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異界にて揺蕩え、デア ヴァンピール  作者: 葦原 聖
第二章 星の聖女
65/120

65 聖女と英雄 vs 魔王 ⑦

 濛々と立ち込める砂埃の中、突き破った天井に届くのではないかというくらいの威容を誇る人影が浮かび上がる。

 その大きさはまさしく屹立すると表現するにふさわしいほど。質量が大きいという事はすなわち戦闘力の大きさに直接結びつく。大柄な巨漢と小柄な痩人、そこに隔絶するほどの技量の溝が横たわっていない限り戦闘に置いて前者に圧倒的に軍配が上がるのは明白だ。


「テンリ、奴だっ! あたしが手も足も出なかった化け物は! くそっ、『理外の巨人』だって?! 神代なんてとっくに終わってるってのに!」


 焦燥感に掠れたギルマスの声が届く。それまでどこか泰然としていた彼女がそこまで取り乱すほどの状況、ひいては相手だという事に他ならない。


 天理がギルマスと会った時にはギルマスは既に重傷と言えるほどの怪我を負っていた。今は紫葵の回復魔法のおかげで動けるくらいには回復しているが、それは紫葵の並外れた回復魔法の適性と技量によるものだ。本来なら戦闘に参加できるような状態まで持ち直すという事はなかっただろう。


 ギルドマスターという実力者を相手にして、それだけの圧倒的な実力差を持つ者、『理外の巨人』。天理としては聞き慣れない名前だったが、ギルマスの言葉に真っ先に反応したのは驚く事に天理と同じで異世界人であるはずの紫葵だった。


「『理外の巨人』?! そんな……」


「紫葵?」


「教会の聖典に出てくるの。神様たちがまだこの世界に留まっていてくれた時に、たった一体で神様たちに叛逆し、神様たちでさえ怖れたって……」


 神話の怪物。神々の恐怖の象徴。

 そんなものが、今この場に現れたというのか。それほどのものが、誠二の下に付いているというのか。


 だとするならば、誠二のあれほどの自信に溢れた態度も理解出来ようなもの。それがあるからこその国落とし、それがあるからこその虐殺。力というものは人を活かしもするし、殺しもする。力に魅せられた誠二はその力を自分の思うままに使い、それが結果として多くの人々を不幸に貶める事となった。その力を以て人々を、クラスメイトたちを救おうと奔走している天理たちとは真逆も真逆。相容れるはずもない。


「ひひっ……、ひあはははっ! 言っとくけどこいつの強さはさっきまでの有象無象とはわけが違うからな! やれっ、『理外の巨人』! お前の強さをこいつらに見せつけろ!」


 その言葉とともに、地響きを轟かせながら動き出す巨人。その動きは緩慢としたもの、といってもその一歩が人二人を縦に並べた程にもなるのだ。ただの一歩そのものが凶器になり、脅威になり得る。


 ようやく動き出した巨人を見た者の反応はそれぞれ様々だった。

 ある者は恐怖からしり込みし、震える身体をなんとか収めようと両腕で掻き抱き、またある者は絶望からくる涙によって顔面を濡らし、どこにいるとも知れない神に祈りを捧げる。


 阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。恐慌は伝播し、休息に広がっていく。そんな中で未だに戦意を保てている者は極少人数だった。

 一度会敵したことのあるギルマス、魔物と戦う事に悦楽を見出しているルーシカ、知識として知ってはいてもその脅威度が現実のものと結びつかない紫葵、そして……他の面々とは別の視点で巨人を見ていた天理だ。


「―――――おかしい……。あの巨人、()()()、だ……」


 天理がそう呟いた瞬間、巨体に動きがあった。


 ゆらりと動く。足を一歩、二歩。


 最後にこの世のものとは思えない程の大絶叫を轟かせて。


 ―――――巨人は王の間の床に沈んだ。


 誰もが予想すらしていない奇行。戦場に蔓延していた混乱と恐怖が、一瞬の間隙とともに空気に溶けて消え去っていく。だが、それも数瞬のみの事だった。巨体が重力に引かれるままに倒れこんだのだ。その衝撃は計り知れない。その余波が波となって各人の身体を大きく打つ。

 それにより更に大きな悲鳴がそこかしこから上がるが、天理の『目』はそれが攻撃を目的としたものではない事を訴えかけていた。


 転倒の衝撃によって王の間が、いやそれ以上に王城全体が大きく軋みを上げる。

 今までの戦闘によって元々かなりの損害を受けていたのだ。それに加えて今回の巨人の全質量の伴った衝撃。ボロが来ていた王の間にトドメを指すには十分すぎた。


 謁見の間としてどれほどの客人を招いたとて恥ずかしくないであろう装飾がなされていたそこは、至るところに罅が入ったり、天井が抜けてしまっていたり、終いには弾けた魔物の体液やら骨やらが散乱していたりともはや見る影はない。そしてその地獄絵図を装飾するのは倒れた巨体に潰されまいと逃げまどう者たちの姿だ。中には足を取られ、そして自分が何に躓いたかを直視してその場で嘔吐する気の弱い者すらいる。先ほどまで戦場の空気に当てられ高揚していた心も、恐怖という冷や水を引っ掛けられた事により強制的に沈下させられたのだ。


