に設置されたベンチに座った

彼は、コンビニで買った弁当のプラスチックの蓋を開けて、中の具を口に

頬張っていく。



「あむっ…ふむ…やっぱり仕事の後の塩気が効いた弁当は最高だ!」



まるで仕事でのストレスを無理やりかき消すかのように村田は大きな声で

ベンチに座りながら叫ぶが、弁当の具が無くなるに連れて顔の表情が

心なしか暗く落ち込んでいく。



「はぁ…もう無くなっちゃったか……」



五分もしないで弁当を平らげた村田は、次に屋上の端に付いている

背の高いフェンスに手をかけ、ビルの下にいる小さくなった人たちを

見つめていく。



昼食の食いに行ったか…それとも営業の為か……。



そんなどうでも良い、下らない事を考えていると、一瞬だけ先程の

コンビニで見た店員の姿が脳裏をよぎった。



あの若さなら高校生か大学生か……まだ社会の荒波も知らず、希望を

膨らませながら自分の為に懸命に働いてた……



…このビルの下で歩く人たち…彼らの中にもいるんだろうか……



俺と同じような……どんなに頑張っても認められず、会社のはけ口に

使われる人たちが。



―――あの娘もそうなんだろうか―――






そんな事を考えながら、気付いた時には村田の身体はフェンスを越え、

落ちる寸前まで前のめりになっていた。




「ははっ……なんだよ…これじゃあ自殺しようとしてるみたいだ」



村田には家族が居る。


十歳年下の妻と、今年大学生になったばかりの、先程のコンビニ店員に

よく似た一人娘だ。



会社同様、娘には無能爺と蔑まれ、歳の割に今だ若さを保っている

綺麗な妻からも給料が一向に上がらない無能扱いを受けているが、

それでも三十手前で課長に大出世して、大きなプレッシャーに押し

つぶされそうになった自分を傍で支えてくれた妻を愛しているし、

妻から生まれた一人娘も愛していた。



その気持ちは伝わらないし、伝えれないが、少なくともあの二人が

居る以上は、村田は自殺する気など毛頭なかった。



だから村田自身、不思議に思っただろう。


背中から来たチョッとの衝撃と一緒に、自分が宙を浮いていたのだから。



「あっ……う?…え?……なぁっ⁉アッアアァァアアアア!!」






突然の事で何が起こったのかも理解できない。何より風圧で頬が死ぬほど

痛いし、体の軸が安定しないからバランスが崩れて体が回転しまう。


そして…それが良かったのか悪かったのか、身体が宙で回転しながら

アスファルトに迫る中、村田は屋上のフェンスを握りしめるある人物と

目線が合った。



ほんの瞬きも出来ないような一瞬だったかが、村田には何故だかその人物

の正体が分かってしまった。






「菊知……」





余りの絶句に、もうすぐ地面と激突して死ぬという恐怖に、そしてヤツの

これまでの自分に対する言動と、今の現状が完全にマッチしてしまった

ために、村田はその一言しか口から出なかった。




「ぁあ⁉嫌だ死にたくないっ!!」



恐怖しかない。


人が死ぬ寸前に過去がフラッシュバックすると言う走馬燈もない。



あるのは視界いっぱいに広がったアスファルトの凹凸と、全身に走った

一瞬の痛みだけだ。



西暦二千二十三年 令和五年 五月二十九日、村田亮平は二人の家族を

残して屋上から飛び降り自殺をした。




―――そう報道された。




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