98 英雄凱旋 ⑩
もう何も言うまい……。
ついに凱旋式の当日がやってきた。天理からしてみれば待望半分緊張半分と言ったところ。
『英雄』の象徴として人々に認知されること、それは当初からの目的である、『クラスメイトを見つけ出し無事日本へと帰る』というものに反するかもしれない。しかし、天理とて、生半可な気持ちで請け負った訳ではない。勿論断ることの難しい立場であったということもあるが、承諾した目的の一つとしてはこちらの世界で磐石な立場を手に入れることがあった。
この世界での天理はと言えば容易に一言で表すことが出来る。『根無し草の魔物狩り』。言い方は悪いが、隠すことなく表現してみるとこんなものだろう。
ある一定の場所に居を構えず、行く先行く先で魔物狩りギルドから発行される依頼を受けつつそこから得た日銭ですぐにその場を発つ。
自分の自由に出来るという観点から見ればこれほどやりやすい環境はないかもしれない。天理もまた初めはそうした方向から一人ずつ探していこうと考えていた。それが改められたのは紗菜と再会してからだ。
紗菜との再会は予想だにしない衝撃を天理に与えていた。『奴隷』という言葉は日本で安穏と生活していた者たちにとって見れば創作の中の言葉か遠い世界のどこかの出来事だ。それは天理もまた例外ではない。
というよりかは、天理は油断していたのだろう。彼自身は温厚な性格であり、群れでの生活を第一とするケンタウロスの村で目覚め、紫葵はこの世界の一大勢力である『神聖管理教会』の掲げる象徴、『聖女』として天理の前に現れた。
故に失念していた。目を背けていた。頭のどこかで思い込んでいたのだ。まさか転移してきたクラスメイトが何らか危機に瀕することはあるまいと。
それは自分でも呆れるほどの楽観だった。あのまま天理があの場所に向かうのが遅れていれば紗菜がどうなっていたのかは想像に難くない。勿論奴隷にも人権はある。奴隷というのは言うなれば自らの身体を商品として労働価値を提供しているようなもの。
だが、法というものは馬鹿正直に守られるものではないことは子供でも知っていることだ。後から知ったことだが、やはり奴隷に対して違法であるにも関わらず『そういうこと』を行い、そしてそれを隠蔽しようとする輩もいるのだという。
仮に、もし仮に紗菜がそうなってしまっていたとしたら、天理は自分がどんな行動をしてしまうか分からなかった。ベタベタと嫌に馴れ合いを求めてきたとしても、天理にとっては幼い頃から親しくしていた一人なのだ。なまじその『背景』を知っているからこそ、天理は紗菜には幸せになってもらいたいという想いを人知れず抱えていた。
また、魔王として邂逅した物部 誠二にしてもそうだ。彼が行った数々の所業、それは許容出来ないものだった。誠二の手によって間接的にしろ、直接的にしろ命を失ったものは少なくない。
元の生活に帰ることなどまるで想定していないのだ、彼は。理不尽を仕方のないものと受け入れ、なまじ大きな力を手に入れてしまったばかりに周囲に見せ付けるかのように撒き散らす。まるで災厄だ。
最後にはあの強大な気配を持つ謎の女性に連れていかれてしまった誠二。あの圧倒的な力を思い出すと今でも身体に震えが走るほどだ。あの後誠二がどうなってしまったのかは分からない。だが単純に誠二を助けに来たとは思えないのだ。何しろあのまま女性が乱入してこなければ、負けていたのは天理たちの方かもしれないからだ。
誠二があのような考えを持つに至ったのは自分のせいだと、天理はそうは思わない。思いたくないが、それでも思わざるを得ない。もしもっと早くに誠二に会うことが出来たら、と。日本へと帰るための手段、その一端でも見つけ出すことが出来ていたらと。
これはもう生来の性格によるものだろう。だけど、誰かがやらなければならないことだ。そうして誰かが、誰かがと無駄な時間を過ごすくらいならば天理は自分が動く。これまでもそうして来たし、これからもそうしていくつもりだった。
そして今までの積み重ねが今日こうして実を結ぶ。天理だけでは無理だっただろう。そこに紫葵の多大な協力があったことは否めない。紫葵のおかげで一人で背負うものでもないことが分かった。
今日で全てが変わる。琉伊ではないが、天理はそんな予感を抱いていた。
――――凱旋式が始まる。
※※※※※
「天理くん、準備は出来た? 出来てたらちょっと付き合ってほしい場所があるの」
調停機関との話し合いのために一度だけ足を踏み入れた場所――――『白亜の塔』の一室で天理は扉越しにそう声を掛けられた。
凱旋式が始まるのはもう目前という時間帯。この部屋は天理の控え室として用意されたものだ。ここで衣装に着替えた後、案内を寄越すまでは寛いでいてくれとの旨を告げられていた。
てっきり紫葵の方もそんな具合でどこか別の部屋で準備をしていると思っていた天理は、そんな思いがけず投げられた声に驚きはしたものの、彼女の声に何か含むところを感じたのか、間を空けずに応答する。
「紫葵? 準備は出来てるけど……。今開けるよ」
