45 ルネの選択
筆が乗っておりまする。
翌日になり、俺たちは粛々とその場を後にした。未だルネは目覚めていなかったが、わざわざ起こすのも可哀想という事で寝かせたままだ。時折うなされているようなのがひどく痛々しい。その度にイレイヤが隠し持っていた母性を発揮して宥めている。
御者のじいちゃんは表面上は村に着く前と変わらなかった。歳とともに培った技術だろう。内心にどれだけの哀切と怒り、後悔が渦巻いているのかは他人の俺には計り知れない。
「次に立ち寄るのはワニヤっていう町でさぁ。小麦の良産地でいいパンが買えるんですよ」
村から少し馬車を走らせたところでじいちゃんが殊更朗らかにそう言った。やはり何度かこの辺りを行き来しているためか、じいちゃんはこういう情報に詳しい。
今朝にあまり眠れなかったらしく早起きしていたじいちゃんと少し会話したのだが、この辺りに村を一つ壊すほどの凶悪な魔物というのは普通出没しないらしい。
魔物と一概に言ってもそれは生命の枠組みを外れない。生き物である以上ある程度の過ごしやすい環境下に生息圏を定めるはずなのだ。
そもそもの話、魔物というものは魔族が統制し、魔族が生み出した狂暴な獣という意味で名づけられたのだという。上位の魔物は知性も高く、魔法じみた現象を扱うが、下位のものは野生の動物をもう少し狂暴にした程度だ。というより、この世界では動物という概念が全て魔物というものに置き換わっている節がある。
また、一応魔物の中にも共生関係を築ける個体種もいるようで、そうしたものは特に区別して魔獣と呼ばれているらしい。それでも『魔』は外れないという徹底振りだが。
話は戻るが、ロモリ村とその周辺の街道に生息するのは精々俺たちが遭遇した『悪戯鼠』や『樽蛇』なんかだ。少しでも腕が立つ者が十数人足らずで追い払う事は十分に可能。
また、それだけの戦力が用意出来なかったとしても各ギルドから逐一民間用に簡単な対策が書かれた魔物図鑑が配布されている。一応少量ばかりの料金はかかるらしいが、たまの遠出や万一の時に備えてほとんどの家庭は購読している。故に小さなコミュニティと言えどこれまで続いてきたのだという。
話の最後でじいちゃんもまた、魔族の仕業かもしれないと隠し切れない憎悪を滲ませながら呟いた。大半の人は見たことがないだろうに、それでも忌み嫌うほどか。日々の魔物への恐怖感や不満感、怒りや憎しみなどが全て魔族へと向いているのだろう。
そのおかげで教会は民衆からの信頼を得るというわけか。くそったれ。
「お兄さん、場所変わろうか?ルネちゃんもしばらく起きないかもだし、ずっと外にいるの辛いでしょ?」
「いや、俺はこのままここでいいよ。俺にはこんくらいしか出来ないからな。むしろこっちこそルネの事をイレイヤに押し付けてるみたいで謝りたいくらいだよ」
「もぅ、お兄さんってば。素直に女の子から怖がられるのはもう嫌だって言えばいいのに……」
「違うからな?!」
イレイヤは俺に気を遣ってくれるが、今まで本当にイレイヤにおんぶにだっこされて来たと言っても過言ではない。ここらで出来る男をアピールしておかないと捨てられてしまいそうだ。
それに、やはりモリーがいることと魔力視を使えることから索敵は俺の方が向いている。元々こうするつもりだったのだ、そのきっかけがルネになっただけで。
ワニヤまでの距離を半分ほど走ったところでルネが目覚めたとイレイヤから報告を受けた。寝ていた間は録に食事を取れていなかったので、まずは何はともあれ食事だ。
イレイヤにそう伝え、その後にこっそりと気配を消しながら窓から中を窺う。
如何せん不安定な体勢だったため、満足に見えなかったが目の覚めたルネはやつれ細っていた。
また無表情なため、村の事がどれほどルネの心に傷を与え、その精神を疲弊させているのかは見て取ることが出来なかった。
「お兄さん、ルネちゃんがこないだのことごめんなさいだって。もう大丈夫だから、って言ってるけど、どうする?」
「いや、謝るのは俺の方と言いたいくらいなんだけどな。イレイヤから見てどうだ?」
「ん~、何とも言えないってのが正直なとこかな。最初お兄さんに怯えを見せてたから盗賊に襲われたのかなって思ってたけど違うみたいだし、ただ単にびっくりしちゃっただけなんだよねたぶん。そう考えると大丈夫そうかなって。やっぱりお兄さんだけを外に出しとくのもアレだし。中からでも索敵出来るんでしょ?」
イレイヤには魔力視とモリーの探知を既に伝えていた。あれも秘密、これも秘密にしていて信頼関係を築けるはずがない。
それ故の言葉だったが、果たしてどうだろうか。一応顔だけちらっと見せて、それで無理そうだったら大人しく屋根番に勤めようか。尻の痛みなんかすぐに消えるしな。
そう考え、イレイヤが開けた扉から逆さになりながら頭を覗かせる。
