34 孤独のありか
余力……余力はどこ……。
「あれ?そういえばお兄さんってなんでギルドに?何か依頼でも?それとも素材の売却?」
扉を開けながら、イレイヤがそう言う。
それを聞きながら俺は周囲にそれとなく注意を向けた。視線、視線、視線だ。数は少ないものの明確な意思を持った視線がいくつも俺たちを捉える。
少しばかりの冷や汗を背に流しながら、イレイヤに答える。
「迷宮でギルドカードと遺体を見つけてね。届けるのがいいんだろ?」
「ほえー、今時そんな人がいるんだねぇ。そりゃ規則で見つける事があれば、ギルドまで届ける事を心掛けるとはあるけど、ほとんど誰も守ってないんじゃないかな」
「そ、そうなのか。じゃあ余計な事したかな……」
「そんなことないっすよ!尊敬尊敬、大尊敬!よっ兄貴、これからもついてくぜぃ!」
いや、それは止めてくれよ。
これでも俺は小心者なんだよ。今だって他の人の視線が怖くて仕方ない。臆病者だって言われても構わない。誰しも隠し事があれば、そしてそれが大きければ大きいほど些細な事に気が立ってしまうものなんじゃないかと思う。
「受付はこっちだよー。見れば分かると思うけど」
「いや、ありがとう。……それで、渡すにあたって何かいるものとかあったりする感じ?」
「んー?どうだろう。わたしは今まで見たことないから分かんないです、はい。……何か訳アリのご様子!したらばこのわたし、イレイヤが一肌脱ぎましょう!ええ脱ぎますとも!一肌でも二肌でも!!」
「いやいい、いい。ほんとにいいから。何か面倒な事になりそうな予感すらする」
「ひどい!?ひどくない?わたしが何をしたと?」
何をしなくてもこれまでの貴女の行動、言動が物語ってますとも。
まあ、冗談はさておき、どうしたものか。ここらでギルドカードでも作っておいた方がいいのか?身分を確かにするものなら持っておいて損はない気がする。
さっきのイレイヤの話からすると流浪の民みたいなのが一定数いるようだし、そういう事で押し通せるだろうか。
「そうだな、ギルドカードでも作っとくか」
「え、お兄さん持ってなかったの?あ、闇の者?ギルドの保証も無しに迷宮に潜るだなんて、マゾにも程があるぅ!この、このっ」
「ちょっ、うざっ」
「うざっ!?うざって言った!?わたしの生涯でそんなこと言われたの初めてなんだけど!?」
それはさすがに嘘なんじゃないかな。
つい口に出したのは今回が初めてだけど、失礼ながら何回か内心で思ったぞ。ぼっちに過度なコミュニケーションはダメ、ゼッタイだ。
それにしても、イレイヤの言葉の通りなら闇の者、つまりはギルドカード無しで迷宮に潜るのは結構危ないようだ。俺の例があるから、他の四人が迷宮の外にいるという保証は何もない。
……やはりギルドカードは持っておいた方がいいか。
「何か必要なものってある?」
「んー、説明を聞く耳に、文字を読む目、最後にものを書く手ってところかな」
「なるほど、つまり何もいらないと」
「そういうことっすね」
そういう事なら話ははやい。作れるうちに作っておこう。
「すみません。いいですか?」
「はい、ようこそギルド『ニーペイア支部』へ。本日はどういったご用向きで?」
入り口からすぐの受付へと行き、話しかける。
市役所や区役所なんかが思い起こされる作りだ。受付を務める人は女性ではなく、男性ではあるが。
恐らく大地の洞という事でこういう事務仕事にも腕っぷしが求められるんじゃないだろうか。それとも、ただ単に女性人気がないというだけか。……後者のような気がするな。
「あっ、えっと、ギルドカードを……」
「はい、ギルドカードですね。登録ですか?更新ですか?それとも受け渡しですか?」
「あっ、登録で」
「かしこまりました。それではこちらに記入をお願いしてもよろしいですか?太枠が必須欄になります」
「ありがとうございます」
さて、太枠、つまりは必須欄は名前、出身国、生年月日だ。住所は任意となっている。やはり流浪の者が多いのだろうか。
ここで問題だ。国についての知識がない。加えて、暦も把握していない。最悪だ。もっと詳しくイレイヤに聞いておくべきだった。
「すみません、俺流れ者でどこの国に生まれたか、いつ生まれたかも分からないんですけど……」
流浪者で押し通す。というかこれしか出来る気がしない。いや、これですら流浪者が多いのでは?という仮定からそれっぽい事を言ってみたにすぎない。
なぜ序盤からこうも綱渡りじみた状況に陥らなければならないんだ……。大人しく一人でいたほうがよかったかこれ。
「うーん。そういうわけにもいかないのですけど……。生年月日はまだいいのですけど、出身国を記載していただくのは、その国との問題、例えば今回のような魔物の増加などが起こった場合に迅速な対応を可能にするべくなのですが……。どちらかの国の訪問届や登録石などはお持ちでしょうか?それならば代替可能なのですけど……」
「えーっと、ホウモントドケにトウロクイシね」
ないな。……逃げるか。
俺がそう決意を固める直前に、イレイヤが割って入る。
「シーモスさーん。いいじゃないですかぁ。わたしの時もそういう面倒なの書かなかったでしょー?」
「!?イレイヤさん、生きていたのですか?」
「え?なんでわたし死んだことに?」
これはまた物騒なすれ違いだな。
俺の事を庇ってる場合じゃなくない?
