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異界にて揺蕩え、デア ヴァンピール  作者: 葦原 聖
第三章 揺れる世界
106/120

106 揺れる世界 裏 ②

アルマーニ側の視点です。

 マルウェロが異変を感じ、秘密裏に聖ルプストリコへと足を踏み入れていた二人組――物部 誠二と魔族、それも吸血鬼の一人であるネフェリアと相対していた頃、アルマーニもまた、悪寒とも言える感覚を抱いて一人、聖都の巡回を行っていた。


「気のせいだといいのですけど」


 言葉ではそう言いつつ、その実アルマーニはこのまま何も起こらないという事などないと半ば確信していた。

 このところの魔王の乱立に、そして極めつけは『影の国』の再来だ。大陸が、いや、世界がどこか良くない方向へでも引きずり込まれているように感じてならなかった。


「テンリたちは大丈夫でしょうか……」


 そうして混迷へと走っていく世界の中で、人々の希望の光として見出されたのは、テンリ・レンゲジという少年だった。


 ――そう、少年だった。年端もいかず、未だ自身の道すら定め切れていないような、そんなごく普通の少年だ。それが、アルマーニが天理を見て初めて抱いた印象だった。


 意図するところは分かる。英雄という象徴は戦乱の時代いつだって必要だ。しかし、それがまだ幼さの残る少年ならどうだ。


「……不甲斐ないものですね。『粛清官』だなんだと噂されておきながら、結局わたしたちは表に出る事も出来ない。まあ、『粛清官』たちの執念を思えば表に出したくないという教皇様の計らいも分かるには分かりますけども」


 溜息とともに言葉を吐き出し、そんな陰鬱な事を考えていても仕様がないと頭を切り替える。今日は晴れの日なのだ。新しい英雄を担ぎ、そして来る『影の国』との決戦に向けてへの大きな一歩を踏み出す日。聖ルプストリコにとっても、もしかしたら世界にとっても無くてはならない日。


 それを思えば些末な悩み事など薄れるというものだ。


 現に街の様子はどうだ。こうしてアルマーニは巡回に出ている以上広場の雰囲気は分からないものの、そこかしこに屋台や出し物が設けられ、国を挙げてのお祭り騒ぎになっている事は容易に分かる。

 この国に居を構えてもう十年以上にもなるが、いまだかつてここまでの熱気を街の人々から感じた事はあっただろうか。


 どこか知れない違和感を覚えてならないが、それも気のせいだと言われればそれまでだ。


「まったく、歳なのかしらね。悪い事ばかり思い浮かんでは堪りませんね」


 大きく息を一つ吐き、周囲を見渡す。広場に行っている者も多いのだろう、それでも厳粛な式に飽き飽きしたと思われる子供や、それに付き添っている人たちもちらほらと見えた。


 それを見て、年甲斐もなく身体がうずくのをアルマーニは自覚した。元々考えるのは好きではないし、こうした祭りごとも大好物である。こうして自分から巡回を引き受けるという事の方が珍しいほどだ。


 そろそろ歳相応の落ち着きを見せたらどうだ、とはマルウェロの談だが、そんなものは何のその。自分は永遠の二十歳であるとでも言うかのようにアルマーニはこうした事には妥協しない。


「ちょっとくらい冷やかす程度はいいですよね……」


 口では多少は申し訳なさそうにしながら、しかしその顔に浮かぶ浮ついた表情は隠そうともしていなかった。


 先ほどの巡回時のものとは違い、弾むような足取りで手近な屋台へと近付いていく。先ほどから気になっていた場所だ。そこに並んでいるのは未成年に見える者ばかりだったが、それでも行列と言えるだけの人数を誇っていた。


 子供とは言え、式典そっちのけでこれだけ並ぶほどだ、よほど店主の腕がいいのだろう。そんな風に胸いっぱいの期待を抱きながら、アルマーニは最後列に並ぼうと足を踏み出す。


