79 ハイドアンドシーク
ptが300近くになってきているのがとてもうれしかったです。それに応えられるように頑張りたいです。ブクマ、評価などをしてくださった方、ほんとうにありがとうございます。
「――――――――」
部屋の中にイレイヤの呆然とした声が響き渡る。遅れて入ってきた宿主人の娘――――オーレイさんが扉の前で崩れるように座り込んだ。
それを確認して、俺はもう一度ベッドへと視線を向けた。乱れた様子はなく、どちらかと言うと使われる前のように整えられているように感じられる。
次いでベッドの近くにある窓に目が行く。一応はプライバシーへの配慮が成されているのか、表面はすりガラスとなっており外は見通せない。
そこで気付く。窓自体は閉まってはいるが、鍵が開いていた。家を出る前に全ての施錠は確認していた。それは確かだ。
ならば何故それが開いているか。答えは簡単だ。
「けっ、憲兵にっ……! わ、わたし、憲兵に連絡を……!!」
衝撃から立ち直ったらしいオーレイさんが、背後でひきつった声を上げた。その声に反応して振り向くと、彼女は真っ青な顔をして、小刻みに身体を震わせていた。もしかすると責任を感じているのかもしれない。彼女は彼女で、ルネの事をかなり気にかけていたようだったから。
「その必要は、ないでしょう」
「―――――っ。どう、して」
「恐らく、ルネは自分から出て行きました。オーレイさんがルネから出るように言われてから、さほど時間が経ってないのでは? そんな短時間で音も立てずに、ベッドも乱さずに誘拐なんて出来やしない」
不思議と思考はひどく冷静だった。
まるで入力されたプログラムのように、口が独りでに推理とも呼べない拙い推測を垂れ流していく。
そんな俺の声に反応した人物がいた。ルネの寝ていたベッドの側で蹲っていたイレイヤだ。ばっと音がしそうなほどに勢いよく振り向いた彼女は、その勢いのままに俺へと詰め寄った。
「何っ、何そんなに悠長にしてるのっ?! はや、はやく探しに行かないと、ルネちゃんがっ……!!」
胸元を下から掴み上げられ、俺は彼女の体重を感じながら後ろへ数歩たたらを踏んだ。
自分でも訳が分からない。感情が凍り付いてしまったかのように動きを見せないのだ。
こうしている今でも、イレイヤの迫真の訴えを受けているにも関わらず、思考は冷めきっていた。
―――――この短時間、動ける距離は限られている。ましてや、彼女は体調を崩している身だ。そう遠くへは行っていない。
「……ここから飛び降りれば、出る先は店の裏側だ。そこに構える店があるから、店主に話を聞こう。少女の飛び降りなんてよほどの事がない限り見逃さない」
「……わかっ、たよ。ごめんね、ちょっと取り乱したみたい」
そう言い、すぐに落ち着きを取り戻すイレイヤ。それが、親しい友人、もしくは家族の急な失踪を目の当たりにしたときの普通の反応なのだろう。
おかしいのは俺なだけだ。まるで人間としての感情の機微をそっくりそのままどこかに置いてきたかのよう。そう考えた時、つい先日に俺を襲ったひどい飢餓感が思い出された。
それらの事実が、俺はどうしようもないほどに人ならざるもの――――吸血鬼であるという事を突きつける。これまでだってそう実感したことは多々あった。だが、それらはどれも身体面での話だ。吸血行為が必要となった事、身体能力が全般的に向上している事、今は片方が違う色となっているが眼の色が血のように赤くている事。だけど心だけは人でありたい。俺はそう思いながらこうして過ごしてきた。
――――いや、思い込みながらというのが正解だったのかもしれない。元々なのか、それとも身体に精神が引っ張られてしまった結果ゆえなのか、心までもが人の道から大きく外れつつある。その事実から目を逸らしてきたが、とうとう無視できないところまで来てしまったのかもしれない。
「水色の髪の子かい? ああ、見たともさ。そこの二階からぴょんっとこの道に飛び出して、そのまま風のようにどっかに行っちまったよ。小さな子っぽかったのに、そりゃあ見事な魔力操作でなあ」
「身長がこのくらいの子……? いや、そんなの何人もいるしなぁ……。え、髪は水色? そんな子は――――。いや、もしかすると、あのフードを被ってた子かもしれないな。髪はちょっと見えなかったけど、小柄でどこか急いでる様子だったね。どこに向かってったかって? さあ、あっち方面に走っていったのは見たけど、その先は分からないな」
「フードを被った子? それならあの子の事かしら? ほら、アンリも見たでしょ? やっぱそうよね、確かに見たわよ。あたしとそう変わらないのに一人でこの辺を歩いててね、なんか心配になっちゃって。大丈夫かって声をかけてみたんだけど、そのまま何も言わずにあっちの方に行っちゃったの。何、あんたたち、もしかして何かしたの?」
