111 影の国の王
気が付けばかなり長くなってしまっていました……。そして粗が目立ちますがこれで三章の主な部分は終わりとなります!
後はどれだけになるか分かりませんが、幕間などなどを追加して三章は完全に終わりとなります。
――久し振り、と彼はそう言った。
そんなわけがない。天理も、そして紫葵も凱旋式のその場で琉伊の姿を目にしている。あれだけ近くに寄り、そして言葉まで交わしたのだ。見間違うことなんてあるはずがない。
いや、そもそもの話、目の前にいるのは本当に天理の知る琉伊なのか。
黒とも藍ともつかぬ不可思議な色合いを放つ髪色はそのまま、しかしその下から覗く瞳のなんと仄暗いことか。また、どういうわけか左右の瞳の色がそれぞれ異なっており、その内に潜む感情を読み取らせないかのようにゆらゆらと光を放つ。
少し幼さの感じられた顔立ちももう見る影もない。身体ごと年齢が一回り大きくなってでもしまったかのよう。
口を開き、言葉が出ることなく閉じ、そしてまた開ける。人は混乱が極まれば音すら出せないということを天理は今身をもって知った。
しかし、そうばかりもしていられない。天理は震える唇をなんとか動かした。
「葉桐、琉伊……なのか……?」
「ああ、そうだ。だけど君の知る俺とは違うだろうな」
「それは……? いや、それよりも、どうして……?」
どうして、生きているのか。天理が口にしなかったその疑問が伝わったのか、琉伊はちらりと視線を天理から傍らに控える銀の少女へとずらす。
そして一言、
「あいつは死んだか、ルネ」
とそう言った。まるで他人事のようなその反応に、天理は再び混乱に見舞われる。
意味が分からなかった。あの時天理の目の前で命を落とした少年と、今まさに目の前に現れた青年を線で結ぼうとしても互いに交わることのない平行線であるかのように手応えを感じられない。
「――これ」
銀の少女――今しがたその名をルネと呼ばれた彼女が手に持った氷塊を琉伊へと差し出した。あそこには聖ルプストリコに現れた『琉伊』が死んだ後に残った灰が入っているはずだ。
琉伊は玉座に座ったままそれを受け取り、しばし眺めていたかと思うと、おもむろにその手を話した。
落ちて割れる、そんな光景を幻視したがそんなことはなく、氷塊はそのまま影に溶けるようにして姿を消した。
「話はどうなっている?」
琉伊の、ルネに向けた言葉だ。話というのはつい先程天理たちが交わしていたものについてだろうか。
天理たちがどちらに付くか。教会についても、影の国についても天理のよく知る人が傷付く。
だけど、やはり天理は彼らのやり方には賛同できない。したくなかった。例えそれで級友と袂を別つことになってしまっても。
「……そうか」
ルネに話の成り行きを聞いた琉伊は一言、そう言った。ひどく疲れを感じさせる声。だけどそれだけしか読み取れないような乾いた声だった。
「それが天理くんたちの選択だって言うなら俺は止めはしない。だけど手を引くということもない」
やはりそれが琉伊たちの、影の国の総意ということか。
一体、どうしてこうなってしまったのだろう。天理はただ、皆と共に日本に……あの日常に戻りたかっただけなのに。
何が彼らと天理たちを分ける要因になったのか、天理には見当がつかなかった。
「は、葉桐くん……? 本物、なんだよね……?」
無言で視線を交わし合っていると天理のやや後ろからそんな声が挟まれる。
天理と、そして琉伊の少し驚いたような視線が紫葵へと向けられた。
「紫葵ちゃんたちには、少し嫌な思いをさせてしまったみたいだな」
「そんなっ……! そんなことっ、ない……! よかった……本当に、生きてて、よかったよ……」
涙ながらにそう言われればどこか張り詰めた様子だった琉伊も、いつかのような少し困ったような表情を浮かべ、苦笑のようなものを口許に貼り付ける。
「口を挟ませてもらうが、本物かどうかと言われればあれは間違いなくルイ本人じゃぞ」
「え……?」
「エリザ、やめろ」
「なぜじゃ? 別に隠すようなことでもあるまい? ……こやつが扱う魔法は影魔法と言ってな、我が母上である『執行者』が造り出したものなのじゃが――」
「――エリザ」
短くもう一度、琉伊は名前を呼ぶ。それと同時に威圧感のようなものが吹き上がった。
「やめてくれ」
「……そんな顔をせんでもよかろう。別に嫌がらせでしておるわけでもないのじゃから。むしろ逆じゃ。余はお主が心配でならん。切り捨てるのは悪くない。人一人が抱え切れるものには限度があるからな。だが、不必要なものを切り捨てこそすれ、必要なものまで無為に削ってしまうのはだめじゃ。それは強さとは根本的に違う何かでしかないのじゃ」
「分かって、いるさ。それでも、俺は――」
