84 向牙
おかしいな……。全然話が進まないぞ……?
イレイヤの姿を見て樹海の奥へと走り去っていったというルネ。彼女を追い掛けるべく、俺たちは立ち塞がる自称ルネ親衛隊を押し退けた所だった。
この樹海、聖ルプストリコのおおよそ半分を囲むように位置している。だが、この樹海――――サルヴァリオン樹海というが、ここが有名になっているのは何もそればかりではない。
全世界において最高の難易度を誇る迷宮は、と聞かれればすかさず出てくるのが俺もよく知っている『大地の洞』なのに対して、最高の難易度を誇る亜迷宮地帯が『サルヴァリオン樹海』なのだ。
ならばなぜ教会の本拠地が置かれている聖ルプストリコ国の近隣にも関わらずそれほどまでに魔物が蔓延っているのか。その答えは単純に、そこに生息する魔物の強さだ。その強さの程は教会の駆除要員ですら油断をすれば命を失いかねないほど。対魔族のエキスパートである『粛正官』が駆り出される事もあるのだという。
幸いなのはそこに生息する魔物のほとんどが自身の生息域から離れようとしないことだろう。もしそうなっていたとしたら教会をはじめとして人族が総力をあげて潰しにかかっていただろう。
村の男衆たちのように樹海の表層は少しでも武術や魔法の技術――――魔術に心得があればなんとか出没する魔物に対応することは出来る。
だが、それがより樹海の奥へと進んでしまえばその限りではない。
「イレイヤ、ルネは本当に奥の方に行っていったんだな!?」
「うんっ、お兄さんみたいにフードのついたケープ着てたけどあれはルネちゃんだよ! 間違いない!」
イレイヤの断言が懸念を正確になぞっていく。この辺りならばまだしも、奥へ行けばそれだけ魔物の強さも数も増えていく。
俺も、そしてイレイヤも『大地の洞』での戦闘経験がある。それから考えるに行き当たりばったりに行って生還できるような場所ではない。
いや、そもそもルネがそのことを知らないはずがないのだ。この世界で生きているならば必ずしも耳にするはずの事。俺はイレイヤからそれとなく話を聞いた時そう言われていた。南大陸の小さな村にいたとはいえ、それをルネが知らないとは思えない。
「――――ああん!? ルネたそを見失った、だぁ!?」
そんな不安を裏付けるように、背後から特徴的なだみ声が響いてきた。わざわざ振り返り姿を確かめるまでもない。文字通り障害を飛び越してきた俺たちを追ってきていた男衆だろう。
親衛隊を名乗る割にはあまりにも樹海の深奥へと向かっていたルネを心配していないと思っていたが、どうやら人を付けていたようだ。だが、今の報告からしてそれは無駄になったらしい。
樹海、と名を馳せるとおり地形だけ見てもここは相応に厄介だ。一面の木々は次第に方向感覚を狂わせ、そして油断した時を見計らうように襲い掛かる魔物が正常な判断能力すらも奪い去っていく。最悪の場所だ。
「……っ、お兄さん、あそこ!」
「あれ、は魔物……の死骸か。まだ新しいな……。それにこの傷跡は」
小脇に抱えたままのイレイヤが俺の注意を引くように声を上げた。速度を緩めずに指された方向へと目を向ければそこには横たわる魔物の姿が。
その周囲に飛び散っている魔物の体液の様子からして絶命しているのだろう。よくよく注視してみれば身体に穿った跡が見受けられた。
横を通り過ぎながら、俺は左右の目に魔力を纏わせる。魔力には魔痕というものがある。魔力を用い魔法を発現させると大なり小なりその使用者の属性であったりが小さな痕跡として残るのだ。ただそれには鮮度のようなものがあり、しかも時間経過による劣化が激しい。
幸い、というべきかこの死骸には魔痕が残っていた。それも、氷属性。ルネと同じ属性だ。