「——ほら、そこっ! 人のものを横取りしない! 横入りもだめ!」


 屋台の方向から聞こえてきたのははきはきとした幼さを感じさせる少女の声だ。それは列に並んだ客のもの、と言うよりかは店を管理する側から発せられたものなのだろう。


 少しばかり気になったアルマーニは、前の人の肩口からひょっこりと顔を覗かせるようにして前方の様子を窺った。


「だいじょうぶ、みんなの分はちゃんとあるから、ほら、押さないの」


「まったく、なんで(わたし)がわざわざ……。こんな、こんな……」


 見えたのは黒と白の少女だった。店の制服なのだろうか、売り子のような真似をしている二人は可愛らしい衣装に身を包んでいる。


 黒い方は神秘さと大人っぽさを両立させたかのような出来栄えで、反対に白い方は清楚さと無邪気さを現しているかのよう。どちらもそれぞれの魅力を引き出すべくして拵えられたものだと言われてもなるほどと素直に納得出来ようものだった。


 残念なのは黒い方のやる気のなさだろうか。聞こえてきた言葉から白い方にでも無理やり連れて来られでもしたような悲愴さが感じられた。


 と、そうこうして興味の赴くままに二人を観察していたアルマーニだったが、ふと視線を感じ取ったのか、白い方の目線がすっとアルマーニに向けられる。そしてそれを目ざとく感じ取った黒い方もまた、同じようにアルマーニへと視線をやった。


「……」


「……」


 両者無言の時間が続く。


 自分を見て目を見開き硬直する白い少女と、こうなるから嫌だったんだ、とでも言いたげに白い方を睨む黒い少女。アルマーニの方はと言えば、そんな反応を見て戸惑うばかりである。『粛清官』というのは表立って活動するような肩書ではない。一応の保険的なものとして司教の位を持ってはいるが、それもお飾りと言っても過言ではなかった。


 だからこそ、市民からこのような反応をされるという経験はほとんどなく、とそこまで考えて、ああ、確かにどこかで見た事のあるような、と記憶の紐の先っぽを掴む。


 少女は二人とも際立って美しい。特に黒い方は神様が理想の女性の外側だけを作ればこうなるのでは、という程の美貌を持っている。その雰囲気から、魔でも宿りそうなほどのそれだが、今は両者が付けている獣耳によってただただ愛らしさが目立つのみだが。


「……あれ?」


 そうして見つめ合う事数十秒、天啓でも降りてきたかのように目の前の顔と記憶の中の顔が一致する。


 それはここにいるはずがないであろう人物であり、またそんな恰好をしているはずもない人物でもあった。


 ――『操魔王』討伐時に乱入した、二人組だ。それが、何故ここに。


 気付くと同時に臨戦態勢を取ろうとして、そして気付く。今この場で戦闘に入るというのが、どのような意味を持つか。


「止むを得ませんか……」


 『粛清官』の権限には魔族を都市部で認めた場合に使用できる、『即時交戦権』というものがある。それはその名の通り、例えどんな都市国家であろうと『粛清官』の判断が優先され、その指揮の下に入る、というものだ。


 しかし、それを街中で使う事はめったにない。まず前提として都市部などは聖ルプストリコが公表している結界魔法によって魔族の立ち入りを大きく制限している所も多い。だからこそそもそもの話、魔族が都市部内に出現するというう事があり得ないのだ。


 そしてその事実から派生する問題もある。それは前例がなさすぎるための、市民たちの意識差である。聖ルプストリコでも避難訓練は行っているものの、その通りに完璧に動けるとは限らない。状況というのは想定された固定的なものではなく、もっと流動的なものであるからだ。


 だからこそ、安易に使用する事の憚られる権限の一つだ。あくまで、アルマーニ一個人に限っては、の話ではあるが。

 だが、事態はすでに切迫していると言っても過言ではない。あの場にいた一人として、アルマーニは目の前の二人の――特に黒の女王の脅威は身に染みている。今更私情を挟んでいられる状況ではない。


