白き竜
「それは俺たちの獲物だ。横取りする気か?」
盗賊たち中で一番背の大きい、口髭を生やした男が言いました。どうやら、盗賊たちの親分のようです。
アッシュはクリスとイブを背中にかばい、二人を振り返りました。二人もまた、竜の子どもをかばうように背に隠します。
「お前たち、まさか竜を狩ろうっていうのか?」
「いいや、まさか竜が狩れるなどとは思っていなかった。だが、これは幸運じゃないか。みすみす逃がす気はないぜ」
男が片手をさっとあげると、雪にひそんでいた盗賊たちは身構え、いつでもアッシュたちを襲いかかれる体勢を取りました。
「……クリス、イブ。その子は諦めよう」
とても敵わないと思ったアッシュは、クリスとイブに言いました。ですが、イブは激しく首を横にふりました。
「いやよ。この人たちが罠をしかけたんでしょ。この子を渡したら、きっとひどいことをするに決まっているわ!」
「クリス……君も同じかい?」
たずねるアッシュに、クリスは頷きました。
「……わかった」
アッシュは諦めたように顔を曇らせます。そして、腰の剣を外して雪の上へと投げ捨てました。
「降参だ。せめて、俺だけでも見逃してもらえないか?」
アッシュの言葉にクリスとイブは驚きました。親分は、値踏みするようにアッシュを見ると、髭をなでつつ口を開きます。
「子供を見捨てるってのか?」
「俺が親に見えるかい? ここまで連れてきた欲しいって駄々をこねられたから、連れて来ただけさ」
「命が惜しいってわけか。だが、お前を見逃せば助けを呼ばれるかもしれない。それは面倒だな」
「それなら心配いらない。ここから町まで三日はかかる。それに、これを見てみなよ」
アッシュはクリスとイブの帽子をさっと取り上げました。二人の髪があらわになり、盗賊たちは言葉を失います。
「見ての通り、この子たちには白竜の呪いがかかっている。そんな子どもを助けようなんて者はいないだろうさ」
「は……ここまで性根が腐ったような男は初めてだ。たたっ切る気にもならねえ、俺の前からさっさと失せろ!」
「ありがたい。それじゃあ、クリス、イブ、ここでお別れだ。短い間だったけど、楽しかったよ」
最後にアッシュはそれだけ言うと、振り返ることなくクリスとイブを置いて去って行きました。
二人は信じられない思いで、アッシュの背中を見つめることしかできませんでした。
「野郎ども、子供と竜を連れて行け! 今夜は祝杯をあげるぞ!」
そして、親分の声が響きます。二人の心は、とても深い悲しみに包まれました。
盗賊たちに担ぎ上げられたクリスとイブは、山のふもとにある洞穴を広げた、彼らのアジトまで連れて行かれました。
二人は手足をしばられて動けなくさせられました。竜の子どもも口に縄をかけられ、鉄の檻に閉じ込められています。
盗賊たちは火を灯し、その周りで酒を飲み交わしながら捕まえた竜をどうするか、あれこれと相談していました。
竜は見世物になる。町に連れて行って金を集めよう。
どこぞのモノ好きな貴族に売っちまうってのもいいかもしれないな。
そりゃもったいない。竜の皮、鱗、肉、全部が極上の品になる。ばらばらにして売れば大儲けできるぞ。
話し合いは竜のことでもちきりで、一向にまとまりそうにありません。クリスとイブは耳をふさぎたくなりましたが、縛られているためそれもできませんでした。
檻の中の竜の子どもは、変わらずぐったりとしていました。眠っているように目を閉じ、動く様子がありません。
「まあ、竜のことはゆっくりと決めればいい。あとの問題は、このガキどもをどうするかだ」
親分はいったん話を止めて、クリスとイブの方を見ました。
「見世物にしようにも、堂々と子どもを連れまわすわけにはいかねえ。俺たちが人さらいだと言いふらすようなものだからな」
親分が言うと、周りの盗賊たちはまた口々に騒ぎはじめました。
子どもの手じゃ、雑用にも使えやしねえ。本当に使い物にならねえな。
それより、不気味な子どもを手元に置いておく方が厄介だろう。
さっさと捨ててしまおう。子どもだけで、森を抜けて町に帰るなんてできやしないさ。
ま、その前に狼どもの餌になるのが落ちだろう。
その方がいい。下手に手を出して、俺たちにも呪いがかかっちゃかなわねえ。
竜についての話し合いとは比べるまでもなく、あっさりと盗賊たちは結論を出しました。
それは、明日の朝、森の更に深いところで二人を捨てるというものでした。
話し合いが落ち着くと、騒ぎ疲れたのか盗賊たちはしだいに眠り始めます。
クリスとイブは恐怖で身体が震えていましたが、この数日間の旅の疲れもありました。二人のまぶたは重くなり、ゆっくりと眠りに落ちて行きました。
◆
「クリス、起きるんだ」
どれくらい時間が経ったのでしょう。クリスは、誰かが頬を叩く感触に意識を取り戻しました。
呼びかける声にクリスが目を開けると、覗き込むアッシュの顔がすぐ近くにありました。
