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異界にて揺蕩え、デア ヴァンピール  作者: 葦原 聖
第三章 揺れる世界
72/120

72 旅路

 結局、答えらしい答えを出す事は出来ず、イレイヤはそれでもいじらしく俺の答えを待とうとしてくれていた。

 しかし、それでいい事なんて一つもない。こうしている間にも刻一刻とルネの身体は衰弱への一途を辿っている。


 ―――――問題は、俺が吸血鬼であること。それのみだった。


 いや、それだけじゃない。ルネがこうして昏睡している一因も担っているのだ。腹をくくる時が来たのだろう。



 そうしてようやくと言っていいほどに決意を決めた俺は、イレイヤとともに西大陸に渡るために、こうして大陸渡航船を目前としていた。



「それにしても、船か……」



「あっ、ふふ。そういえばお兄さん、船酔いが酷いんだったね。わたしのすばらしくキュートなお膝なら貸してあげても構いません事よ??」



「いや、冗談抜きで貸してもらう事になりそうなんだけど……」



 来たり得る悪夢を想像してグロッキーになる俺をからかうように見つめるイレイヤ。

 そこには懸念したようにどこかよそよそしい感じはまったくとない。そこに信愛の情があってほしい、というのは願いすぎだろう。


 いつの間にか、人と関わる事の心地よさに身をゆだね過ぎてしまったようだった。

 ミノットの元を離れる時、俺は人と関わるまいと心に決めていたはずだった。元々そうして人と触れ合う事を苦手に思っていた事もそうだし、魔族、その中でも吸血鬼なんていうどでかい爆弾を内に秘めているのだ。どうしても関わりを持とうとすれば気を揉んでしまって面倒な思いをするだけだとしか思えなかった。


 だが、いざこうしてイレイヤと過ごしてみればどうだ。

 彼女は裏表がなく、いい意味で馬鹿だ。彼女の存在に心救われた時は何度だってあったように思える。彼女のひだまりのような心根が、氷ついた俺の心を解かした、なんてロマンチックな表現は客観的に見てすごく恥ずかしそうなので口には出さない。



「そろそろ出航かな? ほら、お兄さん、行こ!」



 イレイヤに促され、俺たちは船に乗り込んだ。ちなみにルネはすでに船の中の医務室に運び込まれている。俺が運ぶ事を申し出たのだが、イレイヤによる「乙女の身体はそう易々と触れさせません!」などという抗議によって即行却下された。別に下心なんて……ないよ?





 船の旅は俺がやはり船酔いになってしまった事以外はおおむね快適で、たびたび遭遇する魔物たちも依頼を受領している魔物狩り、そしてちゃっかり依頼を受けてきたのだろうイレイヤによって速やかに掃討されていったのだという。


 その間俺は情けない事にルネと共に医務室で寝込んでいた。イレイヤが膝をどうたら言っていたのに、結局は医務室に放り込みっぱなしだ。これは講義してもいいんじゃないだろうか、なんて思ってしまうのも仕方がないだろう。



「どうした、そんなに顔を歪めて。おかしな夢でも見たのか?」



 いえ、そんな事はありませんよ。

 俺の表情を見て心配してくれたのか声をかけてくれた船医に丁寧に言葉を返す。


 彼に貰った酔い止めが功を成したのか、南大陸に渡った時ほど体調が悪くないのが救いと言えば救いか。だが、そんな俺と比例して、ルネの体調は日増しに悪化していっているように感じる。それも劇的ではなく、緩やかにというのが性質が悪い。


 こうして俺が医務室に押し込められているのも、半分くらいはルネの付き添いだ。決して戦闘班から厄介払いされたわけではない。



「……心配かい?」



「それは――――はい」



 心配しない、なんて事があるものか。イレイヤ同様、俺はルネにも関わりすぎてしまった。魔法を教えてもらおうとちょろちょろと俺の周りをくっついて、そして懐いてくる人を、どうして邪見になんかできるか。


 絶対に助ける。教会という名に心乱されもしたが、それでも俺は決心したのだ。一度決めた事を翻すなんて、そんな事をしてしまえば真彩にでも叱られそうだ。なんて男らしくないの、という言葉が今にも聞こえてきそうだ。想像なんてしなけりゃよかった。



「大丈夫さ、『戦乙女の息吹』へと顔つなぎしてもらったんだろう? 僕でもやっぱり力になる事は出来なかったけれど、彼女たちならばきっとルネさんを治してくれるよ」



 医務室では船医の計らいによって点滴だけでなく、その他にも少しでも効果がありそうな方法を試してもらっている。かなりありがたい反面、とてつもなく申し訳ないので、手持ちの金の半分くらいを渡したのだが、むしろそれで効果があまりない事を謝られてしまった。


