61 聖女と英雄 vs 魔王 ③
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もちっとペースをあげたいのですけど、実力が足りない……。
躊躇い、警戒を最大限にしながらも、突然全ての戦闘行為を停止し主であるという魔王の下へと案内を開始し始めた海棲人型魔物と有翼人型魔物に続いて王城の奥深くへと足を踏み入れていく天理たち一行。
複雑に作られた回廊や階段を上っていくうちにやがて重厚な扉の前へとたどり着いた。それは謁見の間、別名王の間と呼ばれる部屋への入り口であり、そこに着いた途端役目を終えたとばかりに両魔物はその動きを止めた。
ついに魔王へと手が届くところまで来たのだ、いつまでも立ち止まってなどいられない。緊張、不安、恐怖、疑念。心中を様々な感情でない交ぜにしながら天理たちは覚悟を決めてその扉をくぐる。
――――だがその瞬間、彼らの意識は白に塗りつぶされた。
視界が徐々に色を取り戻していき、混乱から張り詰めた緊張感が何も起こらなかった事で静かに安堵へと移り変わっていく。
取り戻した視界でまずは紫葵を、そして他の面々を確認していき、そこでやっと天理は一息をついた。唐突に天理を襲った謎の眩暈のようなものはどうやら自分にだけ起こった現象だったわけではなく、周囲でも同じように頭を抑えたり、振ったりしている姿が見られた。
そうやって辺りを見渡してみて、天理は遅まきながら一つの事に気が付いた。視界が白に染まる直前、天理たちがいたのは確かに王宮だ。どれほどの金を積み上げて作り上げられたのか見当もつかないほどに豪奢かつ荘厳にあしらわれた内装の数々。それを更に引き立てているのは調度品だ。これまた名工が手掛けたと一目で分かるほどに精巧で洗練された時の技を感じさせるもの。
だが、一つ扉をくぐったその先に広がっていたのは黒曜石のように艶のある石畳をこれでもかと敷き詰めた空間だ。黒く、黒くどこまでも黒いその部屋はおよそ王城の内部の縮尺に到底合っているとは思えない。縦も横も広大過ぎるのだ。そしてその中で部屋の中央にそびえるのはこれまた高い階段だ。見上げるほどまで続くそれの先には王者の証、所謂玉座と思えるものが取り付けられていた。
だだっ広い空間に、中央にぽつりと設置された長階段と玉座。それ以外に目ぼしいものは見当たらず、そもそも申し訳程度に付けられているだろう証明では階段と玉座以外を認識することはできなかった。
そこまで油断なく辺りを見渡したことで、ふと気付いたことがある。扉をぐぐるあの感覚だ。エレベーターに乗ったときのようなえもいわれぬ不快感。例えるとしたならばそれに近いか。だが、もう一つ天理は、そして紫葵はこの感覚に覚えがあった。それはもはや遠い過去にすら思えるほどの記憶で、全ての発端となったあの廃墟。その場所において転移が起きたときのその感覚と酷く類似していたのだ。
その時、考え事を遮るかのように不意にこつんと音が響いた。何事かと視線を上にあげる。音の発生源はちょうど真正面の、それも中々の高所から鳴り響いてきたものだ。そしてこの部屋において、その条件に見合うものは一つしかない。
―――――その中心に、あの仮面の人物を侍らせた彼がいた。
「はっ、まさか本当に乗り込んでくる馬鹿がいるとは思わなかったよ。……なぁ、蓮花寺くん?有栖川さん?」
悪意をこれでもかと塗り込んだような声。その声も、またその風貌も天理と紫葵には馴染みがあるものだ。
アジア人、ひいては日本人特有の顔立ちに黒色の髪。表情を侮蔑と愉悦に歪ませながら、彼―――――物部 誠二は言う。頬杖を付き、足を組んだその姿はまさしく魔王と評するにふさわしいものだ。
そしてその事実が天理と紫葵の心を大きく揺さぶった。まさかまさか、と思った事もあった。王城から発信されたというあの放送を聞いた時、放送機越しとはいえ明らかに聞き覚えのある声に動揺していた。