「――そんなに心配しなくても、こんなところでやり合おうなんて思うほど、あたしもミノも血気盛んじゃないよ。貴女も、でしょ?」


 逡巡も、そして決意も一瞬。名乗りを上げ、避難勧告を下そうと息を大きく吸ったその瞬間、そこを見計らったかのように挟まれたその言葉に、アルマーニはただ吸った息を吐き出すのみとなった。


「あなた達は、一体……? それに、これ、は……」


 臨戦態勢は崩さないまま、出来るだけ刺激しないようにと対話を選ぶアルマーニ。相手から切り出したという事は、それなりに対話を試みようとする意思があるという事。


 言葉を選びながら彼女たちの意図を聞き出そうとしたところで、周囲の異変に気付く。


「ふん、別に傷付けるわけじゃないのよ。ただ、コレらがあるとお前も気が気でないでしょう?」


「ごめんね、そう悪い事にはならないから。それはあたしも保証するし」


 それまで子供特有の騒々しさを醸し出していた場の雰囲気だったが、気付けば静寂に包まれている。見渡せば、それまで活気にあふれていた町民は皆人形のように表情を無くし、直立不動の姿勢を取っている。明らかに正気を無くした状態。この状態にアルマーニは心当たりがあった。


「……魔眼、それも吸血鬼の」


「分かってるなら話は早いわ。別にどんな風に話が伝わっているか分からないけど、そんなに凶悪なもんでもないのよ」


 目の前の黒い少女の言葉によって心当たりは確信へと変えられる。やはり、この少女は吸血鬼。いや、もしかしたら少女たち、という可能性だって捨て切れない。


「我々と敵対しているだろう、魔族の貴女たちが一体この場所に何の用があるというのですか。それに、今のこの状況は一体……?」


 再度問いかける。今度は何がしかに阻まれるという事もなく、純粋な疑念が二人に届く。


 しかし、問われた二人はと言えば、アルマーニの予想とは裏腹に少しばかり罰が悪そうな顔をして口を開いた。


「……元々は落としものの回収だったのよ。それをローズが」


「あーっ! いつもそうやって人のせいにして! せっかくあの時に回収出来たのに、そのまま『力』を取り出さなかったのはミノでしょ! そのせいでこうしてわざわざここまで来ることになったのに!」


「それは根本まで遡りすぎなのよ! ローズが!」


「違うよ! ミノが!」


 これは、何を見せられているのだろう。姦しく騒ぐ少女たち、ローズとミノ――いや、これは恐らく愛称だろう――の姿を見て毒気を抜かれたようにアルマーニは目を瞬かせた。


 しかし、そうは言っても今しがた聞こえてきた言葉は決して無視できる類のものではなかった。


 回収、とは件の魔王の話だろうか。そう仮定した場合、彼女たちがここに来た、という事はあの恐ろしい魔王もまたこの国に足を踏み入れている可能性があるという事だ。


「――――っ!?」


 とそこまで考えた丁度その時、街のある一角で見知った魔力が爆発したのを感じ取る。周囲には魔族のものと思われる魔力が感じ取られる事から、交戦状態である事が分かる。恐らく『祝福』を開放したのだろう。


「あー、あっち側にいたっぽいね」


「やっぱりこんな事をしてる場合じゃなかったって事かしらね」


「ミノだってちょっとは楽しんでたでしょ」


「そんな事ないわ。……ちょっとだけなのよ」


 言いつつ、白と黒の二人の意識はもはや遠方に向きつつあった。アルマーニ一人などどうとでもなるという余裕か、それとも今この状況で戦いを仕掛けようと思う程の愚者ではないという判断か。


 マルウェロが交戦状態な以上、アルマーニもまた判断を下さなければならない。すなわち、今目の前にいるこの二人の足止めか、それとも彼女たちの目的がマルウェロと交戦しているだろう相手、『操魔王』だと言うのなら、このまま彼の下まで通すか。


