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異界にて揺蕩え、デア ヴァンピール  作者: 葦原 聖
第一章 大地の洞
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03 死という隣人の足音

三話目です!

楽しんでいってください!




 目の前には左折可能な通路とそのまま直進出来る通路の二つがある。


 先ほどの出来事を鑑みると、何も考えずに左に行くと後悔する事になるのは必須だ。


 ——なので、


「とりあえず覗くだけ覗いてみて、無理そうならまっすぐ行こう。うん」


 とそうやって暫定的な方針を決定した。


 ここでむやみに騒ぎ立てて、もしかしたら角の向こうにいるかもしれない化け物に見つかるのも勘弁だ。


 抜き足差し足を殊更意識して曲がり角へとそぉっと近づいていく。


 程なくして曲がり角へとたどり着いた。数にして数歩のその距離を移動する間の緊張感と言えば、運動会の早朝に体操服で登校して誰とも会わなかった時のそれに限りなく近しい。違うか。


 ともあれ、無事に角直前までたどり着くことは出来た。後はこの先に何かがいるかどうかなのだが。

 とりあえず一度深呼吸をし、呼吸を整える。


「よし……!」


 小さく口の中で決意の声を上げる。あくまで口の中だ。大きい声を出すのは怖い。


 決意が鈍らぬうちにやってしまえとばかりに、今まで左手を添えるのみだった壁面に身体を押し付ける。


 そうした上で角からちょっとだけ覗かせるようにして顔をゆっくりと出していく。


 少しずつ、少しずつ顕わになっていく角の先。そしてそこは————、


「はぁぁ……! よかった、何もいない……」


 完全な無人であり、目に入る動体の一つすらない完全な静謐状態にあった。


 そして角の先にはなんの代わり映えもしない、これまでと同じような石壁に包まれた通路が続いている。


 ひとまず目下にあった最大の懸念は解消出来た。あとはこの先に進むかどうか、だ。


「……なんだけど、あっち側がなんか怪しいんだよな。石の色とか若干違う気がするし」


 左折する通路の先ではなく、直進する方の通路の先だ。これまでの壁の色は赤褐色の岩なのか土なのかよくわからない色をしていたが、ぼんやりと見える通路の先では何やら黒っぽいものが混じっているように見えるのだ。


 正直さっきので一から組み立てようとしていた頭の中の地図は塵へと消えてしまっている。左手法を使えば確かにいずれは出口に辿り着ける可能性は高いといえるが欠点がある事も確か。俺は知らないけど。


 ならば自分の直感というか、細やかな変化を目ざとく感じ取って進んでいくのが正しいのではないか。少なくとも一様に変わらずにいた今までとは違った何かがあるに違いない。それでも化け物と会うのは嫌なので最大限の警戒を常時張ってはいくが。


「——よし、行くか」


 という事で左折することはせず、直進することに。左側に何もいない事は確認した。まっすぐ前に目を向けても、見える範囲に何かがいるという事はない。


 ゆえに深く考える事はせずに、直進する通路を数歩進んだところで……どうも違和感を感じて振り返った。


 俺自身、なんというかそういうものに対して敏感というよく分からない特技を持っている。恐らく天理くんのせいで常に不特定多数からよくない視線やらを常日頃から浴びていたせいだと思っている。悲しい。


 とにかく、そんな経緯で鍛え上げられた俺の勘みたいなものが何かおかしいぞと首をかしげていた。


 先ほどの左折通路はすでに過ぎ去っており、ここから振り返って見えるのは今まで歩いてきた一本道。もちろんそこには何もいないし、左折通路にも何もいないということは確認した。


 それにも関わらず感じた違和感。それが小さな棘となって喉元を刺激し続ける。


 だが、何もいないという事実がその違和感を完全に否定している。


 気のせいだろう。そう結論付け、歩みを進めようと前に向き直ろうとする。


 そうしようと思ったのは本当に偶然だった。

 ふと、本当に何気なく、振り返る瞬間に視線を上にずらした。


 ——そこには捕食者がいた。丁度俺に今にも跳びかからんとしている格好で。


 その体躯は例に漏れず人をゆうに超え、その事実が見る者に根源的な恐怖をもたらしてならない。


 ぬらりとした光沢を持つ外殻に胴から伸びる八本の細長い足。


 頭部に爛々と輝く複数の眼。


 端的に言ってそれは蜘蛛だった。


「————ッ!!」


 悲鳴は形にならず、押しつぶされた声なき声となって口から零れていく。

 脇目も振らず振り向きざまに駆けだした。


 その背後で何か重いものが地に落ちる音が響き渡る。


 ——ひいえええええ!絶対狙われてたぞ今の!!


 ちょっと待てちょっと待てちょっと待て!

 さっきから明らかに殺意高いわ心臓に悪いわでこう、神様からの悪意的なものが透けて見える!

 なんなんだこれは!


