40 海上の舞姫 後編
更新しました!なかなか毎日が続かない……。
次は聖女サイドです!恐らくまた二日後……。
とにもかくにも、イレイヤを海から引き揚げない事には始まらない。そう思った俺は、未だに船の先から縄でぶらんぶらんと釣られているイレイヤに引き上げる事を伝える。
俺から見たところ、まだ海には異変は見て取れないが、より海面に近いイレイヤには何かが見えているのだろう。
丁寧に、かつ迅速に縄を巻き取っていき、最後にはイレイヤに手を貸してその体を甲板に引き上げた。
「はぁ、楽しかったぁ」
「戻ってきてすぐの感想がそれか」
「お兄さんもやる?」
「勘弁しとく。それより何がいたんだ?俺、まだ微妙に本調子じゃないんだけど……」
まだお腹を渦巻く不快感は健在だ。ただまぁ、一連の驚きのおかげか最初よりは大分楽になってはいるが。
さっきと同じような魔物ならばイレイヤに安心して任せることが出来るのだけど。
「なんかねー、なんだろ?とにかくデカいことだけ」
「デカい?それは……どのくらい?」
「この船くらい?」
……え?それはなんというか、見間違いとかではなく?
その瞬間、船の近くで高々と水飛沫が上がる。船の全高を越すほどにそれは、そのまま一時的な雨となって降り注ぎ、一瞬の虹を作り出す。
綺麗だ。綺麗ではあるが、今はそれに見とれている場合じゃない。
「船長、舵!」
「面舵更にぃ!ひっくり返されるぞぉ!」
直感的に船長に声を飛ばす。船長も同じ結論に達したのか急いで指示を出した。
イレイヤの言葉が正しければ、輸送船規模の大きさを持つ魔物だ。そんなものが近くを浮上してくれば、発生した波にさらわれて船が危なくなる。
揺れによる不快感を無理やり押し込め、柵に掴まり身を乗り出す。視線を送る先は先ほど水飛沫が上がった地点だ。あそこに何らかの魔物がいる可能性が高い。
やがて海面が円状に盛り上がりを見せ、それが徐々に大きさを増していく。
「こ、れは……」
唖然とする他なかった。つい口をぽかんと開けて見上げてしまうほどの巨躯を誇るその魔物。その正体は地球で言うところの鯨によく似た生き物だった。
先ほどの水飛沫は鯨の潮吹きのようなものか。いや、納得している場合なんかじゃない。
間近で見る鱗のないぬらぬらした体毛はそこはかとない気持ち悪さを抱かせる。それがイルカのような大きさならばまだ可愛さに繋がるが、こうも大きいとそれだけで原始的な恐怖に変換されてならない。
問題はどうやってこの魔物を撃退するか、だ。死闘になるということが明らかに分かる。巨大というのは戦闘力の大きさに直結する。場合によっては、吸血鬼ということがバレる恐れがあるな……。
「いや、こりゃあたまげたな。こいつぁ大海の守り神じゃあねぇか……」
「大海の、守り神……?」
密かに身構える俺に対し、隣に立つ船長が誰に言うのでもなくぽつりと呟く。
船長からはどうにも戦おうとする意志が見られない。
どういうことだ……?
「あっ、聞いたことあるかも。確か幸運の象徴とかだっけ?」
「よく知ってるじゃねぇか『渡り鳥』のお嬢ちゃん。こいつぁ確かに魔物だが何故だか人を襲おうとしねぇんだよ。加えて、航海中に遭遇すれば、船旅が無事終わるまで寄り添って泳いでくれる。この巨体だ、並みの魔物は寄り付きもしねぇ。んでもって、無事航海が終わったと思えば出先では首尾よく商品が売れる売れる。それでついた名が大海の守り神よ」
人を、襲わない?