 だが、それもここまでだ。呻き声のようなものを上げて倒れたまま身を捩る巨人を見て、やがて恐怖からきた喧騒は沈静化していった。そして丁度その時を見計らったかのように、巨人が開けた天井の大穴から下りてくる見覚えのある姿。少し記憶と違うのは、紫葵の聖女の正装とどこか似た装飾が施された、白と金が印象的な衣服が、所々破れているところか。そのせいで聖職者にはあるまじき扇情的な格好になってしまっているが、本人はそれに気が付いていないのか、気にするそぶりすら見せなかった。


「よっ……と。あら? テンリに聖女さまじゃないですか。……という事は、この魔物を追い掛けているうちに王城まで来てしまっていたのですか」


 この場には不釣り合いな、朗らかな声が辺りに響く。倒れ込んだ巨人を足蹴にし、アルマーニ司教は変わらぬ柔らかな笑みを浮かべ、天理たちを見渡した。






 ◆






「―――――な、は……え?」


 突然のアルマーニの登場に呆けていた天理の耳が、さらに呆然とした声音を捉えた。それまでの狂騒が嘘のように静まり返った中で響く声。その音の発生源は、先程までに勝ち誇ったように狂った哄笑を上げていた男だ。


 何が起こったのか理解が出来ないといった表情を浮かべながら、目の前で横たわる巨人と天井から舞い下り、そのまま倒れ伏す巨人の背に飛び乗った女性―――――アルマーニの両方へと世話しなく視線を行き来させる誠二。やがて現実が視覚情報となって脳へと行き届いたのか、わなわなと唇を震わせながら言葉を紡ぐ。


「お、おい、なんだよ……。なんなんだよ、お前は……。『理外の巨人』だぞ……? お前も、何やってるんだよ……? そんなところで寝転がってないで、さっさとこいつらを、叩きのめせよぉっ!」


「―――――『理外の巨人』? なんですか、それは?」


「何、だと……? お前こそ何なんだよ!? 『理外の巨人』に、お前ごとき女が勝てるはずが―――――!!」


()()が、『理外の巨人』? 馬鹿を言わないでください。確かに手強かったですが、わたし一人でも対処出来たほどです。それと神代の怪物が同列だなんて、あるはずがない」


「な……んだと……?」


 アルマーニの言葉に衝撃を受けたかのように今一度倒れ伏す巨人に視線を向け、そしてそのまま俯く誠二。巨人が地に伏した今、勝ち目がないとさすがに悟ったのだろう。


 そんな誠二を横目に見ながら、誠二は自分がアルマーニを見誤っていたこと自覚した。『理外の巨人』もどきを単身で下したアルマーニだ、その体にいくつもの傷があることから、さすがに一方的な戦闘を行ったわけではないと思われるが、教会トップレベルの戦闘力を持つという粛正官の名前は伊達ではなかったということだろう。


 天理自身、単身あれと戦えと言われて倒せるかと言えば悔しいが無理だと答える他ない。今回の騒動でかなりの研鑽を積めたとは思っているが、それでも今一歩届かない。そんな天理だからこそ、正しくアルマーニの実力を感知できた。


「ふむ」


 アルマーニが王の間を一瞥しながら、小さく言葉を漏らす。


「どうやらわたしが最後の見せ場だけを奪った形となってしまったようですね」


「そんな事はないですよ。正直助かりました。僕もこの調子です

 かなり消耗していた僕たちだけではその巨人には勝てなかっただろうから」


「ふうん? そんな事はないと思いますけどね。まあ、何にせよ貴方たちに大事がないようで良かったです。―――――それで」


 どうするのか、と彼女の視線が告げていた。


 言わずもがな、その意図の相手は未だに力なく俯く誠二だ。彼女がどれだけ事情を把握出来ているのかは知らないが、沙汰を天理たちに預けようとの心積もりなのだろう。天理たちからしてみれば願ってもない申し出だ。


「事情全てをお話出来る訳ではありません。荒唐無稽、流言飛語と嘲弄されるだろうし、僕たちの立場がどうなるかも分からない。彼は許されないことをした。それに対しての憤りもある。この街の人々の気持ちも、こうして討伐隊として付いてきてくれたギルマスたちの誠意を裏切ることになるかもしれません」


