55 聖女と英雄 ③
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「―――――魔王が来ました」
アルマーニが告げたその言葉の意味を咀嚼する前に、突如として爆音とともに宿屋の壁が抉れる。
爆風と大小の瓦礫が小洒落た内装をずたずたに引き裂いていく。哀れ、窓際にいたアルマーニはもとより、安穏と休息を貪っていた天理や紫葵までもがその余波に巻き込まれ、その身を瓦礫の山に埋め―――――、
「……大丈夫、天理くん?」
―――――る事はなかった。
壁が崩壊すると同時に半ば直感的に天理は紫葵と紗菜を守るべくその身体を動かした。一人の人間が二人の人間を助けるために刹那の瞬間に出来る事は圧倒的に限られている。天理とてこの世界に来て培われた反射神経と運動神経の双方をふんだんに使い、ようやく出来た行動が紫葵を抱え込みベッドに横たわる紗菜の上に覆い被さる事だけだった。
だが無論それだけで瓦礫が全て回避できるわけがなかった。最悪大怪我を覚悟しての天理の行動は、抱え込まれながらも集中を乱さずに魔法を行使した紫葵によって救われる事となった。
「ありがとう、紫葵。正直助かった」
「ううん、わたしの魔法の腕じゃ真正面に張る事くらいしか出来なかったから、天理くんが紗菜ちゃんの所に跳んでくれなかったら今頃大変な事になってたよ」
紫葵を抱え込んだ天理の背後、人の頭大の瓦礫でも傷一つ付かなかった聖なる盾が音もなく消え去る。紫葵の一意専心の努力によって使えるようになった光魔法によるものだ。
救おうとした側が救われ、救われようとした側が救う。一見本末転倒のようにも感じるが、それでも天理はこれでいいと思っていた。人一人の力なんて所詮ちっぽけなものだ。天理一人が頑張ったところで今のように後先考えずに動くだけ。
紫葵は覚悟とともに力が必要だと言った。それは天理だけのものに限った話ではない。一人では脆弱な力でも、何人もが集まればそれは強大な力となる。
初めから人を頼ればよかったのだ。そういう意味では初めに会ったクラスメイトが紫葵だった事に感謝でいっぱいだ。
だが、天理の中では一つ優先度の低かったアルマーニは。刹那の時間で天理は迷う事なく紫葵と紗菜を選んだ。余りにも彼女たちの立ち位置がバラけていたため、アルマーニか紫葵と紗菜かを選ぶ必要があった。
これでアルマーニが生き埋めになってしまっていたら寝覚めが悪いにも程がある。土煙と埃で見通しの悪い視界の中、天理は数瞬前まで彼女が立っていた場所に声を投げかけた。
「―――――わたしは大丈夫です!ですが、先ほど話した通りこの都市に魔王が来ています!貴方たちは速やかに討伐対象である『操魔王』の下へ向かってください!」
返ってきた言葉は常の彼女の抑揚があり感情に富んだものではなく、張り詰めた厳しさを感じさせるものだった。
その時、先ほどとは違う、何か大きいものを振り回したような音とともに煙が晴れる。
煙の向こう側、部屋だったものの隅に魔物がいた。
大きさはほぼ成人男性の平均と変わらない。天理より頭一つほど小さく、アルマーニとはかなりの差がある。だがそれは身長に限った話だ。
その魔物の特徴は肥大した両腕だ。一本が大樽ほどもあるそれは見るからに致命的な質量を備えており、現に今もその右腕がアルマーニへと振り下ろされているところだった。
先ほどの音はその魔物が腕を振り下ろした音だったのだろう。だとしたらそれほどの剛腕を素手で受け止めているアルマーニの負担の程は計り知れない。
「魔物!?僕たちも援護を―――――!」
「貴方たちにはやる事がある!そうでしょう!?」
言葉を紡ぐ間もなく、言い返される。その迫力は目の前の魔物でさえ身体をすくませるほどだ。
天理にはこのプレッシャーの正体に心当たりがあった。それは魔物狩りとして活動している間に何度も耳にした気力というものだ。
魔力と似て非なるものである気力は、一流の戦士ならば必ずと言っていいほどに扱える代物で、それを身体に纏えば身体能力が極端に上昇し、武器に纏わせれば地を割る程の衝撃波を生み出せるというものだ。
今のアルマーニのものは瞬間的に周囲に拡散させたものだろう。天理はどこか冷静にそう考えた。
「魔物が出現しているのは今この場だけではありません。恐らく『操魔王』によって都市全域に放たれています。先ほど上空に飛行型の魔物を数種確認しました。奴らに運ばせたのでしょう。その魔物たちのどれかに魔王がいるはずです」
「ならこいつを倒して、アルマーニ司教も一緒に……」
「わたしは行けません。雑魚ならば問題ないですが、さすがに魔王となれば『祝福』を使わざるを得ない。そうすればわたしは他の粛清官に命を狙われる事になります。許可なく『祝福』を使用する事は教会に禁じられていますから」