魔物なんてのは基本人を襲ってなんぼの害獣のようなものだと思っていたが……。いや、害なんて決めつけるのも人間のエゴか。自然の摂理だよな、それは。
話を聞き、今一度魔物に目を向ける。船にこれだけ近寄っておきながら、確かに何故か攻撃をする気配はない。ゆうゆうと優雅に船の隣を泳ぐのみだ。
自分たちに害はないと思うと、途端に良く見えてくるもので、その巨大さはなるほど確かに神の名を冠するほどのもののように思える。
幸運の象徴か。旅の始まりにしてはえらく幸先がいい。
「あれだけ大きな生き物なんて初めてみたよ。乗ったら怒るかな?」
「さすがにそれはやめておけよイレイヤ……。今は襲ってこないかもしれないけど、何がきっかけで考えを改めるか―――――」
「いや、確かどっかの伝承によると、その昔聖女を背に乗っけて魔王を討伐しに行ったとかがあったぞ。さすがに眉唾物かもしれないが」
「じゃあ大丈夫そうだね!なんたってわたし、聖女っぽいってよく言われるし!」
この人のこの自己評価の根拠はいったいどこから来るんだろうな。確かに見目麗しいとは言えるだろう。それもどこか北欧系の顔立ちでシュッとしながらもどこか愛嬌もあり幼さが目立っている。十人に聞けば半数以上は間違いなく美人と答えるだろう。その外見だけを見ていれば。
内面が残念なんだよなー。こういう人を残念美人と言うのだろう。
まあ、そこがいいと言う人もいるかもしれないが。
「いや、やっぱりやめた方がいいと思うんだけどな……。船長も何か言ってくださいよ……」
「船長さん!そういえばわたし門出祝いの踊りをしてなかったの。だから、守り神さんの上でどうかなって」
「おお、噂に聞く『渡り鳥』の舞踏が見れるのか!そういう事なら大丈夫だろう!何、神さんも背中に鳥が乗ったところで怒るまいよ!」
「ちょっ、本当にいいんですか!?暴れたら絶対強いですよあれ!?」
言っても聞かなさそうな楽天家の二人に挟まれればもうどうしようもない。俺の心配なんて何のその、イレイヤはぴょんっとひとっとびに大海の守り神の背に乗っかってしまう。
どうなる事か心配で心配でたまらない。くそ、なんでいちいち行動全てにこんなにハラハラしないといけないんだ…!
そんな俺を差し置いて、守り神の背に乗ったイレイヤは楽しそうにぴょこぴょこ跳ねていた。だが、守り神の方もどうとも思っていないのか、特別何の行動も起こさないまま船と並泳するのみ。ハラハラ。
一方甲板では船長の他に手の空いている全ての船員が集合していた。こんな事、先の魔物強襲でもなかったぞ。どんだけすごいんだ、その『渡り鳥』の舞踏とやらは。
「―――――来るぞ」
船長がいつの間にか少し俯き、ぴたりと動きを止めたイレイヤを見てそう呟く。ソレを知らない俺が見ても場の雰囲気と呼べるものが一変したのが伝わってきた。
そう感じたのも一瞬で、次に気付いた時にはイレイヤは静から動へと滑らかに移り変わっていた。あまりにも自然、あまりにも流麗。ピンと張られた指先や、しなやかに反った背筋なんかの常とは違った艶めかしさ。一つ一つの動きに込められた思念ともつかぬ意思ともつかぬ力強い輝き。
磨き上げられた技があった。積み重ねられた歳月によって確かに形成された冴えが彼女をこの一瞬、世界の中心に仕立て上げる。
魔物の上という異色のステージが、さながら大観衆の視線を独り占めする劇場のど真ん中のような錯覚さえしてしまう。
甲板の上は言葉もなく、呼吸すらも忘れてしまったかのように静かにイレイヤに魅入られるだけの人形と化してしまったかのようだ。
そうして人々の視線を総舐めにしながら、やがてイレイヤの舞踏は終わりを告げた。晴天の下、こちらに向かって手を振るイレイヤの頬を伝う雫が、彼女がどれほどの、それこそ魂さえも込めて踊っていたことを物語っていた。
「―――――ふぅ。どうでしたでしょうか、お兄さん?」
守り神からひとっとびで再び甲板に戻り、開口一番イレイヤがそう俺に問いかける。先ほどまでの神秘的な雰囲気は鳴りを潜め、今はもう平時の残念さが舞い戻ってしまっている。そのよく分からない敬語はやめなさい。
「舞は結構俺の家系とは縁が深いんだけど、今まで見てきた中で一番きれいな舞だったよ」
素直にそう告げる。事実は事実として語るのが一番だ。それも場合によるが。
俺の称賛を聞いたイレイヤは満足そうに一つ頷くと、にぱっと笑顔を浮かべる。嬉しそうで何よりだ。なによりだが、こう、なんだ。照れくさいな。日本で生きていると真正面から褒めるなんてことが少ない気がする。ましてや相手は仮にも異性だ。慣れない事はするもんじゃないな。
果たしてイレイヤの門出祝いの舞踏のおかげか、それとも大海の守り神のおかげかそれ以降の船旅で魔物と遭遇することはなかった。
旅も後半になると、俺の船酔いもなんとか落ち着き、イレイヤと共に景色を楽しめたものだ。
そうしてきっかり十日後、俺たちは南大陸の北端の街へとたどり着いた。
最後まで読んでくださりありがとうございます。




