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異界にて揺蕩え、デア ヴァンピール  作者: 葦原 聖
第三章 揺れる世界
104/120

104 揺れる世界 ⑤

もはや不定期更新。

これで三章もかなりの大詰めとなってまいりました。マイペースに更新していますが、最後までお付き合いいただけたらいいなと思っております。

「――そう、死んだの」


 小さく、無感動に呟かれたその言葉が(にわか)に静まり返った広場に響き渡る。


 少し前までは人々の熱気によって覆われていたそこはもう既にその見る影を失い、誰もが突如身を晒した少女に目を奪われていた。


 何のひねりも装飾などもない、簡単な造りのコートの下から出て来たその美貌はまさしく現実離れしたものだ。


 陽光をこれでもかというほどに反射する、白金糸がフードの下から零れ落ちる。切りそろえられた前髪の下から覗くのは、血でも垂らしたかのようにぬらりと輝く朱い瞳だ。


 ――純白。一言で体現するならば、それだ。


 作り物めいたその表皮も、何ら抵抗もなく櫛が通りそうなその流れるような髪も、コートも、そしてその下から覗く衣装も全てが、神聖さすら伴うほどの白。


 そんな中、宙に浮かぶかのように際立つ血色の瞳が、すっと琉伊をその身に抱く紫葵の傍らに控える天理を射抜いた。


「――っ」


 思わず、息を呑む。その絶世の美貌に触れ、魅了されたから――ではない。確かにそれもある、あるにはあるが、行き過ぎた造形美は柄も言えぬ恐怖さえ生む。


 そう、恐怖したのだ。目の前の、敵意などを見せてもいない、少女に対して。


 それは根源的な恐怖と言ってもよかった。理屈が伴わない、出どころの分からないおぞましさ。


 行き場を失った感情が、天理の次の行動となって表へと噴出する。


「……それ以上、近付くな」


 自身の理解出来ないものに立ち会った時、人はどのような行動を取るか。それはすなわち、その対象を排除しようとする行動だ。


 天理もまた、なりふり構わず敵対の意思を見せる。手を出すより先に言葉を用いる事が出来たのは、偏に今この場を戦場にしたくはない、というような思いからだった。


 せめて、野ざらしのような状態にある琉伊の遺体を静かな場所へと移してあげたい。何も出来なかった自分ではそんな事を願い出る資格すらないかもしれないが、それでも天理はそんな思いを今抱いていた。


 これがもし本来の戦場であったなら、そんな雑念を抱く事なく、奇声を上げて跳びかかっていただろう。そうして正気を失った先でどのような結果に辿り着くのかなど、考えるまでもなく想像出来た。


 紫葵の前に立ち、少女の行く手を阻むように腰に帯びた儀礼剣に手を添える。剣など碌に振った事もない天理だが、そもそもこの場に武器などは持ち込めない。せめてもの威嚇としてだ。


 しかし、少女はそんな天理など歯牙にもかけないように、ゆっくりと歩みを進めた。その瞳は既に天理を移してはいない。天理の背後、紫葵と琉伊に向けられていた。


「――っ、忠告は、した! それ以上は――――は?」


 一瞬たりとも気を抜くことなどなかった。こんな状況だ、気を抜く如何に関わらず、ただ目の前に注意を向けていればいいという、ただそれだけ。


 だが、そのたったそれだけを、いとも簡単に相手はかいくぐる。気が付けば天理の正面、そこには少女の姿がなくなっていた。


 足音を聞き、慌てて天理は儀礼剣を抜き放ちながら振り返る。剣を構えた天理と、そして未だに琉伊の遺体を抱いて微動だにしない紫葵の間、そこにはいつの間にか白い少女の存在がねじ込まれていた。


 舌打ちをし、意識を切り替え、そして回り込む。――回り込もうとする。


「――な!? 足が……凍って……!? いつの間に――!?」


 その発生の予兆すらつかめぬほどに流麗な魔力操作をもって発現した魔法。それは術者の意を完全に汲み、邪魔ものの足を氷で奪う。


 刺すような痛みが足元から脳髄へと駆け巡った。足元から伸びる氷の蔦がとぐろを巻きながら這い上がり、氷像へと変えていく。払っても払っても、砕けた破片からまた蔦が伸び、何事もなかったかのように再び足を登っていく。


 このままではそう時間が経たないうちに全身が氷像へと変わる。そう判断し、天雷を呼ぼうとして、そこで腰近くになってから、突如として蔦が勢いを弱め始めた事に気が付いた。


 そもそもの話、ここまでの魔法をあの一瞬で扱えるような相手だ。天理の理解が追い付くよりも前に命を奪う事だって出来ただろう。しかし、そうはせず、使ったのは足元から蔦を這わせるという、時間のかかる魔法。


 そうしている間にも蔦はゆるゆるとその速度を落とし、遂には完全に動きを止めてしまった。明らかに天理を殺める事を意図した魔法ではないという事が伝わってくる。


 だからといってまたもや何もしないというわけにはいかなかった。一瞬の思考の後、天理は自らの内から騎獣を召喚する。胸から飛び出た光球が周囲の魔力を吸収し、その身を力の象徴へと変えていく。


 言葉を交わす事もないにも関わらず、主の意図を汲むべく動いた騎獣――天雷が空を駆け、そのままの勢いでもって天理の足元へと飛来する。魔法生物である天雷は、その主を傷付けるという事はない。だからこそ、天雷のその身を使った一撃は、天理の足元に絡みつく氷の蔦だけを的確に破壊していった。