 自分が何を言いたいのか分からないまま、浮かんでくる言葉をそのまま紡いでいく。天理には周りの討伐隊の顔ぶれを見る勇気すらない自分が嫌で仕方がない。


 天理が求めるのは、これほどの騒動を起こした誠二に対する恩赦とも言える。だが、被害者からしてみればそれほど滑稽なことはないだろう。

 何故、自分の街を滅茶苦茶にした相手を許さなければならないのか。何故、自分の知人を、友人を、恋人を、家族を亡き者にした元凶を、同じような目に会わせることを望んではいけないのか。


 何故、何故、何故―――――。


「でも、それでも、どうかお願いさせてください。―――――彼を、殺すだけはどうか」


 腰を下り、頭を下げる。

 天理とて自分でもどうしてここまでの事をしているのか分からなかった。言ってみれば、たかがクラスメイト。たかが友人とまでいかない知人だ。

 そのためだけにこうして、自分を信じて付いてきてくれた人たちを敵に回すような行動さえしている。


 偽善と言えばそうなのだろう。それでも、天理にはやらずにはいられなかった。自分に課した呪い、クラスメイトを全員送り返すという、ただそのためだけに。


「……はぁ。テンリ、貴方はその意思を伝える相手を間違っていますよ」


「そうだよ、天理くん。―――――皆さん、今の言葉をお聞きになったかと思います。聖女としてあるまじきことかもしれません。背徳者と罵られても、それを受け入れる覚悟はあります。だけど、わたしもまた彼と同じ意見です。思うところはあるでしょう。ないはずがありません。彼が罪を犯したのは事実。それが到底償い得るものではないことも事実。だけど、だからこそ、どうかわたしたちに預けてくださいませんか」


 アルマーニの言葉に一歩遅れ、慌ててこの街から義勇兵として参加してくれた魔物狩りの人たちに向き直った。と、天理が言葉を紡ぐ前に、いつの間にか天雷を引き連れ近くに来ていた紫葵が機先を制す。


 本来ならば、聖女という位に位置する彼女からの『お願い』など到底断れるものではない。だが、彼女の言葉を聞いた者は一様に、これが強制力を伴わない、彼女の本心からの願いであることが感じ取れた。それで晴れるほどの恨みではない。それで薄れるほどの憎しみではない。


 だが、真摯に紡がれた言葉は人の胸を打つ。なんの打算もなく、なんの裏表もない誠意は確かに聞く者に届き―――――。








「―――――なよ。なんでどうしてぼくばっかりこんなめにこれもすべてあいつのせいだそもそもぼくはなんでこんなところにいやちがうここならぼくはいちばんになれたはずいやあっちでなれてないほうがおかしかったどいつもこいつもぼくのかちにきがつかないばかばかりだここでならぼくはなににでもなれたなんでもできたそれなのになんでぼくはこうなってるなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ」





 その誠意を塗り潰さんとばかりに汚泥のような声が響いてきた。


 同時にばっと音がしそうなほどに振り返る。そこには打つ手がなく、戦意喪失していたかに思われていた誠二が見開いた目を血走らせながら、右手を胸元に添えていた。


「―――――壊そう。僕が悪いんじゃない。あっちと同じだ、環境が、世界が悪いんだ」


 身を震わせるほどの悪寒が背筋を駆け抜ける。何をするか分からない。分からないからこそ、何かをしなければならない。


 天理は本能に従って誠二のもとへと跳躍する。視界の端にはアルマーニも常の柔らかい表情を引き締め、誠二へと肉薄しているのが見える。


 だが、届かない。


 ワンアクション。誠二は一瞬の躊躇いのあと、その右手を()()()()()()()()


 痙攣し、背中を反らせる。


 自然と右手が胸から引き抜かれた。


 そこに見えるのは黒より暗い空洞。


 ごぽりとこぼれでたのは決して血液ではない。


 黒く、昏く、どこまでも暗い、液状のナニカ。


 まるで意思を持つようにうねり、とぐろを巻き、その勢力を増していく。


 まず誠二が飲み込まれた。次に床に散らばる魔物の残骸。逃げ遅れた者。


 最後に『理外の巨人』もどき。


 一つを、一人を飲み込むごとに増えていく体積。巨人を飲み込んだことで最後に大幅に膨れ上がり、そして一つの形を取った。


 おおよそ2メートルほどの体躯に、無駄のないしなやかな体。

 どこか誠二の面影を残しつつも、元とは違うとはっきりと分かる顔立ち。


 その姿を目にした時、先程と同じく本能が天理の体を自然に動かした。

 具体的には()()から大きく飛び退き、それだけに留まらずに体の芯から震え出す。


「なんっ、だあれ……?」


 天理の呟いた言葉が、虚しく空気へと溶けていった。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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