115 プロローグ 胎動
四章始まります。
「さっ、ローズ。妾たちは妾たちのやることをやるのよ」
天理たちを『影の国』へと送ったのを見届けた後、黒の衣服に身を包んだ麗人――ミノットが花を綻ばせるように笑みを浮かべる。
そうする相手はもちろんただ一人、無邪気そうに流し目を向けながらローズは頷きかけた。
「あたしはいいけど、いいの? ルイのこと」
「い、いいって何のことかしら? ま、まさか妾があの馬鹿ごときを心配してるとでも言うつもりなの?」
「そんな顔と口調で反論されてもね」
ころころと面白がるようにからかうローズ。それに対してミノットは何も言えずに口ごもる。
ローズはミノットがそうなると分かっていてこうやって面白半分に言い連ねてくるのだ。ローズの前ではミノットは嘘すら言えなくなる。今までで作り上げてきた関係性。ミノットが望んだ二人だけの世界。
だからこそ、それを脅かそうとするものは排除する。それが例え、世界の『管理者』だとしても。
「……まあ、どうでもいいやつのことはどうでもいいわ。それより早く行くのよ」
「そうだね、ようやく見つけた『管理者』だもの。こんなところにいるくらいだから逃げる気はないんだろうけど」
言いながら二人は白い回廊を歩いて行く。前方には白装束の教会士官たちがずらりと立ち並び、しかし後方には同じ衣装たちが満身創痍の様相で打ち据えられていた。
およそ少女たちが、それこそピクニックにでも行くかのような雰囲気を纏わせながら歩いている光景とは思えないそれが広がっていた。
「化け物め……」
何度も投げつけられた言葉。それに対する感情はとっくの昔に風化してしまっている。だけど、それが自身だけではなく、ローズにも向けられていることに胸の底から沸々と煮えたぎる怒りがわき上がる。
「お前たちに何が分かる」
小さく口の中でつぶやく。怒りが魔法となって白装束に襲いかかった。
※ ※ ※ ※ ※
「……せっかく訪れてきたところ申し訳ないが、もうしばらく時間をくれ」
ミノットとローズが来ることが気配で分かっていたのだろう、白亜の塔の奥に設けられた豪奢な扉を開け放てばそんな声が聞こえてきた。
一見して礼拝堂と分かる装飾が為されたその大部屋には一人の男性が祈りを捧げるように跪いていた。
部屋の中へと進み出ながら、そんな男を一瞥して吐き捨てるように一言を告げる。
「『管理者』なんぞが神に何を祈るというのよ」
「自分が神に? まさか、自分が祈るのはただ『母』のためのみだ」
「とんだマザコンってことね。お前たちの崇高な信仰なんてどうでもいいから、さっさと『観測者』の居場所を教えるのよ」
にべもなくそう言い放つミノット。それが分かっていたのか、目の前の『管理者』――『編纂者』は退屈そうにため息を吐いた。
「まあ、いい。ともあれ、吸血鬼の神祖よ。未だに『観測者』を追っているとは、分かってはいたが恨みというものは恐ろしいものだな」
「どの口が言えたのかしら……! お前も、あの時にいたやつらも合わせてみんな『観測者』と同罪に決まってるのよ!」
「だがそれのおかげでそちらの白魔女は理から外れた力を得た」
ローズに向ける目、それは同族に対するもののそれだ。だからこそよりミノットの憤懣を誘ってならない。
だが、そんなミノットをたしなめるようにローズが一歩前に進み出た。
「あんまりミノを虐めないであげて」
「ローズ……」
「ありがと、ミノ。いつも言ってるけど、別にあたしはこの身体になったこと後悔してないからねー。ただこうして『観測者』を探してるのは、ミノにあるものを返すためだって」
言いつつ『編纂者』に向き直るローズ。そのまま人差し指を立てて一言、
「それにあなた、『観測者』のこと嫌いでしょ?」
「……さてな」
素知らぬ顔でそう答える『編纂者』。そこでようやく彼は身体を起こしミノットたちへと向き直った。
「まあ別に『観測者』について教えるのはいいが、お前たちも分かっている通り、あの男の所在を知ろうなど霞を掴むようなものだぞ? 自分に分かるのは精々、懲りもせずにまた何某かを企んでいるということくらいだろうな」
「そんな訳ないはずなのよ。なら『観測者』の持っていた権能についてどう説明するつもりなの! 三十年前のあのとき、ルイに使ったのは明らかにお前の権能、『編纂するもの』だったはず!」
それはミノットが自分の目で見て確かめたことだった。三十年前、ちょうど『執行者』が目覚めた時だったか。
『大地の洞』を去る時にルイに付けた使い魔が『観測者』を感知したその瞬間、その周囲の空間がこの世界から隔離された。外からは決して干渉することの出来ない、理を超えた力。まさしく『管理者』のそれだ。
「――『観測者』は権能を抜き取る手段を手に入れたんだね?」
「……っ! ローズ、それって――」
「『管理者』の権能の継承手段は原則として『継承戦による移譲』か『世界の立ち会いの元での譲渡』の二通り。しかもそれは『管理者』同士では行えない。こればっかりは『管理者』であったとしても縛られるルールのはず。そうだよね?」
ローズの指摘に如何にもというように頷く『編纂者』。
こればっかりは間違いようもない。ミノットもローズとともに確かめた確実な事実だ。だからこそこうして二人はどこにいるとも知れない『観測者』を探しているというのだ。
「やはり紛いなりにも『管理者』の一人、というわけか。――なあ、『創造者』よ」
「……あまりあたしをそう呼ぶのはおすすめしないよ? あたしの権能の力、理解できないわけじゃないでしょ?」
すかさず両者の間を覆うぴりつくような一触即発の空気。ローズから発せられる濃密な魔力が周囲の空間を歪ませながら現実を侵食していく。
ミノットもまたその身から黒を放出しながら臨戦態勢を取る。
そんな二人を見てから、ふと『編纂者』はちらりと礼拝室の外へと目を向けた。
「ふむ、どうやら自分たちが不毛な争いをしている場合ではなくなったようだ」
「何を言って――」
「待ってミノ! ……やられた! 教会の人たち、直接『影の国』を落とすつもりだよ!」
「――っ!」
言われて気付く。自分たちのちょうど頭上、そこにうまく隠すようにとてつもない規模の魔方陣が展開されているということに。
歯噛みし、ミノットは『編纂者』をじろりと睨み付ける。だが刻一刻と危機が近付いている『影の国』を見捨てる真似など出来るはずもない。
すぐに視線を切るとローズを抱え込み、くるりと身体を捻るようにして影で自分たちを包み込む。
次の瞬間には影は消え去り、礼拝室に残っているのは『編纂者』だけとなった。
「――君たちには申し訳ないとは思うがね。『創造者』の権能をどうにかしようというのが最終目的である内は自分は君たちに力を貸すことはないんだよ」
人の気配が少なくなった大広間の中、『編纂者』の独り言だけが響き渡った。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。