この世界に来てから天理や紫葵は数え切れないほどの人々と出会っていた。だから、そのうちの誰かだろうと半ば決め付けながらも、やはり心のどこかでもしかしたらという疑念は拭いきれなかった。
事前にアルマーニから情報を貰っていたこともその一助になっていたのだろう。……かつての級友が、誰からも恐れられ、罪無き人々に仇なす存在となっていたその望まぬ真実に。
「……どう、してだ」
「―――――ぁ? 何か言ったかい、蓮花寺くん?」
「どうしてッ……こんな事をした!! こんな、こんなッ―――――!」
怒りがあった。戸惑いがあった。疑念も、軽蔑もあっただろうし、嫌悪もあった。感情の奔流は天理の口から言葉を奪い、それでもどうにかこうにか絞り出せたのは誠二の行動の動機を問うものだった。
「どうしてかって? そんなの決まってるだろ。……やりたかったからやった、それだけだよ」
それに対する誠二の答えはあまりにも簡潔すぎるものだった。簡潔すぎて、むしろその言葉を理解するのに時間を要してしまう程に。
やりたいからやる。それは天理にとって理解不能な、それこそ魔法のような言葉だった。幼い頃から自分を禁じ、家の者の期待されるがままに物事と向き合ってきた天理。そこに己の私情が絡むという事はほとんどなく、将来の家のためというものが大部分を占めていた。
そんな天理だからこそ、やりたいからやるという思考が理解で出来ない。
理解出来ないというのは恐ろしい事だ。人間の社会というものは突き詰めれば共感、すなわち理解によって成り立っている。社会的な動物である人間は各々でグループを形成することが半ば本能として刻み付けられ、そしてその横の繋がりは共感によって成り立つ。
理解出来る者は理解出来る者同士、出来ない者は出来ない同士で固まり、そしてその中でもより理解出来ない者は排他される。全てが全てそれに当てはまるわけではないのは当然だが、多かれ少なかれ誰もがそれに似た経験をした事があるはずだ。
――――人間とは、自らが理解出来ないものをとことん拒絶するものなのだ。
「……この魔物たち、物部が操ってるんだな?」
「へぇ? やっぱり分かっちゃうか? ニンゲンみたいな脳ミソの足りない有象無象とは違って、こいつらはどんな時でも、どんなことでも言いなりなんだぜ? ―――――例えば、ほら。『死ね』」
「「ギョイに」」
匙を投げ、話題を変える天理。その矛先は王都の至るところに湧いている魔物についてだ。ほとんど分かりきっている事ではあるが、これもまた聞かずにはいられない。
それに対する誠二の答えは肯定。だがそれだけに留まらず、彼なりの持論を振りかざし、そして最後にその証左のように自慢気に一言言葉を告げた。
そしてその命令はこと魔物に対しては絶対遵守の力を持つ。
片言の言葉を最後に発し、いつの間にか天理たちと同じようにこの謎の空間に来ていた人型の魔物二体が爆発四散する。文字通りのその光景のおぞましさに流石の魔物狩りたちと言えど視線を逸らす者も多い。天理は強いて視線を逸らさず、目の前の衝撃的な光景を視界に入れさせないように紫葵の前に立った。
「自分以外に命令を聞かせるってこんなにも気持ちの良いことだなんて知らなかったよ。蓮花寺くんや有栖川さんもそうだったんだろ? クラスカーストでずっと上位にいたんだからね。上位者の、一番の特権だよなぁこれは」
「人に、命令をする……? そんな事した事も、したいと思った事もない!」
「はぁ? おいおい、良い子振るなよ蓮花寺の御曹司ぃ。蓮花寺の名がどんな意味を持つかだなんて誰しもが知っている事だろ? 蓮花寺くんがどういう意図で話そうがそれだけで『命令』になるんだよ、僕らみたいな……下々にとってはね」
下々と言う時だけ表情を不満げに歪ませながら、誠二は天理の言葉を否定する。それは天理にとって青天の霹靂でしかなかった。今までそのように考えた事など一度たりともなかった。
