04 水面の花、英雄の星 ①
今話は別視点に焦点を当てた三人称となります。
目覚めはまるで水を被せられたかのように唐突で、瞬間的なものだった。
見開いた目の勢いそのままに上体を跳ね起こす。
そうした後で、自分は横たわっていたのだと遅まきながら自覚した。
「なんだ、ここは……? 家……、僕は……?」
蓮華寺天理は混乱に満ちた思考のまま周りを見渡すも、どうも見慣れた部屋の内装ではない。
木材を使っているようだが、日本のように自然との一体感を孕んだ美しさと積み重ねられた匠の技が感じられるものではない。言ってしまえば、雨風さえしのげればそれでいいといった実用性のみを念頭に置かれて作られた小屋のようだった。
記憶をたどり、最後に目に焼き付いている光景を思い返す。
そう、それはいつになく焦ったような顔で天理たちの下へと駆けてくる葉桐琉伊の姿だった。しかし、その状況と今の状況がいくら考えを巡らせようと線を結びそうにはない。
「——あら、目が覚めたのね」
混乱が積りに積もって溢れかえりそうになった頃、女性にしてはやや低めの声によって現実へと意識を引き戻された。
驚きながら慌てて天理は声の方を向く。そこには大きな荷物を手に抱え、扉を手で押さえている女性の姿があった。
女性はそのまま部屋の中へと足を踏み入れ、天理の寝ているベッドの横にあった小さな机に荷物を置くと、再び天理へと向き直った。
「うちの子が、森で倒れていたって運んできてね。怪我はなさそうなのに一向に目が覚めないもんだから心配していたんだよ」
「森で……?」
それは天理にとって理解不能な事だった。それもそのはずだ。天理の直近の記憶に森に立ち入ったものなどないのだから。
天理の応答の言葉に秘められた感情をどう解釈したのか、その女性はうんうんと頷き、持ってきた大き目の籠に手を入れた。
そこから取り出されたのは果実だった。赤色のものから黄色のもの、緑色のものなど様々な彩りが次々と小さな机の上を占領していく。
「腹減ってんだろ? 行き倒れか、それとも盗賊にやられたのかは知らないけど、持ち物が何にもなかったらしいからね。今日採れたてのやつだから食べな」
「ありがとう、ございます。えっと、少しお聞きしたいのですけど、ここは……?」
「なんだい、知らずに森になんて入ったのかい? 最近の若い子は無謀だって話は本当なんだねぇ、リララにも厳しく言っとかないと。——っと、ここがどこかだったね。ここは都会暮らしに嫌気のさしたケンタウロスたちの集落だよ」
やや自嘲のような響きを含んだ女性の言葉を、天理の脳が完全に理解するのに数秒の時を要した。
そこには天理が普段過ごしている日常の中ではあまりに聞き慣れない言葉が潜んでいたからだ。そのような類の言葉に触れたのはもう大分前、幼少期の頃のことだった。
——ケンタウロス。
それは神話に登場する半人半馬の種族の事であり、ファンタジーの要素を含んだ創作物なんかに登場する架空の種族としても名高い。知識として天理が持ってる情報はその程度だった。
それを踏まえて、改めて天理は目の前の女性に視線を向ける。
全体的に陽に焼けた印象のある女性だった。健康的な小麦色をした肌と、外から見て取れるほどの筋肉が彼女の若々しさと溌剌さを印象付けている。
染色されているにしては珍しい色合いな赤茶色の髪の毛を後ろで無造作に結い上げ、背中へと垂らしている。同色の瞳もキリリと凛々しい輝きを放っており、目を惹きつけて止まない独特の雰囲気を醸し出していた。
服は夏らしさを感じさせる半そでのシャツだ。そこから出る腕と、やや短めのスカートから伸びる足も健康的でまぶしさと瑞々しさを感じさせる。
総じて、農家の若妻という印象を、天理は抱いた。
「こんな、何から何までありがとうございます。ところで、地球や日本という言葉に聞き覚えなんかは、ありませんか……?」
半ば答えを予測した上での問い。
天理だって無駄な質問である事は分かっていた。様々な事実が、状況が、否応なしに現実を突きつける。
だが、それでも一縷の希望を見出せずにはいられなかった。
「うーん……? 聞いたことないねえ。それは魔物かなんかかい?」
「いえ、ありがとうございます……。もう少し、休んでいてもいいですか?」
絶望を表情に出さずに済んだのは、それがあまりにも荒唐無稽な事柄だったからだ。
そして、目の前の女性の存在もまた一因だった。他人の前でその人物が求める顔を作れるようになたのはいつ頃からだったか。
それでも、今は求められた顔ではなく、作り笑いを浮かべる事で精いっぱいだったが。
「いいんだよ。見たところ同族みたいだし、自分の家だと思ってゆっくりしていきな」
同情めいた視線を向け、その女性は部屋から出ていった。
後に残った天理は、起こしていた上体を力なくベッドに投げ出すと、嫌な現実から逃げるように
目を両腕で覆った。
考えないといけないこと、やらなければいけないことはたくさんある。だが、今は、今だけはこうして何も考えずにいたかった。
そうして数分と経たないうちに、天理の意識は深い闇の向こう側へといざなわれていった。
♦
数日滞在してみて、いくつか分かったことがあった。
まず一つ、今いるここは賢きものたちの住む集落のようなものという事。
もう一つ、天理自身もケンタウロスという種族になってしまっていたこと。
そして自身の強さなどがステータスとして表されているという事。
