旅路
翌朝、酒場の老人に別れを言い、アッシュ、クリス、イブの三人は酒場を出ました。
クリスとイブは、ひさしぶりにゆっくりと眠ることができ、元気を取り戻しています。二人とも、すっかりアッシュのことが好きになっていました。
アッシュは町で一通り旅に必要なものを買うと、二人を連れて町の門へと向かいます。
北の山へは、大人でも歩いて三日はかかるそうです。
「ふもとにまでは行けるだろうけど、正直、山に登れるとは思えない。それでもいいかい?」
二人は素直にうなずきました。あくまで、ふもとまで。それでもアッシュが十分に無理をしようとしてくれていることを二人は感じていたからです。
そして、三人の北の山へ向けての旅が始まりました。
城下町よりも北には村や町といった、人の暮らしている場所はなく、道も途切れたところからは森が続きます。
森に入ったところから、雪は強くなり始めました。冒険者たちはときどき町の人の依頼で野草などをつみに来ることがあるとアッシュは教えてくれました。冬の時期は特にひどいそうです。
その日の夜、テントの中、寝袋にくるまって眠ろうとするクリスとイブに、アッシュは自分のことを少しだけ話しました。
「俺は他の冒険家たちからは、野良犬と呼ばれていてるんだ」
「どういうこと?」
「俺は剣は持っているけど、強いわけじゃないし、はっきり言うと冒険者には向いていないんだ。だから、この国を出たこともないし、すごい冒険をしたってわけでもない」
だから、子供たちに聞かせるような物語も持っていない。と、アッシュは少し寂しそうに笑いました。
「俺ができることと言えば、他の冒険者たちが嫌うような、誰にでもできるけど、大してお金にもならない依頼をこなすことだけ。野良犬っていうのは、残飯あさりって意味なのさ」
「アッシュは、辛いの?」
たずねるイブに、アッシュは笑って肩をすくめました。
「いいや、どれも依頼してくる人にとっては大切なことだと思うから、辛いことなんてないよ。さる貴婦人の迷子の仔猫を探したり、足腰の弱いご老人の家の雪かきを手伝ったりとかね」
「それなら、僕にでもできそうだ」
「違いないね」
そうして笑い合いながら、一日目の夜は更けていきました。
二日目は森のさらに深くまで進みます。同じような景色が続き、本当に前に進んでいるのかがわからなくなりそうでした。
ただ、山は町で見た時よりも大きく見えます。それは近づいている証拠だとアッシュは言い、二人をはげましました。
「ねえ、アッシュはどうして冒険者になったの?」
そして、二日目の夜、クリスとイブはアッシュにたずねました。
夜はとても静かで、誰かの声を聞いていないと不安で、落ち着かない気分になったからです。
「聞いても面白くはないよ?」
そう言いつつも、アッシュはゆっくりと話してくれました。
「俺は子供のころに親をなくしてね。スラム街という場所で育ったんだ」
そこは町の貴族たちのゴミ捨て場のような場所で、同じような境遇の子供や、住む場所を失くした大人たちが寄り集まって暮らしていたそうです。
「まあ、決して仲は良くなかったし、お互いへの思いやりはなかったよ。その日をやり過ごすために、カチカチのパン一つを奪い合ったりなんてのはしょっちゅうだったしね」
ですが、アッシュはそうした争いの中には加わることはなかったのだと言います。
「俺にはわからなかった。どうしてみんな、自分が生き残ることに必死になるのか。どうして、そのパンを奪い合う力を、みんなが生き残るために使えないのかってね」
「それは、パンが一つしかなかったから?」
「そうだね。パンをみんなで分けようとすると、とても小さくなって、なくなってしまうからだ。だから、俺の言うことは『きれいごと』だと大人には言われたよ」
アッシュは懐かしむように微笑みました。ランプに照らされるアッシュの頬は、ほんのりと赤く色づいているようでした。
「そんな調子だったから、俺はスラム街の生活にすぐについていけなくなった。そして、何日も食べない日が続いて、そろそろ限界かなというときにね、救世主が現れたのさ」
「きゅうせいしゅ?」
「俺を助けてくれた人だよ」
