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異界にて揺蕩え、デア ヴァンピール  作者: 葦原 聖
第三章 揺れる世界
91/120

91 亀裂と衝突

 長く続いた捜索の旅の果て、俺たちは遂に神聖管理教会の本部を要する宗教国家、『聖ルプストリコ』を目前とした『サルヴァリオン樹海』、その近郊に存在する村にてルネの後ろ姿を掴んでいた。


 元々樹海から魔物が出てくる事がなかった事から、その表層にて魔力を潤沢に含んだ薬草を比較的安全に取れるために人が集まり、やがて村を形成していたそこだったが、近年の魔物の増加により村の自警団による定期的な警邏による間引きが必要になったのだという。

 俺たちがルネを追いその村に着いたとき、丁度彼女は自警団の手伝いとして魔物の間引きへと同伴したところだった。


 それを聞き、逸る心を抑えながら樹海へと駆け込んだ俺とイレイヤ。深く踏みいったそこで、ようやくルネの姿を見付けるも、彼女が見せたのは拒絶の意志だった。


 徐々に強まるルネの魔力。問答の末爆発した感情とともにルネが魔法を発動させる。全てを凍てつかせる死の風が俺たちに襲い掛かった。










 ◆










 身体の至るところがぼろぼろで、感覚すらない場所もある。きらきらと銀色に鈍く、美しく輝く死の風は俺のとっておきの防御魔法すら容易くぶち抜き、その暴威を振るった。


 ―――――だが守れた。守ることが、出来た。


 俺は抱え込んだ胸元に意識を向ける。そこには憂慮を顔いっぱいに浮かべたイレイヤがいる。その視線の先は俺の右半身。

 見事なまでに半氷像と化した俺の右半身だったが、幸いな事に周囲の木々や逃げ遅れた魔物たちとは違い、氷粉となって散ってしまうという事はない。だが、イレイヤから見れば治りようもなさそうなそれは致命にも等しい重傷なのだろう。


 だが俺の意識はもう既にそこにはない。元々あの羅刹のような吸血姫――――ミノット=フォガットから血を吐くような洗礼を受けた時点で自身の痛覚とは折り合いを付けていた。だからこそ、俺は大気中に漂う氷の粉に視界を遮られながらも周囲に気を張り巡らせる。


 あれだけの量、そしてあれだけの質の籠った魔法を発現させたのだ。ルネを発見した時点で、彼女の身体には疲弊の後が見て取れた。当然だ、俺たちが二人がかりで掃討してきた魔物の数を、たった一人で相手していたのだ。そんな身体で、あれだけの規模。耐えられるとは思えない。


 それに魔法が発現する直前。今にして思ってみれば微かな違和感を感じていた。その時は予想外の魔法の威力に思考を割く時間がなかったが、こうして少しばかりの余裕が出てくるとそれがまるで警鐘かのように頭の中をかき乱していた。

 破裂寸前の水風船のように暴走していたルネの魔力。それが次の瞬間には一瞬凪を見せ、そしてその後に魔力が爆発したかのように拡散し、魔法が発現した。


 その一瞬だけ出てきた、どこか知っているようでいて、ルネとは違う魔力。言葉にしにくいが、あえて言葉にするなら、そう。


 ――――そう、まるで、魔力の質ががらりと入れ替わったかのような。



「――――そう、困る。ソレは今この場でワタシが処理するからな」



 ぞくり、と背筋が泡立つ。

 声とともに、魔力が散発的に発せられた。それに押されるように周囲を待っていた氷の粉が吹き散らされていく。何てことはない、呼吸でもするかのような気軽さ。だが、そうして発せられた魔力が、その実巧みな魔力制御によって操作されている事に気が付いた。


 一歩、二歩。こちらに近付くごとに顕わになっていくその姿と、そして肥大していくミノットを前にしたかのような、根源に語り掛けるかのような絶望的な圧力(プレッシャー)


 ()()はルネの姿に()()()()似通っていた。

 相違点は大空を思わせる天色(あまいろ)だったルネとは違って、先ほどの『死の風』のような無機質な冷たさを感じさせる白銀の艶髪と、そして俺やミノットと同じように、血を垂らしたかのような妖しさを持つ瞳、その中心に浮かび上がる十字の紋様だ。