 はたまた教皇へと事態を伝えに行くか。果たして、アルマーニが取ったのは、そのどれでもない選択肢だった。


「――待て! 待ちなさい!」


 既に興味を失ったとばかりにアルマーニに背を向けていた二人が、順々に振り返る。白い少女――ローズは依然として柔らかな笑みを浮かべたまま、黒い少女――ミノと呼ばれていた方は呼び止められたその事実に苛立ちを隠そうともせずに。


「やっぱり『粛清官』としてあたしたちは見逃せない?」


「ローズ、やっぱり面倒なのよ。こんな奴、(わたし)一人で捻り潰してやるわ」


 俄かに殺気立つ黒い少女。その殺意は並みのものではない。それそのものが刃となって首元に突き付けられているようだった。ともすれば次の瞬間にでも、命が刈り取られでもするかのように。


 それでも、アルマーニがひるむことはない。出来るわけがなかった。ようやく見つけた手がかりだ。前回はみすみす逃してしまったが、今回はそうもいかない。


「――わたしには、探している吸血鬼(ヒト)がいます」


 未だに戦意を浮かべようとしないアルマーニに鼻白んだように、黒い少女はその殺意を押さえた。そして次に放ったアルマーニの言葉によって完全に興味を失ったかのように、ぷいとそっぽを向いてしまう。


 反対に、その言葉に反応したのは白い少女だ。「ふぅん?」と心なしか身体を乗り出して意識をアルマーニの方へと戻した。


「最初に言っておくけど、あたしたちはこう見えてかなり年季の入った引き籠りなんだよね。だから貴女が探してる人なんて分からないかもしれないけど、それでもいいの?」


「構いません。元より時間がかかる事も承知済みです。ですが、それでもわたしは彼を探さなければならない。だからこそわたしは、こうして『粛清官』としてここにいるのだから」


「……ふぅん? まあ、貴女がそういうのなら、いいんだけどね。じゃ、とりあえずその彼について何か知っている事でも言ってみて。名前――、だとか、見た目――だとか」


 どうやら、白い少女は聞くだけ聞いてみるという気になったようだった。黒い少女は今は何も言ってこないが、あまりに時間を掛けるようだったら次こそは本当に牙を向いてくるだろう。


 少しばかり逸る心の内を意識的に静めながら、アルマーニは一つ小さく深呼吸し、言った。


「わたしが探しているのは、は――――」


 ――口に出来たのはそこまでだった。もしかしたら、長年追い求めていた相手に関する情報を手に入れる事が出来るかもしれないという期待感を塗りつぶすかのように、その衝撃は突如姿を現した。


「これ、は……」


「あちゃー、お姉さん、残念ながら時間切れだね。あたしたちはここまで。もう獣くんもどっかにいったみたいだし」


「――! 待ってください、まだ……っ!」


「今度会えたら、次こそ話を聞いてあげるよ。……じゃあね」


 そう言って白い少女はいつの間にか深窓の令嬢も斯くやというドレスへと着替えていた黒い少女に身を寄せた。そのまま自然に抱き留めた黒い少女は、肩に掛けられたストールを白い少女を抱きかかえるようにして翻す。

 闇色のストールに導かれるようにして膨れ上がったのは、今しがた現れた巨大な影だ。そのまま二人を包み込むように球状を描き、そしてそのまま萎んでいく。


 あっという間に米粒より小さくなり、そのまま宙へと溶けるようにして消えていった。


 残されたアルマーニはしばし、呆然とその場に立ち尽くした。もう少しで、と思えただけにそこから急落した失望感は、体内のやる気を根こそぎ奪っていったかのようだった。


 しかし、正気を取り戻し、そして上空を見上げて騒ぎ出した子供たちの声によって、アルマーニもまた我に返る。今は、呆けている場合ではない。状況は大きく動いてしまった。ならば、アルマーニがすべき事は明白だ。


 逸る心を落ち着かせ、子供たちに避難するように告げた後、アルマーニは式場へと向かう。聖都全体に落ちる暗い影は、そんなアルマーニの心中を表しているかのようだった。

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