魔物、というからには魔法が使える種類もいる。だがそれは強力な個体に限ることだ。サルヴァリオン樹海にいないという事はないだろうが、いたとしてルネを追い掛けている丁度そこに現れるなんて偶然そうあるものではない。
だとするならば、これは間違いなくルネのものだろう。
「――――う、わああぁあっ!?」
身体能力を魔力で向上させ、魔力視を働かせ、かつ周囲への警戒。加えて魔物の死骸からの状況判断。一つ一つは何てことないような事でも、それらを同時にするのは負担が大きい。
だからこそ探知が遅れたのだろう。俺は後ろからの悲鳴で遅まきながら事態に気付いた。
慌てて後ろを振り向くと、俺たちを追ってきたであろう男衆の数人が魔物に囲まれていた。単体での危険度は低いが、群れでの危険度が高い魔物だ。
「―――――くそっ!」
イレイヤと旅することになった当初彼女に言われて以来、あまり大勢の人に見せないようにしてきたが仕方がない。影魔法を使わずに撃退出来る相手でもない。
「イレイヤ、まずはあの人たちの安全を確保するぞ! 援護、頼めるか?」
「まっかせて! さくっと倒して早くルネちゃんを追い掛けないとだからね。わたしもがんばっちゃうよー!」
その言葉を了承ととり、俺はすかさずイレイヤを魔物の群れに向かって思い切り投げつけた。
ぎりぎりまで驚愕混じりの悲鳴を撒き散らしていた彼女だったが、俺の信頼に応えてくれるように空中で身を捻り体勢を立て直し、腰に帯びている二振りの短刀に手を添えた。
「――――『剣閃乱舞』」
そこから放たれるはまさしく剣閃の嵐。舞うようにひらりひらりと魔物の間を縫いながら、イレイヤは適格に魔物の肉をそぎ落としていく。纏わせた気力が宙に軌跡を描き、それに触れるだけで細切れになっていくのは正直一種のホラーだ。
しかし血生臭いだけのはずのそんな一面が、イレイヤの技量によってまるで舞台の一場面を切り抜いたかのように錯覚させられる。
舞においては世界一と言われていた『渡り鳥』。その一族の最後の生き残りであるイレイヤによる渾身の『舞』だ。
思わず見惚れてしまっていたがそんな悠長にしている場合じゃない。遅れて戦闘に加わった俺に向けて、イレイヤが援護――――してくれたのとは別の方向から魔物が襲い掛かってくる。
「悪いが先を急いでいるんでな。――――『影楔』」
発現した影魔法が弾丸となって魔物の肢体を次々と打ち抜いていく。こうして範囲殲滅を主体にして戦えば群れの強さなんて関係ない。
そうして順調に数を減らしていったところ、分が悪いと判断したのか、大部分の数は減ったとは言えそれでも未だに数の多いその魔物たちは押し寄せた波がそのまま引いていくように姿を消していった。
「あ、あんたら……」
すぐに逃げていくかと思ったけどそうでもなかったようだ。俺たちの戦闘を少し離れたところで見ていた男衆のリーダー格が呆けたように言葉を零した。
足元には数体の魔物の死骸。全部を食い止めるつもりで戦ったのだが、見えないところであちらにも被害が行っていたようだった。だが見たところ負傷者はほとんどいない。その事実が彼らの力量の高さを思わせた。
「――――ここから先、あんたらの出来る事はないよ。俺たちに任せて村に帰っていてくれ」
出来るだけ酷薄に、俺は未だに硬直を崩せないでいる彼らに言葉を投げかける。
少しくらいの反発は覚悟していたし、その時はあまり気が載らないが実力行使で村の方向に吹っ飛ばしてやろうなんて考えていたが、あれだけ大量の魔物をたった二人であしらったことが効いたのか、リーダー格の男が素直に集団をまとめ上げ、俺たちに背を向け始めた。
最後、去り際に小さく俺たちに任せたぞ、とだけ言い残し彼らは俺たちの前から姿を消したのだった。
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