そこで一度口ごもり、琉伊は小さくかぶりを振った。そしてエリザから視線を切るともう一度天理たちへと目を向ける。
「天理くんたちの口から考えを聞けてよかった。久し振りに会えたことも嬉しい。だけど、君たちがこれ以上ここにいてはいけないだろうな。どうしたって俺たちは――敵同士、なんだからな」
「葉桐――お前……」
敵同士、という言葉をあえて使う琉伊。それは天理たちに言っているようにも、自分自身に言い聞かせているようにも思えた。
それだけを言って、今度は和也たちへと話を投げる。
「和也、真彩、後は頼んでもいいか?」
「オレは大丈夫だけど……お前は大丈夫か?」
「――? 特に問題はない。ルネ、来てくれ」
そう言っている琉伊は玉座から立ち上がり、もう用は済んだとばかりに天理たちへと背を向けた。そのすぐ後ろを当然のように銀の少女――ルネが付き従う。
エリザは先程、ルネのことを『執行者』と呼んだ。その辺りのことについて、天理はさほど知識を持っているわけではないが、言葉の感じから『管理者』の類いであることは分かる。
『管理者』について教会にある文書に記されていた名前の中に『執行者』の名前はなかった。
そんな謎に満ちた人物と、そして教会に神敵として定められている吸血鬼。彼女たちと組んで、琉伊は一体何をしようと言うのだろうか。
確かに聖ルプストリコが――教会がなくなればそれだけで魔族に対する迫害は減るかもしれない。だけど、教会が人々の安心の源になっている現状、結局は怨恨の螺旋を積み重ねることにしかならないのではないか。そんな気掛かりが天理にはあった。
「待てっ……!」
「なんだ、天理くん?」
「僕だって自分が絶対に正しいなんて思えることなんてない。だけど、だけどだ。君の、琉伊のそれは、本当に……正しい道なのか――?」
「……これが、これだけが俺の進むべき道。俺が進まなければならない道だよ」
それだけを言うと、琉伊はそれきりこちらに意識を向けることなく、玉座の裏へと足を進める。そこに手をかざせば蠢いた影がすぐさま扉のようなものを形作った。
そのまま琉伊は影の中へと身を滑らせていく。ルネもまた、銀色を振り撒きながらその後へと続いていった。
「――なぁ、和也」
「なんだい?」
琉伊が姿を消した方向へとぼんやりと視線をさ迷わせながら、天理はぽつりと呼び掛けた。和也もまた、それが分かっていたかのように呼び掛けに応じる。
「琉伊は、何を知ってるんだ?」
「さてね。オレにもそれは分からないよ。あの感じを見れば聞いても答えなさそうなのは分かるだろ? オレ的には、こうして二人と再会させることでなにがしかの影響があるかな、なんて思ってたんだけど、その当ても外れたみたいだしな」
天理も感じていた琉伊の変化。見た目もそうだが、その最たるものは雰囲気だ。まるで自ら千切れかけの綱でも渡っているかのような、ひどく張り詰めたもの。
見ていて心がかきむしられるようだった。
「一つだけ、オレが言えることは、あいつはあいつなりに苦しんでるから、それを天理くんたちに分かってほしいってことくらいかな。何せあいつは――」
分かっている。琉伊が今にも崩れ落ちそうなほどにギリギリの状態を保っていることくらい。
それでも、それでも天理にだって許容しきれないものだってある。
しかし、次に続く和也の言葉は、そんな天理の葛藤をがつんと横から殴り飛ばすほどの衝撃を伴っていた。
「――あいつは、オレたちより30年長くこの異世界で過ごしてるからな」
「……は? さんじゅ……?」
「そ。あいつ本人からじゃなく、ミノットの姐さんから聞いた話だけどな」
『大地の洞』って知ってるか。そんな前置きから始まった和也の話は俄には信じられるものではなかった。
『大地の洞』、それは中央大陸に位置する世界最高難度の迷宮と呼ばれているところだ。発祥不明、深度不明、魔物の巣窟と他の迷宮を圧倒するほどのそれの最大の特徴は、中の次元が狂っていることだと言う。
入った先と出た先が一本軸に繋がっておらず、いわゆるタイムトラベルのような現象が起きてしまうらしい。
しかし、迷宮由来のものを懐に入れていけば、それに紐付いた時代に帰ることが出来るため、『大地の洞』を攻略する物好きは入る前に入り口付近の岩を崩してお守りとして入るのだという。だとするならば――。
「何も知らずに『大地の洞』へ入った――? いや、それともそもそも『大地の洞』に転移した?」
「まあ、そのどっちかだろうな。何にせよ、あいつの今の選択は考えなしのじゃないってことを言いたかっただけ。……さて、真彩さん!」
そう言って衝撃から立ち直れずにいる天理を尻目に、和也は真彩を呼ぶ。少し離れたところで女子だけの密談をしていた彼女は紫葵に一言入れた後に天理たちの方へと歩み寄ってきた。ちなみに紫葵はエリザに捕まった。