 初撃を外したからといってそれで獲物をあきらめる理由には繋がらないということだろう。

 背後からはかさかさと八本の足で地面を滑る音が響いてくる。


「——むりむりむりむりぃっ!?」


 ただただ何もかもを忘れがむしゃらに走っていく。

 逃げた先に怪物がいるかもしれないという事など頭の中から完全に消え去り、目前の脅威から逃げ切る事だけを最優先に置く。


 ——走る。走る。走る。


 途中で数度角を曲がり、それでもまだ追ってくるような気配は消えてくれない。


 後ろを振り向く勇気も余裕もない。ここで振り向いてしまうと今足を動かしているちっぽけな力が消え去ってしまいそうだった。


 どれだけ走ったころだろうか。赤褐色だった壁から、黒みがかったものへと変わっていた。


 そしてやがて完全に黒一色へと変化していった頃には、角から角への間隔も短くなってきたのではと思えるようになった。


 ——そんな時、変化は唐突に訪れた。


 今まではどれだけ先に目をやっても、そこにあるのは上下左右を壁で囲まれた通路ばかりだった。

 それがどうしたことか、今何メートルか先に見えるのは、通路とは打って変わり開けた空間のようだった。


「やばいやばい! 道間違えたか!? 頼むから隠れる場所くらいはあってくれ……!」


 今まで逃げ切れている事も自体も奇跡だが、それはおそらく狭い通路をジグザグに進めていたからだ。それが開けた場所に行くともうどうなるか分からない。


 といってももう後戻りなんかは不可能だ。正直やばい。


 考え得る限りのベストは突入して瞬時に状況判断をし、そして隠れられそうな物陰があればなんとか経由して先へ行く!


「……無理だ。詰みが見える」


 そうこう考えているうちに広場まではもう目と鼻の先の距離となった。


 ——ええいままよ!


 半ばやけくそで突入する。走りながら最小限に首を回し、周囲の障害物の確認に意識の大部分を割いた。


 その間体感でコンマ一秒!

 後にも先にもこれが生涯で一番集中した瞬間になるに違いない……!





 あれ、障害物なんもない。あれ?


「終わった……」


「————ピギュッ」


「え?」


 さすがにもう無理だな、と諦めかけた瞬間、背後で小さな炸裂音とともに悲鳴のような音が聞こえた。


 何事かと振り返ってみると、そこには広場の入り口で見るも無残にぺしゃんこになっている追手の姿があった。


「——え? あれ? なんかよく分からんが助かった?」


 全力の駆け足から徐々に速度を落としていき、広場の真ん中で止まる。

 というかこれは広場じゃない。


 どちらかと言うと……コロッセオか。

 円形の広い場の外周を観客席のような石段が囲んでいる。


 本来は熱気に包まれるだろうその場所は、今は時の止まったような静けさに覆われていた。


 いや、こんなよく分からない場所にあるのが本当に闘技場の用途で使われるのかは分からないが。


 ともあれ、直近の危機は去ったと見ていいだろう。

 怪物全てがそうなのか分からないが、蜘蛛はここには入ってこれないようだった。


 それならばすることは一つ。少し休ませてほしい。


「——ん?」


 とりあえず腰を下ろそうとした所で耳慣れたような音が聞こえてきた。


 小さいが一定のリズムで鼓膜を叩く。


 これは……そう底の固い靴でアスファルトを歩いた時のような。


 そこまで考えて、ある物に思い至った。


 ——これはヒールの音じゃないのか?


 次第に大きくなっていくそれは、確かにごく最近聞いたような音だった。

 具体的には真彩や紫葵ちゃんの足音としてだ。紗菜はお子ちゃまだからスニーカーだ。スニーカーでお子ちゃまはほんと偏見だけど。


「真彩か? それとも紫葵ちゃん? どちらにせよ、ようやく一人が見つかったか……。とにかく話を聞いて、この調子で全員と合流していこう」


 地面を叩く音がだんだんと近づいてくる。まだ姿は見えないがここに向かっている事は確かなようだった。


 それもかなり近い。


 通路の奥には光源がないから良くは見えないが、あと数歩でも歩けばこの場に出てきそうな感じだ。


「おーい、こっちこっ——」


「こんな所にまで虫が来たの」


 通路の影に人型が見え、いよいよ現れたそれに声をかけようとしたところで。


 ——目の前から突然冷水のような声を浴びせられた。


 そこからは全てがスローモーションで流れていくようだった。

 時間が密度を持ち、秒が分に、分が時間へと引き延ばされるかのような奇妙な感覚だ。


 その中でようやっと現実を認識した。

 女の人が、突如目の前に現れたのだ。


 ——それは黒だ。黒だった。


 夜を思わせる漆黒の長い髪に、瞬く星のような色艶がちりばめられている。

 また、この世の全ての闇をあしらったかのようなドレスは胴体と足を隠してしまっており、そこから浮き出るように白磁のような白い手と顔が覗いていた。


 白い、と言っても不健康という白さではなく、ただ色として白いというだけ。だからこそ黒をより際立たせていた。


 そんな中でも一際目を引くのが、血を垂らしたかように赤い瞳と唇だろうか。

 とはいえ、禍々しさの裏にどこか宝石めいた綺麗さを持った瞳は、今や氷のような冷たさをもって薄く細められていた。


「鬱陶しいのよ——死ね」


 それは純然たる殺意の塊だ。


 言葉とともにぶれるほどの速さで動いた右腕を、意識が捉えた。


 しかし、ゆっくりと動く視界の中では身動ぎすら出来ることはなく、鮮やかなまでの手刀は吸い込まれるように俺の首元へと向かっていった。


 やばい、シャレにならない。


 死ぬ。死ぬ。死————。




最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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