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異界にて揺蕩え、デア ヴァンピール  作者: 葦原 聖
第三章 揺れる世界
88/120

88 名も無き怪物

まだまだGWはこれからだ!

 凍て付いた世界の中で、一迅の銀の風が吹く。


 触れたものから時を奪う、死の息吹。それがルネの激情とともに周囲に振りまかれる。

 氷すらもその上から凍らせる悪夢のような光景だ。



「――――やばっ」



 音もなく、周囲を撫でるようにして近付いてくるそれが、実際は軽く命を奪えるほどの威力を孕んでいるというのだから笑うに笑えない。


 

 ――――――――出し惜しんでいる場合じゃないか。



 目の前の脅威から来るものではない恐怖を感じ、それに屈しそうになりながらも俺は覚悟を決める。

 ミノットやローズを除いて人前で吸血鬼の特性(コレ)を使うのは初めてだが、悠長に構えてなんていられない。くだらない感傷は今この瞬間に切って捨てるべきだ。……死なせてしまっては元も子もない。



「影魔法……『影纏』」



 地面を擦ってしまいそうなほど丈の長いコートの裾を翻しながら、イレイヤ共々自分の身体を覆い隠す。その軌跡に沿う様に、コートの表面から黒い粒子が噴出した。影に見紛うようなそれはぐねぐねと蠢きながら、捻じれ、絡まり鉄壁を成す。


 無機物に魔力を通す――――どちらかと言えば気力の運用に近いこれは、他の技術とは違ってミノットではなくローズによって授けられたものだった。

 いつもは口出しすることなく遠目でにこにこ笑っていた彼女だったがふと何かを思い至ったのか、『いつか必要になるかも』なんて言葉とともに珍しく訓練を施してくれた。


 ミノットと違い感覚ではなく理論詰めて授業をしてくるのは俺的にはありがたかったのだが、如何せん俺は魔力というものに触れてからミノットという感覚派の大御所みたいな人の英才教育によって感覚でしか掴めない様になってしまっていたので、結局のところ最後にはミノットによる力業によって習得せざるを得なかった。解せぬ。


 それはそれとして、このように無機有機に関わらず魔力付与を行う事によって何が得られるか。答えは簡単、それそのものの強化だ。

 身体強化の魔法にも通じるものだが、魔力を纏わせたからといってそれそのものの重さだったり、構成物質だったりが変質してしまうわけではない、らしい。


 言うなれば『属性』を付与するようなものだ。それが『強固』であったりといった多様性を持つのだという。


 元々汎用性の高い影魔法、『影纏』単体の場合他の魔法の防御系統のものと比べればその防御性能には無視しえない差がある。

 加えて今の場合、ルネから撒き散らされている『銀の風』は普通じゃない。これだけで完全に防ぎきるのは無理がある。


 だからこそ俺は枷を外す。『大地の洞』の奥底で出会った謎の巨躯の老人と戦った時以来だ、吸血鬼の特性を使うのは。



「――――――――喰らえ、そして変性せよ」



 だばだばと腕を伝りながら流れていく命の源。一度体内から出たはずのそれが、まるで生き物のように『影纏』を這っていく。やがて本来の色である黒色から、その身を赤へと変じる『影纏』。


 吸血鬼の種族特性、『血液操作』だ。

 いや嘘だ。俺が恥ずかしいからそう呼んでいるだけで、本当の名前は『殺戮の血宴ブラッディ・カーニバル』というらしい。罰ゲームか何かか。

 

 その名前はともあれ、能力だけを見るとミノット直伝の究極防御魔法だ。これを完全に貫けるのはミノットくらいだろう。それくらいの強度を誇る絶対防御。


 数瞬経って、俺の魔法とルネの『銀の風』が衝突するのを肌と耳で感じた。

 凄まじいまでの轟音。それだけでどれほどの威力かが窺い知れる。


 俺は腕の中で縮こまるイレイヤをぎゅっと抱きしめ、出来るだけ衝撃を和らげられるように体勢を調整する。


 そして同時に思う。なんだこれは、と。


 意識の端が、変性した赤色の防御魔法――――『黒朱纏』に入る無数の罅を否が応にも捉えてしまう。

 明らかに異常。これの性能は自分で試してみて分かっている。


 初めて実戦で使った時にも謎の爺さんに破られたが、それはあの爺さんとの相性が悪かったとミノットが分かりづらいフォローをくれていたし、あの時から現在までの時間俺だって何もしていなかったわけじゃない。

