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異界にて揺蕩え、デア ヴァンピール  作者: 葦原 聖
第二章 星の聖女
69/120

69 幕間 産声

 物部家は誠二にとって地獄そのものだった。

 学歴コンプレックスを持つ父と、気位が高く周囲の人間をアクセサリーか何かだと勘違いをしている母の一夜の過ちによってその地獄は始まった。



 誠二が生まれたのは兄が丁度小学校に入学する時であり、その年の差は六才近く。もう少し差が無ければ何かが違ったのかもしれないが、そんな仮定をしても詮無きこと。


 そこから数年が経ち、物心付いた頃には幼心に自分の家庭の異常性に気が付いていた。

 両親からの過度な期待に、呪詛のように毎日繰り返される、親が決めた大学までの進路。それを年端もいかない子供にまるで絵本でも読み聞かせるかのように垂れ流すのだ。


 なまじ、兄の教育が成功してしまった事がより両親を刺激したのだろう。その頃の誠二からしても、兄の学歴は素晴らしく誇れるものだった。そして当然のように、誠二はその後を追わされた。



「いやぁ、さすが誠一だなぁ。父さんは鼻が高いぞ。職場でもな、お前の話で持ちきりでなぁ」



「あら、お父さんの所でもそうなのですか? 私も今日田中さんや飯野さんの奥さんから言われたんですよ。どのように教育しているのかしらって聞かれましたけど、才能と努力って言ってあげたら酸っぱい物でも食べたような顔になってましたよ」



 毎日のように、まるで自分自身に言い聞かせるかの如く食卓では話題に上る。

 そして最後には決まって誠二も兄を見習い、頑張るようにという言葉で締め括られるのだ。


 ――――狂っている。


 そんな両親に対して、兄が何か意見するところを一度も見たことがなかった。まるで機械人形であるかのように、与えられた命令をこなし、理想を実現する。そこには本人の意志などなく、あるのはただ両親の顕示欲のみだ。


 そして、兄が優秀であればあるほど、その皺寄せは弟である誠二に降りかかる。

 父が誠二に教育という名の虐待をし始めたのは当然と言えば当然の事だったのかも知れない。



「どうしてお前はいつもッ!! いつもいつもいつもいつもォ――――ッ!!」



「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさ―――――」



「謝罪を聞きたいわけではない! 私は首位を取れと言っているのだ! 難しい事か!? 私の子がそんな事も出来ないとでも言うのか!?」



 折檻が始まったのは誠二が中学校に上がって少し経ってからの事だった。小学校での気分が抜けきらないままに定期試験に臨み、そしてその成績が返ってきた時に、父の怒りは爆発した。


 小学校での成績は父から見ても文句なしだったようで、それまで成績に関しては褒められるばかりだった誠二にとって初めて屈辱と言える感情を自覚した瞬間だった。

 何よりそうして地に臥せ、蹲り、ただ嵐が通りすぎるのを待つ亀のように殻に閉じこもる姿を、母は何の感情も籠らない瞳で見つめ、兄はそもそも視線すらもよこさずに自室に籠っていた事が誠二のプライドを強く刺激した。



 それからは文字通り死に物狂いで勉強に励んだ。寝る間を惜しみ、進学校ながら密かに流れる青春の気配を意識的に断ち切り、教師と積極的にコミュニケーションを取り。出来る事は全てやりつくした。そうしてメキメキと実力をつけていく誠二を見て、同級生たちはある事無い事を陰でも陽向でも垂れ流していた。


 やれがり勉だの、やれカンニングだの。そんな雑音は誠二に何の影響すらもたらさず、ただ音として耳を通り抜けていくのみだった。

 思い返してみれば、この時点でもう誠二は壊れていたのだろう。異常なほどに学歴に固執する家族、結果でしか表されない愛、そしてそれを得ようと躍起になって行動した代償に誠二は心身ともにボロボロになってしまっていた。