「――待てっ!」


 ようやく自由になった両の足を動かし、白の少女へと追いすがる。


 だが、そんな天理に目もくれないまま、少女のコートから漂う冷気が形を伴って天理へと襲い掛かってきた。


 中空で凝固し、杭のような形を成した魔法が天理の戦闘力を奪うべく的確に四肢へと狙いを付けられる。


 至近距離から放たれたそれは、天雷から迸る雷によって相殺とはいかずとも、ほとんどの威力はそぎ落とされる。少女の目的があくまで天理の行動の阻害だからこそ出来た事だ。


 天理もまた、その身に気力――闘気を宿す。闘気は魔力とほとんど性質だけみれば似通っている。ゆえに個々人によってそうして発現する属性もまた異なってくる。


 天理の場合は、天雷の事からも分かる通り、その属性は雷。身体を覆う闘気は外側に行くにつれ、放電をし始める。その厚みを持った闘気の層をいくらか突破し、そこでようやく氷の杭はその勢いを止めた。見もせずに放った魔法が、それほどの威力を持つと言う事実に、だけど天理はもう驚かない。


 相手がそれほどの実力を持った何者かであるという事は先の一連の出来事で思い知っていたからだ。


 武器はなくとも、闘気によって強化された身体はそれそのものが武器に準ずるものとなる。機関銃のごとくばらまかれる氷杭を何とか相殺しながら、天理は少女へと徐々に、しかし確実に近付いていった。


「――可哀想な子」


 そんな中、鈴を鳴らしたかのような声が耳に届く。少女の背しか見えないためにその口が動いているのかまでは確認できないが、確かにその言葉を発したのは目の前の少女だ。


 その言葉を、紫葵もまた聞いたのか、たった今少女の接近に気が付いたかのように、ゆるゆると視線を上げた。


 天理が必死になって杭を払っている中、紫葵の視線が少女のものとあった――ような気がした。


「紫葵っ――!」


 天理は叫ぶ。警戒の意を込めたそれは、しかし今の紫葵には届かない。


「あっ……」


 紫葵の小さな声が零れる。いつの間にか少女は紫葵へと近付き、そしてその身を屈みこませ、彼女へと手を伸ばしていた。


 堪らず舌打ちをし、周囲に視線を走らせる。この場には天理以外にも枢機卿が、そして何より粛清官であるマルウェロがいるはずなのだ。

 それにも関わらずこうして闖入者が自由に動ける状況になっているのは、どうしてなのか。


「これは貰っていく」


 そんな疑問が頭をかすめた時、またしても少女の声が響き渡る。その手が触れているのは紫葵ではなく、琉伊の亡骸だ。


 何を、と思ったのもつかの間、少女の手が触れた先から琉伊の身体が砂に――というより、これは灰に――変わっていく。


「やめっ――」 


 図らずしも、天理と紫葵の悲鳴のような声が重なった。しかし、一度始まった灰化は留まる事なく、すぐにその全身は全て形を失っていった。と同時に、全てをまとめるかのように、冷気を伴った風が渦を巻く。


 一か所に集められたその灰を満足そうに見て、少女は凍れ、と小さく呟いた。


 出来上がったのは灰を内包する氷の球体だ。片手に収まるほどのそれに満足そうに視線を向けた後、ようやく天理へと向けていた魔法の数々を消し去った。それによってようやく天理は満足に動けるようになる。


「――何をした!!」


 真っ先にしたのは少女への詰問だ。先ほどとは違って、完全な臨戦態勢でもってのそれだったが、それでもやはり少女は意に介した様子すら見せずに、口を開く。


「あるべき姿へ。それだけ。――貴方たちははやくこの場を離れた方がいい」


「何を……? いや、何よりもまず、それを返してくれるか。それは……僕たちにとって大切な人の……」


()()()()


 知っている。目の前の少女はまっすぐと天理を見てそう言った。その言葉の意味する所は、なんだ。天理たちと琉伊との関係を、この世界にいる人たちが知っているはずがない。


 クラスメイトか、と一瞬頭を過ったが、これまで会った者たちは皆、日本に居た時と細かな所に違いは見えさえすれ、顔形までが変わってしまっているという事はなかった。

 ただの例外、と言えばそれだけだが、それだと何も言わずにこうして敵対行動じみたものを取る意味が分からない。


 ――何かが、おかしい。


 それは琉伊が姿を現してから思っていた事だ。天理の内側で、勘のようなものが絶えず囁き続けていた。


 琉伊の言葉の真意もまだ理解出来ていないのだ。琉伊はこの少女の事を知っていた、のだろうか。そうだとすれば、天理たちに逃げろと告げた意味が分からなくなる。


 今もまだ敵意を見せないこの少女がした事と言えば、琉伊の遺灰を手にした事だけだ。現れてから真っ先にそうした事から、元々の目的が琉伊にあった、という事に違いない。


 だとすれば、琉伊は何から逃げろと、そう天理たちに伝えたのだろうか。この少女もまた、無関係ではないのかもしれない。


 とにかくこの少女を制圧しない事には始まらない。そう思考を結論付け、気を引き締め直した所で、頭上を影が覆った。

 釣られるように、頭上を仰いだ先、そこにあるのはかつて見た光景だ。


 太陽を隠すように空を漂うのは、巨大な岩の塊だ。目を凝らしてみれば、その上に城やその他の建造物が乱立しているのを認める事が出来るだろう。


 この世界にそんなものなど一つしかない。影の国が、今この瞬間、聖ルプストリコの上空に現れたのだった。

最期まで読んでくださり、ありがとうございます。

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