「アッシ……んぐ!」
「静かに。気付かれてしまう」
アッシュはクリスの口を押さえ、大声を出さないよう言います。クリスが頷くと、アッシュは手を離しました。
「説明は後でする。これでイブの縄を切るんだ」
アッシュはクリスの手に銀色に光るナイフを渡しました。言われて、クリスは縛られていた縄がなくなっていることに気付きました。
クリスはアッシュに言われるがまま、まだ眠っているイブの縄を切りました。アッシュは竜の子どもが閉じ込められている檻の錠を、細い針金を使って器用に開けてみせました。
「イブ、起きろ」
クリスがイブの肩をゆすると、イブは重たそうに目を開けました。
「クリス?」
「イブ、悪いけど説明している暇はない。立って、早くここから逃げるんだ」
「アッシュ……!?」
竜の子どもを抱えたアッシュの姿を見てイブは驚きましたが、クリスがとっさにイブの口をふさぎました。
「行こう」
眠りこけている盗賊たちをしり目に、三人は洞穴の出口へ向けて急ぎました。
「アッシュ、どうして戻ってきたの?」
「あそこで俺まで捕まれば、もうどうしようもなくなっていたからね……。ごめんよ。君たちにはひどいことを言ってしまった」
洞穴の外へと出ると、すでに夜で真っ暗でした。激しさを増す雪の中、風に打たれながら、暗い森を三人は進みます。
すると、吹雪にまぎれて盗賊たちの大声が聞こえ始めました。
「アッシュ、気付かれた!」
「早く逃げなきゃ!」
クリスとイブが叫びます。しかし、大きな木の影でアッシュは足を止め、竜の子どもを降ろしました。
「ここは盗賊たちの縄張りだ。子どもの足じゃ、すぐに追いつかれてしまう」
アッシュは竜の子どもの口を縛る縄を解くと、ポケットから青い木の実を取り出しました。
「これはゲクの実といってね。これを食べると簡単な毒なら治る。こいつを探すため、君たちを置いて行く必要もあったんだ」
瞳を閉じ、浅い息遣いの竜の子どもの口を開けさせ、アッシュが木の実を食べさせます。
すると、竜の子どもの瞳がパチリと開きました。鱗も鮮やかな輝きを取り戻し始めまています。
「わっ、本当に治ったの!?」
「すごいわ!」
驚くクリスとイブに竜の子どもは一声上げると、まだ少しふらつく足で二人に近付きました。そして、赤い舌を伸ばして二人の頬を舐め始めます。
「うわ」
「くすぐったいわ」
くるる、と甘えたような声で鳴く竜の子どもに、二人は笑い合いました。
「どうやら気に入られたみたいだね。さて――」
「いたぞ! こっちだ!!」
ほっとしたのも束の間、盗賊たちの声がしました。その声につられ、一人、また一人と盗賊たちは現れ、あっという間に三人を取り囲みます。
「は、まさか一杯食わされるとはな。だが、状況は逆戻りだぜ」
そして、最後に現れた盗賊の親分が怒りの目でアッシュをにらみながら言いました。クリスとイブは竜の子どもをかばいながら、不安げにアッシュを見つめます。
「大丈夫だ。クリス、イブ。今度は逃げないから」
「逃げられないの間違いだ。もう勘弁しねえ」
微笑むアッシュに、盗賊の親分はいらだった声をあげ、右手をさっとあげました。それを合図に、盗賊たちは手にした武器を構え、襲いかかろうとします。
「さあ、頼むぞ」
アッシュは竜の子どもの背をそっと押しました。迫る盗賊たちを前にした竜の子どもは大きく瞳を開くと、空に向けて仰け反るように顔を上げました。
すると、竜の子どもは、その小さな身体から想像もつかないほどの大きな声で吼えました。
その声の大きさに盗賊たちは思わず足を止めました。クリスとイブも耳を両手で押さえます。
「な、なに? どうしたの?」
竜の子どもは、吼えたあとは空の一点を見上げていました。その場にいる全員が、つられるようにその先を見たときです。
吹雪の雲の中に、大きな黒い影が浮かびました。
その影はじょじょに大きくなり、やがて雲を突き抜けてその姿を現します。
「あれは……!!」
「は、白竜だ……!!」
盗賊たちはうろたえた声を上げました。
その影は森の木々よりも遥かに大きな体を持ち、バキバキを木々をなぎ倒しながら降り立ちました。
一枚一枚が、氷のような透き通る白さの鱗を持つ、白き竜。
その大きな体を支える翼は、竜の子どもを守るために折り畳まれました。その中に、クリスとイブ、アッシュも収まります。
そして、夜空のような深い青色の瞳が、ギロリと盗賊たちを見下ろしました。
「そ、そうか! 親を呼びやがったんだ!」
「助けてくれ!」
盗賊たちは散り散りに逃げようとしましたが、白竜の大きな口が開かれ、子どものものとは比べ物にならない咆哮が轟きました。
その声は暴風を呼び起こし、盗賊たちは腰を抜かしてガタガタと震えます。
そして、吐き出された凍えるような白い吐息に、盗賊たちはあっとういまに氷漬けになってしまいました。
今までのことが嘘であるかのように、シンと森は静けさに包まれました。