最後に、どうやら今までいた世界とは常識から基礎体系など様々なものが異なる世界に来てしまったということだった。
「テンリ! あそぼーよ!」
「リララ、ごめんよ。僕もそうしたいけど今君のお母さんの手伝いをしているところなんだ。君も一緒にどうかな?」
「うげぇ! そんなのやんなくていーよぉ!」
そう言いながら逃げるように走り去っていく少女を、天理は微笑ましい気分で見守る。
人口も少ないことも相まって、滞在からわずか数日で友好と言えるだけの関係を築くことが出来ていた。天理の生来の性格もそうだが、住人たちも基本的に温和な性格をしていた事も大きい。
リララがいなくなったのを完全に確認した後、天理は口の中で小さく呟いた。
——ステータス。
それにより、眼前に現れたウインドウ——実際には触れもせず、周囲の人にも見えはしない——に書かれた情報を幾度目か知らず目を通す。
名前:蓮花寺 天理/ケンタウロス/男
LEV:1
HP:120/E+
MP:120/E+
ATK:130/E+
DEF:80/E
MAK:105/E
MDF:105/E
AGL:130/E+
LUC:55/EX
SP:0
スキル;
・最適化中
何度かの試行の末、この形が最も簡略化されて示されたものだった。
そのあまりのゲームとの近しさに何度苦い笑いが零れた事だろうか。
また、どうやらこのステータスというシステムじみたものは天理にしか扱えないようだった。それとなく住人に尋ねてみたところ、全ての人が首をかしげるばかりだったのだ。
もしかするとここにいる人たちには出来ず、他の地域にいる人なんかは出来たりするのかもしれないが、それはまたおいおい確かめていけばいい。
ステータスを閉じ、頼まれていた仕事に戻る。
天理は己のすべきことを決めあぐねていた。よく分からない世界に、これまでとは違ってしまったという自分の身体、そして周囲には自分の感情を分かってくれる者もいない。
そんな環境にいて、思考が完全にこんがらがり、膠着状態に陥ってしまったのだ。
それでもと胸に燻るものを抱えながら始めたのが、こうして誰かの手伝いをすることだった。
動いている間は余計なことを考えずに済む。それは完全に逃げの思考だった。
「……あいつならどうしてただろうな」
ふと、そんな考えが鎌首をもたげた。
あいつ——葉桐琉伊ならば、もうすでに行動を起こしてしまうのではないか。
思えば、転移する直前の葉桐琉伊の行動は明らかに何かに勘づいているようだった。一人でなら逃げることも出来ただろうに、そうすることなく、天理や紫葵、真彩そして紗菜を助けようと部屋に飛び込んできたのだ。
その超常に対する感知力はやはり葉桐の血筋ゆえだろうか。
そうやって浮き上がってきた考えを振り払うように頭を振る。
「あの男にそんな大層な力なんてあるものか」
あの男にそんな能力などないという事は天理も、真彩も、紗菜だって知っている。幻想などとうに捨て去った。それが天理たちの総意だ。
いや、そもそももしもなどいくら考えても不毛なだけだ。情けないことだが、天理は未だ動けずにいる。それが全てだった。
未知に対する興味や、期待はある。だがそれを上回るほどの焦燥感は天理の胸の中で消えることはなかった。
♦
状況に変化がもたらされたのはその翌日のことだった。
「リランドさん、それは本当の事ですか!?」
「ああ、何人も見ている。わしも見た」
彼曰く、数日前に遠くの空で光の塊が突如現れ、たちまちのうちに何条もの光の筋となって各地へと降り注いだそうなのだ。
数日前を具体的に聞いてみたところ、それは天理が目覚めた前日に一致した。
つまりは、その光というのが天理たちという可能性が十分にある。
天理たちは間違いなく何かによって飛ばされた。
だが、そうだとすると天理たちより前に入っていたクラスメイトたちはどうなったのか。それをずっと天理は疑問に思っていた。
何の事はない、全員が全員天理たちと同じようにこちらの世界へと飛ばされてしまっていたのだ。
目標地点が偶然にもあの部屋で、それでいて途中離脱の報告も上がってなかった。十中八九全員が部屋に入ったと見て間違いないのだから。
つまり、そう、つまり天理のせいと言い換えてもいい。
浮かれていたのだ。常とは違うことをしてみたい。一時のその情熱に浮かされ、平時では近寄らないところを選んだのは天理だ。そして部屋を選んだのも天理だった。
——この状況をもたらしたのは天理のせいだった。しかも自分のみならず、クラスメイト全てを巻き込んでだ。
視界が、五感が暗く沈んでいくようだった。
足元がおぼつかず、思わずよろけてしまう。
支えようととっさに差し出した手が机を捉えるも、その手自身に力が入らず、もたれかかるように机に上体をぶつける。
「テンリ……!? 大丈夫か、何か後遺症でもあったのか!?」
突然の状況にリランドが慌てて声をかけるも、それは天理に届くことはなかった。
「探さなきゃ……、みんなを……」
天理の口からはうわごとのようにそんな言葉が零れ落ちていた。
しかし、そんな状態であってもそこからはただただ妄執じみた強い意志が感じられた。
天理が集落を出ることを住民たちに告げたのはそれからすぐ後の事だった。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。