 ルネ、君を治すために多くの人がこんなにも力を貸してくれている。そろそろ目を覚ましてはどうかな。







 夜になると、波が船体を打つ音だけが静寂を崩していく。なんでも魔物を寄せ付けない様にする薬のようなものがあるらしく、夜中はそれを使って極力戦闘にならないように苦心しているらしいのだ。

 なら航海中はずっとそれを垂れ流してればいいのでは、なんて思ったが事はそう簡単には行かないようで、材料が稀少であり、また環境への影響があまりよろしくないのだという。


 医務室では、船医は自室に戻ってしまったため、俺とルネの二人しかいない。イレイヤもここで寝たがっていたが、万一の時にけが人でもない者がベッドを占拠してしまうのはダメという事で自室に行ってもらった。折角割といい部屋を取れたのだ、そこは楽しんでもらいたい。

 それに彼女にはモリーをつけている。さすがに隠し切れなくなり、イレイヤに話したところ、返ってきたのはハートマーク大量にちりばめられていそうな「かわいい!」という言葉だった。以来イレイヤはモリーを抱き枕にしながら寝る事にハマっているらしく、たびたびねだられた。


 モリーの方はと言えば、少し、いやかなりと言っていいほどに迷惑そうだったが、イレイヤはとんと気にした様子もなく、俺を恨めしそうに眺めながら彼女に連行されていった。



「教会、か。聞いた話によると、大分人族には気前のいい組織みたいだけど、もしかしたら一人ぐらいはそこで保護してもらっていてもおかしくはないかもな」



 眠る事も、必要もない俺にとって夜というのは自分の考えを静かにまとめる事の出来る、貴重な時間だ。そしてそうした時間に意識が行くのはこれから向かう教会についてだ。

 今まで結構な距離を旅してきて、一人として探し人に出会えていない。俺を含めて五人が世界に散らばったんだ、そう簡単に出会えないというのは分かり切っていた。


 だけど、教会ほどの大きな組織ならば、もしかしたらという期待が湧き上がっては消えを繰り返す。そんな事を考えながら、俺はふと左目に手を添えた。そこは『観測者』によって最後に投げつけられた杖が突き刺さった場所だ。

 吸血鬼の性質ゆえ外傷はすぐに治癒したが、まさか素直にイレイヤたちにそういう事なんかできるわけがなく、一応回復士に見てもらったが異常は見られないとの事だった。ただ―――――。



「蒼い眼、か……。一体これでどうしろと」



 イレイヤから言われて気が付いた事だが、左目の虹彩の色が蒼色に変化してしまっていた。『観測者』は道しるべがどうだとか言っていたけど、別に視界に変化はなく、謎なままだった。


 『観測者』。そもそも彼の存在自体が謎だ。管理者といういかにもな名称もさることながら、あのミノットがあそこまで警戒を示す相手だ。俺も警戒をしておいて損はないように思えるが。



「だけど、あの人の言っている事は嘘っぽくは――――――ッッ!??」



 唐突に身体の奥底から込み上げる衝動を、歯を砕けんばかりに食いしばってやり過ごす。

 だが一瞬では終わらないそれは、断続的に身体と精神の両方を苛んでいく。息も出来ないような激痛の中、いつまでも続くかのように思えた地獄の時間がやがて、終わりを告げた。


 堪らず喘ぐように必死に呼吸をする。数度それを繰り返していると、ようやく痛みが引いていき、呼吸も安定していった。


 原因は分かっている。明らかに飢餓状態だ。こんな状態が少し前から周期的に繰り返されていた。そしてその周期もだんだんと短くなっていっている。

 覚悟の時が来ていた。モリーに内包されていた魔力がミノットの分体を作り出すのに使われてしまった以上、そこからの吸血は見込めない。だが、だからと言って近くにいる女性、イレイヤやルネから吸血をしてしまうわけにはいかない。


 それをやってしまうと、俺は名実ともに吸血鬼、人ではない化け物への仲間入りだ。こうした考えを持つことはミノットに対する侮辱になってしまうかもしれないが、日本に居た頃からのこうした考えは未だ根強く俺の中に存在していた。



 

 ―――――いつかは、と遠回しにしていた時が来た。俺は静かにそう思った。

 これ以上彼女たちと共にいるのは彼女たちのためにも、俺のためにもならない。静まり返った医務室の中、俺は教会に着いた後にイレイヤ、そしてルネとは別れを告げるべきなのかもしれない。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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