「なに?」
「式出せる? そろそろ天理くんたち返さないとまずくね?」
「そんな不安がる必要ないわよ。まあでも、そうね。ミノットが帰って来ない以上仕方ないわ」
そう言って懐に手を入れようとする真彩に、天理はそこで待ったを掛けた。
「移動手段なら僕にもある。――来てくれ、『天雷』」
手の甲から指先にかけて一筋の紋様が走る。そこから光の球が零れ、みるみるうちに馬の形を取った。
「おお、すっげ。ペガサス?」
「どうなんだろ。羽は自由に引っ込めたり出来るみたいだけど。……何にせよ、『影の国』の移動手段で行き来すると教会にいらない心配を掛けそうだから」
そんな風に言うと、和也はそれもそうだな、と簡単に頷いた。
「それにしても、おかしなもんだよな。もしかしたらオレたち、殺し合うかもしれないのに、こうしてぺちゃくちゃしゃべってるなんて」
ふと、和也がそう言った。それは天理も心の内では考えていたことだ。
本当に、天理たちが戦う必要があるのだろうか。その答えは出ない。戦いたくないと思ってはいても、戦争において個人の感情なんて圧殺されるだけだ。
やられる前にやる。結局はそういうことなのだろう。天理に出来ることはどちらもやられないようにする、くらいだろうか。それが一番難しいことだけれど。
和也に促され、天雷を伴って城のバルコニーへと出る。和也と真彩、そして何故かエリザまで見送りに来てくれた。
「じゃあな、天理くん。久々に話せて嬉しかったぜ」
「天理。今からでも遅くないわ。紫葵と紗菜を連れてこっちに来なさい。貴方たちが無事なら私はそれでいいわ」
最後まで真彩は天理にそう訴え掛けた。それでも天理の答えは、やはりノーだ。
「真彩、それじゃあやっぱりだめなんだよ。こうして君たちと話して、僕はバカな偏見に気付かされた。だけど、でも、やられたからやり返して、やり返されたからまたやり返してって、そんなのはやっぱり駄目だから」
天理が振りかざすのはただの理想論なのかもしれない。だけど、エリザたちに守りたいものがあるように、天理にもまたあるのだ。
「なんとか話は通す。出来ればそれまで待って欲しい。誰だって戦いたいわけじゃないだろうから」
青臭いと非難すればいい。だけど守りたいものを守るやり方は何も戦うことだけではない。
「紫葵、行こうか」
「うん、じゃあ、また……真彩ちゃん、和也くん、エリザさん」
涙ぐみながら紫葵はそう言って別れを告げた。紫葵に手を伸ばし、そのまま勢いをつけて引き上げる。
紫葵が無事前に腰を落ち着けたことを確認して、天雷に合図を送った。言われずとも、とばかりの反応を見せて地を蹴った天雷はそのまま宙へと躍り出る。真彩たちの姿がほとんど見えなくなっても、紫葵はずっと手を振り続けていた。
「……葉桐、無事だったな」
「……うん」
「よかったな」
「……っ、うんっ」
空を駆けながら、二人は思い出したかのようにそんな会話をする。和也も、真彩も、と名前を重ねていくうちに、背中に少しずつ湿った気配を感じ始める。
天理もまた遅れてやってきた涙腺の緩みとの格闘に注心することになっていた。
――そんなときだった。
「――なんだ、あれ?」
滲む視界の水滴を瞬きで払い飛ばしながら、天雷に合図を送り、滞空に切り替えさせる。
視線の向こう、聖ルプストリコには、その上空を優に覆えるほどの大きさの魔方陣が浮かび上がっていた。
輝くその姿は既に待機状態を誇示していた。後は魔力を込めるだけでその威容にそぐうほどの大魔法を発動させるだろう。
そこから先の時間は、いやにゆっくりと進んだ気がした。
魔方陣に吸収される魔力が、徐々に聖ルプストリコから昇っていく。端から励起状態になっていくのを、天理は呆然として眺めていた。
そして気付く。その大魔法の照準が天理たち――いや、その背後に浮遊する『影の国』へと向いていることを。
「――っ!!」
瞬間、天理は遮二無二身体を傾ける。天理の意を受け、天雷がすかさずその場から文字通り雷のごとき速度で離脱していく。
そうしている間にも魔方陣は大気を震わせながら魔力を充填していく。
そして一際強く光を放ったかと思うと、目も眩むような極光が魔方陣から放たれた。
「……く、ぅうっ!?」
余波に煽られながら、天理は必死に紫葵を支えながら天雷にしがみついた。
きりもみしながら流れていく視界で、確かに極光が『影の国』を捉え、覆い尽くした。
更新のペースが上下してすみません。特に佳境といえる今の部分でこの体たらく……。弁解のしようもございません……。
言い訳になるかもですが、新作を準備中なので、投稿した際にはぜひぜひ読んでいただけるとありがたいです。