内気な性格なのか、相変わらずルネは馬車の中の隅っこに体を押し込むように座っていた。
「……ごめんなさい。ルネ……」
「ああ、大丈夫大丈夫。変な目で見られることは慣れてるからね。それより」
大丈夫そうだと判断し、前宙の要領でくるりと回って馬車の中に入る。体の上手い使い方はミノット直伝だ。何しろ回復力の高さを利用して多少無理な動きでも、無理やりやらされて体に覚えさせられたからな。
少々不躾だが、入って早々ルネの全身に視線を巡らせる。
イレイヤの手によって輝きを取り戻した艶のある銀髪に、ミノットと同じ血を垂らしたような赤い瞳。それだけ見るともしかすると同族なのではという思いが湧いてくるが、ミノット曰く彼女以外の同族は皆影の国に籠っているようでそれもあり得ない。
イレイヤが聞いたところ十五だと言うが、歳の割にはやや上と厚みが足りないか。どこがとは言わないけれど。
服は比較対象が少ないからよく分からないが、誰に見せるでもない普段着といった感じか。素朴と表すると分かりやすいかもしれない。
殊更気になるのはその無表情さだ。今の俺の曲芸じみた動きを見たイレイヤは擬音が付きそうなほどに驚きを露にしているのに、ルネに至っては表情一つ動いていない。
先程に隠れ見た時に気になったため、申し訳ないが試す気持ちでやってみたのだが、案の定だ。
元々表情の起伏が少ない子なのか、それともあまりの衝撃に表情が抜け落ちてしまったのか。後者だと本当に危ないな。
「俺はルイだ。聞いているかもしれないけど、こっちはイレイヤ。ある目的で二人旅をしている」
「……ルイ、ルネは、どうなるの?」
ボソボソと囁くようにルネが言葉を紡ぐ。元々が通りのいい声なのか、聞き取るのに不便はない。ないのだけど、問題はその内容だ。
そこにどう切り出そうか迷い、とりあえず自己紹介からかなと話し始めた俺より余程胆力がある。逆に心配になるくらいだ。
イレイヤに視線を向けると丁度彼女と目が合った。イレイヤが微かに頷く。教会関連の話は何故だかイレイヤから一任されていた。イレイヤからの信頼が痛いが、任されたからにはやり遂げないとな。
「……ルネ、俺たちは君を教会に送り届けることになる。ルネも知っている通り、教会は魔物被害によって身寄りを無くした子供たちを保護しているからだ。君を責任持って送るから安心してほしい」
こういう場合に必要なのは安心感を感じさせることだろう。言葉というものは不思議なもので、断言すると余程突拍子も無いことでない限り聞いている方は多少くらいは不安感が紛れるはずだ。
それに俺はともかく、イレイヤがいれば本当に余程の事がない限り無事教会がある街まで護衛することが可能だろう。
まだ数回しか戦闘場面を目にしていないが、そう確信出来るだけの実力が彼女にはあった。
「……いや、と言ったら」
「え?」
「ルネは……そう、ルネは魔物を、殺したい」
無表情のまま、淡々と物騒な言葉を連ねていく。魔物というのは村を壊滅させたモノたちだろうか。それならば、復讐を考えてもおかしくはない。おかしくはないがーーーーー。
「教会だと無理、でしょ?だから、ついてく」
「付いてくって俺たちに、か?」
その問いにさらりと銀髪を揺らしながらコクリとルネが頷く。
想像していた答えと違う。この場合どうすればいいんだ。
「……いいのか?」
「どうだろ。まあ、たぶん大丈夫なんじゃない?教会も孤児が多過ぎて手が回らないところもあるって聞いたことがあるし」
「たぶんてお前、人一人の人生だぞ?そんな簡単に決めていいのか?」
「ーーーーー?人生だからでしょ。あの子がそう決めたんだから、わたしたちにあの子の人生に口出しする権利なんかないよ」
不思議そうな顔でそう切り返され、俺は咄嗟に言葉が出なかった。理屈は分かる。ルネの人生はルネのもので、ルネが俺たちと来ると自分自身の意思で決めたのだから部外者の俺たちは口出し出来ない、してはいけない。
だけど。だけどだ。
もしその道が間違えているとしたらどうだ。怒りや憎悪で目が眩み、選ぶべきではない選択をしてしまっている時。そんな時に傍にいる人が、俺たちがその道は間違えていると。その選択をは誤りだと伝えてあげるべきなのではないか。
だが、結局俺には何かを言うことは出来ず、そのままその話はそこで終わった。イレイヤは特に反対もしていないようだし、このままいけばルネは俺たちについてくることになる。
イレイヤが所用でいなくなる時を見計らってそれとなく話を振ってみるも、必ず返ってくる答えは否だった。俺たちに付いてくるという決意は岩のように硬いらしい。
次の町、ワニヤに着くまで辛抱強く諭してみたが、結局ルネが首を縦に振ることはなかった。
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