「……ルネ、ちゃん?」



 刹那、漂う呆然とした空気の中、イレイヤの呼びかけが響く。

 その顔にはありありと無理解が浮かんでいた。だが、それも当然だ。かくいう俺だって平静である自信がない。

 それでも分かっている事はただ一つ。目の前の存在は形こそルネだが、その本質はルネではない、という事だけだった。



「ふむ。お前は邪魔だな」



 イレイヤの呼びかけに答える事なく、『ルネ』はちらりと無造作にイレイヤに一瞥を送る。

 途端、彼女の瞳が、その中央に浮かぶ十字の紋様が揺らめき、煌めいた。



「――――ぁえ?」



「……イレイヤ?」



 一瞬、イレイヤの身体がぶるりと震えたかと思うと、彼女はゆっくりと、まるで見たくないものを見るときのように、こちらへと視線を向けてきた。



 刹那、間隙。



「吸血、鬼……?」



 一言、呟く。それは俺がこの世界に来て、『大地の洞』を出てから一心に隠し続けてきた事。その事実を言い当てられ、俺の脳が身体とともに麻痺を起こす。

 次の瞬間、イレイヤの絶叫が響いた。



「いやぁあぁあぁあああぁっ!? 来ないでぇええぇえぇっ!!」



 両手を耳に当てがむしゃらに髪を振り乱しながら、イレイヤは後退りをする。それも『ルネ』からではなく、何故か俺から。



「そうだ、ここにいる『モノ』はお前たちが何より心から恐れるもの。その恐怖に抗わず、ここから立ち去るがいい」



 『ルネ』の言葉が響き、それに比例するように瞳の輝きが増幅していく。


 呆けて何も出来ずにいた俺に構わず距離を取るイレイヤだったが、やがて体勢を崩し地面に転がった。

 それでもなお、恐怖にまみれた顔を向け、俺を見る。俺を、俺と認識していないようなそんな瞳で。



「逃げ、ないと……」



 ぽつりと、イレイヤが自分に言い聞かせるようにそう呟いた。ゆるゆるとその場で立ち上がり、おぼつかない足取りでこの場から離れようとする。


 状況に思考が追い付かない。やはり俺は、呆けたまま何も出来ない。


 分かっていた。分かっていた、事だった。

 この世界において魔族というものは酷く恐れられている。ミノットから聞いていたし、イレイヤのその口からも滔々と聞かされていた。


 魔族は危険だ。特に、吸血鬼という種族はひどい。過去に神さまたちをここではないどこかに追いやり、我が物顔でこの世界を闊歩した。


 そんな話を聞かされながら、俺はそれでも思っていたのだ。イレイヤなら、彼女ならと。

 『大地の洞』で彼女と出会い、そこから行動を共にしてきた。期間にしてみれば、一年にも満たない。行きずり、と言えばそれだけの関係だ。


 だけど。それでも俺は、イレイヤを信じたかった。彼女の爛漫さが、俺を受け入れてくれるとそう根拠のない確信を持っていた。



 ――――『吸血、鬼……?』



 気のせいだった。ただの思い込みだった。そうした絶望が湧き上がる中で、今ならばまだ間に合う、俺から説得すれば納得してくれる。そんな浅ましい希望を捨てきれずにいる自分がただただ恨めしい。



「イレ、イヤ……、俺、は……」



 ここまで来て、ようやく口が動く。からからに乾いたそれは思うように動いてはくれないが、それでも意味を成す音を紡いだ。


 だが、そこにはもう既にイレイヤの姿はない。深い樹海の中へと飲み込まれていってしまっていた。


 ぽっかりと胸の奥に開く空虚。そこでようやく俺はイレイヤという存在をそれほどまでに信頼していたという事に気が付いた。

 この世界に来てからの俺は、ミノットの訓練を始めとして人ではないという事実を突きつけられながら過ごしてきていた。どうにかしてそれを意識の外に追いやろうと画策しても、その事実はどうやっても消えない染みのように俺の心を苛み続けていた。


 だけど、イレイヤと過ごしていく内はそれを忘れる事が出来た。その時間だけ、俺は人間に戻れていた。人の温かさを、イレイヤは俺に思い出させてくれていたのに。


 胸に空いた洞を埋めるように沸々と煮えたぎった怒りが湧き上がる。何も出来ない自分に対する怒り、理解不能な状況への怒り。そして目の前にいる、今の状況を引き起こした張本人への怒りが一緒くたになって爆発した。



「―――――何をしたッ、ルネッ!!」



 気付けば、大声を張り上げていた。ここまで大きな声を出せたのか、と場違いな感想を抱く。


 だが、そんな俺の激情も何のその。『ルネ』は氷の鉄面皮を崩すことなく冷静に告げる。



「何を、か。別に何て事はない。お前なら分かるだろう? 吸血鬼である、お前ならば」



 吸血鬼である、俺ならば分かると彼女は言う。その言葉が引き金となり、俺の中の記憶が呼び起こされた。


 魔眼。それもまた、吸血鬼が生来持つ特性の一つ。その効果には様々な物があり、魅了眼を始めとして石化眼や衰弱眼、珍しい所で言えば障壁眼などがあるのだという。


 ミノットは使わないと言っていた。魔法とは違い、権能に近いものだとも。

 その頃は何がなんだかわからなかったが、今は違う。



「お前は……なんだ」



「ふむ。何、か。そうだな、誰、と問うよりもそちらの方が本質に近い。本当は気付いているんじゃないか? それでいて目を逸らしているだけ」



「何が、言いたい」



 恐怖を忘れるかのように問答を繰り返す。傍らでは膝に頭を抱え込んだイレイヤが虚空に向かい何事かを呟いていた。俺一人で離脱しようにも、このままのイレイヤを放置するわけにはいかない。

 抱えて逃走しようにも、今のイレイヤがすんなりと俺に従ってくれるか分からないし、なにより『ルネ』の狙いは俺にあるように思える。手負いの今非戦闘者を抱えながらあれだけの相手から逃げおおせるとは到底思えない。



「まあ、いい。無駄な問答など何の足しにもならんからな。それほど聞きたいなら、ワタシが直々に教えてやろう」



 状況は俺を待とうとはしない。次の一手を考える暇さえもなく、『ルネ』は歌うように言葉を口にした。


 瞬間、爆音。


 気が付けば『ルネ』がそれまでいたはずの場所が大きく陥没し、その姿は消えていた。と脳が認識した瞬間に視界に影が落ちる。

 目の前に意識を向けた時にはもう既に遅い。


 冷たい微笑を浮かべ、銀髪を靡かせながら、『ルネ』がどろどろの殺意の籠った赤い瞳で俺を見下ろしていた。



「――――ワタシは『管理者』の一人、『執行者(エクゼキュージョナー)』。お前を殺すモノだ」

最後まで読んでくださりありがとうございます。


追記:6.20に修正しました。内容について、イレイヤが姿を消したところの描写が分かりづらかったので、より分かりやすいように描写を追加しました。

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