蓮花寺の名は重い、それは重々承知していた。仮にも自分が将来背負うことになるものだ、その意識も自覚も、そして責任も天理は全て備える事が出来ていると自負していた。だがその『名』が周囲を威圧する事に繋がっているなんて事があるだなんて。
「……もし、もしそんな事があったとしても、僕は僕を慕って付いてきてくれる人に命令する事なんて絶対にない! ましてや君みたいに、仲間と呼べる存在を無意味に殺したりなんてする事も!」
魔物相手に慈悲を持っているわけではない。だが、自らを主と呼ぶもの相手に、ただ一方的に上から押さえつけるかのように、死ねと一言命じるなんて事があっていいわけがない。それは上に立つ者の在り方では決してない。
だが、天理が誠二を理解出来ないという事は、誠二もまた天理を理解出来ないという事でもある。
天理の言葉に首を傾げて、誠二は己の考えを口にする。
「無意味? 意味ならあるさ。僕は来客は全て通せようにと言ってあったんだ。だけど、やっぱりなまじ中途半端に自我があると面倒だなぁ。命令していなかったとはいえ勝手に動くとは思わなかったよ」
その言葉に天理は閉口せざるを得ない。その言葉があったからこそ天理たちは無駄に戦うという事をせずに、そして消耗も最低限に抑える事が出来たのも事実だ。
「……テンリ、お前たちと奴の関係が何なのかは今は問わない。だが、あたしたちは奴を殺しに来たんだ、それを忘れないでくれ。――――奴は人を殺しすぎた」
「ギルマス……、でもそれって……」
「―――――いや、紫葵、ギルマスの言う通りだ。彼はもう、人じゃない」
目を逸らして絞り出した天理の言葉に紫葵はひゅっと小さく息を飲んだ。当たり前だ、天理の言葉は今からクラスメイトを殺すというギルマスの言葉に全面的に同意をした上で発せられた言葉だ。
同じ教室で半年間という時間ではあったけれど、それでも大きな問題が起こる事はなく円満に過ごせていたはずだった。
誠二だって定期試験では天理に次ぐほどの頭脳の持ち主で、一年の頃にはクラス委員だって務めていたと聞き及んでいた。二年になり天理と同じクラスになってからは副委員として天理を支えて来た実績もあった。
それがこうして異世界に来て今は魔王と聖女、そして英雄の卵として対峙している。その事実がまるで信じられない。だが、夢と思い込むには天理も、そして紫葵もまた大人過ぎた。
そうして現実から逃避していられる時間はとうに過ぎ去ってしまったのだ。
「――――話は終わったかい? 君たちは僕を何とかしに来たんだろ? まさか交渉なんて馬鹿げた事をしに来たわけじゃあないよな? 暴力で何とかした僕を、これまた暴力で何とかしに来た、そうだろ? そうだと思ったからここまで通したんだ、期待はずれの事なんかしてくれるなよ?」
「……そうだ。僕たちは、君を倒しに来た。だけど君のように私利私欲のために力を振るったりなんかはしない」
「はっ、同じさ! 同じなんだよ! 違うだなんて綺麗事を言ってる奴になんか僕は負けないね! そうだ、僕は今度こそお前に勝つんだよォッ! 蓮花寺 天理ィ!!」
狂気に満ちた表情を浮かべながら、誠二が腕を横凪ぎに振るう。それを合図に複数の空間が球状に歪み、魔王の軍勢が姿を表す。
それを見た討伐隊の面々の動きもまた素早い。紫葵を最後列に置き、重装備の者を前に、そして軽装備の者を動きやすいようにサポートする構えを取る。
出現した魔物の大半は街に溢れ返っていたものと同じで操り人形と化した魔物たちだ。下はEランクから、上はBランクまで、単体では脅威と呼べるほどの戦力ではないが、それが群れれば不意討ちとはいえ今回のように一国の王都を落とす事すら可能となる。
加えてその中には先程の魔物のように人型を取っている魔物もちらほらといた。戦力差はお世辞にも対等とは言えない。
誠二は厭らしい笑みを浮かべ、玉座から一歩も動くことなく一言、やれと呟いた。
それが魔王の軍勢と、聖女と英雄が率いる討伐隊との間での開戦の合図となった。
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