ですが、白竜の翼から出た三人は、真っ白になってしまった盗賊たちの姿を見て、これが夢ではないことを思い知らされました。
白竜の鋭い瞳が三人に向けられます。三人は恐ろしさのあまり立ち竦んでしまいましたが、竜の子どもはよたよたとした足取りで歩き出すと、白竜を見上げて鳴き声を上げました。
白竜は子どもに顔を寄せ、いくつか鳴き声を交わしました。そして、再び三人を青い瞳が見つめます。その瞳は、盗賊たちに向けた恐ろしいものではなく、優しさを含んだものでした。
「どうやら、あなた方にはお礼を言わなければならないようですね」
とても澄んだ、女性らしい声が響きました。それが白竜の声であることに、三人は驚き顔を上げます。
「竜がしゃべった!?」
「話せるの!?」
クリスとイブの反応を楽しむように、白竜は喉を鳴らしました。
「ええ。認めたものでなければ言葉は交わしませんがね」
「……あなたが、この子の親ですね?」
「そうです。はぐれたところを探していたのです。この子は飛べるようになったばかりで、まだ長くは飛べないのですよ。ふもとまで行ったところで体力が尽きたのでしょう。しかたのない子です」
たずねるアッシュに答えた白竜は、改めて三人を見下ろしました。
「あなた方は、何の目的でこの森に足を踏み入れたのですか? 用がないのであれば、早々に立ち去りなさい。帰り道が分からないのであれば、送りますが――」
「待って! 白い竜さん!」
白竜の話をさえぎり、イブが声を上げました。
「あなたが……あなたが、お父さんに呪いをかけたの!?」
「呪い? それは、何のことでしょうか?」
何のことかわからず、竜は長い首を傾げました。ですが、イブの疑いは晴れません。それは、クリスも同じでした。
なぜなら、氷漬けになった盗賊たちの姿は、クリスとイブのお父さんとよく似ていたからです。
「白竜よ。俺たちは決して迷ったわけでも、無用に森に立ち入ったわけでもありません。話を聞いてもらえませんか?」
「……いいでしょう。話してみなさい」
クリスとイブに代わって、二人から聞いた話をアッシュは白竜に聞かせました。
すると、白竜は何か思い当たることがあるのか、クリスとイブに顔を寄せました。
「クリスに、イブと言いましたね。まず、答えましょう。この山に絶えず吹雪を起こしているのは、私たちの王です。あなたたちの父親に呪いをかけたのも、おそらくは……」
「竜にも王様がいるの?」
「もちろんです。私たちも子を成し、家族をつくります」
「そうなんだ……。ねえ、その王様には会える?」
「その前に、私からも質問をさせてください。あなたたちは、父親から何か預かってはいませんか?」
「何か?」
「たとえば、いつも持っていなさいと言い付けられているようなものはありませんか?」
「あ! あるわ!」
白竜の質問に、イブは首にかけて服の中へ入れていたペンダントを取り出しました。クリスもそのことをすっかり忘れていたようで、同じく手に取って白竜に見せます。
その白い小石のようなペンダントを見た白竜は、どうしてか深いため息を吐きました。
「そうですか。今の話と、白い髪。そして、そのペンダント。どうやら、あなたたちがこの子を助けたのも導ぎだったのかもしれませんね。いいでしょう。私たちの王の元へ、あなた方を連れて行きます」
「いいのですか?」
「それが望みなのでしょう? 子を助けてもらった礼もあります。ただし、王の説得はあなたたちが行いなさい。呪いについて、私は口出しはできません」
「十分です。ありがとう」
白竜にうやうやしく頭を下げるアッシュにならい、クリスとイブも頭を下げました。白竜は微笑むと姿勢を低くし、大きな前足を伸ばしました。
「乗りなさい。今から山の頂上まで飛びます」
差し出された手の上に、真っ先に竜の子どもが乗りました。鳴き声を上げる竜の子どもに急かされるように、三人もおっかなびっくり乗り始めます。
厚い皮と鱗に守られた白竜の手はひんやりとしていました。思い思いの指に捕まったところで、白竜は翼をはためかせ始めます。
「行きますよ。決して振り落とされないように」
ダン、と白竜が地面をけり、雪は激しくしぶきを上げました。白竜は巨体を浮かび上がらせ、風を切りながら空へと近づいて行きます。
吹雪の下に見える景色はどんどん遠ざかり、小さくなり、やがて雲の中に入ると見えなくなりました。目の前が真っ白になり、三人は目をつむります。
そして、雲を突き抜けた先の世界は一変していました。
果てしなく広がる白い白い雲の海。宝石のように散りばめられた星々が輝く澄み渡る夜空。
その美しさに三人は、しばらくの間見とれていました。白竜の大きな体と翼に守られているため、風の冷たさも感じません。
白竜は速度を落とし、ゆっくりとしたスピードで前に見える、背後に満月を浮かべた山の頂上を目指します。
竜の子どもの帰りを知らせる、歌うような鳴き声が、山にこだましました。