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異界にて揺蕩え、デア ヴァンピール  作者: 葦原 聖
第二章 星の聖女
52/120

52 水茎 紗奈 ①

遅れました申し訳ないです……。

 水茎紗菜が自らの置かれたおおよその状況を自覚するまでに要した時間は丁度一日と半分だった。


 突然の眩暈からの意識の消失。目が覚めた時には全くと見覚えのない薄暗い路地裏にその身を横たえていた紗菜が真っ先に探したのは、いつもその熱を感じ、兄と慕っていた天理の姿だった。

 闇に慣れない目でぼんやりと辺りを見渡し、少々潔癖症の()のある天理にいつでも触れられるように清潔にしていた手で泥と異臭のする何かで塗れた地面を撫ぜていく。


 見つかるはずのものが見つからないという焦燥感の中、ようやく慣れてきた視界で紗菜は自身の下へと近付いてくる一つの人影に気が付き、安堵の表情を浮かべた。

 天理だ。紗菜を探しに来てくれたのだ。彼ならば、紗菜がどこにいようと見つけてくれるという確信じみた思いがあった。


 途端に色づき始める世界。黒と灰、そして少しばかりの赤が占める光景の中で、駆け寄ってくる人影に縋ろうとして、自分の手の状態に気が付きやっぱりやめようとして、しかし思い直してその胸に飛び込もうとして。


 ――――――その期待は。希望は次の瞬間には綺麗さっぱり潰えていた。







 ♦






 孤児院。この世界でいうそれは教会が主体で運営する、主に魔物により寄る辺を失った者たちが行き着く最後の場所。教会という後ろ盾によってなんとか食い繋ぐ事が許された存在たちだ。

 孤児院というのはその関係上教会からの援助におんぶにだっこだ。だが教会の資金源は数あれど、その財に限りがないという事はあり得ない。故に孤児院というものは何処に限らずともその財政は火の車だ。だからこそどの孤児院の院長も限られた資金から出来る限り多くの孤児を集めようとするのだが。


「―――――また孤児拾ってきたの、院長先生」


「そんな事言わないの。……ほら、服を脱いで、綺麗に洗ったげるわ。……まあ、ひどい。女の子がこんなに汚れてちゃダメでしょ!」


 その孤児院はペルネ王国王都にこそあるものの、お金がないという理由で隅も隅、貧民街へと追いやられた奇異な孤児院だ。その理由は単純。院長であるセルフィアがだれかれ構わず孤児を見つけるなり孤児院へと引っ張ってくるからだ。

 それが王都の中であれ外であれ、目にすればそれが教会から命じられたお勤めの最中であったとしてもそれをほっぽり出して脇目も振らずに駆け出す始末だ。


「―――――ッ。やめ、やめてください!紗菜を、紗菜をお兄ちゃんの所へ返して!」


「安心して。今から教会に届け出を出してくるから。……サナ、でいいのよね?」


「お兄ちゃんッ……!紗菜は……、お兄、ちゃん……」


 半ば半狂乱、言うなれば半々狂乱となって取り乱し、髪を振り乱す紗菜を仕方のない子を見るような目で見ていた院長は、一度奥に引っ込み紙を手に持ってきて、そこにさらさらと文字を書き連ねていく。

 孤児預かり証と呼ばれるそれは、孤児院にて孤児を引き取ったときに教会側に提出を義務付けられている書類だ。これを教会側に提出していなかった場合、もしその孤児が孤児ではなくただの迷子であった時などに教会から何の弁護もされることなく、むしろ切り捨てられてしまう。逆に提出していれば保護という名目が立つ上に、保護者なんかも孤児院から頒布される孤児一覧にて容易に探し出す事が出来るのだ。


 ここで大きなすれ違いがあった。紗菜の一人称が自らの名前だったために院長はその名だけを預かり証に記載し提出した。この世界でサナという名前は珍しいとは言え、皆無というわけではない。そもファミリーネームを必要とする者たちはごく一部しか存在しないため、院長もあえて聞こうとはしなかったのだ。

 それゆえに、後に教会側に提出された預かり証を(あらた)めていた紫葵が見落とすという事態になってしまった。


 ―――――大きな、大きなすれ違いだった。


「じゃあ、私は預かり証を出してくるから、サナをお願いね」


「はーい」


 院長が孤児院を出ていき、それと同時に興味深げに紗菜を遠巻きに見ていた孤児たちがどんどん群がっていく。

 下は5歳ほどの幼さから、上は13歳ほどの年齢まで。そんな少年少女、幼年幼女が汚れを落とすために服を剥かれ、タオルで隠すのみとなった紗菜の下へと駆け寄ってくる。……さすがに少年たちは遠巻きにだったが。


「―――――!?ちょっ、な、なんなんですかあんたたちはっ!」


「はいはい、早く身体を拭かないと風邪ひいちゃうでしょ」


「はい、服ー!院長先生のだけど、いいよね?」


「おねえちゃんはどこから来たのー?」


 きゃいきゃいと四方八方から飛んでくる(かしま)しい声に異常な状態から混乱し、ついに紗菜の我慢が到達した。

 群がる子供たちをがっしと掴み、ちぎっては投げちぎっては投げを繰り返す。






 預かり証を出し終え、孤児院に戻ってきた院長が目にしたのは積み重なった孤児たちの上に大人げなく立つ紗菜の姿だった。







 ♦






 紗菜が孤児院での生活を受け入れたのは、ひとえに天理が必ず迎えに来てくれるという確信じみた思いを抱いていたからだ。

 それが思い込みであれ、真実であれ寄り辺のない今の紗菜にとって何かを心の支えにするという事は、心の均衡を保つ上で最も重要な事だった。


 だからこそ、紗菜の選択は待つというもの。幸い孤児院ではある程度の労働と引き換えに最低限の生活は保障される。


「サナ姉、洗濯物取り込んどいたよー」


「ありがとうございます。じゃあ次は……」


「サナ、教会から来たコレってどうすればいい?」


「サナ!」「サナ姉」


 一か月もしないうちに孤児院での立場を確立した紗菜。年齢が一番上という事もあってか、多忙な院長に代わり院長補佐を任されるようになっていた。

 そうして過ごしてみて、紗菜はどうやらここが地球ではないどこかという事に気付きつつあったが、紗菜にとって大事な事はどこで生きるかという事ではなく、誰と生きるかという事だったために、就寝前に少し思いを巡らせ、起きれば忘れるという程度だった。


 そんな中でも紗菜の思いはいつまで経っても報われる事はなかった。

 一月経ち、数ヶ月経ってそれでもなお音沙汰のない紗菜の英雄。一途に信じ続けるには紗菜はもう既に大人になり過ぎていた。


 孤児院に招かれざる客が来たのは丁度その時だった。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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