 表立って修行をする事は憚られたため、当時より時間は取れなかったが、それでも出来得る限りを尽くしていた。


 あの時と比べれば魔力操作の練度も、魔法自体の練度も上がっているはず。

 にも関わらずに破るというのか。



「————————っ!!」



 最後に嫌な音を立てながら、ひと際大きい罅が生まれる。それと同時に俺は限界を悟った。

 このままではまずい。減衰したとはいえ、それでもこれはまだ猛威を振るう。確信にも似た予感があった。


 イレイヤは間違いなく致命傷を受けるだろう。ほとんど不死な俺でさえどうなるか分からない。永遠の氷の牢獄に閉じ込められるかもしれない。




 ――――――――そんな事を、そんな業を、ルネに背負わせるわけにはいかない。




 声無き声を張り上げながら、俺は咄嗟の判断で小規模の『黒朱纏』を内側にもう一つ作り上げる。その時点で既に脳が焼き切れそうなほどの負荷がかかっていた。

 常人には耐えられないはずのそれを、肉体の特異性と根性で切り抜ける。

 

 次いで行うのは外側の魔法の自壊だ。自壊と言ってもそのまま溶けるように消えていくわけではなく、例えはあれだが、イタチの最後っ屁のように爆発する機能付きだ。どれだけ減衰効果が見られるか分からないが、何もしないよりはいいだろう。


 ここまで刹那。それだけの極限状態。

 ただ生かす事のみを念頭に置き、半ば生存本能に従い行動する。



 内側の『黒朱纏』が出来上がる寸前、外殻を派手な音とともに瓦解させながら吹き荒れるそれによって、最後に視界が白銀に染まるのを見届けて――――――――。







「――――――――っぶねぇ」



 知らず瞑っていた眼を開ける。そのまま周囲を見渡せば、元々の銀世界を優に塗り替えるほどの光景が広がっていた。

 慌てて後ろを振り向けば、俺たちがいるこの場所を除いて、目に見える場所全てが氷に覆われていた。


 ちらほらと見えるのは漁夫の利を狙っていた他の魔物(ハイエナ)たちだろうか。見事なまでの氷像と化してしまっている。

 中には威力に耐えきれず氷粉になってしまったものもいるようだった。



「なに、これ……」



 俺の腕の中から顔を覗かせたイレイヤが呆然とした声を上げた。

 ゆるゆると周囲を見渡し、そこに生命の痕跡が見受けられない事を確認したのか、ぶるりと身体を震わせた。恐らくそれは冷気ゆえのものではないのだろう。



「ルネの姿が見当たらないな。……これだけの魔法を放てるだけの容量を持っているとは思えない。もしかすると――――」



 イレイヤの復帰を悠長に待っている暇はない。魔法を放った当の本人の姿が、周囲を見渡しても見当たらない。

 というより、先ほどまでは何ともなかったが、氷像が次々と氷粉へと変わっていっているため、それが霧のように視界を遮るのだ。



「――――――――お兄さん、それっ!?」



 唐突に俺の言葉を遮りながら、イレイヤの悲鳴じみた声が響き渡る。

 切羽詰まったような顔をしながら俺を――――具体的には俺の右半身を指さす。



「……ん、ああ、こんなのなんて事ないさ」



 彼女の指さした先、そこは先ほどまで周囲にあったものと同じく、水晶のような氷に覆われていた。完全に魔法を相殺し切れなかった。偏に俺のミスだ。別にイレイヤが気に病むことでも、気にすることでもない。


 そう告げても納得できなかったのだろう。泣きそうな顔をしながら、イレイヤがよほど価値のあるものでも触るかのように、おっかなびっくりに凍った部位へと手を近づける。


 そうして触ってみて、イレイヤは確信したのだろう。これは治るものではない、と。

 他の氷像のように砕け散って氷粉になってしまうような事はないみたいだが、ただそれだけだ。右半身の機能は完全に失われた。もちろんそれは常人の話で、俺は該当しないが。


 だがそんな事を知らないイレイヤにとって、見知った人の、それも生命に差し障るかもしれない大怪我というのは衝撃の大きい事だったのだろう。初めてイレイヤと出会った頃のような、いやそれ以上の取り乱しようだ。



「ど、どうしよう、どうしよう。回復魔法とか、いやそんなの使えないし……。教会に行けばいいの? でも、これ、治る……?」



「落ち着いてくれ。今はそんな事よりルネを……。どのみち教会のお世話になるのは俺が困る」



 どう言い繕っても、イレイヤは聞いてくれそうになかった。イレイヤの愚直さが、今はただただ厄介だ。このままでは色々とまずい気がした。何とかしてイレイヤに正気に戻ってもらって――――――――。



「――――――――そう、困る。ソレは今この場でワタシが処理するからな」



 声がした。銀鈴の声だ。

 しゃらんしゃらんと殺意を響かせる、死の音色。聞き慣れたはずのそれが、濃厚な殺意によって別物と錯覚しかねない。





 霧のような氷粉が舞う中、怪物(ルネ)が現れる。

 殺意鋭く、その瞳はただ一人、俺だけを射抜いていた。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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