それから俺たちは少しずつルネの足跡を追って行った。何度かその痕跡を見失いそうになる事もあったけれど、なんとか目撃者を探していき、数個の街が過ぎ去っていった。
「――――また追いつけず仕舞いか」
「でもちゃんとルネちゃんの後は追えてるはず。はやく見つけて色々問いただしてあげるんだから!」
「ほどほどにしておいてやれよ」
イレイヤと会話を交わしつつ、俺たちは再びルネの目撃情報を集め始めた。
完全に姿を眩まそうとして街にすら立ち寄らなかったならば、俺たちは早々に彼女の姿を見失っていただろう。ただ幸いな事に、と言っていいのか、彼女の体調は恐らく万全ではない。いや、もしかしたら別の理由もあるのかもしれないが、彼女はどうやら必ずと言っていいほどにどこか近隣の街に寄っている。
食料や日用品なども購入しているのだろう。そうした店での情報もあった。
今回もそうした例に漏れず、ある食料品店で彼女を見たという人を捕まえる事が出来た。
「もう、何ですか、あなたたちは。フードを被った子? そんなのどこにでもいますよ。何ですか? 犯罪者でも追っているんですか?」
「違うよ! えーっと、何ていうか、その……。一緒に旅してた子が急にいなくなっちゃって。それでずっと追いかけてるんだけど」
「……それ、あなたたちに嫌気がさしてるんじゃないんですか? 今もストーカーみたいなことしてますし」
「ち、違うもん! お、お兄さん、この失礼なお人に我々の言い分を言って差し上げなさい!!」
「何の真似なんだよそれ。……別に犯罪者とかどうとかじゃなくて、単純に俺たちの仲間、なんです。もし見かけていたら、どうか教えて欲しい。この通りです」
「――――はぁ、どうやら本当の事みたいですね。顔を上げてください」
慌てたように俺に続いて頭を下げるイレイヤ。その姿を見て彼女は呆れたようにそう言った。
俺の態度……ではなく、イレイヤのもの――――その姿に籠った感情を見て取って判断したのだろう。俺のは所詮人を真似たものに過ぎない。これまで生きてきた経験から、こういう場面では頭を下げた方がいいという合理的な判断を下しただけ。そんなものは決して感情とは呼べないだろう。
「恐らくあなたたちが言っているのはルネ嬢の事ですよね? 彼女ならば、確かに私が一時的にお世話になりました」
「えっと、あなたが……? ルネちゃんの方ではなくて?」
「ええ。私、ルーブリッドと言うんですが、恥ずかしい話行き倒れてしまって途方に暮れていたところルネ嬢に助けられたんですよ。食料も分けてくれて、この街まで護衛もしてくれて。命の恩人と言っても過言ではないので、彼女を追うあなたたちがどういう人なのか知りたくてあんな態度を。申し訳ありません」
「そっか、ルネちゃんが……」
「おや、嬉しそうですね?」
「そりゃあ、良く知っている人が良い事をすればうれしいに決まってるよー。さっすが、わたしのルネちゃん!」
途端に表情を明るくするイレイヤ。彼女の情緒の豊かさは見ていて気持ちがいい。俺とは正反対だからこそ、憧れというか羨望のようなものもあるのだろう。
イレイヤを微笑ましそうに見ていた彼女――――ルーブリッドさんは吟遊詩人であるらしい。諸国をめぐりながら詩を詠んでいるという。その道中に魔物に襲われ、命からがら逃げだしたものの荷物までは持ち出す事は出来ずに、そのまま野を数日さ迷っていたところをルネに助けられたのだという。
ルネは口数こそ少なかったが、とても親身になってルーブリッドさんの助けとなってくれたようだ。その事に対してかなりの恩を感じているらしく、例え犯罪の片棒を担ぐことになったとしても彼女を助けたいという一心であのような態度に出たらしい。
「――――ルネ嬢は、そんなにひどい身体の状態だったのですか?! そんな状態でありながら、私に恵んでくださるなんて。……閃きました、『民草の聖――――」
「あー、あー、詠まなくていいから! 今はそれよりもルネちゃんを探さないと。何か、一緒にいて気付いた事とかなかった? どこに行こうとしてるかとか、何か少しでもあれば」
折角のひらめきをぞんざいに扱われる事に少々不満を表しかけたルーブリッドさんだったが、思い直したように表情を真面目なものに切り替え、記憶を思い起こすように指をこめかみに当て始めた。
「うーん……。急にそう言われましても。確かに職業上、記憶力はいい方だと自負はしているんですが……。あ、そういえば」
――――教会がどうとか言っていたような。
ルネ、彼女の真意はどこにあるのだろうか。ルーブリッドさんの言葉を聞き、俺は思案に暮れざるを得なかった。
教会、それは元々俺たちが目指していた場所だ。だが、結局そこに向かうのならば俺たちと別れる必要なんてない。俺たちに言っていない、何か大きな秘密のようなものを彼女は一人で抱えているのかもしれない。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。