23 旅立つために
筆が何か乗ってるかもしれない...。
その日は唐突に訪れた。
迷宮に転移してから日の過ぎる感覚は無くなってしまったが、だいたい一週間というところか。
いつも通り鍛錬用に使っていた広間でミノットから魔法の授業を受けていた時だった。
「......そろそろ頃合いね」
「そうですねー。もう疲れましたしねー」
「お前はサボる事しか考えてないのかしら。そうじゃなくて」
サボりじゃなくて合理的休息とでも呼んでほしいものだ。
こう、努力というものは過去にぶん投げてきた事もあってなかなかに意識の改革が上手くいかない。どうしても楽に楽にという方向に思考が働いてしまう。人間とはなんと業の深い生き物なのだろうか。
ともあれ、実際今日もだが、これまでも魔力総量が上がるにつれて鍛錬の時間も伸びてきていた。今日も大分長く模擬戦をしていたと思ったが、休みじゃないとしたら何なのだろうか。
「そろそろここから出る時が来たのよ」
「―――――――――」
予想もしていなかった言葉を受け、俺は返答に詰まった。
衝撃を受けたからだ。それはミノットの言葉にもそうだが、それ以上にならば一刻も早くここから出ようという考えが浮かばなかった事にもだ。
俺は案外ここでの奇妙な生活を気に入っていたらしいという事がはっきりと自覚出来た。
「元々そういう話だったのよ。お前がここを出るのには弱すぎて、それを忍びなく思った優しいローズのお願いでこうして妾が直々にお前を鍛えてやっているの。そんなお前もまあまあ筋が良かったから、神族の生き残りともいい勝負が出来るようになったのよ。だから、もうおしまい」
ローズちゃん推しが相変わらずすごい。
じゃなくて、そう。そうだった。忘れたわけではない。ここを出る、そして天理くんたちを探す。最後には異世界から元の世界に返す。これは俺が何としてでも成し遂げなければならない事だ。
だけど、ここでの生活がとても居心地のいいものだったというのも確かだった。
ミノットは相変わらずローズちゃん第一の危ない人だったけれど、なんだかんだ助けてくれたり、血を分けてくれたりと良くしてくれた。
ローズちゃんも、最近は会っていない時間の方が多いけれど、ちょくちょく顔を見せに来てはミノットのおもしろ過去話を聞かせてくれた。あれは最高だった。ローズちゃんが言っているだけに強く言えないミノットの羞恥で赤く染まった顔はとても眼福だった。その後忘れましたと言うまで半殺しにされたけど。
どれも、ここだったから経験出来た温かい思い出だ。
ここだったからこそ胸に込み上げる何かを感じるほどに充実した思い出になったのだ。
「......あのおっさんに勝てたのは、ミノットが来てくれたからじゃないか」
つい、込み上げた思いが言い訳じみた言葉を吐く。
実際そうだ。ミノットから後から聞いて分かった事だが、あの祭壇の上に鎮座していた謎のおっさんの正体、それは遥か昔に吸血鬼によって世界を追われた者、神族の生き残りだったらしい。
その強さは並みの吸血鬼と同等なのだという。俺は吸血鬼を知らないが、つまりはミノットとほぼ同じ強さくらいなんじゃないかと思う。
そんな相手に善戦出来たのは素直にうれしいことだけど、結局はミノットが来てくれないとおっさんと共倒れになっていたはずだった。
「しっかりと情報を持っていて、それでいて対策を立てていれば、お前ならきっと勝てたのよ」
「お、俺は―――――」
「お前にはやるべきことがあるんでしょう?」
被せるように言われ、俺は閉口した。
旅立ちの時は、着実に近付いていた。
♦
翌日、ここ数か月で初めて自分の意思で眠りから覚めた。
これまでは気絶するように意識を失い、かと思えばミノットに叩き起こされるという毎日だったため、こうした普通の目覚めがひどく新鮮に思えた。そしてそれと同時に、本当に今のこの生活が終わりを告げているという事も。
のそのそとベッドから降りる。
