51 聖女と英雄 ①
すみません、時間が取れずにこんなに遅くなってしまいました……。
たぶんサイドストーリーが続くと思います。
南大陸では例年武闘大会というものが開かれている。開催国は南大陸にあるどれかしらの国だが、参加者は南大陸の人間に限られているわけでは決してない。
それが武に通ずる者ならば人族でも、獣人族だっていい。さすがに魔族はお断りらしいが、それを見た目だけで判別するのは難しく、もしかしたら魔族だって身を偽って参加しているかもしれない。
必要なものは己の武。それが武闘大会なのだ。
「だからこんなに人が多いのか。開催国に着く前にこれじゃ、帝国に行ったときはもっとやばそうだね」
「例年人がすごいんですよー。魔物の被害が増えてから、娯楽に武を求めている人が多いんですよねー」
アルマーニ司教と天理の会話が微かに耳に届く。今紫葵たちは南大陸のほぼ中央部に位置するペルネ王国まで辿り着こうとしていた。
それに伴い次第に人混みが増えてきたため、万一の状況に備えて馬車の中を紫葵一人にし、その周りを警護で固める事にしたのだ。
紫葵は馬車の中でほっと息を吐く。安堵ゆえにではない。自身の過剰なまでに窮屈な境遇に対してだ。
今までの人生で紫葵は特別扱いというものをされたことがなかった。
生まれは平凡。容姿も並み。運動神経も、学校での成績だって平凡な女子高校生の枠を抜けない紫葵。少なくとも紫葵自身はそう思っていた。
だが、そんな紫葵の周囲には何人もの特別扱いされている人がいた。
『特別』。
この言葉が孕む感情の数は並み一通りではない。『特別』に値するものを持っている人は、その『特別』が当人の一種のアイデンティティとなってしまっているのだ。
いずれ蓮花寺家を背負う事になる天理も、その傘下である篠枝家、水茎家、葉桐家に生まれた真彩も、紗菜も、そして琉伊も。
彼らだけではない。クラスをぐるりと見渡してみれば、成績優秀な人、運動が得意な人、努力が出来る人なんかがたくさんいる。
そんな人たちを、紫葵は『特別視』する方だった。それが無意識だったとしても。
だが一転して『特別視』される方となってしまった今はどうだ。
その行動一つ一つが誰かに監視されているかのような錯覚を持ちながら、『特別』を演じ、『特別視』されることを当然であるかのように振舞わなければいけない。
今になって紫葵はようやく気付いた。『特別』は仮面なのだ。特別じゃない内面を守るための、周囲からこうあれかしと求められる仮面。
それを外さないことを産まれた時から強いられ続けてしまえば、いずれその仮面は癒着し、外すことが叶わなくなってしまうのではないだろうか。
そう思うと、『特別』という殻から外れた天理たちを紫葵は知りたくなる。その一方で、早々に『特別』を脱ぎ捨てた琉伊の事も、また。
「聖女さまー?大丈夫ですか?」
「ーーーーーッ。は、はい、どうしました?」
「ぺルネ王国、王都へ到着しましたよ。……体調が悪いなら、すぐに宿を手配しますか?」
「いえ、大丈夫。大丈夫です」
馬車の扉から中を覗き込むアルマーニ司教に何でもないと笑みとともに応える。
目的のゾード帝国まではもう少しなのだ。今はそんな事を考えている場合ではない。ひとまずは教会へと向かい、到着の報告をしなければならない。
そう思いながら、ふと視線を天理へと向けてみれば、普段は誰よりも目を光らせ、常に責任感を強く漂わせている彼がどこか上の空で人混みを眺めていた。
♦
「―――――琉伊?」
それが目に入ったのは偶然も偶然のことだった。空を仰ぎその青色に爽快感を抱き、傍らに立つルーシカに目を向け微笑ましく思い、そしてふと街並みに視線を巡らせて見た時、仄かに視界を過る黒があった。
だが、まさかと姿を追おうと視線をずらしてみれば霞みを掴んだかのようにその姿は消え去ってしまっていた。
見間違えと断ずるのは容易い。ぺルネ王国まで、しかもその王都まで来たとなればその人口も観光客の数もこれまでの街とは異なり大幅に増えた。
人族が獣人族、男から女、子供から老人まで様々な人々がいる中で、たとえ見慣れているとは言え一瞬で人を見分けることは言うまでもなく難しい。
故に天理もまた気のせいだとそう結論付けようとして。
「いや、もしかしたらってことも……」
もしもを考えてしまえばキリがない。それは分かってはいるものの、一度こびりついた期待は乾いた泥のように簡単には落ちようとしなかった。
「どうしたの?天理くん」
その心の揺らぎを、幼馴染とも言える少女は目敏く感じ取った。
その事に内心をぐらりと掻き乱される。ここで琉伊を見たと言えばそれが本当であれ、見間違えであれそれだけ琉伊の事を気にしているという証左だ。少なくとも、天理にはそう思えた。
そう感じてしまえば後は悩むまでもない。
「―――――いや、何でもない。そう、何でもないよ。でも……少しだけここを離れていいかな。ちょっと気になる事が」
反対されるならそれまで。視界をちらついた影はやはり気のせいだと判断するのみだ。
自分がどちらの答えを期待しているのかは分からないまま、その沙汰を紫葵へと丸投げする。それがどんなにか情けのない事なのか、天理は気付いていなかった。
「うん、そうだね。天理くん、ずっと気を張りっぱなしだったもんね。少し気を休めるためにそこら辺ぶらついて来てもいいよー。調査隊の皆にも言っておいて」