 だが、努力をすればそのまま結果として現れる。それが学校においての勉強というものだ。



「―――――さすがは父さんの息子だ」



 下を大きく突き放し、堂々の首位を取った成績を見せ、一番初めに父が誠二にかけた言葉がそれだった。


 たったそれだけかと思った。それまでは見限ったかのように家で話しかける事すらも徹底してしなかった男が、初めに息子に対して投げかける言葉がそれか、と。

 だが、同時に言いようもない達成感のようなものが誠二の胸に去来していた。当然だ。誠二が死に物狂いで行動を起こしたのは、貶められた自らのプライドを癒すためであると同時に、父に、そして母に自信を認めさせようという自己顕示欲ゆえだ。



 そこからは順調すぎるほど順調に月日が経っていった。一度自身を追い込んだ誠二はそこで燃え尽きるという事はなく、その先でも努力を続けた。その甲斐あってかそれからスランプが起こる事もなく首位をたたき出し続け、ようやく家族も、そして学校の面々も誠二を誠一の弟ではなく、誠二個人として認識するようになっていった。


 だが、その天下も維持できたのはたったの三年だった。



「なんっ……でだよっ……!!」



 血を吐くように、思わず言葉を零す。

 中学卒業を目前と控えた時期に卒業生を待ち受けるのは高校受験による戦争だ。それは場合によってはその名の通りに熾烈な争いを極める。誠二のいた中学でもそうだった。一部を除いて誰もが無我夢中。誰しもが隙あらば誰かを蹴落とそうと企んでいた。直接的な行動には出ないにせよ、間接的に謀術を張り巡らせた輩もいたと後になって聞き及んだ。


 だが、誠二はそれをしない。いやする必要もないといった方が正しい。そのように手を回す必要もなく、誠二は己が求めるものを実力で勝ち取る事が出来ると自負していた。実際、それは現実のものとなるはずだった。



 ―――――ある一人の男の存在さえなければ。



 日々の研鑽を欠かさず、一日一日練り上げてきた実力と自信。それは何者にも負けないと自負していた。ゆえにこそ受験というこれからの人生の大きな分岐路に臨んだ時でさえ、誠二は何の気負いもしていなかった。むしろ中学最初のテストの方が緊張感に溺れそうになっていたくらいだ。


 手ごたえはあった。それも十分すぎるほどに。

 高校受験の問題など、満点を取れるようには出来ていない。その時の心理状況によって大きく左右されるものであり、誠二自身絶対の自信があったが、さすがに満点は取れず、だがそれでいて満点に限りなく近い点数を全教科で叩き出せているという確信じみた思いがあった。


 受験での成績は、そのまま入学式における新入生の代表という大役を承る事によって現れる。

 難関高校とは言え、この手ごたえだ、誠二には入試の終わったその日から代表として眼下に座る同級生を見下ろす自身の姿を想像できるほどだった。



 だが、それほど思い入れもなく中学を卒業し、中学の初期の失態を繰り返さないように逸る気持ちを抑えながらもひたすら勉学に励み、例年より幾ばくか長い春休みが終わりに近づこうとも、誠二が思い描いた連絡が来ることはなかった。


 それは当然父の耳にも入り、そして再び誠二は家庭での居場所を失った。



 ―――――それもこれも、半分は無駄に優秀すぎる兄のせいだ。



 何度恨みを抱いたか分からない。いや、それはもう殺意とも呼べるどす黒い感情だったかもしれない。

 だが、そうして兄を母を、そして父を恨んだところで、結局は自分の力が足りなかったという事実を突きつけられるだけ。


 兄は誠二とは及びもつかないほどの秀才だった。それは認めざるを得ない。それは既に結果として現れている。だが、それでも努力は自身を裏切らない。誠二がここまで己を高め続けてこれたのは常人には到底成し得ないほどの努力積み重ねてきたからだ。才能は兄に劣ろうと、努力の質と量とでは大いに凌駕している。だからこそのこれまでの成績、だからこその自信だったのだ。