吸血鬼となってからなんとなく寝覚めが良くないような気がする。もしかして夜行性だったりするんだろうか。まあ、人間だったころも夜更かしばっかりしてたし似たようなものか。
吸血鬼は特に食事を必要としない。食べようと思えば食べられない事もないけれど、特に俺やミノットなんかはそれだけで危険が伴う場合がある。肉を食べようと思えば完全に血抜きしないと料理とは思えないくらい味が喧嘩を売ってくるため、面倒が付きまとうのだ。
その代わりとして血液が必要だという事だが、今回は神族のおっさんとの闘いの後にミノットから直々に与えてもらった。
久しぶりの血はやはり例えようもなくおいしく、人間としての食事を取っていない反動なのか、正直涙が零れそうになるほどだった。まあ、そのすぐ後に激痛から本当に涙を流す羽目になったんだけど。
ともあれ、血の摂取も済んでしまっている。食事もとる必要がない。鍛錬もなくなった。有体に言えば俺は今とても暇だ。
「あっ、ルイ!今起きたばっかりなの?」
そんな風に部屋の中でどうしたものかと頭を悩ませ、どうにでもなれと部屋を飛び出した所でばったりとローズちゃんと出会った。
ローズちゃんと会うのも久しぶりだ。正直ローズちゃんはミノットよりも謎が多い。
ミノットの事はローズちゃんから断片的に情報をもらえたりするけれど、ローズちゃんの事はミノットは絶対口にはしないので、まったく分からないのだ。
少なくとも分かっている事、それは、ミノットとはかなり長い付き合いであるという事、そして見た目がちょくちょく変わっている事だ。
「そうだよ。どうかしたの?」
「ミノが、そろそろアレにここを出ていってもらうのよ、とか言ってたから様子を見に行こうかなって」
にっこりと無邪気に笑うローズちゃん。いつ見ても癒される笑顔だ。でも、ミノットと長い付き合いって事はそれなりに歳食ってるって事なんだよな...。実年齢何歳なんだろ。
「...変なこと考えてる?」
「考えてない考えてない!!」
「なら、いいけど...」
あっぶない。女性に年齢を聞くような事はダメなんてどこででも言われている事だ。たぶんどの世界でも共通だろう。そんな事考えているなんて知られてみろ、ミノットに殺される。
「ルイが変な事言うから話進まないでしょー。ルイは、ここを出るんだよね?」
「―――――うん、出る。そう、出なくちゃ、ね」
「うんうん、そっかそっか。ならよかったよ」
「よかったって、何が?」
疑問を投げかける俺を後目に、ローズちゃんは手首を軽く振った。するとどこからともなくその手元に物体が現れた。
「これ、餞別」
「これって...魔道具?」
俺は手渡されたものに視線を巡らせる。
見た目はただの本だ。だがそこに漂う魔力がこれをただの本ではないと、魔道具であると訴えかけてくる。
「ルイって影の国から来たんでしょ?だから色々と知らない事も多いかなって。これを読めばたいていの事は分かるようになってるから」
「これを、俺に...?」
「そ、ルイにあげるために作ったんだからね。ちゃんと使ってねー」
作ったぁ!?いや、魔道具って簡単に作れるものなのか...?
よく分らんが、本を見た感じ装丁などもしっかりしていて本職としている人のものとほぼ変わらないように見える。
これを作るなんて相当な労力をが必要に違いない。だからこそ、最近ローズちゃんの姿が見えなかったのかもしれない。
何にせよ、ありがたいことには変わりはない。正直地球とは常識が違う事も多々ある。
地球の中でも様々な文化があったのだから、世界が変わればそれこそ意思疎通が困難なほど違いがあってもおかしくはない。といっても、ミノットたちとは普通に交流できたためそれほど心配はしていないが。
ともあれ、餞別を貰ったことで一層実感が湧いてきた。
俺は近い内に、それこそ今日中にでもここを出る事になるのかもしれない。
最後まで読んでくださりありがとうございます。