「―――――。うん、分かった。ありがとう、紫葵」
その気配りに優しさ半分と何かに気が付かれたかもしれないという不安半分を感じながら、天理はその旨を調査隊の面々に伝える。
そこかしこで歓声や、聖女である紫葵を称える声が響いていた。無理もない。普通の護衛依頼ではそこまで配慮してくれる依頼主は多くはない。精々が野営時や、宿屋に着いた後のローテーションで幾ばくか休めるくらいだ。
魔物狩りというのは自らの身体で稼いでいる以上は仕方のない事なのかもしれない。なまじ天理もステータスという超常のものに頼っていなければ最初の数日でとっくに音を上げていただろう。
ともあれ、許しは出た。出てしまった。
完全に自分勝手な好奇心じみた感情でしかないが、それに紫葵を巻き込むのは天理とて忍びない。目的は告げずに、それでいて紫葵には万が一の事が起こらないように天理はルーシカを紫葵へと付ける事にした。
そうやって自分の都合で人を動かすのはあまり天理の好むところではないが、ルーシカは見た目通り無邪気かつ奔放だ。今のようにただ休息を言い渡しただけではどのように解釈してなのか魔物を狩りに平原へと繰り出してしまう事が多々ある。というか既に何度か天理は経験していた。
そうするくらいなら紫葵の付き人として傍に置かせておいた方が万倍もマシだ。幸い天理から見て紫葵とルーシカの関係は良好に近い。紫葵は一人っ子のためか、妹的な存在であるルーシカを可愛がるし、ルーシカも紫葵に『何か』を感じている節がある。少し考えものなのはクルトとルーシカだが、そこはアルマーニ司教がいい仲介人になるだろう。
「ルーシカ、紫葵の護衛を頼んでもいい?」
「ええ、テンリと魔物狩りに行こうと思ってたんだけどなー。まあアルと話すのでいっか」
快諾される事にやや面食らったが、今はそれに感謝するのみだ。
天理は紫葵の下に駆け寄るルーシカを後目に街の奥へと足を運んでいく。姿は見失ったが、おおよその方向は分かっている。
道が複雑でない事もいい方向に働き、少し足を速めれば追いつくことだって可能だろう。
心持ち足早に人混みを縫い、奥へ奥へと進んでいく。
道が簡素なものから入り組んだものへ、陽の光が差し込むものから薄暗いものへとどんどん移り変わっていくが、天理はそこに気が回る事はなかった。
在りし日の幻影を追うように、先ほど見た影をひたすら追って行く。
やがて天理がたどり着いたのは俗にいう闇市と呼ばれる場所だった。
「こ、こは……」
「ええ、ようこそようこそ。今日も今日とて抜群の品揃えをお届けしますよ。ささ、どうぞ見ていってください」
衝撃が抜けきれぬままに、誘いを断る事も出来ず半ば連行される形で店の中へと連れ込まれていく。普段なら決してこうはならないが、琉伊らしき人物を見かけたことと久しく表に出てくる事のなかった小さな好奇心が天理の足を滑らかにした。
だがそれも一歩店に足を踏み入れるまでだった。
「―――――は?」
「幼子から色気に富んだ熟女まで。獣人から世にも珍しい種族まで。お客様のお目に適う奴隷を必ずご用意してみせますよ」
完璧なまでの営業スマイルを顔に貼り付けて宣うものの、天理には聞く余裕がない。
並べられたのは商品だ。値札が付き、その前で値踏みするかのようなに視線を這わせる者がいるのはもうそうとしか称しようがない。問題はその中身だ。人だ。人がさも商品であるかのように並べられているのだ。
現代社会では考える事も出来ない、奴隷だ。少しでも見た目がよくなるように小綺麗にされた布切れを身に纏い、首には証である首輪を付けた存在。その瞳には絶望と媚びがない交ぜになったどす黒い感情が渦巻き、それが場の雰囲気とは酷くそぐわない。
「そうですね、ご予算次第ですが……、お客様でしたらこちらはどうですか?……おい、アレを」
何も言えない天理からどのような確信を得たのか、オーナーと思われる男性が裏方に指示を出す。それが示し合わせてあった事であるかのように、裏方は素早くオーナーの意を汲み、店の裏から布を被せた大きな台車を転がしてきた。
「自分とは違う獣人を飼い従わせるのは心地がよい。それはとても、とても。ですが、時には自分と同じ種族、それも同じ大陸生まれの奴隷を買うのはいかがでしょう?」
そうしてオーナーの手により布が取り払われた事により、その下の、檻の中の全貌が明らかになった。
ーーーーーそしてそれは間違いなく天理の逆鱗を逆撫でした。
「ぅ……だ」
「は?何か?」
「これは……どういうことだッ!!」
呆けた顔で聞き返す目の前の男を睨み付けながら、天理が怒声を飛ばす。乱れた感情によって制御下から外れた魔力が紫電となって薄暗い店を瞬くように照らしていく。
その一筋が地面を辿り、檻を辿り、中に閉じ込められ、力無く倒れている少女をまで届く。
その刺激が少女の微睡みを妨げたのか、長い睫毛がふるふると震え、次いでゆっくりと瞳が開かれた。
驚きによって見開かれた瞳が、すぐに安堵によって柔らかなものへと変わっていく。その様がまざまざと見受けられた。
「あぁ、見付けて、くれた……。お兄ちゃんは、やっぱり、紗、奈の…………」
そうして再び意識を失う紗奈。
それを見ながら天理は煮えたぎりそうな怒りと同時に己の無力さをひしひしと感じていた。
最後まで読んでくださりありがとうございます。