 ゆえにこそ、誠二は入学式の終盤で壇上に凛と屹立するその人物を前にして、煮えたぎるような思いを抱かざるを得なかった。


 兄同じようにその人物―――――蓮花寺 天理の事が、誠二は一目見たその時から気に食わなかった。

 自分を押しのけて代表へと選出されたこともそうだが、それを誇らしいとも思う事なく淡々と、まるで予定調和でもこなしていくかのように行うその様はまるで必死な努力の果てに逃してしまった誠二を嘲笑ってでもいるかのように感じられた。


 気に入らない事はそれだけではなかった。


 名前からして分かっていたことだが、天理は名門蓮花寺家の一粒種。そのネームバリューは並みのものではない。加えてその顔立ちは良く、そして眉目秀麗と来たものだ。本人がどう思って行動していようが、その周囲にはどうしても人だかりが出来る。誠二とはまるで逆だ。


 青春と呼べるものを無為と切り捨て、己というものを最大限に勉学に費やしたその先で、誠二は越えようもない大きな壁へと突き当たってしまったのだ。それからの定期試験は誠二にとって挫折の連続だった。

 どれだけ才能差があろうとも、持ち前の精神力による努力を活かしてそれらを踏み越えてきた。だが、だがだ。この化け物は何なのだ。


 定期試験の結果が張り出されるたびに、誠二の中での蓮花寺 天理という存在は大きくなっていく。揺らぐことがないのだ。常に首位、常に人の上に立つ。それが己に投げかけられた使命であるとでも言うかのように。その影で誠二は努力を踏みにじられているという事に気が付きもせず。


 これを嫉妬と憐れめばいい。これを逆恨みと蔑めばいい。だが、どれだけ馬鹿にされようと、努力が足りなかったなどとは言わせない。これまでの短い人生において、常に努力というものが傍らにあった誠二にとって『努力』と言うものは息をするようにして行えるものだ。もはやそれは努力の天才と言えるほどのもの。


 だが、結局は凡人が届きもしない天を仰ぎ見て、石ころを積み上げていただけに過ぎないのだ。

 真に天稟と呼べるそれを持つ者にとって彼らが障害となる事は決してない。それ加えて『彼』は非凡なる立場すら手に入れている。将来が約束された、文字通り天上の地位だ。




 ―――――世界は平等ではない。



 限りある青春を無為なものと切り捨てた。それでも届かない高みがある。



 ―――――世界は平等ではない。



 人間らしく生きるための要素を削り落とした。それでも越えられない壁がある。



 ―――――世界はどこまで行っても平等ではない。生まれ持った環境、能力、それぞれが干渉し合い、個々人に対して序列を定めていく。それは運命とも呼ばれる強固な鎖だ。出来る事など自分の生まれを、能力の低さを嘆くか、抗ったのちに挫折するかだ。


 憤懣とともに忸怩たる思いを抱えながら、それでも誠二は違う生き方を見つける事が出来なかった。もはや自らの優秀さを示す事でしか自分を表現出来なくなってしまっていた。

 表面上は何てことのない振りをしながら、いつかは、やがていつかはと機会を探った。


 そしていつまで経ってもその機会が巡ってくる事はなく、『あの日』はやってきた。


 天理から提案されたクラスの親睦会。そしてその最後に設けられた、何かの冗談かにしか思えない、『異世界への転移』。


 表面上は仲良くしていたクラスメイトが、瞬きをした次の瞬間には消失していた。気が付けば、誠二は異形の存在の真っ只中に立ち尽くしていた。




 ―――――そして、そんな非日常の中で誠二は『力』を手にしたことを自覚した。








 ◆








 そんな過去の回想を、誠二は客観的視点から追体験していた。

 夢幻の類いか、先程まで鮮明に見えていたはずの光景は今はうすぼんやりとした輪郭を漂わせるのみだ。



「なんだよ、これ……。今更こんなもの―――――。見せたのは、お前か……?」



『ご明察だ』



 奇妙な確信を持って問いかけた先で、その人物―――――輪郭のぼやけていた過去の誠二が口を開く。三日月のように吊り上がった口から鮮烈な赤が顔を覗かせる。


 過去の自分の姿をした何かが口を開くと同時に、ピントが外れていた風景が、ひゅっと音もなく消え去る。気が付けば誠二をかたどっていた姿から表層がどろどろと崩れ落ち、中から黒い泥人形が現れた。