「ごめんね、急に押し掛けて。おぉ……」
扉を開けてすぐお互いがお互いを凝視する。二人の今の服装と言えば凱旋式用に見繕った正装だ。紫葵の方は聖女ということで普段から白をベースとした清楚さと神秘さを両立させたような出で立ちをしているが、今日のそれは普段にも増して紫葵の魅力を引き出しているように思えた。
身体のラインを出さないためだろうか、比較的ゆったりとした長めのケープのようなものに身を包み、そこから伸びるスカートもまた長く、肌を露出しないように意識を向けられていた。
口を開かず、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていれば、十人のうち十人全員が見惚れ、信仰するであろう聖女がそこにいた。
対するその聖女に目を向けられている天理はといえば、普段の動きやすさを求めている軽装の旅装着とは相異なり、かっちりとした、こういう場にそぐうようなもの。正装というのは誰が着ても一回り大人びて見えるもの。元々顔立ちのいい天理が着ればなおさらだ。端的に言って大人の男性の色気というものを醸し出していた。
「なんか照れるね、こういうの」
「紫葵は着慣れてるんじゃないの」
「そんなことないよー。今日のはいつもより全然気合いが入ってるくらい」
ほにゃりと笑みを浮かべながらそう言う。そんな笑みでも慈愛に満ちた微笑みに見えるのはいかなるマジックか。つくづく見た目が及ぼす影響の大きさを噛み締めるのみだ。
ともあれ、案内が寄越されたのだ、少々早くはあるが場所を移すのだろう。そう思い天理は紫葵の後に続く。だが、そこではたと思い立つことがあった。
「そういえば、ちょっと付いてきて欲しい場所があるとか?」
「あ、そうそう。元々時間が来たら天理くんを迎えに行って欲しいって言われてたんだけど、その前に日課みたいなものをすませておこうかなって思って」
「日課? 聖女だから祈祷とか?」
「うん、そうなの。こっちに来てからほとんど毎日しててね」
からかいの意味を込めて言った言葉をそのまま肯定されたことに表には出さなかったものの、天理は小さくない驚きを感じていた。元々彼女が信仰深かったという話は聞いたことがない。ただ隠していただけという可能性もあったが、こっちに来てからという言葉から考えるに転移後からし始めた習慣なのだろう。
そうして紫葵と話を交わしながら歩くこと十数分、天理は見慣れない場所へとたどり着いていた。
一言で表すならば礼拝堂と言ったところか、日本人にとってはあまりなじみ深くないものであり、生粋の日本名家の出である天理も画面越しにしか見た事はなく、実際にこうして目の当たりにしてみると確かに感じるものがあった。
「……む。今日も来たのか」
そうして天理が感慨に耽っていると、前方からぶっきらぼうとも言える声が投げかけられた。人がいるとは思っていなかった天理は少なからず焦りの表情を見せた。あまり聖女と親しくする様子を見せていればそれだけで反感を抱く人もいる。それを先日思い知った天理は人前ではあまりそうした態度を取らないように心掛けていた。
紫葵なんかは『そんな事しなくていいよー』だなんて笑っていたが、紫葵の立場と、天理のこれからを考えると慎重に慎重を重ねておいても損はないだろうとの考えだ。
そんな経緯から天理は立ち位置を紫葵のすぐ隣から一歩引いた所へ、近衛となる天理が立っていてもおかしくない場所へと移す。
そうしながら視線は先客の方へ。どこか見覚えのある風貌に数瞬記憶の中を洗いざらい探し出す。
そこで数日前に会った人物が該当した。調停機関に身を連ねていたウォルス・ノーマン枢機卿だった。
「こんにちは、ノーマン枢機卿。日課ですから。今日もここは閑散としていますね」
「少し前に比べれば君が来てくれるだけまだマシだよ。今日は君だけではないようだが。……ふむ」
ある程度の親しさを感じさせる会話だった。紫葵が祈祷に来るように、彼も毎日こうして礼拝堂を訪れているという事だろうか。
意味ありげに一息ついた後、ノーマン枢機卿は天理の方へと視線を向けた。
「君とはあの時以来か。ここ数日で随分と鍛錬を重ねたようだ。あの時と比べて見違えたよ」
「そう、ですか。ありがたい限りですが、僕なんてまだまだで……」
「ふっ、謙遜なんてせずともいい。君には期待しているんだ、これからも励みたまえ」
それだけを言って、ノーマン枢機卿は早々と礼拝堂を退出していった。
「いつもはわたしの祈祷が終わるまでいるんだけど、今日は天理くんに遠慮したのかな?」
「えっ、そうだったら悪い事をしたかもしれないな。あんまり口を大きくして言えないけど、僕はどちらかと言えば無宗教だしな」
「それ絶対他の人がいる場所で言ったらだめだからね。本気で怒られちゃうよ」
「さすがに分かってるよ。僕もそこまで馬鹿じゃない」
そうして軽口をたたき合いながら凱旋式前の穏やかな時間が過ぎていったのだった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。