ちらりとイレイヤを盗み見る。瞳が感情に揺れているのが分かった。それは動揺しているからなのか、それとも何か思い当たるふしがあるからなのか。
「……貴女がパーティーを組んでいた方たちが先ほどそうおっしゃっていたので。一応ギルドカードが見つかるまでは生死不明、という事にはなるのですが、この迷宮では死は日常茶飯事ですから」
「――――――そっか」
「イレイヤ?」
感情の籠らない声。いや極限までに押し留められたゆえか。今までの彼女の明朗快活な声とは似ても似つかない冷たく無機質な声に、思わず声をかける。
うつろだ。うつろがあった。
丸々としていた碧色の瞳は光を失い、どこか虚空を眺めるのみだ。いつでも何かしらの表情が浮かんでいたその顔にも、今はただただ無が張り付く。
分かりやすい絶望をその小さな身に纏っていた。
「そっか。わたし、捨てられたんだね。また、独りになっちゃったんだね」
ぽつりぽつりと言葉を零す。俺に聞こえるかどうかというくらいの声量だ。意識して言った言葉ではないのだろう。
どうすればいいのだろうか。
「えーっと、とりあえずギルドカード発行してもらえませんか?」
俺が選んだのは問題を先延ばしにすることだった。彼女に寄り添うにしても、俺には知らない事が多すぎる。話だけでも聞いてあげたいが、人と親密になればなるほど吸血鬼だという事が顕わになる可能性が高くなってしまうという矛盾。
イレイヤはその場を動こうとはしない。精神的に参ってしまっている。組んでいたというパーティーの人たちがそれほどまでに心のよりどころだったという事か。
「……分かりました。とりあえず生年月日は今日、出身国は無所属のこの島という事にしておきます。では名前だけお伺いします」
「ルイ。ルイ・ハギリです」
「ルイ、ハギリっと。承りました、少々お待ちください」
そう言いシーモスというらしい男性は奥へと引っ込んでいった。
とりあえず発行はしてくれるらしい。ギルドカードを届けに来ただけのつもりだったが、棚ぼたものだ。これで一応の身分は獲得出来た、はずだ。
あとはギルドカードを渡して、そして。
「……イレイヤ」
隣で立ち尽くす少女に声をかける。反応があった。ゆっくりとこちらに顔を向ける。
「お兄さん、わたし、独りになっちゃった。やっぱり、わたしといると、みんないなくなっちゃうのかなぁ」
その問いのような独り言に、俺は答える事が出来ない。イレイヤが俺の事を何も知らないように、俺もイレイヤが過去に何を経験してきたのかは知らない。
だけど、だけど。
こんな顔をして、泣いている女の子を見捨てる事なんかできるだろうか。
吸血鬼だということがバレる?知るもんか。その時はその時だ。
それに今見捨てたら紫葵ちゃんが何て言うか。何かを言ってくれる事もなさそうだ。
「イレイヤ」
「ひっぐ、うぇ……」
「俺、人探ししてるんだけどさ。知っての通り何も知らない浮浪者でさ。どこからどう手を付けていいかすら分かんないんだ。――――――でさ、もしイレイヤが良かったら、俺でよかったら一緒に旅をしないか?」
独りの寂しさは知っている。
自分ではどうしようもないほどの絶望に駆られ、何もかもがどうでもよくなってしまう虚しさも。
今のイレイヤに必要なのは人の温もりだ。今はもう人とは言えないものになってしまった俺だけれど、それでも少女一人の傍にいる事くらいは出来る。話を聞いてあげる事も。
だから、手を伸ばす。
その手を取るかどうかはイレイヤ次第だ。俺は手を伸ばす事しか出来ない。
たぶん天理くんでもこうする。真彩でも、紗菜ちゃんでも。紫葵ちゃんは言わずもがなだ。異世界の人だから見捨ててもいいなんて事はない。見た目だって変わらない。人だ。同じように笑い、同じように泣く人なんだ。
俺が叔父さんにそうされたように、同じように彼女に選択肢を与える。
絶望に浸ったまま壊れるか、それとも希望にすがるか。俺とは違って、イレイヤは本当に壊れる可能性すらある。それだけ尋常じゃない様子が彼女にはある。
選択肢は示した。イレイヤが取る答えは。
「―――――えぇ、お兄さんと……?」
え?ら、落胆?
こんなに良い事言ったのに?
「なんて、冗談に決まってるじゃないですかー、もー。まあ?お兄さんがそこまで言うなら?」
この子はこんな状況でさえ……。
とそこまで考えて気付く。震えていた。彼女は震えていた。
ただの空元気だ。彼女は不安なのだ。だからこうして試す。相手が本当に自分にやすらぎを齎してくれるのか。自分を見捨てないでいてくれるのか。
これはもしかすると依存の始まりになってしまうのかもしれない。だけどいつかは必ず別々の道を進むときが来る。その時は近いかもしれないし、遠いかもしれない。その時になってイレイヤがしっかりと自分の足で立つことが出来るように、俺は出来る限りの事をしよう。それでもやっぱり天理くんたちを探すのが最優先になるだろうけど。
「ともあれ、これからよろしくな、イレイヤ」
俺の言葉に、イレイヤは大輪の花のような笑顔で応えたのだった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。