 瞬間、誠二の直感が告げる。あれは、誠二が使ってしまった『力』の具現化なのだと。

 誠二が今いるここも現実世界ではない。最後の記憶は在原和也と篠枝真彩に喧嘩を売り、反動で動けなくなってしまったところで終わっていた。



「僕に一体、何の用だ? わざわざこんな事までして……。いや、それより、ここは何なんだ? 現実の僕は一体どうなっている?!」



『そんなに逸らずともいい。ここは夢と現の間。ここでの出来事は原則現実世界に左右されないし、同じだけの時間が流れているわけでもない。間とは言ってもどちらかと言えば夢に限りなく近い、と思って貰ってもいいくらいだ。さて、何の用だとはまた―――――』



「何だよ、お前……一体何がおかしい?!」



『ああ、いやすまない。別に馬鹿にする意図があったわけではないよ。知っての通り自分は『力』、だ。君が憎悪して堪らなかったもの。また、君が欲して止まなかったものでもある。そんな自分から君に問いたいことがあってね』



 警戒する誠二に配慮するかのように、『力』が丁寧に語りかける。だが、それが逆に一層警戒心を煽った。

 誠二自身、それを纏ったからこそ分かる。『コレ』はそんなに生易しく、心に寄り添うものではない。『コレ』は寄り添うのではなく、寄生するのだ。


 優しくするのは欲望を掘り起こすため。親しげに振る舞うのは理性を突き崩すため。



『―――――君はこの『力』を使い、何を望む?』



 だからこそ、それはダイレクトに誠二の心に染み渡る。


 そんな誠二の心の動きを知ってか知らずか、『力』は誇らしげに話を続ける。



『富、名声、女。それとも破壊、侵略、支配かな? 男の願いなんて、いや、男に限らずとも人の願いというものは大小様々だ。そこらの子供にでも叶えられるものから、自分のようなモノに頼らなければならないものまである。そこのところ、自分ならば君の望むもののほとんどを叶えられる自信があるよ。なにせ、自分は()()ミノット=フォガットの分身魂だ。ほんの一欠片とはいえ常人の身にはそれだけすら余りあるほどだ』



「……本当に、何でも叶うのか?」



『ああ、自分に力の貸せるものなら、なんでもだ』



 未だに躊躇の心が消えたわけではない。変わらず誠二の内から本能がやめておけと叫び続けている。

 だが、だからどうしたと言うのだ。


 物部 誠二はあの日にとっくに死んでしまった。こんなところに来てしまっては、もう生きる意味を示すことなんか出来やしない。


 ならば、この内から沸き上がる衝動に身を任せてみてもいいのではないか。


 編纂者からの入れ知恵があったからとはいえ、一国に侵攻し、もはや敵に回してしまったのだ。誠二が目覚めた能力だけでさえ、あれだけのことが出来たのだ。それに加え、あの圧倒的な威圧感を持つ女の力の欠片だというコレがあれば、どれだけの事が出来るか。



『ふむ、良からぬことを考えていそうな、歪んだ顔だ』



「……何だよ、何か文句でもあるのか? 何でも叶うんだろ? それとも悪いことには使えないとでも言う気?」



『そんなわけはない。力は、あくまで力なのだから。そこに善悪はないよ』



「ははっ、なら良かったよ。僕の願いだって? なら聞かせてあげるよ、僕の願いは―――――」







 小さく、それでいて確かに混沌の獣が産声を上げた。

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