竦みから立ち直った魔物が、再びアルマーニへと襲い掛かる。かすっただけでも身体ごともっていかれそうな暴力の嵐の中、アルマーニは体捌きだけでそれらを凌いでいく。
狭い室内であるという事が何ら障害になっていない。
その内邪魔に思ったのか、魔物が周囲の壁を壊し始めた。天理たちがいるのは宿屋の上階だ。そうして暴れればいずれ上から崩壊してしまう。
アルマーニはそう考えたのか、隙を見て魔物に肉薄し、渾身の回し蹴りを放った。
吸い込まれるように魔物の頭へと当たり、魔物は自らが突き破った壁の穴から飛び出ていく。向かい側には部屋より少し背の低い建物が並んでいる。魔物はその屋上を滑るように転がっていった。
「わたしは魔物を適宜処理しながら住民の避難誘導を行います。貴方たちは『操魔王』の打破を」
再度アルマーニが言い、彼女自身も穴から飛び出し、魔物に追撃を仕掛ける。
残された天理たちは少しの間呆けたようにその戦いを見ていたが、はっと気づいてすぐさま行動に移った。
「紫葵は紗菜を連れて教会に避難してくれ。どこか一か所に立てこもれば断言は出来ないけど、そこら辺を歩いているよりは安全だろう」
「待って、天理くんはどうするの?一人で魔王の所に向かう気なの?」
「いや、そうじゃない。ルーシカたちがいる。僕は調査隊の皆と一緒に出来るだけ多くの魔物を倒しながら魔王を探す。多分それが一番だから」
「紗菜ちゃんを預けてからわたしもすぐに―――――」
「だめだ」
紫葵の言葉を意図的に遮る。天理が思っていたよりも固い声だったために、紫葵が僅かにひるんだがそれで諦めるようならば天理とてこのような言い方はしない。
「わたしだって戦えるよ!天理くんが教えてくれたから魔法だって使える!さっきだって……!」
「魔法を使える事と戦える事は同じ事じゃないよ。確かにさっき助かったのは事実だけど、それとこれとは話が別だ。紫葵、時間がないんだ。分かってくれ」
不毛な言い争いになると判断し、天理は強制的に話を終わらせる。天理がどうしても紫葵が戦う事を受け入れないという事を紫葵は察し、渋々と矛を収める。納得したわけじゃない。ただこれ以上話をしていても平行線になり延々と続くだけという事が分かったからだ。
幸い、と言っていいのか分からないが、魔法の習得の副次効果により紫葵は数度のレベルアップを経験していた。レベルアップはそのままステータスの上昇につながり、紫葵は日本に居た時より端的に言って力持ちになっている。
そのおかげで紗菜を一人でなんとか抱える事は出来た。所用で外していたクルトも騒ぎを聞きつけいの一番に紫葵の下へと戻ってくるだろう。
紫葵は警戒しながら動き出した天理の後に続き、宿屋を出る。
爆音と怒号、悲鳴と怨嗟の声が響く中、二人はそれぞれの役割を果たすために走り始めた。
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王都に存在する数々の建物の中で、最も豪奢であり、最も堅牢である王城。平時には余人の立ち入りを厳禁しているその場所に、一人の男が悠然と入り込もうとしていた。
周りを取り囲むものは全て人ならざる異形。通常なら真っ先に襲われるだろう男に対して、まるで付き従うかのように整列し、その道を飾る。
男はただ歩くのみ。
たとえその眼前を塞ぐものが現れようと、男は意に介さずに歩み続ける。そうすれば周囲にいる魔物が動き障害を排除することを知っているから。
男はただ歩くのみ。
そうすれば目的に何ら煩わされる事なくたどり着けると知っているから。
いくら血がその靴を濡らそうと、いくら悲鳴が耳をつき、憎悪と恐怖の入り混じった視線を向けられようとも、男は一途に歩み続ける。
そうした結果やがて辿り着くのは王城の中でも更に強固な場所。すなわち王の間だ。有事の場合に備えて数々の対魔障壁が張り巡らされているそこでも、再現なく湧き上がる魔物の群れ前ではその機能を十全に生かす事なく薄氷のように脆く崩れ去っていく。
床に敷かれた血のように赤いカーペットはまるで男を歓迎しているかのようで。男は魔物を従えながら、初めてその顔に愉悦を張り付け、カーペットの中央を歩いていく。
玉座の周りで身を震わせ、恐怖に喚く人の形をした何かを目線一つで黙らせ、一人ずつ魔物の餌にしていった。吹き出す血が更にカーペットを赤く染め上げていき、それもまた男の悦楽を高めていく。
「―――――なんだ、一番になるのって簡単なんだな」
男を除いて人間が誰一人いなくなった王の間で、一人超然と玉座に腰かけながら男―――――『操魔王』がぽつりと呟いた。
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