「わたしたちにとっての、アッシュみたいな人ね」
「はは、そんなに俺は上等なものじゃないよ。ただ、俺を助けてくれて人も冒険者だった。その人からすれば、ただの気まぐれだったのかもしれないけどね」
冒険者はアッシュに食べ物を与え、生きる上での知恵を教えてくれたのだそうです。
「中でも大きかったのは、野草の知識かな。おかげで薬草をつんで小金を稼いで食べていくこともなんとかできた。剣の腕だけはどうしても無理だったけど」
そして、いつしか冒険者はアッシュのもとを去り、アッシュは冒険者の見習いのような形に落ち着いたそうです。
「だから、俺が君たちを助けるのは、ある意味その冒険者への恩返しのようなものかな。何もない俺にやさしくしてくれたから、そのやさしさをまた別の誰かに分けられたらと思うんだよ。気持ちは、いくら分けてもなくならないからね」
おどけた調子で笑うアッシュに、クリスとイブも思わず笑みをもらします。
外は凍えるような寒さでしたが、二人は温かな気持ちになりながら眠りにつくことができました。
◆
二日目の夜が明け、三日目のことです。いよいよ山のふもとが近くなってきました。
三人の足跡が、すぐに新しい雪が埋めてしまうほどに雪も激しく、吹雪になろうとしています。
「え?」
「イブ、どうかしたのかい?」
ふと、イブが足を止めて周りを見回し始めました。気付いたアッシュが振り返り、イブにたずねます。
「いま、何か聞こえたような気がしたの」
「何か? いや……俺には聞こえないけど」
アッシュは耳をすませてみましたが、吹雪が枯れ枝を揺らす音しか聞こえませんでした。クリスも首を横にふります。
「ううん……また聞こえたわ! こっちよ!」
「おい! 勝手に動くと危ないぞ!」
止めるアッシュにかまわず、イブは雪をかきわけてどんどん先へと進みました。仕方なく、アッシュとクリスもイブを追いかけます。
「いた……!」
そして、その声の正体を見たイブは、驚きに目を開きました。
雪の中に身を埋もれさせた、小さな白い竜がいたのです。
「これは……竜の子ども!?」
竜はクリスとイブと同じくらいの大きさで、透き通る青い瞳を三人へ向けていました。そして、口を大きくさいて尖った牙をみせると、シャッと短く鳴きました。
「二人とも下がって! 危険だ!」
「待って、アッシュ! だめよ!」
アッシュはとっさに剣に手をかけようとしましたが、イブがアッシュの手をつかみ、止めました。
「この子、元気がないわ。弱っているみたい……」
竜は今の一声が限界だったのか、小さな翼をたたんで雪の上に伏せていました。よく見ると、竜の足元の雪は少し赤くなっています。
アッシュは恐る恐る近づき、雪を掘り返します。すると、竜の足はがっしりと鉄で出来た歯に噛まれていました。
「誰かがしかけた罠だな。しかも、毒まで塗ってある」
鉄の歯は、まだ幼い竜の柔らかな鱗を突き破り、深く食い込んでいました。アッシュは外そうとしましたが、かじかんだ手では中々うまくいきません。
「僕も手伝うよ」
「クリス……じゃあ、俺の反対側をひっぱって。くれぐれも指を傷つけないようにね」
アッシュとクリスは協力して鉄の歯を「せーの」で両側に引っ張り、竜の子どもの足から外すことに成功しました。
「やった!」
イブが手を叩いて喜びます。ですが、竜の子どもはぐったりしたまま動く気配がありません。
「きっと、罠にかかって大分たつんじゃないかな。毒が回っているんだと思う」
「そんな……この子、死んじゃうの?」
「いや、死ぬような毒じゃない。獲物を弱らせるための毒だよ、これは。ちゃんと治すことはできる」
アッシュの言葉にイブはほっとします。ですが、アッシュは難しい顔できょろきょろと周りをにらむように見ていました。
「でも、今はここを早く離れた方がいいだろうね。罠がしかけてあるってことは……」
「……アッシュ!」
「と……ああ、遅かったかな」
クリスの声に、アッシュも周りの景色の変化に気付いていました。雪の中にまぎれて、何かが動きます。
それは、灰色の狼の毛皮をかぶった盗賊たちでした。それぞれ手に剣や棍棒、弓などの武器を持っており、いつの間にか三人は取り囲まれてしまっていたのです。